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数ヶ月ぶりに謎の頻脈が起き、近所のクリニックへ行くも再び「心因性のもの」と診断された私。その診断に違和感を持ち、帰宅後にパニック発作についてネットで必死に検索しました。母親がパニック持ちなのでどんなものかは薄らと知っていましたし、ネットでも「発作は激しくて死ぬ思いをするが、少し経ってピークを超えると治る」と書いてあります。私はじっとしていても脈拍が100を超える状態がもう二日も続いているし、息苦しくてたまりません。これは絶対に変。医師の知人にこういう症状に心当たりがないかをLINEで
2015年3月24日火曜日私は深部静脈血栓症および肺塞栓血栓症(いわゆるエコノミークラス症候群)と診断され、緊急入院する事になりました。「病室の用意が出来ましたので移動しましょう」と看護師さんに言われ、車椅子に乗せられて外来から病棟へと移動しました心エコーでの診断確定後から私は歩行禁止となったのです。エレベーターに乗り、移動して着いた先はICU。集中治療室でした。てっきり一般病棟だと思い込んでいたので、えぇ…マジ??と驚きました。その中の個室に通され、ベッドに横になり
ICUで不安な一夜を過ごし、朝を迎えました。病院なので夜9時に消灯しましたが、当然ながらすぐに眠れるはずがなく、横になって心電図のモニターを眺めているより他にありません。眺めていても時間の進みは遅く、夜はとてつもなく長かったです。看護師さんが何度も巡回に来て、その度に目が覚めました。翌朝は8時に朝食が出て、これもほとんど食べられませんでした。自分の状況に頭がついていけず、全然お腹が空かないのです。前日のCT造影検査の結果、私の体には両足の下から太腿まで血栓(血の塊)が詰まってい
ピルを服用し、苦痛だった生理痛から緩和されて約二年。三ヶ月に一度クリニックでピルを処方してもらい、たまに診察、年に一度血液検査を受けていました。これと言った不調もなく極めて普通でした。ピルのおかげで好きな旅行の日程管理がしやすくなり、台湾や国内等あちこちに出歩いていたのを覚えています。2014年の12月。昔一緒に働いていた女の子と台湾へ旅行に行きました。この日はたまたまANAの台湾就航20周年記念フライトで、空港で記念撮影をして盛り上がりました。台北、台南、台中を二泊三日で周遊するとい
人生で初めて感じる謎の体調不良。気力を振り絞り、必死の思いで帰宅した私は、心身が疲弊しており早々と就寝しました。翌朝は普通に目が覚めましたが、脈は相変わらず少し早いまま。発表会などで緊張している時のようにドキドキとした感じが続きました。とはいえ、昨夜職場を出た時のような早鐘のような鼓動は収まっています。土曜日なので大きな病院はやっておらず、家から近い、偏頭痛の薬をもらいに通っているかかりつけの内科のクリニックへ行きました。歩いても行ける距離なんですが、坂道を歩きたくなくて夫に車で送ってもら
低容量ピルの副作用で血栓症になった時の記録。ここまでの流れをざっくり振り返り。ある日の帰社時に突然死にそうに苦しい思いをした私。その翌日に行った近所のクリニックで本当の病気を見つけてもらえず、パニック障害との誤診をされました。そのため両足に血栓がぎっしり詰まっているという事に気づかず、年末年始に予定通り台湾旅行を決行してしまいます。その数ヶ月後、再びすごい頻脈が起こり、必死の思いで総合病院へ。そこの駆け出しのような若い先生の診察で病気が見つかり、何とか命拾い。治療は早くて一週間、長くて一
2014年の暮れに尋常ではない体調不良に襲われ、生命の危機を感じる思いをした私。翌日医者でパニック障害ではないかと診断されたものの、体調がだいぶ元に戻ったからと年末年始に予定していた台湾旅行を決行しました。旅行の途中から右足に違和感とつるような痛みがあり、帰国後もそれは続きました。激痛ではないからとそのまま放置して生活していた…というのがここまでの流れ。何となく胸のあたりが変だなと思う日もあり、そういう日は医者で処方された「胸がドキドキした時用の薬」を飲んでいました。この時自分は「パ
ICU生活4日目。この日も早朝に採血がありました。夫は仕事に戻り、母は家に戻ったので朝の面会には誰もきません。夜は急患が入ってきたりして相変わらず深く眠れませんが、それにも慣れつつありました。相変わらず食欲はなく、朝食は牛乳や汁物などを少々。固形物が食べられないならと「メイバランス」という栄養補助食品のドリンクが出されたのでそれは飲みましたが、美味しくなくて飲み切るのに必死でした。健康な時は食べることだけが楽しみなのに…ここでの食事時間はある意味苦行です。入院した日から血液が
私がピルを服用し始めたのは32歳ごろ。元々婦人科系が不調で、26歳の時には卵巣嚢腫の腹腔鏡手術を受けました。卵巣嚢腫はたまたま見つかり、特に症状もなく数年間経過観察が続き放置しても消えることはないからという医師の判断で腫瘍のみの摘出でした。術後は普通に生活していたのですが、年齢のせいか、仕事が多忙なせいか生理と排卵期の腹痛がきつくなり、それを少しでも楽にしたい一心で婦人科のクリニックで低容量ピルを処方してもらい服用を開始。トリキュラーというピルでした。当時は既婚でした
