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乳がんになって約4年、転移して約1年が経過しました。これ位になると自分が乳がんであるということを受け入れ、諦めのような境地になりつつありますが、いくらステージ4の乳がんでも余命という言葉を使われるのは、抵抗感があります。私の母は50歳の時に胆管細胞癌が見つかり、癌の告知とほぼ同時に医師に余命半年と言われて、告知から約5カ月後に亡くなってしまったので、余命と言う言葉は好きではありません。医師も数多くのデータや経験から、患者に余命という言葉を用いると思いますが、それを言
字で見ても衝撃的な余命…治療を頑張ったとしても23ヶ月です…ってはじめに言われてからもう16ヶ月が経った💦どうしてわたしが生きていられているか…確実に抗がん剤のおかげですほんとうにありがたいっ!でも、欲はどんどん出てくるまだまだ生きたいっ!今の生活…月曜日→⚫️FOLFOXっていう抗がん剤(そのまま46時間抗がん剤点滴)火曜日→⚫️休み水曜日〜土曜日→⚫️仕事(保育教諭)日曜日→⚫️娘ピアノとダンスの習い事の送り迎え⚫️東京へ月曜日→⚫️腹腔内へ抗
こんばんは今日はお昼に仕事を抜けさせてもらい面会に行ってきました。オムツが足りなかったので追加のオムツとクッション・愛鳥の写真・日付がわかる時計・そして早いですが母の日のプレゼントを置いていきました。花屋に務めている私は、今こそ私の力が発揮される時!と生のお花でアレンジメント作りたかったのですが花粉など衛生面的にダメだと言われて断念しました。なので仕方なくアートフラワーで作りました。病室につくと母は寝ておりましたが、すぐに私の気配に、気づいて目を開けました。痛みは相変わらず強い
暮れも押し詰まったある日、クリニックからもらった紹介状を持って地元では唯一の大学サテライト病院へ。とにかく混雑極まりなく、予約無しで行った初診患者は待ちつづけるしかないだろうと思ったが、割とはやく呼ばれて診察前に血液検査、CT検査を受けて来るように案内された。なんていうのかな、病院全体が薄暗い印象でCT検査室なんかも古めかしい印象。気が滅入りそうになりました。診察室に呼ばれると、若い女医さんが「あのですね、いきなりショッキングなこと言いますよ」と。そして膵臓癌であることを告げられました。そ
せん妄について。癌になった人や、周りが癌になった人は一度は聞くことばだと思う。わたしもお母さんが卵巣がんになって初めてせん妄について知った。最初にお母さんにせん妄が出始めたのは、オキシコドンを服用しだしてからだった。話のつじつまが合わなくなったりボーっとしたり日にちや曜日を間違えたり。始めはそんな感じだった。中には暴力的になる人や暴言を吐くようになり周りが混乱することもあるって聞いてたから覚悟しとかないといけないと思った。でもお母さんはそのタイプではなかった。情緒不安
こんにちは今病院です。今朝あれからお腹が痛いとなかなか動けず予定より1時間遅れで病院に行きました。今日は点滴よりこの痛みをどうにかして欲しい。と言う願いを先生にしょう!と言う意気込みで行きました。本人もこんなに具合悪くて抗がん剤治療本当にするのかな?と不安がっていました。待合室に着くと既に椅子に座っているのも大変で、点滴室で横にならせて貰い先生を待ちました。先生の診察が始まり、腹水をエコーで確認。腹水を抜くことになりました。腹水を抜いて食べれるようになれば抗がん剤治療再開できるが、
今回は「癌」でお世話になってる先生の事じゃなく、「心臓」でお世話になってる先生の事。定期的に循環器内科に通院するようになって2年目になる循環器のドクターは診察の度、パソコンの画面から目をそらす事はなく淡々と患者をさばくといった感じ。年のころは40代前半といった感じかまさしくあの有名なドラマの医師「白い巨塔」の財前五郎を彷彿とさせる。院内外の評判では「あんまり笑わない」「手術の腕はピカイチ」「受け持ちの入院患者をあまり見に行かない」「学会出席の為お休みですが多々あ
