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世界は日本が休みの時に動く。特に金融。ということで、今日も世界は日本から富を吸い上げるために先手先手を打って動いてますが、そこは来週の月曜日に。今回はミルクティー飲みたいさんから。あくまでも2ちゃんに登場した未来人の話ですので、話半分で聞いていください。未来人塚本が語る、意識と肉体・世界・人生の仕組みです。覚悟してご視聴ください。未来から来た男、塚本が語る”世界の真相”とは?ミルクティーのサブチャンネルhttps://www.youtube.com/@user-tr1fq6k
引き寄せの法則では,いつも不安な気持ちに支配されていると,そのような出来事を引き寄せると言われているが,実際には,いくら心配したところで,その原因さえつくっていなければ,心配しているような事は起こりません。たとえば,通り魔に襲われるのではないかと,いつも心配しながら外出していても,通り魔に襲われる原因をつくっていなければ,襲われることはない。宇宙は,因果律によって支配されているので,その原因さえつくっていなければ,心配しているような事は起こりません。ただ,不安,心配,恐怖など
※正しい宗教と信仰・悪霊のたたりはあるのか私たちの生命は永遠であり、「生」といい「死」といっても、それは同じ宇宙法界の生命体のなかにあって、一個の生命体として生ずるときと、死して法界に冥伏(みょうふく)するときの違いがあるに過ぎません。かつて、人々は不幸や災害があると、それが特別な霊魂(悪霊)によってもたらされたものと信じ、悪霊を恐れるあまり、これを「神」としてまつり、そのたたりを鎮めようと考えました。しかし、仏法では「因果律」が根底となって一切の人々の救済が説か
愛子さまの初出勤…これまたまぶしかったですねえ。このおとなしいというか…真面目なスーツ姿が初々しさもあり、かつ、見ていて嬉しい気持ちにもなるというか。この真面目さが嬉しい。安心感。信頼感。愛子さまってスカート丈は長めが多い印象です。服装ひとつとっても印象ってあると思います。真面目さが伝わってくる感じ(実際とてもまじめな方だと思いますが)。大学に通う時のスタイルもこんな感じでしたね。スーツといえば…。あかん。すぐ比較してしまう。そりゃ若いときはスカート丈短くしたいよねえ。それはわかる。
これから、梯子の物語に出てくる停点理論を少しずつ考察してみようと思います。まず停点は、以前から書いている一瞬の「今」ということでしょう。想像によって創造された一瞬の現実世界。さて、停点理論ではこれらがひとつながりになったものをバイブルと呼んでいるようです。このバイブルに関する記述をいくつか見ていくと、これはどうも世界線の中の一部の、因果関係に縛られた一定区間ではないかと思えます。任意の停点を繋いでいく際にできるのが世界線。そうした世界線の中には人が生きていけないものもあります。逆に生きてい
こんにちは"(*´˘`)♥(´˘`๑)"こんばんは私たちは因果律に囚われているので、それはトリックだ!と見抜けると、今日のような快晴のように気持ち晴れやかになれる、と感じます。だってね、今しか存在してませんよ。完璧にパズルのピースが、瞬間瞬間織りなされている訳ですよ。完成形のピースが、毎瞬毎瞬、完璧に、現れているんですよ。それしかないんですよ。未来も過去もありませんて。だけど、やっぱりアイデンティティから抜けきれないと、こうなったらこうだよ、という因果関係を定数にします。動かぬ証拠と
悔し涙を拭うチャンスが誰しも与えられています。人生は、死後も永遠に続きます❗なかなか「自分の間違い」には、気付けないものです。特に、『霊こそ実在で、肉体は影である』と知っても、実生活では<肉体意識>主導で、<霊意識>が隠れてしまっていることが、多いものです。【霊よりも肉体が優越している】【人間が物質にのめり込んでいる】その結果が、目の前の<現象>だと気付かせてくれる【因果律】の法則。ただ、そうであっても、なかなか認めようとしない。何度も、その『愚かさ』を
幸福量保存の法則とは、人生における幸福と不幸の量は同じだとする考え方。この法則は、精神的な幸福の感じ方についての理論であり、実社会における地位や名誉、富、名声等の有る無しは関係ない。小さな幸せは失った時のダメージも小さいが、幸福の絶頂にいる人がそれを失った時は不幸のどん底に落ちる。よって幸と不幸は比例関係にあり表裏一体であるから、プラスが大きい時はマイナスも大きく、逆もまた然りで、結果的にプラマイゼロになるという考え方。それぞれの人生ごとに幸福な出来事の量は違うが、その人の人生の幸福が30
『報い』は、いつか必ず成就されます。その作用には、<情状酌量>といったお情けはなく、機械的に作動します❗『罪』には、いろいろな種類、大小、強弱などがあります。"思うこと""口にすること""行うこと"なんであれ、『摂理』『道義心』『良心』に反することは、『罪』になります。この<物質世界>に生まれて出て、これまでまったく『罪』とは無縁だったという人は、皆無でしょう。シルバー・バーチ霊は、「最大の『罪』は、他人を身体的のみならず、精神的にそして霊的に傷つけ
