ブログ記事1,352件
染色体異常があるかもと言われてから、ダウン症と診断があるまでの壮絶な1ヶ月の記録を書きます出産までの幸せな歩みはこちら『妊娠から出産まで』生まれてからダウン症と診断された娘ですが、妊娠から出産までの出来事を記録しておきます結婚3年目に入り(当時30歳)、そろそろ子供が欲しいねと不妊治療を始めまし…ameblo.jp2021年7月7日午後8時4分2477gスリムボディーでスルッと生まれてきたMIAちゃん生まれた直後は微熱があり、呼吸が安定しないということで入院扱いとなりました。な
ご覧頂き、ありがとうございます。今回は、第二子ちゃん出産1日目〜出産3日目.緊急搬送まで書いてみようと思います。【出産1日目】主人と長女が面会で遊びに来てくれました。その時は、第二子ちゃんも保育器から出してもらい、15分くらい、家族4人の時間がありました。この時は、まさか、、、、第二子ちゃんが産まれてから今まで、『この瞬間だけ』が家族4人の時間になるとは思ってもみませんでした。そしてこの時、第二子ちゃんの鳴き声にも変だな‥と感じましたが、低体重なので、成長と共に普通
昨日の午後に抜管しました。実は、前の病院から転院する朝に、「今朝、挿管しました」と言われ、搬送は予定通り可能か聞いたところ(救急車で計画搬送だった為)問題なく可能との事で、転院しました。転院の話し、私の退院、次の日は娘が搬送とバタバタ続きで、しっかりと把握出来てなかったのですが、「挿管する」とは、「人工呼吸器」を入れる事だと昨日抜管します、と言われた時に初めて知る、と言うか気付きました。確か以前、18っこちゃんは、「挿管するか、しないか」選択を迫られる事がある、と遺伝カウンセラ
ご覧頂き、ありがとうございますm(__)m【生後2週間】通常なら自然な形で閉じるはずの動脈管が、やはり、薬治療しても閉じないとのこと。手術が必要なので、にこちゃんの誕生から約一ヶ月経たない頃に手術することが決まりました。【生後3週間】2023/3/13動脈管開存症の手術当日。手術についての詳しい説明が、執刀医の先生からありました。執刀医の先生はNICU在中の方ではなく、別の病院から来てくれた先生でした。手術が15時頃~の予定13時頃~手術の説明説明の内容は手術の詳細
こんにちはご覧いただきありがとうございます出産直後、総合病院に搬送された息子はGCUに入院することになりました。息子について行った夫は、検査に付き添ったり、説明を聞いたり、入院手続きをしたりと、出産の喜びも束の間で慌ただしく動いていたようでした。夫からの連絡を心配と不安な気持ちで、まだかなまだかなと待っていました。「重大な問題がありませんように」…祈るような気持ちでした。夫は、息子の方が一段落した後、私の入院しているクリニックに戻ってきてくれました。そこで、先生からの説明の用紙を見せ
ピノ病院で検査してきましたレントゲン、エコー、聴診等詳しく検査をして頂きました診断は動脈管開存症でしたこの病気は手術をしたら完治の病気です手術代は高額となりますが手術をして頂くのに何の迷いもありません手術後はお薬も必要なく健康な子と何も変わらず寿命を全うする事ができますピノの場合動脈管が太いこと、心臓が大きくなっている事もあり早く手術をした方が良いとなり週末に手術となりました厳しいスケジュールの中、先生方に調整して頂き診察後の夜に手術の予定を組んで頂きましたピノのために皆
こんにちは!ご覧いただきありがとうございますいよいよダウン症の告知をされます。先生からの現状説明の日、夫婦揃って「いいお話しをされるかもね~」と楽観的に考えていました。カンファレンス室に通され、先生、看護師さん、心理士さん、私たち夫婦というメンバーでお話しが始まりました。先生が用意してくださった書類には、①動脈管開存症→まだ開いている。この先も注意してみていく。②新生児一過性多呼吸→良くなっている。③筋力低下、哺乳力低下①~③が書いてありましたが、私の目に真っ先に飛び込んできた