外来の前日ドキドキ不安な夜何故かと言うと2ndlineローブレナ25mg継続中で13ヶ月目に入りました。アレセンサは、2年4ヶ月で卒業したのですが、担当医からすれば、想定外に短いようでした。右肺のここに、前回のCTには無かった影が大きく写っているので、アレセンサの投与は終了になります。もうちょっと、長く効いてくれると思ったのですが。。。そして、ローブレナの投与が開始された訳ですが、その時に担当医と交わした会話は、こんなんでした。ローブレナでイキます❗️❗️分
肝硬変になった時、夫は最初「10年生きられない」と言われた。ただ、お酒をやめれば、生きながらえるかもしれないとも。10年生きても子どもは小学校を卒業してない。やはり気になるのは予後、余命。ネットで調べました。ここから先は、もしかしたら読むのに覚悟が必要な人もいるかもしれません。当初は余命10年足らず。そのまま良くならず。自分が医師から聞いたこと、ネットで調べたことなどから1年後くらいには夫の余命は2、3年なのではないかと思うようになりました。たぶん、子どもの卒園まで保たな
14日目特に良くもならず特別酷くもならずでもしんどいいつもイイネ、コメントありがとうございます。ものすごい励みになります。心が温かくなります余命は未定。今はニャンズが気掛かり。もし退院出来るなら自費の救急車を手配せんといけない。帰れるのか初めて主治医の前で涙が流れてしまった。『酸素ボンベ使わんと生活出来るようもっと気いつけたらよかった』『何がアカンのかわからん病気やから…』『苦しんで痛みに耐えて◯ぬのは嫌苦しまんように最後はしてや』モ
続きです。『妻の余命について障害認定日当初』続きです。『妻の余命について』いきなり、!?となるようなタイトルですみません。実は先日の結婚記念日のプチ旅行の際に、この話題について、妻と話しました…ameblo.jp2022年6月の申請時点での診断書ですが、丁度、入院していた時の事です。入院(2022年5月:体調不良)|愛する妻と共にわまほふきさんのブログテーマ、「入院(2022年5月:体調不良)」の記事一覧ページです。ameblo.jp主の病名は・右乳癌・多
先日、診察に行ってきたヘモグロビン値は前回・前々回と全く同じ、11.4で正常値よりは低いけど薬を飲むほどではないという値。МCHC(赤血球1個当たりの、平均ヘモグロビン濃度)は小数点以下の値が微増で正常値内。МCV(赤血球1個当たりの、平均的な大きさ)・МCH(赤血球1個当たりの、平均ヘモグロビン量)の2つは正常値より気持ち低かった。主治医の判断は「変化なし」で「このまま様子を見ていきましょう」ということだった。そこで、ETからの骨髄線維症なのか原発性の骨髄線維症なのか?主治医にもう一度聞
こんばんは〜最近は両親との時間が増えてるメイでーす今日は母のお誕生日です82歳になりましたただいま左手首を骨折中です( ̄▽ ̄;)娘は大学で不在だったので、両親を連れて3人でお祝いランチへ行ってきました『美味しいねーお庭もいいねー』と喜んでくれたけど、車で往復2時間🚗自宅に帰ってきたら、両親ともに大変くたびれておりました自分は長生きできる可能性がかなり低いと知ったからかな、なおさら母の年齢まで生きられることをスゴイと感じます。母はとっても笑い上戸で、ちょっとしたことでもケタケタ
おはようございます。一昨日は歯医者に行ってきました。揺れていた歯を抜歯。一つ痛みから解放されました😊バス通院中の倦怠感は強く、ナルサスが多いのか身体が慣れていないのか、体調はよくありませんが、ほぼドア・ツー・ドアのデマンドバスが非常にありがたいです。私の病状は痛みを麻薬系鎮痛剤ナルサスでコントロール、起きているのが大変、気を抜くと眠くなる状態です。バスの中、病院の待ち時間、あっという間に寝てしまいます。常に疲れている感じで、疲労困憊と言うのでしょうか、介護サービスに病院の送迎があると良いので
昨日は通院日アバスチン(ベバシズマブ)単剤では11回目の点滴治療が無事終了TC療法で追加した時も含めてアバスチン単剤は残すところ5回ぐらい嫌だった点滴治療もいざ終わるとなると寂しい治療前に採血と採尿、主治医の問診ヘモグロビン13.3血圧がやや高め133/85問題なし、自宅で引き続き測定し様子見尿に少し細菌感染あり注意してたっぷり水を飲み、菌を出す血糖値150超え心当たりあります、血液は正直食べ過ぎてるバレンタインだから、ってチ
