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毎日連休中の私には大型連休は関係ないけど、3日連続テニスの練習は疲れた。特に暑さが厳しく体が慣れていない。コートの中にある藤棚、3面のコートの間に2か所植えてある。私が中学を卒業して入学した国鉄関東鉄道学園にあった藤棚でかなり古い。今年はあまり咲いてなく寂しい野鳥探しは相変わらず芝川をウロウロしているが、葉っぱが生い茂ってきて探すのが難しい。珍しくオナガドリが集団で騒いでいた。飛んでいるのは見かけるがアップでは初めてで、結構いい色して綺麗。翼を広げ良い
「紀伊半島一周第2レグ目指せ住吉高灯籠」作戦実施まで2週間となりいよいよ大詰めである。沿道各地の事前リサーチが愉しい時期なのだが、中でもイチオシ訪ねたいところがある。有田川鉄道公園だ。有田川鉄道公園・有田川町鉄道交流館|有田川町観光協会鉄道公園入口では、まず「D511085」がお出迎え。公園内は芝生が広がり、天気の良い晴れた日は、家族連れなどでゆったりとした時間をお過ごしいただけます。公園内の鉄道交流館では有田川町の風景を再現したジオラマが人気。ま[…]www.aridagaw
国鉄~JRの113系電車が私にもたらすイメージは、「うるさい」「揺れる」「遅い」である。従って私は同系には良い印象を持っていない・・・とは私が鉄道への興味が深くなった15歳以降のこと。私の小学生時代における113系は、「阪和線新快速ブルーライナー」に代表されるセミクロスシート俊足列車のイメージ、いやそればかりか「休日に大阪環状線を走る快速電車」「関西線電化の旗手」でもあった。はっきりいって冷房の有無など関係無かった。後年嫌というほど見る湘南色にしても、昭和50年3月ダイヤ改正前に阪
今日のアップ作は1986年7月に撮影した桜島線の画像です。1986年当時の桜島駅と非冷房の103系6連です。現在の桜島駅のホームと201系です。(2013年)1986年当時の桜島駅の駅名標です。(以下は全て1986年に撮影した画像です)桜島駅の先にあった桜島埠頭の専用線(本当は国鉄が所有していた軌道なので正しくは国鉄の側線)です。ポイント(転轍機)は電気転轍機ではなく手動式です。撮影はしていませんが、少年時代に桜島埠頭のSL(小型タンク機)を、この近くで見た記憶があります。桜島駅から
こんにちは、仕事開始の日が少しずつ迫っており気が重いですが今日は先日購入したKATOの113系湘南色の整備を行いました。付属の部品の取付のみで加工は行っておりません。こちらになります。品番:10-1586113系湘南色7両基本セット品番:10-1587113系湘南色4両増結セット品番:10-1588113系湘南色4両付属編成セット付属品ライトスイッチ用ドライバー、ジャンパ栓、胴受、前面表示(無地)、前面幌、行先表示シールが付属されます。行先表示シールに「品川」、
45年前(1979年)の春、初めて大阪に連れて行ってもらって撮影した写真をUpします。だいぶ間が開いてしまいましたが😅、今回は国鉄に加え、阪神、京阪電車です。いつもご訪問頂きありがとうございます。以下本編です↓。前回↓に続き、引き続き大阪駅を中心に撮影しています。381系特急電車~間もなく”やくも”での活躍が終わろうとしていますが、写真の貫通形”しなの”が元祖でした。1往復だけの大阪始発は1990年にも撮影の機会がありましたが、この頃からあったんだな~。下りの列番(奇数)のまま名古屋
おはようございます☀️!!2024年、3月末に、タイに行った時の記録です🇹🇭🐘いや長いな~~~~~しかし今日はバンコクから国鉄に乗り、約1時間程の街、アユタヤへ向かいます🚃アユタヤで一泊すべく、全ての荷物を持って移動!🚶🚶っても、リュック一つだけだがこういう、この荷物だけで、どこでも生活出来る、みたいなスタンスが凄く(オラ)ワクワクする帰る場所があるから思えることなんですけどねさて、いつものようにバイタクを呼び、国鉄のバンコク駅に向かいます🏍️🏍️チケット売り場