手術10日後初めて目を開けました少しだけでしたけど、生きてるんだ!!と再認識今まで手や足をもぞもぞさせてるだけで反応も何もないのでよくわからない存在でしたなんか初めて母性愛が出た気がします手術から20日後主治医からお話したいことがあると言われ嫌な予感しかない私いつもなら説明される前に旦那と私のスケジュールを伝えて事前に日にちを決めてからお話するのに今から話したいことなんていいことな訳がない主治医の先生ともう1人同じチームだという先生担当の看護師さんな
産まれてから、手術まではNICUで動脈管が塞がらないようプロスタグランジンを点滴しながら、経過を見て過ごしていました。よく母乳を飲んでくれたので面会中はしっかり母乳をあげ、家では搾乳を頑張りました。見た目は元気なので、話しかけてくるママさん達はどこが悪いの?とよく言われ、重い心臓病と言うと驚かれました。手術までは早く手術で治してあげたい気持ちと、手術せずにこのままじゃダメなのかと葛藤していました。因みに息子は肺動脈閉鎖、大血管転位症、単心房、多脾症、内臓錯位です。手術をする約2ヶ月、検
ご覧頂き、ありがとうございます。リアルタイムの現在が、ずっと辛い‥😭。。早くここに書きたいけど、頭の中まとめて整理して😞遅くなっちゃうけど、ちまちま更新していきます。前回の続きです。【出産4日目】出産3日目の朝にNICUのある病院へ転院した、にこちゃん(第二子ちゃんの名称とします)。その為に、私は1人で産院に泊まりました。母子同室ではなかったので、さほど変化は感じませんでしたが、にこちゃんがNICUへ運ばれていったので、ずっと不安で苦しくて仕方ありませんでした。この日、私は退
先ほど、めっちゃ不安になってしまいブログアップを急ぎしましたが、担当医が話しに来てくれて、大ごとでないと説明を受け、安心しました。。。お騒がせしてすみません。担当医のいつも後ろに一緒にいる研修医!?の女医さんからの説明が丁寧だけど、大ごとなのか、大したことないのかよく分からず。。。担当医より、今朝の採血で炎症の数値が出てしまい、手術が出来ないことはないが、心臓の手術で麻酔も使うので万全な状態で臨みたく、手術は延期したそうです。もしかしたら、前病院から点滴ルートを今後使う時
娘は妊娠7ヶ月半25週2日で486gで産まれました。二回心肺停止して『大変危険な状態です、覚悟してください』と言われた。◯慢性肺疾患◯動脈管開存症外科手術◯保育器108日◯NICUGCU入院5ヶ月◯在宅酸素小、中学校と地域の小学校、中学校の支援学級に通ってます😆✨我々の住む地域は小学校入学時入学する児童全てにIQテストを行います。そこでIQ70以下でないと地域の小学校の支援学級に入れません。娘はIQ68だったので支援学級で授業を受けてます☺️✨✨これ
こんにちはご覧いただきありがとうございます生後3日目、息子の面会へ行きました。貧血がひどいので、「短時間で」という条件付きで外出許可をいただき、夫と一緒に息子の面会に行きました。必死で搾ったわずかな母乳も持参しています。目眩、立ちくらみはありましたが、息子に会えるので気分はワクワク息子の装備は、酸素点滴(1本)心電図酸素モニター鼻からの栄養チューブでした。保育器のからは出ており、コットに寝かされていました。1日会っていないだけなのに、なんだか久しぶりな感じがしました。そし
染色体異常があるかもと言われてから、ダウン症と診断があるまでの壮絶な1ヶ月の記録を書きます出産までの幸せな歩みはこちら『妊娠から出産まで』生まれてからダウン症と診断された娘ですが、妊娠から出産までの出来事を記録しておきます結婚3年目に入り(当時30歳)、そろそろ子供が欲しいねと不妊治療を始めまし…ameblo.jpダウン症と診断されるまで①『ダウン症と診断されるまで①』染色体異常があるかもと言われてから、ダウン症と診断があるまでの壮絶な1ヶ月の記録を書きます出産までの幸せな歩みはこち
ここからは私の暗黒期の話が続くので、苦手な人はここまででページを閉じてくださいみーちゃん、よっちゃんとの初めての面会の後、病室に戻ったママは、携帯で「動脈管閉じない」と検索を始めました。すると、最初に上がってくる言葉は動脈管開存症という言葉でした。片っ端から読み漁りましたいくつかのページを読んでいくと、ダウン症の人に多い合併症という言葉に出会いましたダウン症?NIPTが陰性だったのに??そんなことあり得るの?
