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2024年5月19日日曜日午後、1時間ばかり作業していました。Nゲージの車両に部品を付ける作業です。KATO製のEF641000。買ってそのまま部品を付けないまま走らせてました。ナンバーを付けてない(^^;穴が開いてますが、これも避雷器と言うパーツを付けるための穴です。長い間運転する機会がなく、面倒くさくなって放置していました。しかし数年前から相模原鉄道模型クラブの運転会に参加。その運転会でナンバー付けてないですね?と言う当然
2021年10月下旬から11月1日にかけて、旅客機趣味界ではANAに於ける「ボーイング787初就航から10年」が大きく取り上げられそうな気がするが、鉄道趣味者である私はそこから35年さかのぼった1986年の同時期を思い返す。国鉄最後のダイヤ改正が施行される頃だった。この改正の中でもいろいろな事柄があるけれど、1つに「在来線定期昼行列車から全室食堂車消滅」を挙げる。供食車両は新幹線・在来線臨時列車・夜行列車・ビュッフェがこの後でも見られたが、在来線・定期・昼行・全室を満たすものは
YouTube番組『機関車ラヂオ』を共宰するsteam_locomotive_nostalgia(猫実マサヒロ)さんから過日「大雪くずれの写真はありますか」との問合せをいただいた。それでハタと気がついたのだが、僕は若い頃、札幌発の下り夜行大雪にはさんざんお世話になって(乗車して)いながら、走行写真を撮ったのは2回しかないという事実である。鉄チャンたるもの、普通は「乗るより撮る」だが、こと夜行大雪に限っては「撮るより乗る」だったのである。理由はハッキリとしている。夜行大雪はまさに夜行列車ゆえ走
この記事は3年以上前に書いた記事ですが、当時は、トワイライトエクスプレスが運転を終了し、北斗星・カシオペアも風前の灯火と言われた時期でした。寝台列車を残すべきであるという運動が一部で起こっていたように思います。そうした廃止反対運動自体は悪いことではなく、多種多様な議論ができる事は良いことだと思います。ただ、どんな場合でもそうですが、結論有りきで考えると方向性を間違えることがあるので、できるだけニュートラルな発想で始めていく必要がありそうです。実際には、瑞風や四季島に代表される、豪華寝
いつも”重単5175”をご訪問頂きありがとうございます。今日はNゲージ鉄道模型、先日顔つきを変えたりした24系寝台特急ゆうづる編成です。7両の3段寝台を2段化..が終了しました。KATOの10-811,812、製品は1980年頃がプロトタイプの3段寝台編成でしたが、左端、オハネ24のドア上”B寝台”表記の左側に★★★、客車2段寝台表記になっています。見た目あまり大きくは変わりませんけどね😅。オハネフ24の”顔”を国鉄末期以降のイメージに変えた記事↓に書いていた、写真のオハネ25床下
札幌以遠へ向かう函館~網走直通列車、在来線昼行定期列車で最後まで食堂営業をした列車、遅くまで80系を充当した列車、それが国鉄~JR北海道の特急列車「おおとり」だ。この愛称が消えて30年以上が過ぎたが、今でも私の心に残る。私が北海道へ行き始めたのは1983年4月で、この当時の「おおとり」の本州側接続優等列車は「はくつる」「八甲田」。ともに東北本線の列車であり、日本海縦貫線を通る私には少し縁遠かった感があった。けれども初回の北海道旅行にて千歳空港~東室蘭で乗り、その際食堂車での食事
こんにちは。8111Fです。今回は7月発売の新型プラレールを紹介していきます!まずはEF66。これは予想外でしたね!まさかコヤツがくるとは…凄く嬉しいです!もう一つは185系新幹線リレー号です!7月は神ってますね!リアルクラスで185系は3回目のデビューです。次に京阪13008系きかんしゃトーマス号です。今回もシールと思われます。今回はここまで最後までお読みいただきありがとうございました!