2018,1妻は、正月1週間ぐらい仕事から解放されそのうちの半分は、家でゆったり過ごしていた。正月を終えて通院!なっ❗なんと❗❗❗〈血液検査の結果〉白血球1510ul好中球242ul芽球blast4%(60ul)先月12月と比較すると好中球178→
ご覧頂きありがとうございます。本日1/21は朝から雨。雪の予報でしたが、今のところ雨です。雪が降ると、出かけるのが難しくなり、大変困るのですが、降るとちょっと嬉しい気分です。雨が降ると、たいして困りませんが、なんだか気が滅入ります。雨も降らないと困るのですが、冬の雨はなんだか嫌ですね。最近、痛む前にロキソプロフェンを飲む以前の習慣に戻り、良好な状態で過ごしています。痛みが軽いと、冷静になり、感情も安定してきます。私の状態は、末期がん、無治療、がんはかなりの早さで進行し、長くはない余命
スキルス胃癌て原因なんだろう、何でこんなに若いのに、、。食欲もあって、症状全くなかったのにな〜。食生活とか悪くても、こんなにはやく癌にならないし、毎日弁当も作って自炊してたし、自分より食生活悪い人なんかいくらでもいるやんと思ってしまう(笑)遺伝性が高いとか、、。うちはすごい癌家系だからそれなら少し納得。それでも22歳ははやすぎる。先生たちもまずこんなに若い人は胃癌にならないって骨転移から見つかるパターンも珍しいって猛スピードで骨転移しててあまり見たことないって
昨日親知らずを抜いたら、夜中痛くて目が覚めた。その時に、「あ、今お母さんの夢みてたわ」と気づいた。夢の中でのお母さんは余命短いはずなのにわりと元気で家にいるなぜかお母さんがいなくなったあとの話をしてるっていう矛盾した設定。お母さんに、余命短いって分かってるの辛いよね。と話しかけてた。お母さんは、辛いよ。あと少ししか生きれないなんてほんとはすごく辛い。て言ってた。お母さんと泣きながら話してて、このことブログに書こう。と夢の中で思ってたわたし。設定めちゃくちゃだな。
前にリンクしようとしていたブログ↓『死の予感』私は10年前に、原因不明の不可解な肺線維症を発症し、当時ネットを調べると、ブツブツバリバリという呼吸音(ベルクロラ音)が出てくると、最長でも余命は5年程度と…ameblo.jp死期が近い人の特徴とは?スピリチュアルなサインを解説死期が近い人に見られる特徴があることをご存じですか?死ぬことは未知の体験であるからこそ、気になる人も多いかもしれませんね。今回は、スピリチュアルな観点から見た死期が近い人の特徴について解説します。woman.
4/18(木)9時少し笑って「どうせ寝てるだけで終わるんだから〜」と言って手術室へ入っていった旦那主治医からは早くて夕方だけど2〜3時間のびることもあるので自宅が近いなら自宅で待っていていいとなので家で待っていた17時頃には今にも病院から電話がくるかもとソワソワ19時過ぎ病院から電話がきた「すみません。まだ終わってません。もうしばらくかかります。」不安で落ち着かない外は雨が降ってる21時40分病院からもうすぐ終わりますと電話ダッシュで病院に向かう真っ暗で雨
『大腸ガンステージⅣ』でも‥辛い治療を受けながら、何年も何年も頑張って生きてる方々はたくさんいらっしゃいます。希望は捨てちゃダメ!必ず!ガンと共存しながらでも生きられる!生存率なんて吹き飛ばせる!多くの方々のblogを拝見させて頂き、友人知人の話を聞いても、『今を乗り切る気合い』さえ持ち続ければ!と、思うようになりました💕けど💦⭐︎ココから先の記はごめんなさい🙇♀️【スキルス性大腸ガン】の方は‥🙇♀️🙇♀️夫のようなスキルス性大腸ガンは‥すごいス