今まで時々Nゲージの線路関係について書いてきましたが、だいぶバラけていたのを一度まとめてみようと思い、大げさなタイトルをつけてみました。ブログで一度は書いたことがある内容も多いので総集編みたいですがこれから鉄道模型をやられる方むけにかみ砕いた内容です。比較対象は・KATOユニトラック(右側)・Tomixファイントラック(左側)美里山倶楽部はKATO大好き人間ですが、今回はニュートラルな見方でいきたいと思います。出来るだけ数値化して、実際測定したり、走らせたり、両社カタロ
時刻表紙面から確認できる国鉄(JR)⇔私鉄線の乗り入れがあった記録を残しております。現在も現役路線もさることながら、すでに廃止された地方私鉄を優先して取り上げてゆこうと思います。■有田鉄道今回は、和歌山県でかつて存在した有田鉄道について。和歌山県の私鉄で紀勢本線藤並駅から内陸の金屋口駅までの5.6km(廃止時点)で運行されていました。その有田鉄道の車両が定期的に乗り入れを行っていた軌跡です。時刻表内の索引地図(1979年)より。和歌山県の「和」の左側に金屋口の文字があります。地図内
【24年1月8日探索・5月2日公開】現在地はこの辺千葉県夷隅郡大多喜町中野私は起点の五井駅より小湊鐵道線に乗車し、終点のここ上総中野駅に降り立った。これは五井方向を見た所になる。乗ってきた列車はキハ200形だ。10人ほどの乗客は終点なので降車した。上総中野駅は小湊鐵道といすみ鉄道の乗換駅だが無人駅だ。元々、五井から安房小湊を目指していた小湊鐵道と、元・国鉄木原線、その名の通り木更津と大原を結ぶはずだった路線だが、大原から延びてきた線路はこの上総中野で止まった
それに乗るべく、運行が始まった2021年から新潟県上越市へ行こうと思い続け、トキ鉄スタッフへも近畿地区鉄道イベントで会った際にその旨を言っていたが、私には上越は大阪から遠い所ゆえなかなか行き辛い。そんなもん、北陸本線の特急列車と新幹線を乗り継げば4時間以内で行けるやろ・・・いやいや、車内販売の無いJR在来線特急にはゼッタイ乗りたくない。サービスの劣化した優等列車に乗るなんざ、列車食堂利用者だった私には出来ぬ。鉄道で上越へ行くなら新幹線駅まで普通または快速列車で、というのなら青春18
毎年恒例のトレインボックス夏の限定Nゲージ情報が発表されています。といってもシルエットのみとなっています。しかもシルエットは過去の車両のものらしくここからの推測は難しそうです。ただ、トレインボックスといえば、キハ40系のキハ47形を例年製品化しています。一番人気だったのは播但線?その後姫新線や岡山地区のノスタルジーカラーと年々生産数が増えているのか、人気が衰えているのか、未だに国鉄復活色は在庫があります。もう一方は北陸地域のキハ58系高山色や高岡色、そしてキハ48系の小浜色とBトレイン初期のよ
ベトナム戦争終結後の1977年、国鉄の最大労働組合だった国労が国鉄で廃車になったディーゼル機関車DD11型を戦争で荒廃したベトナム国鉄へ寄贈したことがあった。当時国鉄は蒸気機関車を全廃。次の段階として初期の試作的少数配置のディーゼル機関車や老朽化した電気機関車を廃車。まだ使えるDD11型の一部は民間に払い下げられた。ベトナムにDD11型が寄贈された理由はもう一つ。線路の幅が日本国鉄(1067mm)とベトナム国鉄(1000mm)では違うが、DD11型は当時生産を担当した汽車製造(株)が海外への
いつもとは違う中古屋さんへ行ってきました。久々に訪問すると、たくさんの品がありました。その中でクモニを2両購入しました。マイクロエース国鉄クモニ143高崎線、東北線等で活躍した車両になります。国鉄クモニ83ー300湘南色こちらは中央線で活躍しました。スカ色もありますが、購入したのは湘南色になります。どちらも製品に『A』がないので、30年以上前になります。同製品は真鍮製なのでズッシリとした重みがあります。見た目はほぼ変わりませんが、側面のドアと窓の位置、上
遠目から遠慮気味に撮ったC5075号機は早くから入換え専用機として亀山にいた釜C50としては非常に珍しく保存されていますがその場所が不思議なことに東京足立区の北鹿浜公園なぜこの土地に・・?この場所のストリートビューはなぜか公園の中まで入れてしまいました残念ながらかなり状態は悪い感じですね・・・C58267号機は重装備ですC57145号機そして当時は「フィルムの無駄」と言ってシャッターも切らなかった”天敵DD51”これで亀山機関区撮影分は終
