ブログ記事5,920件
刑務所は、当たり前ですが冷暖房がないので夏は暑くて冬は寒いです。さらに冬の時期の水は氷のように冷たくなっているのですが自己洗濯や洗顔の時は使用しなければいけません。自己洗濯は、前にも書いた通り他の女子受刑者の分も嫌がらせでやらされていたので手はよくアカギレになっていました。また、刑務所に移送されてからは毎年、霜焼けになってしまい痒かったです。特に足先の指が大きく腫れてしまい刑務作業中にも痒くて掻きたくなる事が多かったです。そして私が移送されたW刑務所では、昼食前の30分間に外運動が
田中被告の判決が出たとネットニュースに載ってた。1年4月の実刑判決。ただ今回の裁判は千葉で逮捕起訴された事案に対する判決。先に名古屋で逮捕起訴され裁判で1年8月の執行猶予付き判決を受けたが、その9日後に千葉で逮捕されたため、田中被告側が名古屋の件を控訴した状態での裁判という異例なものだった。通常、判決が出て14日経過し検察、被告側双方が控訴しなければ判決は確定する。田中被告は控訴したため、判決は確定しておらず推定無罪の状況で裁判官
初犯と累犯どちらもいるミシン工場への配属となった初日。配属が決まった工場へ連れて行かれました。私語は禁止されているので作業をしている音だけが響いています。トイレも勝手に行く事は許されておらず先生の許可が必要です。私自身ミシンは、家庭科の授業以来やった事がなく不安でした。工場へ到着すると担当の先生がおり挨拶をします。班長さんは、40代の方で長く刑務所生活を送っている方でした。挨拶を終えると役席(えきせき)に案内され作業の説明を受けます。※役席は、作業をする机の事です。私は、衣
あっという間に8月、7月はコロナ等の影響で仕事に忙殺された。この時期は、毎年暑かった刑務所を思い出す。私がいた頃は、過剰収容の時代で6名定員の共同室に9名が入ったり、挙句の果てには単独室に2名収容なんてこともあった。3畳一間の単独室に2名収容は本当に精神的にきつかった記憶がある。寝返り打てば真横にオッサンの顔があるなんて拷問でしょ。笑。ただ今はそのようなこともないと聞き及んでる。夏の刑務所は当たり前だが暑い。冷房など文明の利器はなく、貸与されたうちわのみ
お久しぶりです。久しぶりにブログを書いてみました。どうか本音を書くのをお許しください。ちょっと暗い内容なので苦手な方はスルーして頂けると幸いです。実は、今日の派遣先が事件現場と同じ場所にあるのでドキドキして眠れなくなっています。出所してから元の生活に戻ろうと色々と挑戦していますが、やっぱり事件に近い映像を見たり場所へ行くと未だに緊張してしまいます。もう出所してから半年以上過ぎているのに情けないです。この前は、仕事中に私が起こした事件によく似た事件の話をお客さんから聞いて心が
刑務所は犯罪者たちが集められた場所。そんな犯罪者たちであれ、管理監督する刑務官も人。私は受刑中に犯罪者である受刑者たち、厳しく管理監督する刑務官方々に救われた場面が幾度となくあった。刑務官と受刑者の関係性は一般の方が想像するものと実際は少し違う。刑務官は厳しく受刑者を管理監督するが、刑務官も同じ人間、厳しさの中に愛情、情けもある。私が出所近くなった頃、外掃工場に移動となった。その時、以前担当だったオヤジがいて「お前も入所当時
最近も忙しくメッセージを見ておらず、メッセージいただいた皆さん申し訳ありません。今日全ての方々に返信いたしました。私のような者で役立つことがあれば、今後も遠慮なくメッセージください。留置場・拘置所・刑務所どこが一番きついか。よくそんな話を耳にする。逮捕から留置場・拘置所・刑務所の流れになるが、一番しんどいのは逮捕直後から警察・検察の取り調べ、その後の裁判時期。実刑確実であるなら刑務所に早く降りた方がどれだけ楽かと思う。自分の犯した罪と
寒くなったある月のある日、受刑者になって初めての誕生日を迎えました。事件を起こしてしまい逮捕されたのが、前年の誕生日を終えてから約14日後です。前年の誕生日は、まさか次の年の誕生日を刑務所で迎える事になるとは思ってもいなかったです。誕生日当日は、手紙も面会もなくいつも通り刑務作業を終えて就寝しました。父と母は、私の誕生日を忘れがちで(※悪気はないです)ケーキも中学生の時までは思い出せば買ってくれる程度でした。一度、ホールの誕生日ケーキというをどうしても食べてみたくて、ねだって無理や
