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この記事は33歳、少しずつ歩けなくなった余命宣告前[前編]33歳、少しずつ歩けなくなった余命宣告前[中編]の続きになります時間と共に良くなると思っていた腰。これが中々思うように良くならず…それに伴って、いきなり介助が24時間必要になり家族も大慌て。髪の毛は洗えないまま10日の時が過ぎましたもう、身体も、精神的にも限界だった頃訪問看護の方達に来てもらう事になりました初めて訪問看護の方に来てもらった時……その時の私はしんどすぎて腰だけじゃなく足なんか左太
※閲覧注意※この記事には腫瘍の写真が含まれてます苦手な方はどうぞこの記事を見ないようお勧めします↑↑↑(この画像はTOP画に腫瘍の写真が来ないように意味のない画像です。あしからず…)乳がん発覚して8年……色々ありすぎてどこから書こうか悩むのですが……とりあえず今、現在のわたしの状態をお話します今はステージⅣかな?かな?というのも変な話ですが…笑というのも2019年9月末に病院で診断受けた時にはがん末期の状態で骨にも転移して大腿骨の骨にヒビが入り
※閲覧注意※この記事は、腫瘍の動画が含まれます今日は今、使用してるイブランス2クール目の2週間ごとの経過観察の為朝から、病院行ってきました採血だけした結果……ほぼ、2週間前と変わらず特に悪くなってるとこもなく順調との事でそのまま続行になりました!けれど!腫瘍は更に2週間前より小さくなり身体中にあったしこりも全部小さくなってて!中には、もう触った感じでは無くなったものもあります!とにかく、そんな感じで順調で良かった良かったーそして!題名にも書いた私の腫瘍が大き
(※閲覧注意※この記事には腫瘍写真が含まれます)前々から、1度動画とは別で腫瘍の変化を時系列でまとめたいと思っていたので……2015年夏ぐらいに腫瘍が皮膚に飛び出てから2020年4月現在に至るまでを簡単にですが写真と共に並べてみます腫瘍が皮膚を突き破った日の話&写真はこちらの記事に載せています↓↓↓そして2018年5月のこの日↓↓↓忘れもしない日から、腫瘍からの大出血が始まりますその時の母との韓国旅行の写真がコチラです↓↓↓2018年11月頃日本にて。もう、
(※閲覧注意※この記事には腫瘍写真が含まれます)私が乳がん告知された26歳の時腫瘍は約1.5cmくらいほんと、パチンコ玉みたい…(パチンコした事は無いけど何かそう思いました。笑)そんな感じでしたもちろん、腫瘍は皮膚の中にありましたその2年後の28歳の時私の腫瘍は6.5mmぐらいになり半分以下に縮小しました。それから更に2年30歳手前ぐらいまではほとんど変化なく痛みなどもなく……腫瘍の変化がほとんど無く過ごしてきて変化を初めて感じたのが30歳になる手前くらいか
以前も少し書いたことがある"私が手術をしなかった理由"今でも、たまに聞かれる事があるので今回詳しく書いてみようと思います1番最初、乳がん告知当初はお医者さんの言うがままに手術しようと思っていましたでも、そんな時のお医者さんの"手術終わったら今まで通りしていい"と言う一言で"え?癌なのに?風邪でも安静に栄養とってとか言うのに?癌は血液病で特に乳がんは再発が命おびやかすのにこのままでいいっておかしくない?"と、疑問に感じたのがきっかけですその後、一旦手術の予約して
(※閲覧注意※この記事には腫瘍写真が含まれます)以前コチラの記事で腫瘍の変化を時系列でまとめたので↓↓↓余命宣告前~現在に至る"自覚症状の変化"を主に、まとめてみたいと思います(↑2019年1月。歩けなくなる3か月前)身体が動かなくなり始めたのは腫瘍が1番大きくなった頃↓↓↓▷2019年4月末~:骨転移当初(厚みは、私の人差し指1本分。約6cmほどあり縦の長さは11cmを超えてました)✓...治療法:コロイドヨード✓...出血が酷く出血多量で救急車で運ばれることも
