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結婚指輪してたらこうゆうとき指輪眺めて元気出るだろうなあってお守りみたいにね。私はネガティブですね、じゃなくて繊細なんですね、って声がけしたいかな。ちょっと元気出てきました
今だけ限定プレゼント↓↓↓夫との再構築に疲れたあなたも仕事も人間関係も‥人生がうまくいかない原因と解決法がぎゅっと詰まった3daysLINE配信✨これ無料!?と好評です^^こちらをポチッとすると登録できますよ〜こんにちはあなたが幸せになれない原因を根っこから取り除く境美佳です。先日数日経っても感動の余韻が続く一流レストランとBARに出会いました
なんでこんなに恋焦がれるのか考えてたら肉食女子の私は片思いになれてないことに気がつくひとつ前の恋愛も付き合うつもりはなかったし付き合えない(訳ありでした😅)と思ってたでも相性がいいというか一緒にいると穏やかになれる人だった👔ご飯に誘われた時に意気投合して帰り際にキスをされて拒んで帰りその後とっても気まずかったけど💦自然に話せるようになってからは気がついたらそういう関係になってた認めたくはないけど私は寂しがりやだし恋愛体質なんだろうな😣自分で自分を幸せに出来る
彼におねだりして連れてってもらいました。舟下りは乗らないけど、どのくらい混んでるか見たくて、いってきましたこれ全部舟下り待ちの行列です。さすがGW。目当ては舟下り近くのお菓子やさんです。パティスリーフジさん。私の実家へ焼き菓子ギフト二人で食べるパン美味しそうな断面。かりふわでした。一旦帰宅してお昼を食べてスーパーへ買い出し。お買い物大好きな私は毎回スーパーでご機嫌らしいです。自覚あります。今日は私用のカフェインレスコーヒーやパルスイート(血糖が上がりづらいから)を買
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祖母の私達への虐待は止まる事なく続いたそんな中姉が虐待を受けていた時の事姉はもう5年生も終わりに近づき3学期も中盤に入っていたリビングのテーブルの上に置かれた見慣れない冊子表紙には雪化粧の山の写真に「白峰村」と書かれていた私はその時通常の生活をしていた何やら母と祖母がバタバタとしているそんな雰囲気が何もわからない私にも伝わってきた3月中旬春休みに入ってすぐ突然泊まりで出かけると言われたしか母に連れられて姉と私と祖母と4人で電車に乗ったかなり長
クリスマスになり、何故か夫に、なかなか話をしてくれない夫の父。私は焦っていました。何よりも困ったことは、夫の父のガールフレンドであるペニーさんが、ひたすら話し続けるんです。「息子の同級生のジェイは、銃で自分の頭を撃って自殺した。ブランドンは、ドラッグのオーバードーズで死んだ。」アメリカのパンクロックバンド、ザ・オフ・スプリングの歌詞「Thekidsaren’talright」のようなアメリカの実態。TheOffspring-TheKidsAren'tAlr
私は度重なる家出の末に児童相談所に保護され一時保護所で一時的に保護された一時保護所というのは児童相談所が管轄する言葉通り子供を一時的に保護する所で何らかの理由で家には帰れない帰すことができない児童を預かるそこには0歳児〜高校3年生までが入所でき親に育児を放棄されて児童養護施設が決まるまでの間入っている子もいれば非行行動が酷く家庭裁判所の結果を待つ子もいる理由も年齢もさまざま最長2ヶ月間しか入れずもちろん自由に建物内を動くことも出入りする事も
こんにちは!ネガティブ思考解消専門トレーナーの小林ゆりこです!あなたは母親と一緒にいて「疲れた…」と感じたことはありませんか?私はほんの2、3年前まで、母親には心底疲れていました。口を開けば人の悪口。口癖はいつも、「大変」か「忙しい」いつも母親の機嫌に振り回されていました。私は母に言われたことをずっと覚えてて思い出しては嫌な気持ちになるのに、当の本人は「そんなこと言ったー?知らんなあ」です。…
