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大河ドラマ『翔ぶが如く』の感想、これが最後になります。第二部の後半は征韓論、西郷の下野、佐賀の乱、西南戦争、そして大久保の最期・・・とてんこ盛りなのでまとめるのが一苦労ですまずは、前回に引き続き征韓論から。っていうか大体、征韓論って無謀なんですよ。ドラマの中の西郷曰く、「戦争になったらなったでいい。ロシア、イギリス、アメリカなど出てきても構わん。焦土になっても本物の日本人ならそこから必ず立ち上がる」お前、、、矛盾してるぞォ!!外国の食い物にされないために幕
“まことに小さな国が、開化期をむかえようとしている”の書き出しで始まる司馬遼太郎の名作『坂の上の雲』。小説は読んでいなくても、以前、NHKでスペシャルドラマ化されたので、ご存知の方も多いのではないだろうか。物語は、明治維新により新しい国家となった日本が、日露戦争で強国ロシアを破るまでが舞台となっている。映像化の話は何度もあったそうなのだが、司馬遼太郎は、軍国主義を賛美する作品と誤解されるのを恐れ、すべて断わってきたそうだ。それを、司馬の死後もNHKが司馬遼太郎記念財団や遺族とねば
私は、歴史が大好きである。当ブログを読んで頂いている方であれば、おわかりだとは思うが、私は、野球は勿論、様々な事柄についての歴史を調べたりするのが非常に好きであり、人生において、歴史を学んでいる時が、最も楽しい時であると言っても過言ではない。ところが、最近、私の知人が、こんな事を言っていた。「歴史なんて、1mmも興味が無い。昔の事なんか知ったって、何の意味も無い」と、その人は言い放ったのである。私は、それを聞いて、「うーん…」と言ったきり、何も言葉を返せなかった。人そ
2015久方ぶりの台湾その294~95の思い出②台南へは、台北から西海岸沿いに走る電車で向かったのだったが、途中で北回帰線を越え、熱帯に入った、というのはちょっと驚きだった。台湾が南国、という認識はあったが、陸路で北回帰線を跨ぐというのは、なかなかに得難い経験ではないかと思ったのだ。(つれあいの章子は、北回帰線にさしかかった際、電車は速度を落とし、ゆっくりと越えた、と証言している)台南までは、鉄道で何時間かかったのかすでに定かではないが、駅に着いてから、キャスターバッグを引きずり、
司馬遼太郎の「故郷忘れじがたく候」を読みました。本の裏表紙には、以下の事が書かれています。「十六世紀末、朝鮮の役で薩摩軍により日本へ拉致された数十人の朝鮮の民があった。以来四百年、やみがたい望郷の念を抱きながら異国薩摩の地に生き続けた子孫たちの痛哭の詩「故郷忘じがたく候」ほかに、明治初年、少数で奥州に遠征した官軍の楚さんな結果「惨殺」細川ガラシャの薄幸の生涯「胡桃に酒」二篇を収む。とあります。「故郷忘じがたく候」は、実際、今から慶長の役(1597~98年)で、日本軍は10万人という兵力
RAPT|悪魔のバフォメットと長崎の平和祈念像とアメリカ初代大統領のジョージ・ワシントン像とが同じポーズをしている理由。rapt-neo.com新たな事実が分かると、それまで何でもないことに思えていた物事が、実はとても重要な意味を持っていたということが分かるようになったりします。今回、「イエズス会」と「バチカン」とが全く別の組織であり、互いに敵対し合っていたということが分かったわけですが、これによって、それまで何とも思わなかった様々な事実に、実は大きな意味があったのだということが
司馬遼太郎記念館司馬遼太郎さんのファンではありません。。。ごめんなさい。なにより、記念館の建築がすてきだとの噂を耳にして行ってきまた。いやはや、すごかった!お庭は、雑木林を再現されたとのことで、すばらしかった!読み直さねば!と思った次第です。司馬遼太郎記念館は2001年11月、東大阪市の住宅街の一画に開館しました。司馬遼太郎の自宅と隣接地に建つ安藤忠雄さん設計のコンクリート打ちっ放しの建物で構成されています。地下1階、地上2階、ゆるやかな曲線を描くシンプルな構造で、雑