本日は10系寝台車の思い出ということで、しばし、お付き合いいただきたいと思います。10系客車も分類上は、旧型客車に属する車両であり、改造を含めて以下の車両を一般的には10系客車と呼称しているようです。座席車3等座席車(後の2等座席車)ナハ10日本初の軽量客車ナハ10ナハ112等座席車室内灯を蛍光灯化するなど改良が施された、ナハ11(後の1等座席車)ナロ10その後冷房化されて、オロ10となった食堂車普通食堂車オシ17外観は近代的ですが、レンジは旧型と同じで石炭レンジでした
これまた大昔のEF62旧製品です。品番:2102国鉄EF62形電気機関車かなり前ですが、KATOのEF62に置き換えを考えたものの予算の都合で購入できなかったので、それならばとアップデートした時のものです。当時を思い出しながら書いてみます。模型的には、品番は2102とEF65に次ぐ若い番号ですが、初代EF64/EF71(1981年)よりも後で登場(1985年)しています。この当時の製品はまだカプラーは台車マウント、スカートの開口部が大きいタイプが主流でした。後にどこかのメーカー
国鉄はもう無い。日本に限った話だけど。国鉄の旅が好きで高校生の時に国鉄が無くなるまでずっと旅してきた。特に最後の数年は記憶に焼き付けようと必死で、最後の最後半年はビデオにその様子を記録した。(正直ベースでは53.10で減量ダイヤになったところから衰退が始まっており、ビデオを撮れたのは末期の残り滓みたいなものだけだったけど)そして昭和61年11月に旧型客車とともに国鉄は無くなった。今風にいえば「国鉄ロス」自分のビデオ撮影スタイルからみても61.11前と後では真剣さが違うのがわかる。それ
45年前(1979年)の春、初めて大阪に連れて行ってもらって撮影した写真をUpします。だいぶ間が開いてしまいましたが😅、今回は国鉄に加え、阪神、京阪電車です。いつもご訪問頂きありがとうございます。以下本編です↓。前回↓に続き、引き続き大阪駅を中心に撮影しています。381系特急電車~間もなく”やくも”での活躍が終わろうとしていますが、写真の貫通形”しなの”が元祖でした。1往復だけの大阪始発は1990年にも撮影の機会がありましたが、この頃からあったんだな~。下りの列番(奇数)のまま名古屋
国鉄時代の寝台車は客車が主体で、B(二等)寝台は片側に通路があって枕木方向に三段寝台が並ぶのが一般的なレイアウトでした。定員が多くても60名(大体は54名)であり、客単価が高いとはいえ座席車に比べて採算性が悪い寝台車は、少しでも定員を増やす工夫をしていました。電車寝台として開発された581・583系は、主に構造上の制約から中央通路で、その両側にレール方向に三段寝台が並ぶようになっていました。そのため定員も36~45名程度しかなく、客車(20系以前)より寝台の幅が広く取れたこともあり、客車より
本日も、引き続き10系寝台のお話をさせていただこうと思います。古い資料が見つかりましたので、その辺の資料を参照させていただきながら、お話をさせていただこうと思います。開放式B寝台車のルーツは昭和6年まで遡る鉄道車両というのは、横には長く取れますが、幅は車両限界の関係もあって3m以内に制限されてしまいます。実際には、車体の厚みなども考慮されますので室内の有効幅は概ね2.6m程度になってしまいます。そこで寝台車というのは、開放式A寝台や、583系のような電車寝台を除けば、構造上、片側通
PINECONEPRODUCT模型車両を活きた実感的なものに(peraichi.com)趣味友のSK氏が組立てた、IMON製の国鉄C114次型の塗装組立を行うことになりました素組ですが、丁寧に綺麗に組み立ててられています・・・・早速洗浄後に、ニッペパワ-バインダ-の黒で下塗りした後に、PCPブラックで上塗りです門デフ、角ドームの九州にいた罐ですから、ウェザリングは下回りを中心に軽く仕上げました石炭は砂絵用の黒砂を使用して、クリアエナメルで固着しています・・・・門デフ、角ドーム
2020年12月の年末から、2021年春の定期列車廃止をもって愛称消滅となる「有明」にフォーカスしております。今回は少し時代がくだって、・昭和50年代後半(485系有明号の時代)という感じで追ってみたいと思います。前回は、新幹線博多開業後の有明号までを追いました。従来の583系に加え、本州からお下がりの485系が大量に仲間入りします。白紙ダイヤ改正「ゴーサントウ」の特急有明号(1978年10月ダイヤ改正)昭和53年10月に実施された当時よく言われた「白紙ダイヤ改正(
