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いのちのうた18年前から毎年続けている音楽イベントがある。亡き妻が発案した「いのちのうた」。骨肉腫で亡くなった女の子の追悼コンサートして企画。つながりのあるミュージシャンに呼びかけ、2006年1月、福岡市で第1回目を開催した。闘病中の妻も、沖縄を拠点に活動するhanautaとユニットを組んで出演した。本番1カ月前には、音合わせのため、娘を連れて沖縄に向かった。リハーサルでも本番でも、歌っているときは、生気に満ちていた。音楽は、妻の暮らしになくてはならないものだった。妻
日割り計算すれば、早く買った方がお得執筆や映像編集の仕事をやっている関係で、デスクワークの時間が長くなる。これまでは、ダイニングテーブルの椅子をパソコンの前に移動させて使っていたため、作業を終えると腰が凝り固まってしまい、歩くことさえ困難になることが多かった。この数年間、腰痛対策が課題だった。先月、仕事で名古屋に行く機会があり、以前から気になっていた店をのぞいてみた。米国ミシガン州に本社を構える家具メーカー「ハーマンミラー」の直営店。お目当ては、人間工学に基づいて設計さ
“悪魔”のささやき会社を早期退職したことを機に、わが家で始めたウクレレ講座。もうすぐ2年になる。昨日は、ウクレレ講師の児玉さんを含む4人が集まった。1人は妻をがんで亡くしたシングルファーザー。このほど、彼もめでたく大手の家電メーカーを早期退職。自由の身になった。児玉さんも早期退職組。3人ともに「やりたいことが自由にできる。辞めて正解だった」と振り返る。残るひとりは公務員男性(40代)。僕らの話を聞きながら、「そんな人生もありだよね」と思い始めている。「こっち
食べることは生きること「勉強は二の次でいい。自炊ができる大人になれ」娘には、そう言い続けてきた。健康で生きる力が身についていたら、将来どこに行っても、何をしても生きていける。亡き妻のバトンを受け継いで16年。いよいよ、そのときが近づいてきた。朝ご飯、食べてる?(2007年9月7日)準備完了。本日よりしばし、創作活動に入るので不在にします。すみません。なのでお詫びに・・・旦那が今朝作ったみそ汁をどうぞ~みんなに飲ませてあげ
故郷の平和を願いつつ福岡県直方警察署の「一日警察署長」を親子で務めた。娘は「年末年始安全・安心特別警戒出動式」で関係者に挨拶。出動する白バイ隊などに激励の言葉をかけた。FBS福岡放送のニュースで紹介↓『はなちゃんのみそ汁』の親子が一日警察署長年末年始の事件・事故へ警戒呼びかけドキュメンタリーやテレビドラマ化もされた『はなちゃんのみそ汁』の主人公・親子が17日、一日警察署長を務めました。福岡県宮若市にある直方警察署の一日署長に委嘱されたのは、『はなちゃんのみそ汁』の主人公・安武
蔵開きに誘われて娘と娘の彼氏に誘われた「紅乙女酒造」(久留米市田主丸町)の蔵開き。行きの電車の中で、声をかけてくれた理由が判明した。「きょうは現金あんまり持ってきてないからね。パパ、よろしく〜」そういうことだったのか・・・(苦笑)。電車の中。おやつは娘が作ったアップルパイ。「半分でいいよ」と言いながら、うまかったので全部食った。正午すぎ、耳納連山麓の「紅乙女耳納蒸溜所」に到着。田主丸は快晴。桜はもう散っていたが、おいしい空気と酒と料理があればいい。かん
初対面なのに呼び捨て娘の彼氏、ねすたがどんどん有名になっていく。飲食店などで、僕の知人に会ったりすると、「おー、ねすた」と声をかけられる。初対面であっても呼び捨てである。僕がブログやYouTubeで彼を頻繁に取り上げ、いつも「ねすた」と呼んでいるものだから、フォローしてくれている人たちは、もうすっかり顔見知りのつもりになっている。東京のある女性(40代)からも「ねすたくんのファンになりました」と打ち明けられた。本人もおもしろがっているみたいだから、しばらく、こんな感じで続
