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『無意識に出る宗教的な行動』という記事で「プレイボーイ」に掲載されている宇垣美里さんの連載について書いたが、同じ号に掲載されていた橘玲さんの連載も俺的にはすごく興味深い内容だった。なぜなら、日本の死刑制度について書かれてあったからだ。その箇所を抜粋させてもらう。「広く知られているように世界の大半は死刑を廃止し、OECD38カ国のなかで死刑制度存置国はアメリカ、日本、韓国のみとなりました。死刑執行が圧倒的に多いのは中国、イラン、
一貫して無罪を主張する喜納被告(画像:共同通信社)フライデー5/21(火)7:005月17日に東京高裁で無期懲役の判決を言い渡されたのは、殺人や強制わいせつ致傷などの罪に問われている喜納尚吾被告(41)だ。喜納被告は’14年1月に、新潟県新発田市内で当時20歳だった女性に性的暴行を加え殺害したとされる。しかし物的証拠が少なく、喜納容疑者は「まったく身に覚えがない」と無罪を訴えていた。「極めて強い性欲の持ち主」…無期懲役判決の男「20歳女性に車内で性的暴行し殺害」無罪主
※今回、長々と書いてしまい申し訳ございませんでした。かなり省略したつもりが、長くなってしまいました。移送先の女子刑務所に到着後、荷物を持ち移送用のバスから降ろされました。手錠と腰縄は外され、最初に新入調室へ連れて行かれます。そこで写真撮影などを行います。その時に刑務所の先生から、服のサイズと靴のサイズを聞かれました。これらが終わると身体検査です。びっくり箱に入って待機をしていると順番になり、私服と下着を脱いで全裸になり身体検査を受けました。検査官の先生が、入れ墨の模様・ほくろ
こんばんは。たまたま美容院で見た女性誌で紹介されていた、『めざせ!ムショラン三ツ星刑務所栄養士、今日も受刑者とクサくないメシ作ります』(黒栁桂子著)、読んでみたら面白かったので、是非、映画化してほしいと思いますめざせ!ムショラン三ツ星刑務所栄養士、今日も受刑者とクサくないメシ[黒柳桂子]楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}著者は、よくわからずに男子刑務所勤務の管理栄養士(=「法務技官」:法務省の専門職、正規の国家公務員)となって
今朝も体が重たくて中々起きれなかった昨日の北朝鮮からのミサイル報道があって、何か政治的な思惑があるのかなと感じていました。(北朝鮮のミサイルは、政治家が国民の感情操作に利用するために、この日なら軍事練習してもいいよと許可をしてそう、、あ、もちろん証拠はないです。独り言です)今日、生き霊を飛ばしていたのは、安倍昭恵さん。いつもくる生き霊より強いというか広範囲。【大地獄】とうエネルギーでした。安倍晋三さんが亡くなった日に、昭恵さんが安倍派から莫大なお金を受け取ったと、ネットでありました
民間刑務所について。「民間ならでは」の工夫が凝らされている。「刑務所」ではなく「社会復帰促進センター」という名前がつけられているのも特徴だ。山口県美弥に初めてできた。しかも男も女もいる刑務所。広大なセンターの敷地内には、市立保育園や一般向けの食堂も設置されている。地域との共生を図ることで、受刑者の社会復帰を促進している。次に、兵庫県加古川市に「播磨社会復帰促進センター」栃木県さくら市に「喜連川社会復帰促進センター」が設置された。施設には、民間事業者により教育
女子刑務所に移送されてから2週間は、新人教育です。私が収容されたW刑務所では8つの工場(うち生産工場は6つ)がありました。2週間の新人教育の間に受刑者1人1人にあった工場を決められます。先生による分類面接もあり「得意な事」や「好きな作業」などを聞かれました。他にも運動場で集団行動訓練をしたり紙折り工場(観察工場)で作業をしたり学力・性格テストを受けたりしました。私は、勉強が得意ではなかったので、書けない漢字や計算問題が多く点数はかなり低かったと思います。また、集団行動訓練をし
