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56歳になりました。55歳はまさかの1年入院生活今日は思い出に浸ろうかな。。。1968/04/30出生小学4年で野球を始める。小学5年に投手デビュー!ウインドミルで右腕を振り回す。中学生で本格的に投手になり右腕を振りかざした。高校野球でも甲子園で投手として出場。大学でもこの右腕が活躍してくれた。1990年ドラフト3位で近鉄バファローズ入団1991/04/09初登板その後、13年右腕を振り続ける。1997/11月右腕にメスを入れる。1999/02/18右腕で
まずはゆっくりと時間をかけて安静にしてます。まだ、右腕の事は受け入れない気持ちと受け入れてる気持ちが交差してますだから目標をたてました。左投げでぴっかり投法をやります。皆様暫くお待ち下さい。健康第一みんなかがや毛〜
感謝。
痛かったよ。とにかく痛かった。急遽決まった手術。いつもなら全身麻酔らしインやけど今回は緊急ということでこのようなことで。。のたうち回ったし、叫んだ。約1時間半先生うるさかったやろな。今まで尿管結石が、1番痛かったけど超えたね。痛みに鈍いと自負があったけど我慢できんかった。経過が良ければええんやけどな。今朝、採血があってあれだけ痛かったあとやから大したことないやろと思ったらやっぱり痛いよ笑ということでまだまだ入院は続く。。。みんなかがや毛〜!
終わりましたリハビリ頑張る
こんにちわ旦那の入院の話しっかりニュースになっててびっくりです!!いってらっしゃいと送り出しーウキウキどこかに行くわけにも行かず…でも東京まで来たし雨の中少し散歩しました命に関わるような手術ではないですがリスクももちろんあるのでそわそわ…ランチはしっかりしました手術自体2時間半と聞いていたので2時間くらいで戻り3時間経った頃面談室にどうぞと案内され担当医と面談でした!!しっかり先生からお話が聞けてよかったですサクサクっと簡単に説明してくれるのですが手術内容は大変
昨日は骨髄炎になった足裏の手術でした。骨を一部切断したんですが音が凄かった。。。まるで建築現場のような。。。もちろん問題なく終了。少しずつ娑婆に近づいてきましたね。なんやかんや言いながら入院生活も2ヶ月になろうとしてます。退院後のリハビリも含めてまだまだ先は長い。いろいろ不安はありますがポジティブに過ごしたいと思ってます。交流戦が始まりましたね。なかなか見応えある試合ばかり。正直どこが勝ち上がるかわかりません。どのチームにもチャンスがあるし新たなスタ
ようやくシャバに復帰しました。まだまだリハビリなど色々大変ですが社会生活復帰に向けて前に進めます。この度、サポート頂いた皆様には感謝しかありません。長期の入院、3度の転院。その都度サポート頂いた看護師さん達。改めてその大変さを痛感した次第です。どの病棟でも幾度となるナースコール。24時間鳴りっぱなしです。なかにはわがままな患者もいますし。。。世の中で1番ごめんねを言ってる。。。どうかどうか健康で過ごして欲しいと願うばかりです。さすがにお別れの時、またね!とは言え
検査結果は異時性の病変(再発ではない)の発見でした。再発では無くて、同じあたりに隠れていたのが見つかる奴です。異時性というらしいです。病変は浅くて小さいので4月のオペで大丈夫だそうです。またまた、同じみの内視鏡ですくい取るんですね〜〜〜〜日曜日に入院して月曜日にオペ、そして2日間の絶食からの少しずつ柔らかい食べ物へ以降して金曜日に目出度く退院の段取りです。もう、今回で3回目いや4回目になるんだっけ。なんか慣れて来ました〜。今のところ、転移も再発も無いそうなので、それは安心です