食の力娘の彼氏、ねすたの体調が良い。手前味噌だが、ほぼ毎日、わが家の手料理を食べていることが関係しているのかもしれない。きょうの朝食は、タケノコのみそ汁と卵かけご飯と辛子明太子。ご飯は玄米の七分つきに麦を混ぜたものだ。「ねすた、最近、風邪をひかなくなったな」「本当ですね。そういえば、ずっと体調がいいです」。本人は気づいてなかったようだ。昨年の春ぐらいから、週5のペースでわが家で食事をするようになった。朝は、野菜たっぷりのみそ汁と分つき米。昼は娘が作った弁当を
限りある「家族の時間」家族と一緒に過ごす時間をもっと大切にしておけばよかった、と思うことがある。仕事に追われ、余裕はなかったが、時間をつくろうと思えばできたはず。大切な人を亡くし、年齢を重ね、家族の時間に限りがあることを知った。あのとき、どうして気づかなかったのか。そんな自分が残念でならない。亡き妻のブログを読むと、娘と過ごす時間を心から楽しんでいたことがよく分かる。※妻の高校時代のエピソードが笑える。あいつらしくて、かわいくて。なぜか涙出る。娘が巣立
寛容な心に救われて佐賀市内の中学校PTA関係者から講演依頼のメールが届いた。昨年末、同市内の保育園であった講演に来てくれた女性だった。彼女とは名刺交換もしていた。一度、講演を聴いて、やるかやらないかを判断する。そんな人からの依頼は間違いない。厳しいスケジュールであっても受けることにしている。即座に承諾の返信メールを送った。だが、失態をやらかしてしまった。相手の名前を間違えていたのだ。正しくは◯崎さん。それを◯塚さんと書いていた。ご本人からの指摘で気づいた。
熱意が人の心を動かす妻の追悼コンサート「いのちのうた」を毎年続けてきた。今年で17回目(2024年10月14日の予定)。そのコンサートに数年前から家族で参加してくれているお坊さんがいる。常福寺(北九州市)の堀田顕英さん。2020年3月末、新聞社を早期退職した後、疎遠になった人もいるが、彼とはずっと付き合いが続く。新聞社の安武ではなく、1人の人間として付き合ってくれている。むしろ、会社員時代よりも、今の方が濃密な関係かもしれない。昨年、堀田さんから「『いのちのうた』のよ
マイペースな母娘娘は、いつもマイペース。家ではのんびり。語りもゆっくり。食事は「まだ、食っとったんかい!」と言いたくなるほど遅い。驚いたのは、アルバイト先の飲食店では、きびきび動いていること。やればできるじゃん、と思った。亡き妻千恵もそうだった。性格、絶対音感、寝たらなかなか起きない・・・。何もかもがそっくりだ。娘は成長し、最近は容姿まで似てきた。ひとつ、大きな違いを見つけた。誰に似たのか、娘はダンスがうまい。「いのちのうた」(2023年11月2
コストコで衝動買いコストコで、イングリッシュマフィンを見つけた。12個入りで438円。なんと、1個約36円の神コスパ。衝動買いをしてしまった。さて、どうやって食べればいいのだろうか。オーブントースターで焼いてバターやジャムを塗るだけでは芸がない。台所で考えてみた。そういえば、マクドナルドで朝マックを食べたことがある。あれを想像しながら作ればいいんだ。冷蔵庫に生卵が大量にあった。添え物には、チーズ、ハム、レタス。これにマヨとマーガリン。できるじゃないか。という
締めはラーメン娘と彼氏に誘ってもらった蔵開きの帰り、博多駅で晩ご飯を食べようってことになった。安武信吾『娘と彼氏のデートにパパも同伴』蔵開きに誘われて娘と娘の彼氏に誘われた「紅乙女酒造」(久留米市田主丸町)の蔵開き。行きの電車の中で、声をかけてくれた理由が判明した。「きょうは現金あん…ameblo.jpほろ酔い気分のとき、なぜか、炭水化物がほしくなる。ここは博多。締めはラーメンである。娘のリクエストで向かった店は、博多デイトス2階「博多めん街道」内にある「
量は多いが、コスパ良し若者は肉を食べたがる。そして食べる量が半端ない。娘と娘の彼氏に腹いっぱい肉を食わせたあげたい。そこで、車を飛ばして、コストコホールセール久山倉庫店(福岡県久山町)に出かけた。買ってきたのは、娘たちが大好きな牛タン厚切りスライス800グラム(約5,000円)。量は多いが、余った分は冷凍保存すればいい。コストコはコスパの良さが魅力なのだ。さっそく、牛タン丼を作ってみた。ねすた満足。こちらは動画↓牛タン丼の作り方得意料理の牛タン丼