刑務所の中で起きたトラブル・出来事をお話したいと思います。①喧嘩の仲裁喧嘩の仲裁は、外ではいいことかもしれないが刑務所の中では、悪いこと・マイナスイメージしかない。初犯刑務所で起きた出来事。クスリ絡みで逮捕されたKさんとオレオレ詐欺+傷害で逮捕されたMさんは、犬猿の仲でたびたび軽いトラブルがありました。数人がまぁまぁとなだめてました。私もですが。。ある日、工場へ出役時の検診所で肩がぶつかったなどと謝った謝らないで揉め始めました。そのことが原因で工場の雰囲気が淀み
正式に工場が決まると共に新しい雑居部屋に移されました。新人教育の時と同じで、6人部屋に女子受刑者8人とかなり狭いです。それに新人教育の時の雑居部屋とは違い上下関係も厳しかったです。私が入れられた雑居部屋は、累犯の方が多く6回刑務所に来ている人もいました。薬で入った方が半分で残りは私を含め別の罪でした。女子刑務所の人間関係は男性の刑務所よりもややこしいです。受刑者の間でもカーストがあり、序列は部屋に入った順で決まります。新入り受刑者は、序列が一番下で扱いも雑です。「べべ
ここ最近も相変わらず仕事に忙殺され、少し心のバランスを崩してる。そんな毎日の中で、少しの癒しと心の支えをネットやユーチューブで探す。ユーチューブで刑務所と検索すると懐かしの場所が映し出される。ただ番組によっては、刑務所を出所した者達が大げさに刑務所生活を語ってる。こんな悪さしてました、刑務所でえげつないイジメや暴行などがと。私個人の感想ですが。。。刑務所ほど安全な場所はないから。笑。いつも書く通り、常に刑務官の監視の下、工場作業を行い居室でも管理監視され
再投稿します!喧嘩飯編①盛りの少ない多い+配食係へのクレーム1番、多い喧嘩はこれ。配食係が部屋ごとに盛り付けします。共同室の場合→バッカンとよばれる容器で部屋に入りますそれを均等に配らないといけないのですが。。あと独居の場合、盛り付け方どかチェックしてる人がいてあの人のときは、こうだったどか言い始めるときりがないのでそれでだんだんオーバーにヒートアップして喧嘩になることが多い。*配食係とは、工場担当刑務官が決めます。感染症や安定剤・眠剤を飲んでる人は
昨日は開所土曜日でした。金沢市田上にある金沢刑務所で行われていた令和5年度第37回金沢矯正展に出掛けてみました。矯正展て何?矯正展は受刑者の方々の手作り品を販売していたりします。久し振り・・・4年振りでしょうか?コロナの為にずっと休止されていましたが今年再開されました。矯正展とはいっても、色んな販売車が来て食べ物の販売をしていました。利用者の方の中には焼きそばを食べていた方々もいました。かき氷!と言われた方もいた様ですが、かき氷は人気があり、あっという間に売り切れた様です。残
私が収容されていたW刑務所には、歯科があったのですが受診するまで数か月待ちです。こんな事を書いたら失礼かもしれませんが、治療はかなり雑です。さらにお金がない人は受診しても抜歯しかできませんでした。税金で賄われているので、もちろん贅沢は言えません。なので虫歯だけには、なりたくないと思い歯磨きは、かなり念入りにしていました。しかし、刑務所に収容されてもうすぐ3年目を迎える時に左の奥歯が痛くなりました。奥歯を見ると少し黒くなっています。何かついているだけなら良いと思い歯ブラシで必死に
出所後は、元受刑者だと伝えた上でハローワークに行き仕事を探しました。隠して就職をしたとしても後に分かってしまえば直ぐに解雇になる可能性が高いと分かっていたからです。刑務所に服役中も、ハローワークの受刑者専用求人で就職口を探しましたが残念ながら見つかりませんでした。出所後は、引受人の両親の元へ帰り地元のハローワークへ行きました。担当して下さった女性は、元受刑者だと伝えた途端、笑顔がなくなりました。元受刑者だと知り怖いのだと思いました。辛かったですが私自身が招いた結果なので仕方ないと
初犯刑務所であれば皆が仮釈放の対象となる。仮釈放審査はパロール用紙書き込み、仮面接、本面接の順で行われる。パロール用紙の書き込みが終われば出所まで半年を切ったと思うのが通常。実際にパロールから仮面接が2ヶ月程度、仮面接から本面接が2ヶ月前後、本面接から仮釈放まで2ヶ月から3ヶ月といった流れ。基本的に仮面接に入った段階でその後に懲罰等を受けなければ仮釈放をもらえると考えていい。仮釈放制度は再犯率抑制に効果があると実証されているが故に刑務