ぼんやり長男を放置していた我が家。もう高学年だし、自分で言い出した中受だし、自走するだろうと思ってました。(大間違い)↓詳しくは『成績下克上への道・小5の惨状①』我が家のぼんやり、のんびり長男は、学童での素敵なお兄さんとの出会いから御三家(開成でない方のどちらか)を目指すことを決意!新小4からサピックスに入塾!↓詳し…ameblo.jpしかし長男の成績、いつまで経ってもふるわない。テキストが色々なところで散乱している様子に、うすうす感づいてはいました。見て見ぬふりをしていたぼ
以前、作家の着想という話をしました。今回は、作家のリサーチという話をしましょう。本のアイデアを思いついたら、次はリサーチです。本を形にする前に、舞台設定や時代背景を調べておく必要があります。各種データや物語の核となる部分をしっかりつかんでから、本を書き出します。あるいは、調べながら書き進めていきます。ミステリー小説を書く人も、ノンフィクションを書く人も、時代背景など細かいところで間違いたくないという気持ちがあります。特に、ノンフィクションの作家は、間違いが許されないと思うので、資料を集めてし
本日2回目の更新です。昨日、岡田准一さん主演の映画『燃えよ剣』を見てきました。原作は司馬遼太郎さんの『燃えよ剣』。新撰組副長土方歳三を主人公にした小説です。中学3年生の時にこの小説に出会い、一気に土方歳三ファンになった私。以後、新撰組に関する本を読みまくりました。土方さんが好きすぎて『上方文化の歴史』の「上方」までもが「土方」に見えて足を止めていました。大学時代にはファンクラブに入会。新撰組の屯所だった壬生寺でのミーティングに参加したりも。土方さん最期の地、北海
斎藤一人さんの心に響く言葉より…世の中うまくいかないのは、女が男をたてるから。あれをやめるべき。男は女の上に行こうとするの。すると威張るしかなくなっちゃう。能力でもなんでも女性のほうが上なんだよ。会社で女の悪口なんて言ってる上司はバカなんだよ。女の底力を知らないんだよ、女一人で千人力だと思っている。一人さんは、どんな女でも能力があると思っている。ただ、隠しているだけ。女は自分のエネルギーを抑えることに力を使っている。
歩いてロープーウエイ街に行ってみました。観光客でにぎわっていました。「丸水(がんすい)」宇和島の鯛めしのお店が長い行列を作っています。ロープーウエイも並んでましたが、わりとすぐに乗れました。新緑を見ながら松山の街を見下ろします。ソフトクリームをベンチで食べてしばし、観光気分を味わいます。坂道はけっこう急で、帰りがこわいので、観光もここまで。ロープーウエイに乗れたの楽しかった♪(市の経営で往復400円、みなさま折があればどうぞお越しくださいませ)松山城の築城者、加藤嘉明
坂本龍馬のファンなら、龍馬が土佐在住時、「お徳」という女性に求婚したけれども、「龍馬さんは土佐にじっとしている人ではないから」ということで断られた、ということは周知のことと思います。お徳は元々の名を「岩本徳」と言い、四万十市の旧中村城下横町に天保14年(1843)に誕生しました。小さい頃より「美少女」として評判が高く、「中村小町」と呼ばれていましたが、13歳時、一家は高知市秦泉寺(地名)に移りました。ここでもお徳の評判は高く、数年後には高知城下等から毎日、多くの侍等が来て、求婚
Aloha最近映画ネタが多いので、映画紹介ブログみたいになってる気が(笑)このブログは自分の記録(日記)として書いているので面白いものは面白い、つまらないものはつまらないと言います😂ということで、今回はコチラ↓▼燃えよ剣映画『燃えよ剣』公式サイト大ヒット上映中!原作:司馬遼太郎×監督・脚本:原田眞人×出演:岡田准一、柴咲コウ、鈴木亮平、山田涼介、尾上右近、山田裕貴、伊藤英明―「新選組」土方歳三の知られざる真実を描く、歴史スペクタクル超大作!!大ヒット上映中!moeyoke
私は身長180センチである。しかし驚かれるかもしれないが、小さい頃は本当に身長が低く小学校の時は、ずっとクラスで1番小さくて背の順では先頭だった。前にならえで手を前に突き出す行為を、1度でいいからするのが夢だった。中学3年生の最初には153センチになっていたが、全く以て小さい中学3年生だった。しかし高校2年生の4月には180センチになっていた。つまり2年間で27センチ身長が伸びたことになる。当時は髪の毛よりも伸びるの早いと言われた。父も母も特に大きいわけではないので、身長が大きく