新型コロナウイルスで世界中が騒がれている今。誰もが、不安を抱えて気持ちも沈みがちな今。そんな時こそ"色のパワー"を使って気持ちだけでも明るく日々過ごせたら!そんな想いも込めて私なりのカラーの活用法を紹介したいと思いますまずは、色の簡単な基礎知識はこちらの記事を見ていただければと思います↓↓↓前回、色の持つパワーについてお話ししたので……"じゃあ、どうやって色を選ぶのか?"という部分に焦点を当てようと思います本当は、パーソナルカラー診断を出来たら、それぞれ個
※閲覧注意※この記事には腫瘍写真が含まれます今日は1ヶ月検診で朝から病院に行ってきました!イブランス1クール目の検査結果も見て今後の治療方針も確認しました{本題に入ります…{ピ…まず、今日したのは採血(血液検査)ランマークの注射(骨を強くする為)ホルモンの注射(お尻に2ヶ所)です{チューシャイッパイ…まず採血の結果!先月から始めたイブランスこの1番の副作用が白血球の低下なんですけど…2週間目の時に少し下がったけどそれもイブランス使用した割に全然下がっていな
26歳の時に乳がんを宣告された私の状態はステージⅠの初期の初期1.5cmの腫瘍でしただから、手術したとしても"少し皮膚が凹む程度の傷しか残らない"と言われましたそれでも、その時の私には胸を切るという事が、女性として嫌でたまりませんでしたもちろん"命には変えられない"それは絶対なのですが……26歳のわたしが乳がん告知された時にも書いたように当時の私は自分が癌だということさえも受け入れ難いのに胸に傷がつく。その事は更に輪をかけてショックでしたそして、手術
私は2019年9月末病院で余命宣告を受けた時点で全身骨転移していて特に左大腿骨の付け根部分が約1/3溶けていたことにより左脚荷重禁止になり今に至る約7ヶ月間病院に行く以外は外出せずに家の椅子かベッドで安静にして過ごしていますそして、今世の中はコロナによる影響で動ける人まで自宅待機を要請され家で大半を過ごされる方が多くいると思います私は以前から自宅待機していたような状態なので…笑生活の過ごし方に大きな変化はなく過ごしていますが……いきなり、自宅待機を強いられた
ナリさん、こんにちは😊友だちにブログを教えてもらってから、いつも拝見しています。私は子育て中で、ナリさんの子育てに関するブログも凄く納得しながら読んでます‼️でも、結局私はいつも苦しくなる方を選んでしまっているな~と反省。私は母子家庭育ちで母は仕事仕事の毎日で、その頃はそれが普通で何も思っていなかったと思うけど、振り返ると寂しかった。今は私が仕事は、家族・子どものためと頑張ってるけど疲れてイライラして子どもに当たってしまっていて。母親と同じことしてるやん‼️と気付いて、
病気て病気になった本人だけじゃなくて家族や周りの人にも大きく影響される事が多いな~と思うそしてコメントで"どうしてもらったら1番嬉しいですか?"と、ご質問いただき改めて考えてみましたなので今回は私が乳がんになってから周りの人に"こうしてもらって嬉しかった事"をまとめてみようと思います正直、私からしたら"こうしてもらって嬉しかった"とか言うこと自体おこがましく思うのですが……でもよく周りの人には聞かれる事なので考えてみました私が病気になってしんどいこ
実は今日、自宅でネット配信のセカンドオピニオンを受けました!{ジダイハ、シンカシタ…!!と言うのも……今、私がしている治療は主にホルモン治療とイブランスという新薬で今のところ効いてるのですがもし、この薬が効かなくなったら従来の抗がん剤のような副作用の強い薬になるみたいで……私は、癌と闘う為にも出来るだけ自分の体力は守りたくて、今のところ従来の抗がん剤の様な副作用の強い薬を使うつもりは、ありませんですが、もしイブランスが効かなくなった時次の手段をちゃ
私が乳がん告知された直後まず私が始めたことが食習慣・生活習慣の改善でしたその時の私は乳がんと戦うために"まずは敵を知ろう"と必死でその時に癌と食習慣がとても大きく影響していた事に驚きとショックでいっぱいでしたというのも……乳がん告知される前の私は毎日チョコレート1袋や大好きなプリンを食べて野菜はコンビニのサラダを買っては栄養とった!と思い込み毎日外食を繰り返し"サプリメント摂ってるから大丈夫"と食習慣はめちゃくちゃでしたそんなんだったから食習慣の大切さを
