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この文書「オウム真理教時代(1983~1999年)の総括」は、ひかりの輪として、オウム真理教時代(※1983~1999年)を時系列的に振り返り、その経緯を総括・反省するとともに、その反省に基づいて、今後ひかりの輪が進むべき道について述べたものです。なお、この文書は、ひかりの輪の専従会員が会合を重ねて2008年に作成し、同年7月10日の記者会見においても、マスコミを通じて広く社会に公表しています。〔※教団名が「オウム真理教」になったのは1987年ですが、便宜上、前身団体の時代を含め
2017年3月小林由紀1,現在の私の麻原に対する見方現在私が麻原のことをどのような人だと思っているかというと、簡単に言ってしまえば、幼少のころからの環境の影響もあるかもしれませんが、もともと自信過剰で支配欲が強く、それが人類すべての支配までに肥大しており、人の弱みを探してはそこに付け入って巧妙にコントロールして自分を神格化、絶対化させ、絶対的権力によって自らの狂気的誇大妄想を実現したかった傲慢な人、そして哀れな人だと思っています。
2008年9月2日小林由紀1.オウムと出会う私は、24歳の頃には「どこかの寺に出家して尼さんになりたい」と思っていました。それは、不毛の恋愛に疲れたことが大きく、本気で魂の救いを求め、また、地球の平和と人々の心の平安のために生きて行きたいと思いました。お付き合いしていた男性とは、遠距離になり、電話ではまだ話していましたが、もはやそれが苦痛になり、もう他の人と付き合う気力もなく
■オウム真理教の前身組織の設立松本智津夫死刑囚は、1983年夏「鳳凰慶林館」を設立し、初めて「麻原彰晃」と名乗り始めます。続く1984年2月には、東京都渋谷区でヨーガ道場「オウムの会」を設立、同年5月には、株式会社「オウム」を設立しました。■初の「空中浮揚」――誇大宣伝の始まり麻原は、1985年2月、初めて空中浮揚をしたとされています。そして空中浮揚の写真が『プレイボーイ』などの一般雑誌に掲載され、それが後々の教団で大きく宣伝されていくことになります。このうち、
■大量殺戮、国家との対決意図を強固に示す1994年は、ますますヴァジラヤーナ活動が加速化し、武器製造や暗殺等の違法行為が教団の裏で本格化していきました。麻原は、この年の2月、その意図を一部信者らに明確に示しています。判決では以下の通り認定されています。被告人は,かねてから自己の前生は中国を宗教的政治的に統一した明の朱元璋であるなどと公言していたが,同年2月22日から数日間,村井,新實,井上,早川,遠藤,中川ら教団幹部や真理科学技術研究所のメンバーその他の出家信者ら合計約8
https://youtu.be/inOcZF9Tc5c?si=DdHYxNdU4ZA47NEk「沢山の人が死にました」脱北者が撮影した北朝鮮内部映像飢えて倒れる人の姿も【報道特集】TBSNEWSDIG北朝鮮からの脱北者の単独インタビューです。北朝鮮はコロナを理由にほぼ4年間、国を閉ざしました。この間何があったのでしょうか。この脱北者は北朝鮮内部の貴重な映像を撮影していました。▼TBSNEWSDIG公式サイトhttps://newsdig.tbs.co.jp/▼チャンネル登録
このブログは、ひかりの輪とその会員が、地下鉄サリン事件をはじめとする数々の犯罪行為を行った「オウム真理教」について反省・総括して、その教訓を残すとともに、オウム問題の解決の一助になればと願い、開設されたものです。(※主に2008年以降に作成した反省・総括文を十数年前から公開していた「ひかりの輪」運営のサイト「オウムの教訓ーーオウム時代の反省と総括の概要」を、このたび〈2022年4月に〉移設したものです)この試みを通じて、麻原彰晃こと松本智津夫(2018年7月6日に死刑執行)と、麻