みなさんこんにちわ、小松あやです。GWまであと2日!!ってカウントダウンしてる方もたくさんいらっしゃるかと思います。私もいつもはそうなのですが、今年は、憂鬱。GWに夫の肩の手術があるからですと言ってもまあ、2泊3日の短期入院なんですが、されど入院生活には変わりないので、ちょっとでも快適に過ごせるよう、妻として、入院グッズを準備しなくては!!って思ったんですけどね。いざ用意しようとして、びっ
入院生活60日経ちました。今日は心臓カテーテル。治療が終わったのですが術後は6時間動けない。まぁ、止血の為なんで仕方がないですね。ところでほぼ毎日MLBを見ています。大谷選手!凄まじい!笑見ていて楽しくてしゃーないです。笑いつのまにかエンゼルスのファンになってるし笑吉田正尚選手も好調ですし、その他の日本人選手も活躍中!嬉しい限りです。藤浪投手も結果が出て来ました。バランス、力の入れ具合も良くなってきましたね高めのストレートの力強さは抜群です。これからの活躍に期
術後、肩の痛みが酷かったのですがその後も筋肉痛のような痛みがあちらこちらに出ています。相変わらず、肩首、背中と😭そこで買ってきたのが、こちら💁♀️コンパクトなサイズなので貼りづらい所でも何枚かに分けて自分で貼れます歳を重ねて皮膚も弱くなりましたので肌に優しいタイプのものを選びました。湿布の匂いもマイルドなのが良いです🙆湿布貼ってくれる?そう言える人が居なくなっちゃったんだなぁ…こんな時ひとりぼっちを感じてしまいますね😢手術をして痛みもあり
■お腹が痛い右下腹部がやたらに痛んでいました。僕は多忙を極めていましたが定期健診は必ず受けていました。食事には細心の注意を払い、炭水化物は玄米に限り、塩分は少なく、魚中心で大腸に良いとされるサプリメントも摂っていました。ある日突然、キューッと締め付けられる痛みが等間隔で襲ってきます。調べてみると盲腸の症状と同じ痛み方だったので、盲腸だと思い込んでいました。痛み初めて数日後、近くの消化器内科を受診しました。大腸の内視鏡検査を受け、内視鏡に使うがカメラが通らないほどがん
昨夜は一人夕食で、卵とひき肉が沢山あるので使わねばと、オムレツにした。うまくオムレツの皮が焼けない。オムレツにはとんかつソースの私です。今日は、マキに運転してもらい、午前中に出発。横浜を抜けて、ベイブリッジわたって鎌倉方面へ向かう。よい天気でドライブ日和!13時の診察予約だから、早めに着いて、病院のお洒落レストランで昼食予定。素敵な中庭↓。私の焼き魚定食はホッケ。マキは大好きタンタンメン!3年前、骨折時、救急車で入ったのが、湘南鎌倉病院。骨折したのが逗子マリーナ、隣が消防署だったので、あ
大きな大きな1日が終わりました。まだまだ気持ちの整理はできていません。シニさんはゆっくりと深い眠りにつきました。「痛くない?」「苦しくない?」問いかけにゆっくり頷きながら眠りにつき、穏やかな表情で寝息を立てています。良いお別れとは何か、その答えはわからないままですが、今言えることはシニさんは苦痛から解放されたということです。面会に行く度に「早く眠りにつきたい」「いつまで我慢したら良いのか」と訴えていました。先生がこれまで見たことのないくらい、腹膜播種が広がり、本人が「身の置き所が
12月1日のことを、記憶が新しいうちに書き残したいと思います。いつも通り朝6時頃に起床し、眠っているシニさんの顔を見に病室に行きました。呼吸も安定していたので、「今日も生きてくれるんだ、大丈夫。」と思いました。朝7時頃、看護師さんが、「脈が少し弱いこと、尿が出ていないことが気になる。昨日は便も出ていたのに、今日は胆汁になってる。これもあまり良くない。」と教えてくれました。「尿が出てくれたら良いんだけど…。様子を見ましょう。」とのこと。シニさんが深い眠りに入って7日目のことでした。