実刑判決となっても14日間は、控訴や上告が可能です。なので判決が確定するのは、14日後です。つまり確定する14日間は、未決囚の時と同じ生活です。そして、アカオチと呼ばれるのですが刑が確定して受刑者になってからも直ぐに女子刑務所には移送されません。拘置所で刑務作業をしながら女子刑務所へ移送されるのを待ちます。迎えたアカオチの日、未決囚の時にお世話になった雑居房から確定房へ移される事になりました。荷物を持ちサンダルを履いて拘置所へ移送された日に新入検査をした建物へ連れて行かれました。
兵役年齢の男性全員を動員へと戦争の劣勢が明らかになると共に、ウクライナ政府は段階的に徴兵制の拡大を実施してきましたが、5月18日に可決されると見られる新しい「徴兵法」では、「兵役に該当する年齢のほぼすべての男性が徴兵される」ことになることを、英テレグラフが報じています。ウクライナの徴兵に関しては、昨年9月、従来は兵役を免除されていた「精神疾患、HIV患者の人々にも動員命令」を下しています。その後は、ついに、手足や視聴覚に重大な身体的障害を持つ人たちに対し
犯罪にも種類があるのですが、私が事件を起こしてしまったのは突発的で取り返しのつかない事でした。私の行動により多くの人達を傷つけてしまいました。事件を犯した後は、私の様子がおかしいと家にいる母に心配され何があったのかしつこく聞かれましたが何も答えられませんでした。結局、母には警察が来るまで犯罪を犯してしまった事を言えないままでした。その後、逮捕され容疑者としてマスコミに実名報道されてしまいました。実名と年齢がニュースで流れてしまったので、当時やっていたフェイスブックアカウントから顔写真
私がW刑務所に移送されたのは、8月の暑い時期でした。それに拘置所の時の記事にも書きましたが、私が刑務所に移送されたのは記録的な猛暑が続いた年です。移送された刑務所には、拘置所に引き続き職員の部屋以外、冷暖房はありません。小さい扇風機(夜のみ使用可)が一つあるだけです。なので夏場は、汗がびっしょり作業着や部屋着にくっつき気持ち悪かったです。自由に拭いたり扇ぐことは、許されていなかったので、汗が流れてもただ我慢するだけでした。そのせいか、服役中の夏は常に汗疹に苦しめられました。
刑務所でも私のようなゲイの人達に対して扱い・処遇が様々です。民間の刑務所は、ゲイの人お断り!自由に舎房が出入り自由な部分があるので間違いが起きないようにということだろう。私が入った他の刑務所は?①静岡刑務所の時は、刑務所側は、ゲイだと知ってるのに最初の頃は雑居に入れられましたね。民間へ行って再移送されて戻ってきてからはゲイの人達は、基本独居になるって聞かされて。。じゃぁー、●工の担当の親父は、ゲイだということを知ら
ここ数ヶ月、忙しすぎてさすがに身体が悲鳴をあげた。久しぶりの更新、気付けば秋がそこにきている。毎年この時期は思い出す。7年前に出所を迎えた日のことを。今も鮮明に覚えてる。本面接を一度却下され、二度目の本面接を受けたが仮釈放は諦めていた。二度目の本面接からわずか二週間後の朝、担当のオヤジが居室の扉を開け「引き込みじゃ」と。一瞬意味が分らず聞き返した。オヤジなんですか?って。オヤジが言った。「仮釈放決定じゃ、良かったな」って。
最近も忙しくメッセージを見ておらず、メッセージいただいた皆さん申し訳ありません。今日全ての方々に返信いたしました。私のような者で役立つことがあれば、今後も遠慮なくメッセージください。留置場・拘置所・刑務所どこが一番きついか。よくそんな話を耳にする。逮捕から留置場・拘置所・刑務所の流れになるが、一番しんどいのは逮捕直後から警察・検察の取り調べ、その後の裁判時期。実刑確実であるなら刑務所に早く降りた方がどれだけ楽かと思う。自分の犯した罪と
結局、6月の下旬にアカオチして受刑者になってから1か月以上は拘置所にいて8月になってしまいました。体調の方ですが、7月に崩してしまってから食べる量は減ってしまいましたが少しずつ回復していきました。でも、8月に入りさらにも増して暑くなり、昼間はサウナ状態で夜は寝付けない日も多かったです。8月に入ってすぐの午前中、刑務作業の途中で先生に呼ばれ「領地調べ(荷物検査)するから」と言われました。つまり移送される女子刑務所が決まったという事です。部屋に連れて行かれ先生に聞かれながら拘置所に預け