私が身体の痛みを感じ始めたのは細かい記憶は無いけど……2019年2月ぐらいだったかな??と、思いますそして、2019年4月にはほとんど外出も出来なくなっていましたそして、この痛みが乳がんの骨転移だったと分かったのは更に半年近く経った2019年9月末にCT検査を受けてようやく分かりましたこの頃はもう座ることもままならず寝転ぶことも出来ずストレッチャーにクッションで傾斜をつけてようやくその体勢をキープできる状態だから、CT検査の時もスライダー使って移動し3人
私が26歳の時に乳がんを告知されその時から8年間色々な食事療法をしてきましたがずっと、これだけは食べていないものがありますそのひとつは、以前こちらの記事に書きましたが↓↓↓もうひとつ、8年間とっていないのが乳製品ですまず、きっかけは乳がん告知直後、色々調べてその時この本を知り納得したからです↓↓↓乳がんと牛乳──がん細胞はなぜ消えたのか2,588円Amazonこの本の著者自身が乳がんになり研究した結果(42歳で乳がんになった著者プラント教授たたいても、たた
私の腫瘍が皮膚から飛び出して来たのが2016年30歳ぐらいの時今思うと自分でもビックリなんですが…というか"バカだったな~"てつくづく思うのですが……最初皮膚から腫瘍が出てきたのを"あ、外に腫瘍が出たのは中で広がらずに身体の外に出してくれてるんだ"そう思いましたその後すぐに、これは悪化だと気づいたのですが本当にこの時の私は身体を見る方向が偏っていたように思いますだから今はその失敗を反省して偏った見方に捕らわれないようにと思っていますそして、腫瘍が飛び出
私が、乳がん告知された8年間で1番辛かった時期は2019年の7月くらい~10月の3ヶ月間がピークだったように思います(↑これは2019年6月末の写真なので、ちょうどピークの直前。もう歩くことはままならず、ベッドもリクライニングでないと寝れず、常に痛みで泣いていた時期です。そんな中久しぶりにメイクして車椅子移動で出掛けた時の写真です)今となって分かるのはこの時期は骨転移が進んでいた時期なんだと思います何が辛かったって細かく言い出したらキリが無いくらい痛みも息苦しさも
先日私の記事をアメバのトピックに掲載して頂いたようで沢山の方のイイねやフォローを頂きありがとうございますこれからもつたない文章ですがありのままの私を飾らずにお伝えできればと思います!こんなミミポポを今後ともどうぞよろしくお願いしますっ(↑この時の私は既にいつ出血してもおかしくなくて常に大量のガーゼを持ち歩いて…それでも大好きなスタバに行っては腫瘍を気にしながらも友達とお茶していました笑)そんな訳で……飾らずに……私の今の日々の過ごし方を書いてみようと思います笑
昨日は、定期検診で嬉しい報告もできて……温かい、お言葉もたくさん頂き……本当に心から感謝します↓↓↓病院後に訪問介護の看護師さんが来た時にも検査報告もして良かった!凄いねー!と話していて……"でも、ミミポポさん傍から見たら、治療始めてから何も問題なく順調に回復してるように見えるけどここまで来るまで色々、悩んだりもあったよね?"と、看護師さんたしかに……基本、私は過去の問題から学ぶ為以外は過去を見ることより前を見る方が好きだから…笑あまり、そんな事をわざ
昨日、ドラマを見ていて心に残った言葉がありました"間違えて乗った汽車が時には目的地に連れて行ってくれる"インドのことわざらしいですこの言葉を聞いて"なるほどなぁ~"ってしみじみ私も、今思えば私はいつも乗り間違いをしてたようなそんな気がします。笑だから、途中で嫌になって降りたくもなるけど結局、そこから飛び降りても大怪我するか余計道に迷い込んでしまうだけでだから、もうしゃーない。って最初は間違いで乗った汽車に身を委ねて周りを見渡してみたらたくさんの気づきがあっ