「子育て最終章」残り数ページ娘の大学の納付金(前期)を振り込んだ。8日から大学4年生。学生生活も残り1年となった。納付金の振り込みも、あと1回で終わる。大学から届いた振り込み用紙を持って、銀行の案内係の女性から口座引き落としの手ほどきを受ける。年に2回の恒例行事。通算7回目だというのに、相変わらず、機械の前ではもたもたしてしまう。額がそこそこ大きいので、手続きが多く、ややこしいのだ。案内係はいつも同じ女性。顔と名前を覚えられている。「はなちゃん、もう、4年生
小花的味噌湯料理を作る喜びを子どもたちに体感してほしい。9年前、そんな思いから製作した絵本「はなちゃんのみそ汁」(講談社)。このほど、中国語版が完成し、わが家に届いた。近く、中国の書店に本が並ぶ。タイトルは「小花的味噌湯」。漢字で書くと、かわいいね。絵本はなちゃんのみそ汁(講談社の創作絵本)Amazon(アマゾン)Amazon(アマゾン)で詳細を見る楽天市場で詳細を見る${EVENT_LABEL_02_TEXT}
またもやスタートでつまずく娘から「車を貸してほしい」と相談された。彼氏のねすたの運転で、福岡県新宮町のIKEAに家具を見に行くというのだ。ねすたは免許を取得して3カ月。本人は「もう随分、慣れてきました。任せてください」と胸を張るが、心配だった。前回、車を貸したときは、出発してすぐ、右折禁止なのに右に曲がろうとしていたので、あわてて追いかけた。スマホの地図で目的地を確認。マンション駐車場を出発。今回はどうか。マンションの駐車場を出て、左右を慎重に確認
食の支援続けたい夕食の片付けを終え、リビングのソファに横になったところだった。娘が申し訳なさそうな顔をして尋ねてきた。「ねすた(娘の彼氏)が今からご飯食べに行ってもいいですか、って言ってるんだけど」その夜、ねすたはわが家に来る予定ではなかった。あまりに突然だったので、「おいおい、勘弁してくれよ」との思いもあったが、事情は聞かず、ありあわせの食材で豚しゃぶ鍋を作った。豚が足りなかったので、冷凍していた鶏肉も追加した。寝室のプロジェクターで映画を見ていると、インターホ
赤面しそうな言葉書棚を整理していると見たことのない緑色のファイルが出てきた。亡き妻千恵のものだった。ファイルには、昔、僕が彼女に送ったとみられるメールを印字した用紙が30枚ほど入っていた。最初の数枚は彼女のことを「松永さん(旧姓)」、途中から「千恵ちゃん」と呼び方が変わっている。交際を始めたばかりのころのメールだろう。声が聞きたい。飛んで行きたい。今すぐ会って抱きしめたい。今読めば、赤面しそうな言葉が並ぶ。2000年1月28日には「25歳の誕生日おめでとう」
アルバイトの最終日に大学生の娘は飲食店と衣料品店でアルバイトをしている。その勤め先のひとつがGU。大学1年生の秋から働き始めたGUでの仕事は、きょうが最終日だった。最初は「もう辞めたい」と弱音を吐くことも多かったが、同じ時期に入ったアルバイトの中で、結局最後まで残ったのは娘ひとりだった。約1年半、よく頑張ったと思う。ところが、最終日だというに娘は目覚ましのアラームに気づかず寝坊してしまった。バタバタと身支度を終え、いつものように弁当を作ろうとしたところ、今度は、ご飯を炊いてな
絵画コンクールでは入賞も小学生の頃、水彩画を習っていた。写真家の父の一眼レフも幼少期から使っていた。絵画や写真は、好きだったし、新聞社主催の絵画コンクールでは何度も入賞した。自分には芸術の才能があると信じ込んでいた。高校を卒業したら、芸大に進学するつもりだったが、両親から猛反対された。そんな話を妻に話したことがある。「俺が芸術をもっと学んでいたら、すごいことになっとるやろうなあ」と。ゲラゲラ笑われた。その理由は・・・。絵(2007年8月27日)わ