アダルトチルドレンが生きやすくなるために①特徴を知る(前半)アダルトチルドレンは地獄の人生を生きています。とてもつらい人生を生きています。でも多くのアダルトチルドレンは、なんでこうなったのかわかっていない。なんでいきづらいのかわかっていない。自分の好きなこともわからない。自分のことがまったくわからない。だからどうすればいいのかもわからない。ただただ、罪の言意識と自己蔑視と...www.youtube.comアダルトチルドレンが生きやすくなるための情報を発信していきます。動画
それにしても娘があんなに酷い事をされている家の中で平然と生活のできる母の心理状態は少し異常だと思う私が包丁を突きつけられても私が湯船に沈められても姉が大怪我を負っても祖母を止める事なくそれどころか姉に口止めまでしてしまうどう考えても正気の沙汰ではないと思う普通ならこれが他人でも助けようとしない?通報でもなんでもその人を何とか助けようとしない?それを我が子が受けているなら尚更だと思う私がもし自分の子供達があんな事をされたら。。。という
✨ご訪問いただきありがとうございます✨アルツハイマー型認知症の母を近くに呼び寄せ認知症疑いの義父と同居し日々の介護日記を書いています。どうぞよろしくお願いいたします。幼少期は理由もなくぶたれるのがただ怖く空気になりたかった自分が父の病死により母に頼られたり、ストレスの吐け口にされたり…アダルトチルドレンという言葉をずっと知らずにいましたが、自分がそうであった様に思います。アダルト・チルドレン(AdultChildren:以下AC)とは、子どものころに、家庭内トラウマ(心
姉の生きて行く力これは小さな時からの色々な経験から通ずるものがあるのかもしれないと思った姉が虐待を受けている時みんなが家を留守にしている間に姉は空腹に耐えかねて台所を物色炊飯器のごはんを食べるそれが祖母に知られてしまい祖母は台所の引戸の内側につっかえ棒をして扉が開かないよにしてから出掛けていたこれは以前の投稿でも書いたそのつっかえ棒すらもうまい具合に外してキッチンに入る姉。。。そしてそれも祖母に知られてしまい姉はみんなが留守にする時はベラ
ペアレント・トレーニング第1回め。ワクワクして臨み、ノートも買いました。講師の先生に、ペアレント・トレーニングの勉強にあたり、今どんな気持ちか聞かれ、「妊娠中から育児本を読むのが大好きで、良い母親になりたいと思っていました。最近は、もっと子供の為にしてあげたくても、体が動かないことも多く、私を見直したいです。『叱らない子育て』に賛同していて、むやみに叱るより、お手本になる姿を見せたいですが、『叱らない子育て』ほど難しいものはないな、と感じています。とにかく…ペアレント・ト
おはようございますななみです今朝は早く起きちゃった最近睡眠時間が少し短めで6時間とかしか寝られないまぁこれだけ寝れてればいっか話は変わって前々から書きたいと思っていた記事…解離性障害・解離性同一性障害・複雑性PTSDの患者さんをそばで見守る方に役に立つような上手な接し方についてのお話の第一弾を書いてみようかと思います解離性障害・解離性同一性障害・複雑性PTSDを持っているということは必ずと言っていいほど、なんらかの解離している(普段は思い出せない)トラウマがある、ということ
プレ花嫁ですがナマイキにもつづらせていただきます🙇毎日一緒にいる彼に対して大好きってポジティブばかりの気持ちではなく時には苛ついたりムカついたり悲しかったりそれでも彼のいいところもそうでないところも一番近くで見ている。知っている。ホルモンバランスとか占い的な話で申し訳ないけど、運気の流れとかでこの前までなんともなかったのに急に許せなくなったり。でも嫌いとかじゃなくていなくなってほしいとかじゃなくてそんな積み重ねがパートナーなのかなってナマイキにも思ってつづらせていた