三田佳子さんの息子が5度目の薬物で逮捕、現在裁判中とのこと。本人は執行猶予を望んでいるというが、実刑は免れないだろう。今の状態を考えれば、実刑が本人を救うと私は考える。裁判で検察官が身元引受人となっていた両親に管理能力がないだのなんだの言ってたという記事が。ご両親の心中、辛さを思えば、よくもそんな言葉が言えたものだと検察に憤る。我が子が薬物依存となり苦しむ姿を見て、なにも思わない親などいない。どうにか助けてやりたい、立ち直らせてやりたいという気
最近は、忘年会にクリスマスシーズンという事もあり接客の仕事の依頼が多く来ます。なので、工場+接客の仕事が中心で休日も接客の仕事をしています。やらないと決めていた接客の仕事ですが”レギュラーで入って欲しい”とも有難い事に言って頂きました。慣れていないので今はずっと悪戦苦闘していますが頑張ります。そんな忙しい日々を送っているのですが先日、父と些細な事で喧嘩をしてしまいました。とても反省しており後悔しています。実は父には、理想の娘像があったのですが私は勉強も運動も不得意で全く当てはまる
1年前に誹謗中傷なども覚悟の上で逃げない為に前へ進む為にブログを始めました。ブログを始めてから沢山の方々と出会い助けられてきました。最初の頃は、社会復帰が怖くて怖くて怯えて食事も喉が通らない状態だったのですが何とか1年が経ちました。安定剤と頓服を飲むながらですが逃げずに掛け持ちで働き続けここまでやって来れました。本当にありがとうございます。被害者の方々へも決められた金額を渡し続ける事が出来ています。また、湯浅さんのブログを読み改めて自分の罪の重さを実感しました
仕事に忙殺される日々、ありがたいことだと思う。今日は久しぶりに受刑者心得を。1.ムショに入ってまで違反行為など情けないことで懲罰を受けないこと。2.待ち人に必要以上の差し入れを望まないこと。3.人の痛みを知ること。4.待ち人の痛み辛さ悲しさ切なさを知ること。5.待ち人のためにどんな理不尽なことにも耐え、仮釈放をもらうこと。6.待ち人に送る手紙に泣き言は書かず、待ち人を心配させないこと。7.面会も同じ、どんなに辛くとも自分は大丈夫
仮釈放が決まって出所するまで1~2週間過ごす釈前寮での生活についてお話します。*分類集会は出れる人は、日程によるけど出れない可能性が高い。私は、静岡刑務所の時は、ゲイという理由で釈前寮には、いけませんでしたが府中刑務所では、入寮できました。1週間っていうこともあるのかな?入寮したら寮での生活の過ごし方ルール(基本、今までと同じ)スケジュール(講話・VTR教材視聴)を寮の担当刑務官から説明を聞きます。毎日、日直が順番で回ってきますがやることは
大分刑務所では、本に、直接閲覧表というものが、のりで貼られます。以下参照閲覧できない本の場合、主任副看守長が告知にきます。この場合において、理由は、刑事収容施設法70条1項第1号か2号または3号の該当を告知されるだけで、具体的になぜダメなのか基準は職員が決めています。僕は、拘置所の時、確定し、受刑者の身分になってから本を購入し、拘置所では読めていたのですが、大分刑務所では、裏物JAPANという本が読めないという不合理な扱いを受けました。なにゆえ書籍につい
最近、3交代の仕事+掛け持ちバイトという生活に少しずつですが、やっと慣れつつあります。不器用ながらも必死に覚えて何とかやっています汗今週は、3交代の仕事が終わってから、さらに単発のバイトを入れてみたのですが、睡眠不足から頭痛が酷くなりました。3日間、ほとんど寝ずに働くのは、無理だったようです。体を壊したら全て台無しになるので、やっぱり3交代の仕事が休みの日だけに掛け持ちの仕事を入れます。また、父から「シャバの生活には、慣れてきたか?」と電話が来ました。シャバという言葉が、父から出ると