明日は、出勤時間が遅いので少しだけ日記を書きます。相変わらず体調は、不安定でお薬に頼りながら仕事をこなす毎日です。さらに今日は、普段は優しいお客さんが酷く酔っていて別人のようでした。暴言だけでなく殴られそうになったので思わず逃げました。他にも色々なお客さんがいていつも警察沙汰に巻き込まれないかという不安があります。警察沙汰になれば身分照会で元受刑者だという事が一発でバレてしまいます。そして数か月前からお金の管理も任されるようになりました。信頼して任して頂いているのですが常に
話を木村兄弟の後輩だと名乗る受刑者に戻そう。その受刑者は同じ工場の他の受刑者(暴力団組員)に、「自分の兄貴分(木村)はすごい人間なので、出たら紹介しますよ!」「いい付き合いをしましょう!」などと言っていたらしく、その話をされた受刑者から「その子はそんなことを言っていたのだけど、本当にそんなすごい人物なの、石元さん?だって聞いた話じゃ関東連合から逃げ回っていたんでしょ?」「(過去に)捕まっている罪名もどれもチンケなものらし
受刑者になってからは未決囚の時と違い朝が少し早くなりました。6時40分くらいには起き6時45分には点呼があります。そして刑務作業が午前と午後に加わります。また、受刑者になってから刑務官の事は、”先生”と呼ぶよう指導されました。優しい先生もいれば嫌味の凄い先生や厳しい先生もいます。刑務作業は、簡単な製品の組み立て作業や紙袋作りです。組み立て作業は、一度覚えたら何となくできるようになったのですが、紙袋作りは、少し苦戦しました。同じ雑居房の受刑者の方に「アホでもできる作業やの
6月下旬にアカオチしてから徐々に暑くなっていき7月に入るとより暑さとの戦いになりました。※この年は記録的猛暑が続きました。冷暖房が設備されている拘置所もあるようですが、私が収容されていた拘置所にはありませんでした。熱中症の症状が出てしまい運ばれた人もいます。同じ雑居房の受刑者の方達も「暑くて寝られへん」とよく愚痴をこぼしていました。前回の記事で書きましたが、この頃はイジメによるストレスで体調を崩していました。これに暑さが加わり、さらに体調が悪化してしまい吐き気で全く食べられなくな
刑務所に移送されて1年目は、イジメはありましたが、慣れるのに必死で色々と考える暇は、あまりなかったです。だけど刑務所生活2年目になると進級してトイレが外にある鍵の無い雑居部屋(開放寮)に移ることができ酷いイジメに遭う事もなく穏やかになりました。嫌がらせをずっとしてきたYさんもついに出所しました。しかし、ゆっくり考える時期ができたからか、今度は犯した罪についてや今後の事について深く考えるようになりました。考えれば考えるほど不安感や苦しさが強くなっていきました。もう、出所しても逮捕前の
いよいよ12月に入りました。年末が近づいているという事もあり掛け持ちの依頼が多く来ます。最近は、本業が定時に終わったら、夕勤(18時~22時)・夜勤(20時~5時半)の仕事に入ったりもします。本業が休みの日も、常に仕事を入れています。接客は、やらないつもりでしたが接客の依頼も多く時給が高いと挑戦したりしています。疲れているのか、ここ2,3日は、家に帰ったらぐったりでブログを書く間もなく眠りについていました。また先日、依存症の方や元受刑者の支援をされている依存症子さん(湯浅静香さん
暑さとの戦いが終わったかと思えば、今度は寒さとの戦いになりました。もちろん私達、受刑者が過ごす場所には冷暖房は、ないので凄く寒いです。その代わり、肌着・靴下・タイツなど(各2枚ずつ)に薄地のトレーナーとカーディガン(各1枚ずつ)が支給されます。※お金のある人は、肌着や靴下のみ自分で購入する事が可能です。私は、支給された肌着2枚のみを使っていたので週2回の入浴時に交換していました。冬は、私を含め多くの女子受刑者は肌着とカーディガンを着た上に作業着という感じで刑務作業を行っていました。