YOUTUBEもやっています。https://youtu.be/I8cbtAScnAg下記のブログがおもしろかったり、ためになったなあ、という方はチャンネル登録、高評価もお願いします。ブログ更新の励みになります☆@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@本日、武田鉄矢の三枚おろしで、西郷隆盛を下げる発言がありました。具体的には、ハリウッドに織田信長と黒人弥助の話の版権が流れた話を受けて、「ブラック侍だよ。ラストサムライなんて目じゃないよ」との発言がありました。
神魂神社:島根県松江市大庭町563大庭宮山(出雲大神宮):島根県松江市大庭町(立正大学淞南高等学校内)出雲口伝というものがある。古代出雲王朝に口述で伝えられた古史とされ、近年は書籍にもなっている。史料価値を云々するほど当方に知識はないが、古代史ファンにとってはなにかと取り沙汰したくなるテーマらしい。司馬遼太郎の「生きている出雲王朝」というエッセイにも、彼が新聞記者であった時の同僚、W氏がこの口伝を伝える話が出てくる。先祖が大国主命だというW氏は、ただ一系統だけ残った出雲族の末裔と称し、「
この一ヶ月、携帯の電池寿命が近づいているようで充電しても直ぐに電源が切れてしまい、SNS関連記事はまったく見れていませんでした。今もいつ切れるのかわからない状況で書いています。人とあまり会えないこのコロナ渦で【活字を読む習慣】もだんだん身についてきました。暇があれば携帯でなく本を読む。今までは人と会うことや飲食することで元気をもらっていましたが、本を読むことでこんなにも気持ちが元気になったり、奮い立たせてくれるのだなぁと驚いています。一度、とある教養書を買って自分にとって大事だ!と思うところを
いまは亡き司馬遼太郎は、国民的作家といわれています。自分も若いころ、よく読みました。実家の本棚には、黄ばんでしまった文庫本がずらりと並んでいます。この時間を勉強に割いていたら・・・いかに熱中していたか、われながらすこし呆れます。なかでも一番好きなのは、幕末の軍師大村益次郎を主人公に描いた『花神』です。『竜馬がゆく』のような派手さはない、地味な作品なのですが、ある意味とても痛快な物語なのです。磯田道史も、司馬文学の筆頭に挙げています。このことをつい最近知り、いまもっとも
秋山真之司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読み終わった。飛ばし読みの部分もあるが3度目の通読となった。沢山の資料を調べた著者の努力には驚くばかりである。読後の感想文がわりに、主人公のひとり秋山真之が起草したとされる「連合艦隊解散の辞」を日記に残すことにした。秋山真之は正岡子規とは同年配で二人とも伊予松山城下に生まれ育った。上京して大学予備門に仲良く通っていたが諸般の事情により子規と別れて海軍兵学校に入る。優秀にして首席で卒業し軍人となった。日露戦争の日本海大海戦は東郷平八郎の下の参謀として
司馬遼太郎は、説明するまでもなく歴史小説を得意とし、その独特の視点は「司馬史観」とも呼びならわされています。長尾神社は、葛城市⻑尾に鎮座し祭神⽔光姫命、天⽩雲別命(現在は、これらに加えて天照⼤神、豊受⼤神を祀る)。貞観元年従五位上(三代実録)、延喜式では式内⼤社に叙せられ、⽉次祭・新嘗祭において官幣に預かるとされる古社です。司馬の随筆等を編年でまとめた「司馬遼太郎が考えたこと1」(画像1)に「長髄彦」と「穴居人」という小品2作が有るのですが、これらに彼が幼年期に過ごした葛
昔のテレビは凄かった。むかし、NHKのテレビディレクターに吉田直哉(1931〜2008)というひとがいた。1953年のテレビ放送開始の翌年から40年近く、テレビの歴史とともに、映像表現の可能性を開拓しつづけた人で、代表作に『日本の素顔日本人と次郎長』大河ドラマ『太閤記』『源義経』NHKスペシャル『太郎の国の物語』などがある。吉田直哉NHKアーカイブス・NHK人物録より私は、わずかに『太郎の国の物語』(1989年)のみをリアルタイムで視聴したことを覚えている。咸臨