受刑中は常に神経を張り巡らせた。懲罰を受けぬよう、トラブルに巻き込まれぬよう、受刑者同士暗黙のルールを守るよう様々。皆、懲罰は受けたくないもの、懲罰にも期間の長さがあって1週間から長ければ数ヶ月にも及ぶ。初犯刑務所では、仮釈放が皆欲しい、そのためには懲罰はどうしても避けたい。それでも若い子達はカッとなりトラブルを起こしたりもする。基本、懲罰にいけば違う工場に配役となる。そこでまた一から人間関係を構築することも大変、懲罰上等なんて者はいなかっ
こんばんは((´。・ω・)´。__))今日の朝仕事行く前に昨日書いたお手数°ʚ💌ɞ°と3冊の本を入れてレターパックライトをポストインしたんです。そしたら昼に、3cm超えてます!!と郵便局から戻って来ちゃったよヾ(・ω・`;)ノと娘。。。ポストにするっと入れば大丈夫かなーって若干の不安はあったんだけどやっぱり3cmきっかり測らないとだめですねぇ娘にお願いして厚めの文庫本は抜いてもらって薄い本だけにしてまた封をし直して窓口に持って行ってもらいました。。明日施
忙しく働き続けた9月が終わりいつの間にか10月になっていました。本当に早いです。9月中に日記を更新しようと思っていたのですが、実家で飼っていたペットを亡くし悲しみでいっぱいになっていました。その子は、私が逮捕されてから刑務所にいた約5年間ずっとずっと心の支えになっていた子でした。そして、出所してからやっと会えたものの仕事が忙しくなるにつれ殆ど会う事ができなくなっていました。久しぶりに会った時は、少し高齢になっていたものの元気でした。元気だから、まだまだ会えるだ
今日は、掛け持ちの仕事の日でした。少しでも自分の稼いだお金を被害者の方々や両親に渡そうと本業の仕事と掛け持ちし始めたのですが慣れない仕事は、やはり緊張します。仕事をし始めると大丈夫なのですが、新しい職場なので行くまでが緊張してしまい疲れてしまいます。仕事のしんどさよりも今は、緊張の方が大きいです。刑務所へ移送される前日と当日もブログ記事では、落ち着いているように書きましたが、緊張感で死にそうでした。移送されるバスの中では、あまり刑務所の事を考えないよう過ごしていたと思います。時よ
受刑者が手紙を書く時、その瞬間だけは少しムショの辛さが忘れられる。その瞬間だけ、少し娑婆との繋がりを感じられる。待ち人の境遇を想えば、自分のムショでの辛さなど取るに足りないと感じられる。受刑者が刑務所から手紙を書く時、本当に頭を悩ませる。手紙には検閲もあり、必ず刑務官がチェックする。書いてはいけないことを教えたりはしてくれない。私自身、手紙を書く時、書き出し一つに頭を悩ませた。お元気ですか?と書けば、お前のせいで元気じゃねえよと突っ込
いつも暗い話ばかりで本当に申し訳ございません。私の記録ばかりを書いてあるので、あまり楽しい話題の記事は少ないかもしれないです。しんどくなったらフォロー気にせず外してくださいね。以前、ブログに出所後、精神科を受診した事を書きました。逮捕されてから服役中まで、ずっと”死にたい”という衝動が起きてしまいどうしようもなくなる事がよく襲ってきました。また、出所してすぐの頃は、罪を犯した瞬間が何度もフラッシュバックしてしまいパニック状態になっていました。そこで周りから精神科への受診を勧め
ここ最近もメッセージをいただくことが多い。こんな私にとありがたく感じる。仕事が忙しく返信が遅れ申し訳なく思う。待ち人方々からのメッセージには受刑者を想う気持ちがつまってる。私自身、このブログを通じ待ち人方々とメッセージ等で繋がることで待ち人方々の苦しみ辛さを知った。刑務所という未知の世界に相手がいることがなおさら不安にさせるのだろう。大丈夫だろうか、元気なのか、ムショで辛い思いをしていないだろうか、病気になったりしてないか、
逮捕されてから留置場→拘置所→女子刑務所まで行きましたが、実は刑務所に収監されるまで全く髪をカットしていませんでした。髪の事を考える余裕がなかったのも大きいですが、逮捕前は結構ヘアケアをしていたので切りたくないという気持ちもありました。だけど実刑が確定してアカオチしてからは、4年近く外に出る事はないのでロングの髪をバッサリ切ろうと思いました。しかし拘置所の時は、雑役の方がカットしてくれるのですがあまり上手とは言えないと聞いたので切るのを諦めました。その後、本格的に暑くなった頃にW