時刻表紙面から確認できる国鉄(JR)⇔私鉄線の乗り入れがあった記録を残しております。現在も現役路線もさることながら、すでに廃止された地方私鉄を優先して取り上げてゆこうと思います。今回は、テーマからややずれつつも、少し特殊な事例として取り上げておきたい案件。先達の皆様にはかなり有名な、名鉄車両の国鉄線、富山地方鉄道線への乗り入れについて。名鉄の公式ホームページに、高山線直通列車のあゆみ、というページが有るのをご存知でしょうか?名鉄の高山線直通列車のあゆみ-未入力|名古屋鉄道w
昨日、報道各社に公開された阪急京都線に登場予定の有料指定席車両プライベースの様子は、在阪地上波で広く報道されました。まあ、わかりやすく言いますと、阪急電車に普通のキップだけで乗ったらコチラにどうぞ…!けど、あんさんが追加で500円払うてくれるんやったらコチラに乗れまっせ!と言うことで、単に座れるだけで無くて、車内もずいぶん豪華な雰囲気になっている車両なのです!さて今回、毎日放送のリポータで
4月と5月に運転される「絶景ネモフィラ○○号」のチラシがJR東日本から送られて来ました。○○は平塚・高尾・君津・川越です。車両は水色のE653系(K70編成)とE657系で運転されるようです。裏面には時刻が書かれていますが車両運用は書かれていません。勝田までしか行かないのでこの列車だけでは「国営ひたち海浜公園」まで辿り着けません。チラシには茨城交通のバスかひたちなか海浜鉄道&無料シャトルバスの案内が書かれています。JR東日本国鉄E653系E6
みなさま、こんばんは。昨日は、「特急まつかぜの受難」ということで書かせていただいたのですが、当時の試乗記(鉄道ピクトリアル昭和36年12月号)に載っていましたので、その内容に基づきお話をさせていただこうと思います。昭和36年10月1日、国鉄の期待をこめて誕生した特急かもめ・白鳥・まつかぜ、の気動車特急ですが、白鳥と比べると地味な印象は拭えず、6両編成の特急は少し寂しそうでした。当日の編成は、米子方からキハ827+キハ8026+キシ807+キハ8053+キハ8027+キハ8240の6両編成
札幌以遠へ向かう函館~網走直通列車、在来線昼行定期列車で最後まで食堂営業をした列車、遅くまで80系を充当した列車、それが国鉄~JR北海道の特急列車「おおとり」だ。この愛称が消えて30年以上が過ぎたが、今でも私の心に残る。私が北海道へ行き始めたのは1983年4月で、この当時の「おおとり」の本州側接続優等列車は「はくつる」「八甲田」。ともに東北本線の列車であり、日本海縦貫線を通る私には少し縁遠かった感があった。けれども初回の北海道旅行にて千歳空港~東室蘭で乗り、その際食堂車での食事
こんにちは。今回は可部線73系の続きということで、スナップ写真や走行写真を載せてみました。そして、TOMIXの73系可部線4両セットも無事に入線しましたので、その報告も一緒にさせて頂きたいと思います。なお前回の可部線73系の記事はこちらからどうぞ。『昔のアルバムから【34】広島遠征編〔1〕可部線の73系(その1)』こんにちは。TOMIXから72・73形(可部線)4両セットが10月に発売になる様ですね。今回の様なおじさん好みの模型の発売は昨年あたりは少なかったと思いまし…ame
こんにちは。ここ一週間は仕事が特に忙しく、そんな訳で休日も寝て過ごすような日々が続いたため、デラちゃんも含めてあまり作業が捗っていません。ということで、しばらくのあいだ触れてこなかったアトリエリーフ73系シリーズの補修作業の様子などご覧いただこうと思います。(ストックしてあったネタ、ということです。)まずはモーター車の動力伝達方式の変更から。以前の記事でも書きましたとおりベテランモデラーの方から「シリコーンチューブよりユニバーサルジョイントのほうがいいよ」というアドバイスを頂いたため、