こんにちは、房総浪漫街道です。国鉄時代の113系電車を模型再現、第2回目は改造先頭車クハ111-1201を含む幕張電車区のゼッケン157編成です‼️クハ111-1201上、大網。下、千葉撮影昭和61年6月8日実車は外房線で事故に会い相棒を失ったモハ113-1027を、大井工場にて2000番台の前面とトイレ取り付け改造を行って誕生しました。当時の房総ローカルは津田沼区配置車メインですが、幕張区にもローカル用6連も配置がありました。後の昭和61-3改正で113系は津田沼電車区か
長年収集を目論んでいた懐かしのプラモ「アリイバスシリーズ」を先般漸く揃えることが出来たので、それを記念して思い出と絡めてまとめてみた。今からウン十年前、夏休みで毎年母方祖父母の家に帰省していた時のこと。従姉妹がこのバスのプラモで遊んでおり、目ざとく見つけた私が「それ何処で売っとん!」ってことで聞き出し、少ないお小遣いを握りしめて30分後には一緒に遊んでいた(当時定価で400円程度だったか・・)。当時シリーズ内のどのバスを買ったかまでは覚えていないが今ではプレミア物となっている「アリ
現代社会は「合理的」、「合理性」を求める傾向にあるが、これは「属人主義」の考え方であり、多分に弊害を齎すのです。個人の欲望を満たしても、全体の幸せには繋がらないのです。人の猿知恵、欲望の帰結する考え方であります。日本国も戦前から、当に国策の如くこの手法が取り入れられてきました。簡単に述べれば、無駄なもの、否、人が勝手に無駄だと思ったものを削除する理論。その結果が資本を持つ者と持たざる者の二極化が進み、社会全体としては生きづらい世界となっていったのです。国鉄の民営化、電電公社の民営化、
こんばんは~。yasooです。本日は、久しぶりの鉄道模型記事です。TOMIX92452国鉄485系特急電車(初期型)当車両区にTOMIXの485系国鉄色ボンネット車両は、初入線なんです。なぜか、489系のボンネットばかりだったんですよ。(見た目には違いがわかりませんが😁)中身基本セット4両に増結(T)とサロを追加し、7両編成としています。これで、ある特急を再現します。ライトのチェック中古品の入線ですが、パーツも未取付で新古車状態でした。安定の485系HGですね。デフォルトで
みなさんこんにちは!よしひろよしちゃんです。今回は愛知県中部(岡崎市・豊田市・春日井市)を結ぶ愛知環状鉄道の愛知環状鉄道線(旧岡多線区間)をご紹介します。●愛知環状鉄道愛知環状鉄道線とは愛知県岡崎市の岡崎駅から愛知県春日井市の高蔵寺駅までを結ぶ鉄道路線です。鉄道敷設法により建設が始まりましたが、国鉄は赤字となり分割民営化され国鉄再建法によって第三セクター鉄道に転換され現在に至ります。簡単にご紹介すると、鉄道を全国各地に敷設して全国を賑やかにしようと計画されたのが鉄道敷設法ですが、もち
また少し記事間隔が開いてしまいました。クハ79358には運行番号窓枠のHゴム、床下機器と屋根上の信号炎管を取り付け、とりあえず形になりました。前記事でご紹介のとおり手すり類もほぼハンダ付け済み。空気側側面から真鍮鋳物の附加空気溜めがお気に入りです。各々の機器配置についてはさまざまな資料を見比べて検討しているので、概ね合っている筈です。こちらは2台目(通算3台目)となるモハ72513-613の車体です。箱になった状態で雨樋やウインドシル・ヘッダーの取り付けも完了しています。さすがに
前回、KATOのEF58後期形小窓Hゴムの話を書きましたが、今回は当鉄道が保有するEF58お召機のお話を。小学時代から鉄道模型をスタートさせ本格的な趣味となった中学時代。子供の頃から私はEF58好きで一般色と茶の2機のKATOのEF58を手にしてきました。当時のKATOの製品番号は「306」という三桁時代。スタイルは原型小窓1タイプのみで、4タイプのカラーバリエーションがは茶・一般色・特急色・青大将の4色があり、先台車にはつかみ棒は無く、屋根上は避雷器やホイッスルがモール