梅醤番茶(うめしょうばんちゃ)旅先での外食が続いたためか、ここ数日間、体が重く不調だった。そこで、昨日から、寝起きに一杯の梅醤番茶を飲んでいる。胃腸がすっきり。疲労回復の効果もある。しばらくの間、朝食は、これだけでよさそうだ。娘とねすたは、ご飯とみそ汁。そういえば、妻の闘病中、毎朝の梅醤番茶作りが、僕の仕事だった。以下、千恵のブログ「朝食の効果」(2007年1月7日)今までは、栄養面の指導をしてくれていた先生の考えに沿って、毎朝、ご飯とみそ
いのちをいただくきょうは、娘と娘の彼氏と3人で久留米市田主丸町の酒造会社を訪ねる。娘に誘われた。珍しいこともあるもんだ。目的地は、米焼酎で有名な紅乙女酒造。社長が、娘のアルバイト先の寿司店の常連客で、僕も親しくさせてもらっている。朝、部屋中にリンゴとバターの良い香りが漂っていた。冷蔵庫には、アップルパイが入っていた。そういえば、昨夜の午前2時すぎ、2つのアルバイトを終えて帰宅した娘が台所に立っていた。アップルパイは娘の得意料理。社長に手土産として渡すつもりなのだろう。
悲嘆に暮れた16年前を回顧妻が他界した2008年夏、弟家族がわが家を訪れた。僕の落ち込みようが、あまりにもひどかったので、弟が気遣ってくれたのだろう。当時小学3年生だった長女をわが家に残して帰ったのだ。それから約1カ月、僕たち親子と姪の3人は寝食を共にした。姪の名前は、ふうか。今は23歳の保育士で、社会人1年生。弟に似て、やさしく、陽気な性格。よくしゃべり、よく食べる。昨夜、ふうかが久しぶりに会いに来てくれたので、娘と3人で食事に出かけた。彼女は、ビールを
二日酔いの朝頭が痛かった。夏風邪でもコロナでもない。飲みすぎたのだ。昨夜、なじみの店「PublicbarBassic.」のオープン14周年を祝って仲間たちが集まった。親不孝通りのロックレジェンドたちとテーブルを囲み、楽しすぎて、飲みすぎた。ハイボールを何杯飲んだか覚えてない。それでも、いつも通りの午前6時に目が覚めた。娘は朝から服飾店でアルバイト。弁当を作る約束をしていたので、ふらつきながらも台所に立ち、娘が出かける前までに、なんとか作り終えた。
無敵バッジとネックレス妻千恵は、友人たちから、たくさんの愛をもらった。助産師の内田美智子さん、料理家のタカコナカムラさんは、自身のネックレスを寝たきりになった千恵の首にかけてくれた。ロック歌手、三宅伸治さんが届けてくれたものは、当時、がん闘病中だった忌野清志郎さんも持っていた「無敵バッジ」。千恵は亡くなる日まで、ネックレスと無敵バッジを身につけていた。後で知ったことだが、「無敵」の文字を書いたのが、名古屋市在住の書家矢野きよ実さん。昨年、東京で開催中だった
2人をつないだ不思議な「縁」想定外の展開だった。2012年8月、「田舎もん」と笑われ、苦い思いをした「24時間テレビ」の出演だったが、その2年後の夏、僕たち親子は、再び日本武道館に招かれた。安武信吾『「24時間テレビ」の思い出』雷門で記念撮影千恵と付き合い始めたばかりのころ、僕たちは東京を旅行した。千恵24歳、僕は36歳だった。この数日後、彼女の誕生日にプロポーズ。まだ、乳が…ameblo.jp2度目の企画は、ドラマ化だった。2014年8月23日付、
今夏は十七回忌講演会で生花をいただくことが多い。持ち帰ると、いつも、千恵の祭壇に供える。主催者の「千恵さんの供養に」との思いも込められているはず、と勝手に考えている。おかげで年中、祭壇の花を欠かしたことがない。繁忙期は、わが家の花瓶が足りなくなる。感謝しかない。今年は妻の十七回忌。7月11日まで、心穏やかに元気でいよう。下関市立菊川中学校主催の講演会でいただいた生花DARENYI花瓶ガラス大きい高さ40cm大型透明ガラス瓶円柱型フラワ
大人も子どもも、みんな何かを抱えて生きている娘は中学生時代、「みそ汁」と呼ばれ、いじめに遭っていた。教室の机には「死ね」と書かれたメモが入っていることもあった。つらく苦しかった中学校生活がトラウマになって、高校入学直後の娘は、周囲になかなか心を開くことができなかった。そんな娘に「友達になろうよ」と声をかけてくれた同じクラスの女の子がいた。彼女は、Yちゃん。高校卒業後の今も、彼女はわが家を訪れ、一緒に食事をするなど親しい関係が続いている。先日、Yちゃんから、うれしいひと言