皆さんはどんなGWを過ごしますか?コロナ禍がある程度明けて観光地もかなり活気を帯びていますよね。そんな報道を見るとなんだかうれしくもあり何処にも行けないまどろこしさもあるんですが入院生活が続いているので妄想はかなり笑特にグルメ番組を観ては勝手に興奮しています。確か去年の入院中に60歳までに47都道府県を周りたいと思いついていろいろ情報を集めてる最中なんです。いつかその様子をブログに綴ることを夢みて治療に専念するつもりです。もちろん、退院後は仕事に復帰して合間に自
いよいよ明日、薬を入れて深く眠らせることについてカンファレンスが開かれるそうです。早ければ明日の夕方から投与することになるそう。投与が始まれば、もう話をすることはできません。このことについては、お医者さんや看護師さんの中でも意見が分かれるそうで、どうなるかはまだわかりません。最終的には本人と家族の意思が尊重されるそうです。私は本人が本当にどうしたいかを大切にしたいです。シニさんはもう十分すぎるほど頑張ってきて、最後まで周りの人たちを元気づけて、たくさんのことを与えてくれたと思っていま
https://www.asahi.com/relife/article/11332750より引用。がんと診断された後に周囲から言われて、つらかった言葉を集めました。言った方には悪気はなくても、患者本人にはグサッとくることは多々あります。根掘り葉掘り●「ステージは?」と聞かれたこと。(東京都55~59歳女性)●病状や病院の詳細を聞かれることが非常に苦痛に感じた。興味本位で質問していると思われる方もおり、疎遠になった友人も複数いた。(東京都40~44歳女性)病気は運命?●「
鄭信義の妻まりえですかねてより病気加療中でありました夫鄭信義が2021年12月1日18時に39歳にて永眠いたしました葬儀は家族のみで執り行い昨日無事にお見送りすることができましたこちらのブログをご覧いただいている皆様にご報告が遅くなってしまい大変申し訳ございませんでしたコメントもありがたく拝見しておりました本当にありがとうございます現在私が体調を崩しており回復しましたら当日の様子など少しずつ更新できたらと思っております写真は亡くなった当日の朝の写真です
相変わらずの日々体調は一進一退です。なかなかシャバに戻れません。そんな中、病室ではいろんな方が居られます。看護師さん達の苦労も大変ですが今日は我慢出来ないくらい爆笑したので報告です。4人部屋なんで稀に人の入れ替わりはあります。基本患者さんと交流はしないのですが今日の消灯前に。。。美味しそうな匂いと共に麺を啜る音が。。。な、なんと!病室でラーメン食う強者が登場です!まじか。。。最初は訳が分からず動揺しましたが次第にその大胆さに笑いが込み上げてきて
手術無事に終わりました(今日は術後2日目、手術は月曜日でした)事の経緯を説明すると前回の手術Aya『手術当日今回の手術とは』7/29(金)手術当日朝7時までに飲水を済ませ浣腸をされて全てスッキリと朝8時頃には↑の手術着に着替えて弾性ストッキングを履いて点滴開始。この点滴、手術…ameblo.jpこの時の病理検査の結果が出て右卵巣から摘出したチョコレート嚢胞の部分から境界悪性群が見つかって。つまりはガンでは無いんだけれどあくまでもグレーゾーンなもの。粘液質のもの
まだまだ買い足して行きますが、入院用のおやつとかを準備してますおやつ食べてゴミ出ても良いようなゴミ袋と残ったおやつのジップロックとあ、ちなみにジップロックはプチプチ締めるのではなく、ジッパー式がおすすめ密封性あり!あとは、陣痛のバック用のゼリー蒟蒻畑が大好きなので、陣痛中にと、2つあとは力になりそうなものとか産後飲みたいリンゴジュースとかギリギリに茹で卵とか、チーズとか体に良いのも買い足すつもりイカ素麺は夜中にもぐもぐしよかなと笑笑🦑あとポテチもいれるつもりえ、てかこん
