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さて、「先人の知恵と行き過ぎた正義」の延長線上の話ですが、またまたごぶさたになってしまいました。なんとも、身の回りの出来事や昨今の政治の状況から「虚無感」とでもいうのでしょうか(笑)。政治資金の一連の動きはブログに書いた通りで、どちらかというと世間の皆さんのご批判とは相容れないものですが、こと「自民党青年局近畿ブロック会議後の会合で過激ダンスショー」に関しては、行為そのものを批判などしません。むしろ「なんで漏らした」の方が大きいものです。もっというと、漏らした人の人間性と社会性
僕は、例えば「好きな髪型」みたいな、趣向の話しはあまり書かないです。「黒髪」だろうと「染め髪」だろうと本人の趣向でしか無いし、それを「アレはダサい」とかこれが「センス良い」とか言うそう言う事は無い。だけど、そこに「目的」が加わり例えば学校や就職の「面接」で受かりたい、なんて言うのが有ればそこには「黒髪の方が良いですよ」と言うような、話になる。そこに対して「髪型は自由でしょ!」と言う意見を持つのも、勿論自由です!が、その持論に対しての結果が、自分に訪れるだけです。
この問題の一部メディアとそれらに煽られた無辜の国民はある程度流されてしまうと思います。しかし、日本という国での政治の潔癖性を求める一部圧力は異常としか言いようがありません。自分たちに都合の良い部分だけを切り取って報道する一部メディアの姿勢にもうんざりです。良く聞く話で、米国の政治家に対する資金の献金の制度は極めて分かりやすいと思います。業界団体、企業などからの献金はOKでしかも堂々とそれらのために働く姿勢と発言をする姿は単純明快だと思いますが、日本では「悪」であり、法で