みーちゃんとよっちゃんが生まれた当日の話です。ママは帝王切開後のため、丸1日絶対安静でした。ベッドから動くことができませんでした。ベッドに戻ってから10時間後に初めて水を取ることの許可。翌日からベッドからの移動開始だったので、赤ちゃんどころではなく、自分のことで精一杯で、出産のときの「何か違う」という違和感は忘れていました。しかし、よっちゃんはNICUで動脈管開存症、低血糖、呼吸が浅いという症状がみられたため、パパには医師から説明があり、そのときに
ご覧頂き、ありがとうございます。【検査結果について】2/23自宅からNICUのある病院へ、にこちゃんの検査結果を聞きに行くことになりました。主人といちごちゃんと、3人で話を聞きます。先生から話がありました。にこちゃんの検査結果は決して良いものではありませんでした。まず、先天性心疾患がある(①心房中隔欠損症②心室中隔欠損症③動脈管開存症)①②は今すぐどうにもできない。成長と共に、穴が塞がる場合もあるので、経過を見てからの判断となる③については、産まれてから本来ならば、閉
いつもお読み頂きありがとうございます約1年前の出産の記録を書いています。娘の動脈開存症の手術の当日、その前の晩に輸血の点滴漏れがあったと告げられ、呆然とする私ですが前回のお話はこちら↓『生後8日手術前日の娘を襲った悲劇』いつもお読み頂きありがとうございます娘の手術前日に私だけ退院、初めて離れ離れの夜を過ごし、迎えた手術日当日、病院からの着信に、胸騒ぎを覚えた私ですが・・・…ameblo.jpNICUのO先生の説明は続きます。「本日の手術を中止
我が家の太陽☀️のような存在のきーくん5歳の誕生日❣️❣️#水頭症#超未熟児息子の出産のときは何が何だかわからずお腹にいるはずの我が子の急な誕生で出産おめでとうの言葉に違和感を感じながらこの子がここまで大きくなることもその時の自分は想像することもできなかった1歳3ヶ月のとき寝たきりでもおかしくありません歩けるかも分かりませんと言われたときショックが大きかったものの歩けても、歩けなくても、彼は必ず幸せになる!私たちの子に生まれてよかったって思える人生を歩めればそれ
先ほど搾乳中に電話履歴があるのに気づき。。。ひかりが入院している病院から。。。ひかりに何かあった???あせって、片乳出しながら電話。Nに繋がり担当医から、、、「ひかりちゃんに何かあったわけではないので安心して下さい。」まずホッとしました。ドクターが続けて、、、「炎症の値が下がったので、明日か明後日に手術と思ったのですが、スケジュールが取れず土日挟んで来週また調整とダラダラ待つより、今日の15時からなら組めるので、ご両親が来られればと。。。」私「大丈夫です」と、本日の1
こんにちはご覧いただきありがとうございますウエストの内服、シロップと服薬ゼリーでなんとか飲めております。今の所、劇的に良くなっているかんじはありませんが、発作で疲れるみたいで夜は早く寝てくれます話はまた過去に戻りまして…生後4日目の話です。生後3日目、息子に面会中に胎盤の残りが出て出血が多くなり、慌ててクリニックに帰りましたが、一晩休むと出血は落ち着いていました。生後4日目の本日も外出許可をもらい、夫と一緒に息子の面会へ行きました。この日はタイミング良く、オムツ交換とミルクをあげるこ
3年前…24週1日641gで産まれた娘。たくさん頑張った。たくさん苦労した。たくさんの人に助けられて、願い、祈り、愛され…自力で泣けない、自力で呼吸できない、そんな娘が、気づいたら、あっという間に、自分の足で歩いてた。←端折り過ぎもいいところwww今、お腹で大暴れしている君は24週1日を迎えて、きっとあの頃の娘と同じサイズなのだろうか?と思うと怖くて幸せで、なんとも不思議な感覚に襲われる。(これは実物を見た人なしか分からないと思う。)↑赤ちゃんの問診をしてくれます最近
こんばんは。ひかりが産まれて3週間が経ちました!変動はありますが、落ち着いた状態を保ってくれています。そして、手術日が決まりました。9/5です。明日執刀医(小児心臓外科医?小児心臓血管外科医?)、麻酔科医、小児科医など、手術を担当されるドクターの皆さんとのミーティングで手術の詳細を伺う予定です。今回は、、、肺動脈バンディング動脈管を閉じる(元々6mm程度あったのが、現在1mm程度に細くなってきています)上記2つが目的となります。東京の病院で実施予定ですが、同じ手術を受
