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ここ連日、祭りに関する記事が続いており恐縮ですが、懲りもせずにきょうもまた祭りの記事です。(笑)台東区の初夏は”祭りがあってこそ”ですので、しばらくの間はよろしくお付き合いくだされば幸いです!一昨々日は三社祭と小野照崎神社例大祭を見物したのち、夕方から吉原神社へ。吉原神社でもこの週末、例大祭が斎行されました。吉原神社の祭礼は、三社祭などと比べると規模は小さいものの、女神輿が出たり、こちらの写真のように狐舞が出たりとここならではの特徴が多く、非常に楽しく見物をす
『TABICA』というパワースポット巡りのイベントを企画するページに、「吉原」を探索する企画があり、地元在住の日本唯一の遊郭書店店長が案内人となって街探検してきた。吉原というと日本一の風俗街、昼間とは言え1人で行くのはなんとなく怖いイメージがあった。ところであなたは「遊女(風俗嬢)」というとどんなイメージがあるだろうか?見知らぬ男と当時の表現で「床入り」するわけである、思うところはあるだろう。それに関しては後ほど。#吉原の始まり吉原の歴史は江戸時代の始まりと関係がある。徳川家康は東海
日本最大の遊廓は”お風呂屋さん”の街/カフェーストリート/永井荷風が入りたかった投げ込み寺☆遊廓から続く色街の命脈はそのまま受け継いでいます「吉原」―その名を聞くと、真っ先に思い浮かぶイメージといえば、「日本最大の"特殊なお風呂屋さん"が集まる街」。確かに間違ってはいない。しかし、その歴史は意外に古く、江戸時代に遡る。徳川家康が江戸に幕府を開いて間もなくの元和4年(1618年)、現在の日本橋人形町に遊女屋を構えたのが始まり。もともと葦が生い茂る湿地帯だった場所から当初は「葦(葭)
先程、現地でメモしていた下書きを誤ってアップしてしまいました(^o^;)すみません…ここは、浄閑寺...通称、投げ込み寺...新吉原で亡くなった遊女の遺体を投げ込んだ寺...死因の主な原因は梅毒(性病の一つ)であったと云われています...彼女達の遺体が、実家に引き渡されるコトは殆どなかった。ヒト目のつかない真夜中、まるでゴミを扱うかの様に、浄閑寺に遺棄したそうです...だから、こんな風に、廓の主人が弔ってくださるなんて、あり得なかった..