みなさんこんにちは。今日の話題です。大阪日日新聞電子版2020(令和2)年2月27日付け20面(地域総合面)より。「国鉄時代から活躍の201系全車両引退へ」…という見出しに、大阪人のわたしとしては、少しく驚いたという話題をお送りしたいと思います。記載にありますように、この「緑一色で正面顔に白線」が特徴の「201系」は、現在「JRおおさか東線・大和路線(関西本線)」で運用されている車両です。昭和50年代半ばから、当時としては画期的な省エネルギーの電車
今回は、和歌山県南部、紀勢本線の新宮駅から東へ分岐し、海寄りにあった貨物駅・熊野地駅までを結んでいた紀勢本線貨物支線(熊野地貨物線・熊野地線)の廃線跡について簡単にレポートします。また、戦前は熊野地駅から先、三輪崎まで線路が延びており、この線路が紀勢本線(当時は紀勢中線)の一部をなしていましたが、1938年に現在線が開業して廃止となりました。こちらの廃線跡につきましても併せてレポート致します。さらに、熊野地駅から北方へ延びていた専用線の廃線跡も紹介致します。新宮(旧)~三輪崎の廃止と同時に
今回は、時刻表には掲載されていたものの、貨物駅発着だったために知られざる存在として語られることが多かった、国鉄のヒット商品「カートレイン」について、数回に分けてまとめたいと思います。カートレイン沼にハマってみたwwwその第1回はカートレインの代名詞となった首都圏〜九州地方・中国地方で運転されたカートレイン(カートレイン九州)についていろいろまとめてみたいと思います。カートレイン(カートレイン九州)EF651126_カートレイン_ExploreOOMYV'sp
大正13年11月10日に開業した「鮫駅」国の天然記念物である「蕪島」への最寄駅でもあります駅名の由来は魚の鮫ではなく、「沢(さわ)」がなまって「さめ」になったらしいのですが、あやかって鮫のオブジェが駅前にあるのが特徴的です後ろから入って口から顔を出して記念写真も撮れる優れものですがインスタで「鮫駅」と検索すると、口に頭から突っ込んで食べられてる感じの写真を撮っている方もいて、使い方は多種多様みたいです今年で開業してから93年の鮫駅ロータリー脇には、開業50周年
こんにちは、先週から大阪府知事、大阪府議会議員選挙の選挙活動が始まり、府知事の方は大阪府全体なので、さほど影響はなかったのですが、府議選は各ブロックでの出馬になっており、大阪府の片田舎に住む私の市町村でも選挙カーがうるさく走り始めました。個人的には名前だけを連呼する選挙カーは不愉快以外の何ものでなく、特に夕方以降に回ってくるものはTVの音も聞こえにくく、本当に迷惑です・・・かといって公約や演説を流されても、すぐに走り去ってしまうので、おのずと名前を連呼するしかない、ただの「近所迷惑な存在」でし
このシリーズでは、比較的短命となった列車をブログ筆者の独断で取り上げております。今回は、京都〜和歌山間で1980年から4年間のみ運転された、ディーゼル急行紀ノ川(きのかわ)号にフォーカスします。まずは、急行紀ノ川号の歴史と当時の運行概要について。1980年10月1日急行しらはま号の京都〜和歌山間を引き継ぐ形で登場1984年10月1日和歌山線電化にともなうダイヤ改正で廃止この紀ノ川号について語る前に、前身となる急行しらはま号の略歴にも触れておきます。急行しらは
今回は以前から予告していたKATO旧製品583系室内灯取付記をお送りいたします。ちなみに4月8日に583系ラストランから6年を迎えました!(翌日の車内見学会は別物と思ってます)ちなみに583系は、1967年から「月光」「みどり」として、山陽本線と九州で、交直流両用60Hz対応の581系が登場、1968年10月の東北本線全線電化に伴い、交直流両用50Hz/60Hz両対応の583系が登場。建設コストなどの都合で、電化区間が3電源方式となった国鉄線(非電化除く)をどこでも走れるオールマイティな車両
札幌旅行(ホテル、小樽三角市場編)『札幌旅行(ホテル、小樽三角市場編)』1泊2日で札幌に旅行に行きました飛行機乗る前はお馴染みのまい泉のヒレかつサンド海老かつサンドもあります。札幌に到着してホテルに荷物を預けました今回泊まるのはC…ameblo.jpウニ丼を食べた後は小樽散策へ手宮線跡昔使われていた国鉄の線路が残っていて、線路の上を歩けました。映えスポット小樽ビール醸造所もちろんビールも飲めますが、今回は見学だけ無料で醸造所が見学出来ます。1階はバーの様な感じで、真ん中に大きな