子供の出産後「実家でのトラウマを思い出してつらい…」愛着障害、パーソナリティ障害のある両親のもとで育った私●父→DV・モラハラ・ASD(尊大型)自己愛性パーソナリティ障害愛着障害:不安・未解決型●母→躁鬱病・カサンドラ症候群依存性パーソナリティ障害(幼児型)愛着障害:回避・未解決型生きづらさ、思考・認知のゆがみは毒親育ち・機能不全家庭でのトラウマが原因だった~自分自身の人生を生きるために、自分の感情を開放する~【
2月から彼にクレジットカード、通帳、キャッシュカードも預けて只今給料日前、カッツカツでございます。なのでポイ活してますクレジット持ってたときは給料日前でもガンガンクレジットカード使ってコンビニスーパーで食べたいもの買ってた。彼に洗い物したら300円ちょうだいって言っても僕が洗い物するよって言ってお金くれないwwwwww今月の大体の手取りから固定費、病院代、家に入れるお金引いたら私が使えるお金、7000円(笑)その中から友人とのランチ代、実家の愛犬のニトリのエヌクール代を出
猟奇化していく祖母の虐待の内容は今思い出してもゾッとしてしまう姉が虐待を受けていた時姉は着ていた服を全て脱がされベランダに真っ裸で放り出された事があった中から鍵をかけて何日間もベランダに放置されたトイレに行きたいと姉がお願いすると祖母はシンクに置くタライを持ってきたそしてその中でしろ!と姉に言った姉は仕方なくその中に用を足したそしたら祖母が「自分がしたんやからその中に座っとけ!」と姉に言ったのだった姉は祖母に言われるがままに自分が用を足し
私は当時3歳4歳ぐらいだったから記憶は途切れ途切れだけど1度大きな施設の様な場所で母と姉と私の3人。しばらく沢山の家族と集団生活をしていた記憶がある。どの家族もお母さんと子ども達だった。2段ベットのある部屋でよその家族と一緒に生活した。子ども達みんなでホールの様な所に集まってまーるく円になって座っておやつを食べたり。。。大きくなってからわかったけどあれはいわゆるシェルターみたいな所だったんだろうな。母は私達を連れてきっと父から逃げないといけない理由があったんだろ
今日は結婚指輪を見に。おしぼり写真取っちゃいました(笑)ご成約特典にもらいました。実は今日指輪を選んでる時いろいろ試着してあーでもないこーでもないとしてたのですが結婚指輪は絶対に同じデザインでないといけないといけないわけではないようでお互いがそれぞれ好きなデザインでもいいよね、となってたのですが彼はつや消し加工されたデザインを気に入って私はツヤツヤキラキラなデザインがよくて私これー!(ツヤツヤキラキラのやつ)と言ったら彼が僕もそれ。(私が選んだやつ)と言い出し私は
姉は家出をして1ヶ月程帰らなかった時があった祖母と母はもちろん毎日血眼になって探し回った余りにも長期間見つからないので警察にも捜索願いを出したそしてその姉の行方は。。。当時の家から少し離れた所で1人途方に暮れていたそんな時姉に声をかけてきたおじさんがいた姉はそのおじさんに自身の身の上を話したそのおじさんは姉の事が心配になりうちでご飯を食べさせてあげるからと言い姉を自宅へと招き入れた当時の事を姉に聞いた時恐怖心はあったもしかすると何かされる
氣×心理学マイナス思考からしあわせマインドを育てる専門家山内祥湖(さちこ)です。★自己紹介はこちらから★氣導法(きどうほう)とは?こちらから氣やカウンセリングを受けてくださった皆様の変化↓↓↓お客様のお声自己肯定感が低かったけど低い・高いが気にならなくなったまるで別人の人生みたいに変化!氣とつながることを意識することで心が整いやすくなった仕事に行くのが怖いのがたった2週間で大丈夫にスピ系講座で変わったと思っていたけど氣導法ヒ