顔が崩れて…舌にも麻痺が入ったことから…話すことも失った松でした入院をした順天堂大学病院ではさまざまな検査が行われましたその結果、病名は右顔面麻痺原因はストレスにより小脳の働きが悪くなってしまいその影響が三叉神経を刺激してしまい顔面麻痺を引き起こしたことがわかりました振り返れば…息子が生まれてからアトピー性皮膚炎との壮絶な戦いは4年にもおよびましたその間、夜の痒みは看病をする母の私の睡眠を蝕んでいましたその同時進行で離婚に向けた数年間に跨いだ戦いは心
YouTubeのコメントでこんな質問をいただきました。腸閉塞予防でこんな食べ物は控えて!と言われたのはありますか?開腹手術している人は腸閉塞ってよく聞くしなんとなくはわかるけど…(ん〜ここで間違ったことは言えないな)と、退院する時にいただいた資料を見返しています(あ、スタンプで隠したのは旧姓だからですw)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー腸閉塞とは腸閉塞とは、腸内容物の通過が何らかの原因でできなく
昨日、まりえさんが主治医からの説明を聞いてくれました。口から全く食べれなくなっているので、この先は意識不明になったりすることがあるそうです。「今のうちに大切な人に会って下さい」と主治医から言われたそうです。まぁ、それだけ僕の寿命が短いということでしょう。今朝、主治医に「あとどれくらいですかね?」と聞くと「点滴とイレウス管がなければ1か月というところでしょうか?」と教えてくれました。「点滴とイレウス管があれば、もう少し生きられます」とのこと。「どっちの方が楽にいけますか?」
こんばんは、Yurinaです❤︎前回の、「病気について。」のブログを沢山の方に読んでいただいて沢山のメッセージを頂きました。温かい言葉にとても励まされました。本当にありがとうございます😭そして、同じ病気と闘っている方が思っていた以上に沢山いることも知りました。特に、全身性エリテマトーデス(SLE)は、同世代の方でもとても多く、沢山の相談を頂いたので、今回は、SLEについて私の体験談を書いていきたいと思います。------------------------------
朝6時退院の日の朝日☀️お世話になった廊下。やっと柚子ちゃんカボスくん割りくんと会える早く猫吸いしたい血液検査の結果は少し貧血との値が出たけど問題ないとの事で予定通り本日退院です。最後の朝食今日から好きな時に好きなものを頂けるのでご飯も食べたいだけ。入院前に開催した『宮前真樹ちゃんのバースデーライブ』でのグッズを部屋に飾ろうと思い持ってきてました。下にあるものです↓宮前真樹ちゃんのブログ↓宮前真樹オフィシャルブログPoweredbyAmeba宮前真樹さん
まさか病室で10周年を迎えようとは。諸行無常。仏教の教えは正しい。緊急入院前、予約が1200件入っていました。死ぬまで予約を取られている方が32名。7年先まで予約が入っていました。そんな整体院を作れたことを少し誇りに思います。これまでの思い出を振り返りたいと思います。23歳ぐらいの時、リラクッスタイムの店長。毎日、祭りのように忙しかった時期。鬼軍曹、暴君と呼ばれていました。行列のできるリラクゼーションを作りました。神
翌日、会いに行った時にはICUを出て、一般病棟に戻っていました。頭の中の出血を外に出す為のドレーンチューブも抜かれていて、スッキリとしていました。ドレーン抜くの、ちょっと早いんじゃないの?大丈夫なの?脳のむくみ…と、思っていました。私どう?気分悪くない?旦那ん…キモい…そう言って、机の上やベットの周りをキョロキョロし始めました。私え?吐きそうなの?そう言って、近くにあったゴミ箱を旦那の口元に持っていこうとしたら…