「うちの国鉄はシール貼っちゃいけないんだ」「聞いてないこと聞いたっていうだけ感情的になるのがお決まりなのか?」など。おそらく元ネタは、ナガノ先生が『双葉ちゃんねる(ネットの掲示板)』で見つけた言葉。初登場時は、ドクロだらけの部屋で自分ツッコミくまを監禁する危ないヤツだったが、いつしか苦労人キャラに変貌をとげた。ネットでの人気も高いが、高いからと言って出番が多いわけではない。……続く
こんばんは~。yasooです。本日は、5月1日と言うことでDD51を出してみます。TOMIX2219DD51-1000(暖地形)当車輌区に在籍している1000番台(暖地形)で、「出雲」「サロンカーなにわ」そして今年始めに入線しました「だいせん」の牽引機として活躍しています。「出雲」「だいせん」ただこのうち1機のモーターからちょっと異音がして気になるんですよね😅TOMIX2246DD51-1000(米子運転所)当初、入線予定は無かったんですが、モーター変更をはじめとして、リ
このブログで南海からの紀勢線客車列車乗り入れの時期が不明になっている点(以下文面から引用)紀勢線客車列車運転区間南海難波(南海)〜新宮運転期間詳細不明〜1972年(以下略)となっていたが鉄道ピクトリアル2021年5月号の記事を読んで判明した鉄道ピクトリアル2021年5月号(特集私鉄の夜行列車)この本の記事の中に南海電気鉄道南紀直通夜行に関する関西鉄道研究会の藤井信夫さんの記事(南紀直通夜行の変遷)に詳しく載ってたこの記事によれば戦前から走っ
直流区間の至るところで見られた165系列も次第に活躍の場を狭め、急行「赤倉」が165系最後の定期運用の急行でした。(1997.3新潟駅)急行といえど僅か3両編成の都落ち車両でしたが、この頃になると湘南色の大目玉ライトは稀少でした。急行「赤倉」は、1997年10月の北陸新幹線長野暫定開業を機に廃止、併せて上沼垂運転区の165系も消えました。(1997.3新潟駅)JRで最後に湘南色の165系を見たのが2003年6月です。新前橋電車区の165系を使い関東各地でイベント運転を実施し、最後
今回は、1984年、国鉄末期の寝台列車に関する備忘です。九州特急の雄として活躍していた、寝台特急さくら号、みずほ号には当時14系14型が運用に就いていました。国鉄がおこなったサービス改善として、寝台の改造に着手され、当時3段式だった寝台を、1年あまりの期間をかけて計画的に2段式に切り替えていく動きがありました。組み込みに使われた車両14系は寝台車以外に、特急用座席車も存在していた形式でしたので、下記2形式が充当さていたようです。スハフ14(写真が、東武に移籍後のもので
出水市に暮らしている頃から国鉄宮之城線跡は関心があったけど今日偶然にも通りかかりました。永野鉄道記念館。以前、雨降りの中近くを通った際には見つけきれませんでした。解説の看板。横壁にも永野鉄道記念館の表示。当時の改札口かな。永野駅はスイッチバックの駅だったのでこのような表記になるのかな。駅舎内から。記念館内の展示品の解説。先に展示品を見ていたので納得しながら読みます。推測ですが最寄り駅のものを集めたと思われますが路線を知らない人から見ると混乱するだけです。(笑)歴史ある地図み
2日連続で先輩社員の遅刻に振り回されてヘロヘロな踏切の番人であります。昼近くに出勤してきて呑気に飯食ってる場合じゃないだろう・・・色々ありますが、季節の変わり目なので風邪など引かぬようご自愛下さい!今回は旅先の模型店「ステージ・ワン」さんで新品購入した、KATO3024-3「EF641000一般色JR貨物クーラー搭載車」を紹介させていただきますロクヨンの愛称で親しまれている国鉄型電気機関車「EF64形」、関東甲信や東海、京阪神、山陽・山陰(伯備線)と広範囲で活躍していますではどうぞ
前回NO.2757より、廃止から38年になります旧国鉄宮原(みやのはる)線の廃線跡探訪の話題をご紹介しておりますが、前編では久大線との分岐駅であります恵良駅から旧麻生釣(あそづる)駅までの模様をご紹介しておりました。この旧宮原線は豊後森~旧肥後小国間30.7キロ(本来の旧宮原線は恵良~旧肥後小国間26.6キロ)を結ぶ路線でありまして、昭和12年6月に恵良~旧宝泉寺間が開業、戦時中はレールが金属供出していた事で休止されていたものの昭和23年には復活、昭和29年には大分・熊本県境を越え