夫が亡くなったことを伝えるとき、私はほとんどの人に、肺の病気で……と言ってきました。おそらく大半の方は、肺がんを患っていたと思われたことでしょう。夫は2012年の秋、肺アスペルギルス症と診断されました。(他界する約10年前のことです。)このブログは闘病ブログのつもりでもなく、夫が亡くなっている今、今さらながら病気の詳細について綴ることはやめようと思います。なので、簡単に……肺アスペルギルス症は、アスペルギルスというカビによる肺の感染症で、5年生存率は約50%と言われる、予後不良な病
再入院しリアルの今を書いています。現在私は放射線治療を35回終え自宅でゆっくり過ごす予定でしたが、海綿静脈洞と言われる目の神経が集まる場所に癌が転移してしまい緊急で再入院となりました。海綿静脈洞とはどんな場所か※画像はお借りしました。この画像にてわかる様に神経が通っており大量の血液が流れている場所。その為に手術は不可。出来ても大量出血をし危険になる為にやらないと主治医に言われました。また目の奥に出来た癌のため、現在は右の瞼が神経をやられた為に閉じてしまい、自力で開きません。そして、
検査入院退院から約1週間後、外来にて結果説明を受ける退院後の数日間は痛み止めの薬の効果が切れる時間帯に苦痛があったがその他はこれまで通りの日常膵臓部腫瘍生検結果説明〇病理診断にて膵臓癌(腺癌、膵尾部)〇ステージⅣ〇大きさ約3.5cm〇転移は肝臓、骨〇治療を行わない場合の余命は3か月、抗がん剤治療をした場合は1年位ある程度覚悟はしていたがかなり厳しい内容すぐに抗がん剤治療を開始することを勧められたが夫はしばらく考えるとのこと仕事の都合があ
今の時代は便利で助かる。パソコンさえあれば、どんな情報も手に入る。パソコンなんてなくても、スマホでそれが出来る。当たり前のように、自分の病気についてググってみた。膠原病は難病指摘されていて、治ることのない病気だということが分かった。いわゆる不治の病。え?いきなり、それ?もう治らないこと確定なの?凹むググってみると、膠原病より間質性肺炎の方がよっぽど厄介だということも分かった。普通の肺炎は肺の中が炎症を起こすもので、間質性肺炎は、肺と膜の間が繊維化したり空洞化したりするものらしい
こんばんは〜実家の断捨離を企むメイでございまーす私自身も当然やらなくてはいけません昨年の夏から取り掛かっていたのですが、抗がん剤が幸い効いてくれたので、今ちょっとストップしています✋ただ、実家に引っ越して来る時に一度かなり処分してるので、その点ではマシです。気になるのは両親のほうです。この家に住んで50年近く、長く住んだぶんだけの色々な物が目につきます👀たぶん外から入ってきた立場の私だからこそ不要な物に気づくのかもしれません。そこでずっと変わらず暮らしていると、目に映る全ての物は
昨日で妻が亡くなって、ちょうど8か月時間の流れが恐ろしく早いそのせいか?そのせいで、妻が死んだ日も遠のいてくれないのか?この先、僕は一生妻に会うことも、ふれることもできない、、これがなかなか受け入れられないいや、、、理解はしているんだけどどこか現実味がない。。つい2,3日前なにかのネット記事で「余命いくばくかの妻からの手紙」みたいなのが目に付いた基本的に、こういった類の情報はシャットアウトしているんだけどこのときは、
義妹から昨日無事に1日目の抗がん剤治療できましたまずは30分前に吐き気止めの薬を飲んでからお腹にビダーザという皮下注射を2本打ちます思ったほど痛くありませんでした(前回は点滴でした)そしてお昼にはベネクレクスタという大きな薬を4錠のみます今の所変わったことはありません熱も出ていないしリハビリ室にも行けましたさて先日のドクターの話の後看護師から私一人に聞きたいことがあると治療がもうできなくなった時どうしたいか家に帰りたいかと聞かれました元気にな
ホスピス医、小澤竹俊さんの『もしあと1年で人生が終わるとしたら?』(アスコム)これは、去年読んだ本の中でも、とてもよかった...。去年5月に撮影してあったんだけど、いまごろ紹介💦自分用に持っておきたいけど、ようやく販売します。850円(郵送の場合は950円+送料)高齢社会の一方で、まだ若い人が病気などでたくさん命を落としている今の日本。人間、いつ何があるか..。年齢や健康状態に関わらず死というものを常に念頭に置いて生きることが本当はもっと必要なのだと..私も