一貫して無罪を主張する喜納被告(画像:共同通信社)フライデー5/21(火)7:005月17日に東京高裁で無期懲役の判決を言い渡されたのは、殺人や強制わいせつ致傷などの罪に問われている喜納尚吾被告(41)だ。喜納被告は’14年1月に、新潟県新発田市内で当時20歳だった女性に性的暴行を加え殺害したとされる。しかし物的証拠が少なく、喜納容疑者は「まったく身に覚えがない」と無罪を訴えていた。「極めて強い性欲の持ち主」…無期懲役判決の男「20歳女性に車内で性的暴行し殺害」無罪主
刑務所内に置いて受刑者が驚くことは、何もかもが突然ということ。例えば、拘置所から確定房に入り、行く刑務所が伝えられるのは当日の朝、前日に引き込みと言って移送部屋と呼ばれる場所へ転房となるので移送されることは知るが、行く刑務所などは当日告知される。また刑務所によっては、工場移動というケースもあるが、これも全て突然、事前告知などない。私も工場移動は経験したが、こちらの意思などお構いなし、朝工場出房用意をしていると突然居室の扉が開き、工場担当のオヤジか
つーか私ってばちゃんと毎日日記書いてるなぁ~。娑婆でやろうと思ったら、なかなかよ?永遠の「永」、を「氷」、と書いてると人に指摘され、確認した痕跡。だって似てるじゃん。確かこの年の8月に制限区分(※1)3種から2種になったから、消灯時間が21時から22時まで許可される舎房に移されることになるという予想。簿記の勉強して、社債に興味津々なご様子。結局社債がなにかもいまだよくわかってないし、NISAやろうとしてアプリダウンロードしたのにパスワードわからなくなってログインすらできないでいて早2週間。
皆様お久しぶりです。前回のブログから2ヶ月以上経ってしまいました。この2ヶ月間は、特に忙しくてブログを全く開いていませんでした。コメントをして下さっていた方、気付かず返信が遅くなってしまい申し訳ございません。実は、体調も崩しており何度か病院へ行き薬を飲みながら仕事をしていました。また、職場の人間関係についてもかなり悩んでいました。刑務所の中に比べれば・・と思うようにしていましたが出所後も大変ですね・・そして今日は、久しぶりの休みでした。疲れていたのか、夕方近くまで寝て
私が逮捕されて今日で10年が経った。10年も前かとう気持ちと10年しか経っていないのかといった気持ちが交差する。逮捕された日のことは鮮明に覚えてる。逮捕されると分かって自ら警察署に出頭した。家族には何も言わずに。卑怯なことをしたと今も後悔している。あの時の自分は、家族に今から逮捕されるなど伝える勇気がなかった。警察署への道中、残される家族の事を想えば心から自分がしたことを悔やんだ。子供達が幼かった頃の記憶が蘇り、涙が
迎えた移送当日。点呼・朝食を済ませると先生から先にトイレを済ませておくよう言われました。トイレを済ました後は、軽く身体検査をします。終わると新入り調べをした部屋へ連れて行かれました。部屋に入るとスーツ姿の職員が待機していました。移送されるのは、私を含めて4人です。その後、前日に選んだ薄手のトレーナーとスウェットパンツに着替えます。そして、荷物を持ち並んで待機します。並び終えると、今からW刑務所へ行く事を告げられました。移送先を伝えられた後は、手錠・腰縄をされて4人一緒に
最近は、仕事が終わり家に帰って晩御飯を食べると直ぐに熟睡してしまう事が多いです。まだ、不安や緊張感もあるのですが、疲れの方がそれ以上に上回っているのかもしれません。先々週ですが、依存症子さん(湯浅静香さん)のブログ記事を拝見した時に今後の私に必要な事が書かれていました。内容は、『”何が悪くて刑務所へ来てしまったのか?”・”どうして犯罪を犯す思考になったのか?”自分の特徴・特性を知っていれば、犯罪を犯すような「きっかけ」を極力作らずに生活できる』というものでした。過去を振り返るのは