目に見えないもの、霊の世界、神の世界、永遠の存在を信じてゆきますこの物質・肉体世界から、霊の世界へ旅立つとき、これまで、肉体という分厚いベールに覆われていた本当の霊の姿が顕れてきます。その時、これまで見えていなかった物事の原因を知ることとなります。やるべき時に、やるべきことをしなかった過ち、エゴに惑わされてきた過ち、諸々の間違いに気付くことが出来ます。心に、意識に、直接響いてきます。しかし、その時には、もう地上世界へ戻って「やり直し」は出来ません。この地上世界で生
「霊の世界」へは、ありのままの状態で帰るのですね❗この「見える世界」「物質・肉体世界」にも【因果律の法則】が働いていて、これまでの境遇や環境や健康状態、人間関係などに『結果』として現れていることは真実でした。『原因』となる『カルマ』を自分が作っていることに得心し、その"清算"を早めるには、<分離感>を薄めて<全一体感>を拡げることが、まず必要です。<全一体感>とは、「見える形」は意識せず、「見えないもの(バイブレーション・霊・生命力など)」を意識し、自分の
霊の世界でも【神】のお姿を拝することは出来ません。【神】は法則なのです。それさえ理解すれば、人生の最大の秘密を学んだことになります❗【神】は、遠い昔より、崇拝信仰され、宗教や信仰という形で継承されて来ました、その捉え方もさまざまです。一般的には、人智を越えた絶対的、超越的な存在、万物を創造された全智全能の存在として、表現されています。なかには、人格的な存在として語られることもありますし、神秘的体験の中で感得出来るとされたりします。では、<霊の世界>の人々にとって、
【私の謎】子供の頃の謎、人生最大の謎について私が子供だった頃の謎、これが今も人生最大の謎として残っています。その謎とは、、、小学低学年の頃から、これまで何度も考えましたが、答えが出ていません。その謎とは、これ👇です。・「なぜ私は、この体に私として存在しているんだろう?」・「なぜ私を中心に、私だけを感じる世界が存在するんだろう?」・「自分が、この世からいなくなったら、誰が私の代わりに自分を感じるんだろう?私が生まれてくる前は、誰が自分を感じていたんだろ
死後、同じ霊的発達段階に至れば、『再会』できます❗この<地上世界>では、物質的な地球上にいますので、人との交流は基本的に可能な場となっています。会いたい方には、会うことが出来ます。しかし、<霊の世界>では、各人の【霊的発達レベル】が同じ人々としか基本的に交流出来ません。住む階層が【親和力の法則】によって、引き寄せられ分かれているからです。ところで、これまでの人生を振り返った時、誰しも、『再会』したい方がいると思います。だから、その希望を実現するためには、自分自身の【霊的
実生活の中で、【神】と【隣人】と【自己】への義務を果たしましょう❗この<地上世界>にいると、ある程度の物質感覚の使用は必要です。五感を働かさないと生活出来ないのも事実です。しかし、<霊の世界>からのアドバイスは、そんな中にあって、【霊的意識】に目覚め、【霊的に進歩向上】することの大切さを教えてくれています。全ては【霊】であり、【生命】であり、【愛】であり、その本質は【神・宇宙の大霊】であると。その<信念><信仰>をどれだけ持って行動していけるか、日々問われています
万事神の叡智によって佳きに計られている偶然の出会はないんだ!!そんなことを考える時があります。先日も、亡き妻とよく出かけたスーパーに一人で買い物に行ったときです。いつものように、野菜売り場から、お肉、お魚、惣菜、・・・・と一通り回って、ふと、「ニンジンや大根は、ここいくらだったかな?」と考えながら、もう一度、野菜売り場に来ました。その時、後ろの方で。「〇〇さ~ん」「〇〇さ~ん」と言う声がします。。振り向くと、「誰だったかな・・?」と考えていると、その方(A
「絶対不変の摂理」から逃れることは出来ません。受け入れるだけでした❗「見えない世界」があること。そこは「精妙なバイブレーション」の世界であること。それを知れば知るほど、<個>としての意識から、<すべて>の意識へ拡がってゆくことを望み始めます。ただ、<個>としての物質存在、これは、この「見える世界」では無視し避けることは出来ません。ここには「見えない世界」とも通じ一貫して働く【絶対不変の摂理】がありました。この【絶対不変の摂理】の一つ、それが【因果律の法則】です「種蒔
背負いきれないほどの荷は決して負わされません。なぜならその荷は、みずからの『悪業』がこしらえたものだからです❗この地上世界で、『自殺』という言葉を聞くと、とても<苦しく><辛く><悲しい>波動を受けます。身近であっても、遠くであっても、『そこまで追い込まれるとは、余程の事情があるんだ・・・』と、いたたまれない気持ちになりますただ、<霊の世界>からは、明確に『自殺』の<過ち>を指摘しています。【生】と【死】を司る<権限>も<権利>も、人間にはありませんし、【墓場