この人、知ってますか?!↓↓↓彼の名は、ItaloRomano(イタロ・ロマーノ)ブラジル出身の、プロスケーターです11歳の時、ロマーノさんは友人と遊んでいる時に事故に遭いこの悲劇が彼に新しい生き方を与えることになりました何事にもめげなかった彼は事故から1年後にスケートボードを始め今ではプロのスケーターです私が、彼を初めて知ったのは三井住友のCMで大分前に、1回見ただけなのですが(残念ながら、そのCMはもう非公開になっていました)……そのCMで、どこから見ても
ヘモって何?って…痔の事です笑(以下、一応女性として痔の事を医学用語のヘモと記します↓↓↓)正直この話するのはこんな事ブログで話してどうかと結構私の中では勇気のいる事だったのですが……まぁ、これが実際最近の私の最大の悩みであり…ありのままの私なのでさらけ出してみようと思います笑笑但し、抵抗のある方はこれ以上読まないようお願いします!{ゴメンナサイそもそもヘモになる原因って便秘の方が多いみたいなのですが私の場合、全く真逆で腸の働きが良すぎて……
※閲覧注意※この記事には腫瘍の写真が含まれます今日は1ヶ月に1回の定期検診の日!しかも、半年に1回のホルモン注射も含まれ今回は、CTも撮ったので正に、、治療フルコースの日!でした今日の主な治療内容は……■採血■CT■乳腺外来の主治医の先生の問診■ホルモンの筋肉注射:お尻に2カ所■ホルモンの皮下式注射(リュープリン)■骨の皮下式注射(ランマーク)■整形外科の先生の問診注射、全部で5回!!{ヒィーーこの注射祭りを、何日か前から嫌だ嫌だと言っていたら訪問看護の看護
今日は、私の記念すべき日!約8ヶ月ぶりに自宅のお風呂場でシャワーをあびれましたーっ(浴槽には、まだです!お風呂場でシャワーです)自宅でなければ、約半年前にホスピスで入浴介助機?みたいな機械を使ってお風呂に入ったのですが……その時は、大分痛みも取れつつあったものの…まだ椅子に座ることもしんどくストレッチャーに防水シートを貼ったクッションなどで身体を支えて、ほぼ私は動かず……というか痛みで動けずそのストレッチャーのまま入浴室に入り頭からつま先まで看護師さん2人が
ブログでもたまに紹介する私のグローバルな家族何かハーフでも無いしでも、どう見ても外人が居る笑笑{アソコニイル不思議な家族構成だと思われた方も少なくないはず実はここに至るまでちょっとばかし複雑な家庭環境だった方かもしれません私が3歳の時に母は私の実の父親と離婚し私が6歳になる前に再婚しましたその人は私の育ての父親となり私が16歳の時母と育ての父親が別居するまでずっと一緒に暮らして来ました私は育ての父親にいつも気を使っていて父が家にいる時いつも窮屈で
26歳で、乳がん告知されて約8年この闘病生活を最近振り返って、ふと思うのは私の場合、闘病って病気との闘いじゃなくて"自分の弱い心との闘い"だったなぁ。って思います{マダオワッテナイケドw乳がん告知当初初めは、"闘病"の文字通り病気と闘いましたどうやったら自分の治癒力をあげれてがん細胞をやっつけられるか!そんな事をずっと考えて病気と闘っていましたでも、病状が悪化すると共に……闘う相手が病気じゃなく私自身、私の心に変化していったように思います病状が悪化
"親の死に目にも会えない覚悟でいろ"私は17~20代前半までのアパレル販売員時代そんな上司の言葉を本気で受け止めて仕事をしていましたその時の私の生活は朝6時に起きて準備して終電ギリギリで帰宅して寝るのはいつも夜中の2時とかでした休みも週に1回あるか無いか…そんな働き詰めの毎日。だから、朝メイクしながら途中、意識飛んでるなんて、日常茶飯事でした。笑私が働いていた、お店は全国的にも人気で有名なお店だったので毎日絶え間なく店内はお客さまで溢れていて体育会系で真っ直
(※閲覧注意※この記事には腫瘍写真が含まれます)今日は、朝から1ヶ月検診で病院に行ってきましたので検査結果を報告します!まず、今日行った検査内容が■採血■主治医の問診■ランマーク(骨を強くする皮下式注射)■フェソロデックス(ホルモンの筋肉注射2ヶ所)ですっ注射が嫌いな私は特にお尻の筋肉注射が痛くて嫌で1分くらいかけて2ヶ所打つのですが……今日も、こうして治療が出来てること✨そこに、まず感謝して……長く感じる、それぞれ1分の注射時間はペットのタレの動画を見て可