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新潟のヨガスパさんでグルジのアートマヨガを受講。インドに帰ってお坊さんになったグルジ。人知れず陰徳を積み、お顔はふっくら福顔に。ますますシヴァナンダ先生に似てきたなぁ。クラスはヒンドゥー教の聖典ヴェーダのお勉強が大半。勉強しているのは、ヴェーダーンタではなく、おそらくウパニシャッド以前のリグ・ヴェーダ。アーサナはクラス最後の15分のみ。それも太陽礼拝とアグニサーラクリヤ(ヨガの浄化法)、プラスアルファで終了。ギュットでいう3ステップの3番目に位置する内容。運動量を減らし、より
ナマステ〜🙏ジェイシュリラーム🙏こんばんは🌆ゴールデンウィーク最初の三連休どのようにお過ごしでしたか私は3日共お休みではなくヨガ🧘♀️ヨガ🧘♂️ヨガ🧘♀️をお伝えし…自身もヨガ🧘♀️三昧でした〜^_^昨日は東京月一レッスン🧘♀️🧘♂️🧘♀️移動中は…読書^_^というか…ヨガ哲学の学びの時間^_^昨日はかなり集中できました〜^_^ヨガ哲学の学びを繰り返し積み重ね実生活に生かしている中で今フォーカスしているのは…自我良い自我と良く
ヨーガスートラは、ご存知のように「心の作用の止滅、純粋観照者の出現」(止観)そして「真我独存」を目的として書かれています。従って、マントラのチャンティングや、観想の多用、集中方法の工夫などは、ヨーガスートラの目的に逆行するものであり、「止観」にはまったく役立ちません。では、偉大な先賢たちの説くサマディのための瞑想とはどのようなものなのでしょうか。佐保田鶴治博士は、「ラージャ・ヨーガやジニャーナ・ヨーガは何をイメージしたらよいか」という質問に対して、「禅」と答えたそうです。賑やかでデ
「閑坐」という禅語があります。佛教語大辞典によれば、「空虚な坐禅をすること。むだな坐禅。ただ静かにすわっているだけの坐禅」という意味が最初に出てきます。もちろん「閑」にはネガティブな意味だけでなく良い意味もありますが、問題は、「ただ静かにすわっているだけの坐禅」が「無駄で空虚な坐禅」だという点です。そう言うと「ただ座っているわけじゃない。数息観によって心を鎮めて、無念無想になろうとしている。」という方もいるでしょう。確かに参禅会に行くと、足の組み方、印相(手の組み方)、坐相(坐
ところで、禅でも、老師の指導は一対一の対機説法が基本です。禅には「鑑機三昧」という禅定(サマディ)があります。これは指導を行なう際に「あらかじめ相手の機根・能力を観察する為に入る禅定」です。つまり老師は、まず鑑機三昧に入り、相手の真我(仏性)の状態を調べ、それに即した対応を採るわけです。これはウパニシャッドに於けるグルとほとんど同じやり方だといえます。自分の真我は、心の作用の止滅後にアートマンそれ自体の「顧る働き」によって観照できますが、他人の真我は、「鑑機三昧」というサマディ