長くお世話になった看護師さんたちがおめでとうございます、と言いに来てくれて、ありがとうございます、と言っていいのか複雑な気持ちの私。お世話になりました、と言っていたと思います。ショックなのを見せたくなくて、産まれちゃいました~とも言ってたかな。まだこの時は早産だけど大丈夫、と思っていたので小さい息子にショックはうけつつも、がんばらないと、と前向きだったので言えました出産翌日、車イスでNICUへ。想像以上に小さい息子、保育器に入り、呼吸のため挿管されていました。穴から手を入れて触れるもの
こんにちは!ご覧いただきありがとうございます息子の方は無事に入院できました!慣れない環境で、ギャン泣き→寝る→ギャン泣きを繰り返しております過去と現在が入り乱れていますが、生後1週間たった頃の話です。生後1週間が経過したある日、いつものように面会へ行くと看護師さんから、「生後1週間になったので、先生の方から現状の説明があります。お父さんお母さんがそろって面会にいらっしゃれる日を教えて下さい」と声をかけられました。夫は忙しい人なので、私だけではダメかと聞くと、「基本的にご両親そろって
こんにちはご覧いただきありがとうございます息子の容態を告げた後、夫は帰宅しました。夫が帰った後、息子の状態について色々調べ始めました。「新生児一過性多呼吸」「動脈管開存症」「肺高血圧症」…。いずれも、これ以上症状が悪くならないように祈るしかない…病院にお任せするしかない…と感じました。そんな中で、「ダウン症の特徴」についても調べていました。調べた特徴と、生まれたばかりの息子の写真を見比べ、気のせいか…と結論づけていました。実際は、写真なので明確に照らし合わせができなかったのです
そんなこんなで誕生したきーくん私の術後落ち着いてから医師からきーくんの今後について話がありました3日乗り越えられるかわかりません・・・そのあとは1週間、2週間、1か月から2か月経つまで油断できません身体も未熟なのでその都度、成長を見守りながら医療的ケアをしていきます。3日??!!と言われたきーくんですが今は3才になりました♡息子の医療的ケアはいろいろありましたが(入院中は色々あって心配が尽きなかったな~それもゆっくりブログにかけたらいいな)
染色体異常があるかもと言われてから、ダウン症と診断があるまでの壮絶な1ヶ月の記録を書きます出産までの幸せな歩みは『妊娠から出産まで』生まれてからダウン症と診断された娘ですが、妊娠から出産までの出来事を記録しておきます結婚3年目に入り(当時30歳)、そろそろ子供が欲しいねと不妊治療を始めまし…ameblo.jpダウン症と診断されるまで①『ダウン症と診断されるまで①』染色体異常があるかもと言われてから、ダウン症と診断があるまでの壮絶な1ヶ月の記録を書きます出産までの幸せな歩みはこちら『妊
帝王切開後生後0日帝王切開が終わって病棟にベッドのまま運ばれて時間を置いて夫と家族が案内されて来ました。夫が「おつかれ」って声を掛けてくれたのが凄い嬉しかった:;(∩´﹏`∩);:赤ちゃんはNICUに連れて行かれて身体測定含め検査されてるらしい。検査が終わり次第、夫が呼ばれて色々と説明があるとの事。私も説明聞きたいけど麻酔効いてて動けないから夫だけが説明受けるんだけど心配…理解できるかなあ…😦夫も私の両親も赤ちゃんを見て凄く安心したらしく喜んでいました。と言うのも、私自身が母親
8/17に私は退院しました。娘はNICUに引き続き入院。退院数日前に、Hikariの心臓の状態がかなり深刻であることをドクターから告げられました。上記の話を聞く前から、産後夜中になるとhikariの事が心配で、夜中に勝手に涙が出てくる。基本、全く泣かない人なので、なぜこんなに涙が出てくるのか分からず...お見舞いに来た友人に話したら、産後の影響でよくある事だよーと言ってました。ものすごいネガティブ思考で最悪なケースばかりを考えてしまう。。。そして、産後にドクターからHika