(2001年1月31日作成)モンゴル通信崑崙の高嶺の此方より特別版ツェベクマさんに会う(2002年1月5日)(2002/01/06記、1月25日一部抜粋2020/1/13画像を追加)この記事は群馬の自宅に住む息子陽一に送ったものを一部抜粋してYahho!BookShoppingの読者レビューに投稿したものです。amazon.comやYahoo!で「星の草原に帰らん」をオンラインショッピングしようと思い検索したところどちらにもまだブ
幕末が舞台のドラマは、主人公にとって佐幕側か倒幕側かに分けることができる。「龍馬伝」「翔ぶが如く」なら倒幕、「徳川慶喜」「新選組!」「青天を衝け」なら佐幕といった具合だ。確認したわけではないが、こうした幕末のドラマに共通して必ず出てくるシーンがある。黒船来航だ。1853(嘉永6)年に、ペリー率いるアメリカ合衆国海軍東インド艦隊の艦船4隻が、日本に来航。艦隊は江戸湾入り口の浦賀沖に停泊。ドラマの主人公は、海岸から黒船の艦影を見て驚き、空砲を聞いて驚く。幕末の大立者で維新の三勲の一人・
先日の歴史家・磯田道史氏のインタビューはおもしろかった。おもしろかったのは、ある真理をあらためて知ることができたからだ。なんとなく真実なのだろうとわかっていても、道理がわからなくモヤモヤしていたものが、霧が消えて視界が開けたとでもいうべきか。彼が歴史学者としての将来を決定づけたのは、あることがきっかけだったという。岡山藩池田家につかえる武士だった磯田氏の先祖。高校生のとき、江戸時代に書かれた家系図や履歴書のような記録などがつづられた伝家の古文書を祖母から手渡された。これを全部解読すれ
本日、2023年10月1日42歳主婦、大学に入学しましたキリっ久々の学生証だぜ・・・大学入学と、言っても通信制の大学でして、入学試験はなし。入学は広く受け入れてもらえる体制ですが、やはり自己管理が難しいようで、卒業率は1割ほどだそう。今は、自分が学生だった時と比べ40代になっており、更には日々の生活に加わる上に、普通の大学生と同じミッションか、、だ・大丈夫かしらたまたま読んだ司馬遼太郎の歴史小説「燃えよ剣」作中に出てくる土方歳三に心奪われて新選組に興味を持
私たちには、いま、何が必要か。基本的ではあるが、非常に重い問いである。歴史家が、歴史から導き出した答えはこうだ。磯田道史氏は、いう。価値観の多様化、教育の多様化っていうのは必要なんじゃないでしょうか。現代社会においては、全国津々浦々、一定の評価基準が決まっており、その評価基準をもとに教育がおこなわれる。いま、それが危ういというのだ。磯田氏の話は続く。江戸時代にあった身分制が崩壊したときに、身分に代わって、いい学校に行ったらいい処遇があるっていう社会を200年、僕らはやってきまし
江戸時代の時代劇では、しばしば拷問の場面が登場します。水責め、むちうち、石抱き、エビ責め、釣り責めなど、色々な拷問があり、「塩抜きの刑」というのもあったそうです。司馬遼太郎さんの小説「俄(にわか)に載っっていました。塩を抜くとどうなるか?──牢にに入っている人に塩を与えずに5、6日もすると、心身ともに萎えてくる。とくに気力が失せる。どうなってもいい。という気持ちになる。そこで尋問を開始すればよほど口のかたい奴でも、ふわふわと自供に及ぶことが多い。──恐ろしい刑罰の一つとして実施され
鯨海酔侯という言葉があります。「げいかいすいこう」と読みます。土佐の山内容堂のこと。彼自身が自称していました。この山内容堂を主人公に司馬遼太郎さんが「酔って候」という小説を書いています。この小説を読んで影響を受けた司馬遼太郎さんファンの柳ジョージさんが書いた曲が「酔って候」。この曲の歌詞の中に「鯨海酔侯」という言葉が登場していて、これで知りました。この動画で、柳ジョージさんは楽しそうに歌ってみえます。同じく歌詞の中に酒と女が大好きでとありますが、芸者が自分
大国主の末裔が存在する。古代の話ではない、21世紀、こんにちの話である。それがどのような事を意味するだろうか?少し長くなるかもしれないことを覚悟しつ、説明しよう。まず、誤解が無いよう断っておくが、ここで言う大国主(オオクニヌシ)とは、出雲大社のみならず全国の神社で祭られている大神様で、多くの神話に登場し、大黒様のモチーフになったスーパースターのことである。大国主様は、我が国の旧約聖書とも言える「古事記」に掲載されている数々の神話の堂々たる主役である。以降、古事記