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生涯愛し続けるレーシングドライバーアイルトンセナ今でもあの走りが忘れられない。この人が居たから今でも走り続けるカルロス本田です。今でも毎日顔を会わしてるんです。毎日毎日俺が死ぬまで。付き合って下さい。セナ様。
おはようございます!今日は製品紹介です。レーシングドライバーの織戸選手とのコラボ開発商品のマジカルヒューズナノブラックバージョンになります。こちらはマジカルヒューズ通常品よりも電気の流れをさらに向上させる加工がしてあります。自社比較ですが、通常品よりも15~30%程性能が向上します。こちらはレーシングドライバーの織戸選手がテスターとなって吟味し時間をかけて検証した結果、これは体感できて面白く、車には必ずプラスになりデメリットが無い、と言っていただきました。ナノブラックバージョンです
ほんだばニュルブルクリンクの思い出話でもやっていきませうかのう。初参戦は2005年、マシンはトヨタ・ヴィッツでした。現地名でヤリスといいます。そもそもどういう関係でニュルに行くことになったかというと、理論派ドライバーとして有名な、中谷明彦選手の中谷塾に行っておりまして。http://www.mirage.co.jp/nakaya/その中谷塾の塾生チームで行ったのが最初のニュルブルクリンクです。中谷さん、塾生のみなさんには大変お世話になりました。中谷さんはオレが日本で
2022/10/15~16日でZAPSPEEDレーシングチーム様のオーディションを受けました。会場はモビリティリゾート茂木の南コース。余裕を持って家をかなり早めに出たため、到着時は誰も居らず、少し霧が出ていて路面コンディションはハーフウェットでした。この時はまだあまり緊張していませんでした。1時間ほど経った頃にZAPSPEED様のトラックが来て、マシンを降ろし、チームの方々がコースにパイロンを置き始めました。この頃から徐々にオーディション受講者が集まってきて少し緊張し始めました。いよいよ
各レーシングチームのオーデションを受けて合格しレースを学び後にレース参戦こんにちはリリーです最近、風が強く桜も散りいよいよオンシーズンぽくなって来ましたねレース界も開幕ラッシュ?頑張ってほしいものです。さてさて前回に引き続きレーシングドライバーになりたいなら闇を知っておくこと1にあります②を書きます↓闇【②各レーシングチームのオーデションを受けて合格しレースを学び後に→レース参戦】さてプロのレーシングドライバーになりたい...↓前回のブログ①メーカーのサポー
ブラジル出身のレーシングドライバー、アイルトン・セナがレース中に事故死してから昨日でちょうど30年目の節目を迎えました。一口に30年と言ってもかなりの時間ですよね、皆さんは1994年当時はどう過ごされていましたか?自分の30年前は毎日外国為替市場の動きを追っていました。日本に今のF1人気をもたらしたのはホンダとセナの活躍と言っても過言ではありません。現在のF1は10チーム、ドライバーは20人ですからF1ドライバーになるのは一国の首相や大統領になるよりも狭き門なんです。特に1988年のシーズンで
初ブログですこんにちはリリーです。プロのレーシングドライバーを目指いしていた女子(過去形です)因みに私の彼もプロのレーシングドライバーです(現在進行形です)私(彼も含)のブログでは「レーシングドライバーになりたい人」「レーシングドライバーを目指している人」主にカートレース・フォーミュラーカーレース・ラリーカーレース(1部2輪レースも)そんな方々を対象にブログしちゃいます四輪レースの裏の裏を書いていきます。基本的にメリットは書きません。個人差はありますが↓・レース
こんばんは!プリメミです♪♪今日もアクセスありがとうございます♡♡12日木曜日、レーシングドライバー千代勝正さんの激励壮行会パーティーに行って来ました♪♪席の関係であんまり直接お話はできへんかったけど記念写真はバッチリ☆撮って頂きました(*^_^*)千代さんは全日本フォーミュラ3(F3)選手権Nクラス、2011年のシリーズチャンピオンでSUPERGT、2018年スーパーフォーミ
メーカーのサポートを受けてレース参戦の道こんにちはリリーです春とはいえまだまだ朝や夜は寒くて冷え性の私にはつらい。皆様も体調管理はしっかりと♪さてさて今回は初回ブログある①自動車メーカー系のレーシングスクールに入り好成績を収めメーカーのサポートを受けてレース参戦これにまつわる"闇"をお伝えします数多くメーカー系スクール卒業生たちが国内外のレースで大活躍されています「よーし!僕もスクールで腕を磨いて合格すれば夢のプロレーサーだ!」となります。私もそう思いました
舘信吾。彼の名前を覚えている人も少なくなってきたんでしょうか。もう、あれから23年ですからね。その名前から薄々気づくでしょうけど、彼の父親はトムス創設者であり会長の舘信秀さん。父・信秀氏がおそらく「引き留めた」であろう、レーシングドライバーへの道へ。順調にステップアップし、1997年のGTオールスター戦でGTデビュー。翌98年から「つちやMR2」に親子ほど年の離れた師匠・鈴木恵一選手と組み、6戦中5勝(こぼしたのはピーキーな雨でのもてぎ戦、インプレッサに負けただけ)という圧倒的な強さをみ