血栓症の治療を終えて退院後、私は身体を労って一週間ほどのんびりと自宅療養してから復職しました。腕に残る点滴針の跡、首元に残るカテーテルの跡以外は普通に健康体。歩いても階段を上がっても息苦しさはなく、平和な日々を取り戻せたように感じました。退院後の治療は服薬のみ。再び血栓が出来ないよう、血液をサラサラにする効果のある「ワーファリン」という薬を服用し、それが効いているかどうかを月一回の通院で検査します。薬の特性上、身体が出血しやすくなってしまうので、貧血になっていないかどうかも合わせて確認してい
肺塞栓血栓症および深部静脈血栓症(いわゆるエコノミークラス症候群)で入院した私。ICUにいた際はずっと「ヘパリン」という血液凝固を防ぐための点滴を受けていました。一般病棟に移動した際に点滴の投与は終わりましたが、太い点滴の針を一週間も刺していたので、注射針の跡が腕に残り、それは数ヶ月間消えませんでした一般病棟ではこれといった治療は無く、朝晩の服薬のみ。血栓症の治療の薬は「ワーファリン」という物を飲んでいました。抗凝固薬、つまり血液が固まるのを防ぐ作用がある薬で、心臓疾患のあるお年寄りなどがよ
深部静脈血栓症及び肺塞栓血栓症(いわゆるエコノミークラス症候群)のカテーテル治療の処置を終え、再びICUに戻りました。処置が終わったのは夕方頃。点滴、検温等で看護師さんたちが入れ替わり立ち替わりやってきて、バタバタとしていました。この日の夕食は食べたかどうか覚えていません。消灯前に歯磨きをしたり、熱いタオルで軽く体を拭いて着替えた事は記憶しています。あちこちに管があるので看護師さんに着替えを手伝ってもらいました。着替えといえばこの日の朝、前日夫にお願いしておいた下着や寝巻などの荷物を
肺塞栓血栓症および深部静脈血栓症(いわゆるエコノミークラス症候群)で緊急入院した私。入院初日にICUに入り、翌日にカテーテル処置を受け、全力で体内の血栓(血の塊)を溶かす治療を受けていました。万が一の出血の際は助からないほど血液をサラサラにする薬が投入されており、ベッドから降りられない日々が続きます。入院5日目、この日は土曜日で外来や手術がないせいか、ICU内はいつもより落ち着いていました。この頃の私は諦めの境地に達し、お風呂に入れないこともトイレの世話をしてもらうことも慣れつつあり
2014年の年末年始。年越し海外旅行で台湾南部旅の続きです。この年の年越しは台湾最南部の街「墾丁」でした。私が初めて台湾を訪れた2010年頃、台湾で少し前に大ヒットした映画「海角7号」の事がガイド本に載っており、レンタル店でそのDVDを借りて見た私は映画の舞台である墾丁へ行ってみたいと憧れてたのです。映画はラブストーリーなんですが、脇役たちが個性豊かでいい映画なんですよねぇ。その墾丁は高雄(高鉄左営駅前)からホテルの送迎バスで向かいました。バスは途中休憩なしで二時間の移動でし
2014年12月12日から二泊三日で友人と台湾旅行に行き、その翌週の帰宅時に人生で一度も体験したことがないような苦しさの体調不良に襲われました。翌日に近所の内科を受診し、パニック障害だろうと診断された私はそこで処方された「胸がドキドキした時用の薬」を服用し、仕事や家事をこなして生活していました。薬を飲んでいれば安心と思っていたせいかあの悪夢のような発作は起きず、とりあえずは平和を取り戻したような気持ちでした。この当時私は小さな設計事務所の社員で、担当物件の事務所へ出向して勤務していま
血栓症治療の入院期間。一般病棟ではたまに検査を受ける事と服薬、入浴ぐらいしかやる事がなかった事もあり、日中の暇な時に外を眺めては様々な事を振り返るようになりました。まず、ピルを服用した事についての後悔。生理痛及び排卵痛、その期間の体調不良を緩和させたいという気持ちで、リスクも調べず安易に服用し始めた事を悔やみました。鎮痛剤で我慢すればこんな事にはならなかったのではないか…と。それは結婚していながら子供を望まなかった自分に対する罪悪感としても感じるようになり「バチが当たったんだ」と自分を責
肺塞栓で入院し、ICUから一般病棟に移った数日後。体内の血栓の溶け具合を確認するため、CTの造影検査を受けました。CT造影の際は同意書を書き、造影剤投入用のルートを事前に腕に打たれます。太い針なのでただでさえ痛いのに、それを担当する若い女医さんがまだ不慣れなようで非常に痛かったです。同室の方も似たような検査や処置を受ける方が多く、その都度同じ女医さんが部屋に来ていたんですが、皆一様に彼女の注射を恐れていました。何事も経験を積まないと上手くなりませんけど、注射だけは上手い人にやってほしいです…
2015年3月24日肺塞栓血栓症および深部静脈血栓症、いわゆるエコノミークラス症候群で緊急入院した私。訳もわからぬままICUに入り、血栓溶解の処置などを受け入院すること二週間。流れた血栓をキャッチするフィルターの取り外しも終わり、治療も終盤に入りました。翌週に再度CTと心エコー検査を受け、問題がなければ退院となります。この頃にはすっかり入院生活に順応し、食事も普通に食べていましたし、病院一階のコンビニへもたまに買い物に行っていました。仕事を辞める決心もして精神的にもスッキリしていたように思