私には2つ年上の姉がいる。2人目の継母と暮らし始めた時姉は小学1年生で私は5歳。私はとにかくお姉ちゃんっ子でホントに常に姉といた。私達は自分達でも認める程の超仲良し姉妹。というか、その頃から私は姉が居なければ生きていけないと思っていたし姉しか頼れる人がいなかった。父親も継母もほとんど家に居ないし居ても寝てるし何かをしてもらえるわけでもない親無し子も同然の生活だったから。私は家に居たくなかったのか姉が学校に行って寂しかったのか毎朝、姉の登校に付いて行く。学
仕事の話ですがこの不満をそのままにしておくと私が爆発してしまうと思い上司に打ち明けました私の病気も知ってる上司は耳をかたむけてくれて本人に言いますね、私も気になってた、と。言ってくれてありがとうと言われて改善どうこうではなく上司が私の不満を聞いてくれた、というだけで私はスッキリしたのでした。そしてタイトル。私は特に、かれこれ4年前からなんだか卑猥な言葉を言いそうになる自分を抑えていました。絶対私が頭おかしいと思い、主治医にも打ち明けたこともなく。それとなくネットで調べ
祖母の虐待は回数を重ねるごとに猟奇化していった。。。今考えると本当にどうしてあんな事ができたのか人の心がある人間にできる事なのか?と思ってしまう程祖母の虐待が激しくなればなるほど姉も私も祖母から逃げる祖母は私達に逃げられないようにあの手この手を使ってきたある時は姉の虐待の時も私の虐待の時も毎日の学校の登下校を母に送り迎えをさせるようになった前に住んでいた家では神経質なくらいに夜中まで働く母が昼間は寝ているからと私達に静かにするように言い聞
私達姉妹が家出を繰り返すため祖母は私達が自由に動けないよう手足を帯紐で縛り付けるようになった手が自由に使えなければ玄関の鍵も開けれない手だけを縛る時もあれば手足を縛る時もあった2段ベットの柱に括り付けられる時もあったそうなってしまえばもちろん祖母からの暴力を受ける時は腕で自分を庇う事も逃げる事もできずサウンドバック状態もう最悪の状況だったある時祖母は私に激高してまたベットの柱に私を縛り付けた怒りのままに力いっぱい縛り付けた紐は私の手首に食い込
あれは真冬だった私は毎日24時間玄関に立たされていた時期があったかろうじて服は着させてもらえていたものの足は裸足だった暖をとる事もできずずっと玄関に立っていた何故玄関なのか理由は忘れた誰かがうちに来るたびに玄関先から見えないように移動する事を祖母から指示されて尋ねて来た人が帰るとまた元の位置に戻される真冬だったため足は冷え切って感覚が無くなっていた玄関に立たされるようになって数週間が過ぎた頃私の足の色が変わり始めた足の指はどんどん黒く変色してい
4年生の冬私はまた祖母から逃げるために家を飛び出して真夜中寒さを凌ぐためにマンションの駐輪場で体を丸めてしゃがみ込んでいたそれでも寒さを凌ぐ事はできず私はあるマンションのエントランスで寒さを凌ぐ事にした当時私の行動範囲の中で唯一のオートロックのマンションあそこへ行けば寒さを凌げると思いついた深夜のマンションなかなか人が通らずドアが開かないそこへ1人の人が帰ってきたその人は私の事を不審そうに見ながらオートロックを開けた私はその人と一緒にマンションのエント
2人目の継母は日に日に私達姉妹の生活に苦をもたらしていく当時40歳ぐらいだった父が私達に‘’新しいお母さんだよ’’と言って連れてきた2人目の継母は19歳の若い女性だった。父はその女性を家に置いたままずっと何日も帰宅しない。そんな若い新しい母親からは食事も与えてもらえなくて完全に放置状態。自分の子どもが産まれてからは家にいるようになったんだけど。それでも、何もしてもらえなくて。。ある日。姉も学校へ行っていて私はあまりの空腹に「お腹空いた」って継母に言った。