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火葬場の雰囲気はなんだか怖かったここで旦那の体は焼かれるんだ建物に入った瞬間実感し恐怖で震えた突然足に重りが付いた様に足が前に出なくなるのを感じ意識して歩いた火葬炉の扉が空き中が見えたそこに旦那が入っていく時はとても見ていられなかったハンカチで目を覆ったが見届けなくてはそう思いしっかり見送った2階の控え室へ案内された控え室には親族が大勢私と父と母3人で廊下のベンチに座って話した真ん中に私両側に父と母廊下は私達だけで静かだった私は旦那の近くに行きたく
旦那の親戚にはクセ強の人が数名いるその中で母はとても気を遣ったことだろうお茶を出したり本来私がやるべき事を代わりにやってくれた微妙な立場で2階に上がってしまえば気は楽なはずなのに話し合いの時にも話に入るでもなく私の側に離れず居てくれた「お母さんありがとう」そっと肩に寄り添いながら後でこっそり囁いたら「うんうん」とニッコリしてくれたお通夜前に湯灌をした私と次男で順番に旦那のシャンプーをさせてもらった長男は神妙な顔で「オレはいい」と言った喪主の私の
皆が帰ったあと棺は控え室の中に旦那の顔がいつでも見れる様に顔の扉は開けっ放しにしていた一緒に眠れるのは今日で最後なんだ…もうこの顔を見れなくるんだ…何度も何度も穴が空くほど見つめた一晩明け12:30からお葬式父は早くから会場に来てくれた父に珈琲を入れる喪主の挨拶の下書きを不安で父に見てもらう父は泣いていた私は今回の旦那の事で初めて父の涙を見た旦那の高知時代の友人が来てくれた去年、久しぶりに連絡を取り合えばまさかの時を同じくしてのお互いの癌闘病を知った病状
GW休みに突入しましたが・・・我が職場では4/27~5/6までの異例な長期休暇となりました。まぁ休みを頂けるのは嬉しいのですが・・・でも私が休んでいる間に働いている方々を見ると胸が痛くなってしまって働いている間は休みたいなぁ朝起きたくないなぁ・・・と毎日思うのに、長期休暇になるとこんなに休んで良いもんだらうかと思い悩んでしまうってさ。弱ったモンですどちらにせよ1週間も休んでしまったら再び仕事初めてもやる気無くしますなあ~・・・私的には東海道新幹線ののぞみ全席指定席って
本日もゆうらり日記によおおこし!姑っちが亡くなってからなにかすっぽり抜けたような空虚感があって‥。ずっと家にはいなかったので、家にいなくても病院に行ったら会えるような気がして仕方ないんだけど行ったところでいないわけで‥病院に行きたくて行きたくて‥病院に面会に行きたい症候群‥???お葬式が終わってすぐ毎日訪問の仕事があってなかなかハードだったけど何も考えず、虚しさを感じる暇なくてよかったのかも。だから
無事葬儀が終わりました最後の2日間夫に苦しい思いしてしまいましたほんとに急に逝ってしまった亡くなる直前元気になるこれほんとで金曜日はすごく調子が良かったので、余計にビックリしたでもせん妄もあまりなく、最後の最後は穏やかでしかも私がそばにいた時に逝ってしまいましたどこまでも、奥さん思いの人でした夫が病気になってからずっと泣いてきましたお通夜とお葬式は泣かないと決めてたけど思った以上に夫の友人が駆けつけてくれて少し泣きそうになりながらなんとかのりきりました今小さくなった夫
おはようございます今日は暗い話なので、朝からそれはNGな方は読まないで下さいね義父が亡くなりました。車で行ける距離なので(車で高速使って片道1時間半)緊急連絡があるたびに、車を運転して会いに行きました。多分、2日で4往復くらいしました。義理実家は色々な理由で、きちんと稼働する人が少なく(めっちゃ言いたいけど、言えない)家族が近場にいたり、動けるメンツがいるにも関わらず、夫と私メインで弟夫婦と義母でローテーション。とりあえず無事に葬儀が終わりました。とある事情で、私にいつも申し訳ない
両親がお世話になった方がお亡くなりになり、今日がお通夜でした。最近、すっかりむすめの話や、KingGnuだ、札幌行くだなどの話ばかりで、超お気楽に暮らしてそうな印象をもたれている方も多いと思いますが笑、実は12月にはるるん母が腰(背骨)を圧迫骨折し、身動き取れず介護申請をしたり、福祉用品を借りたり、食事のこと、1人でお風呂に入れない状況だったのでお風呂に入れたり、住宅改修などでバタバタとした日々を過ごしていました。おかげさまで、母も杖を使って歩けるようになり、ようやく、お買い物にも行けそう(
こんにちは(*^-^*)昨日は、バタバタの1日でした。心も・・・身体も・・・疲労困憊_| ̄|○ってことで記録5月1日(水)色々考えてたら朝早くに目覚めた。(前日も眠れて無いのにホントは寝たい)らオッパもいつもより1時間早く起きて来た。朝からオッパと色々話し合い。一昨日(火曜日)に話が戻りその日は、アタシもオッパも別々の友人と会ってい
祖母の葬儀をお寺にお願いした時の話。コロナ禍だったので親族のみで行いました。無事に葬儀が終わり相場通りのお布施を渡して帰宅したのですが……1時間後にお寺から電話があり「もう、うちに来ないで下さい」と言われ、訳が分からず……慌てて話を聞きに行きましたそこで僧侶が言った衝撃の言葉……「毎月一万円をあと50回、持って来るならいいですよ」はぁあ?何言ってんだコイツ💢思わず大声で言いたくなりましがそこは冷静に…耳がイカれたかと思う程の詐欺みたいな言葉にその場にいた誰も
昨日、息子夫婦のブライダルフォト撮影に行ってきた。とても幸せな気持ちの1日を過ごせた。でも私には必死で隠しているもう1つの気持ちがある。息子夫婦、娘、両親、実妹、義姉妹にも決して話せない気持ち息子夫婦が入籍して半年後義妹の息子も入籍した。義妹の息子夫婦は華やかな披露宴を執り行い義妹夫婦は並んで息子夫婦を祝い花束贈呈が行われていた。我が息子夫婦は入籍して間がないのに結婚式ではなく父親のお葬式を執り行い息子は私の代りに喪主を務め私達夫婦は永遠の別れを味わう事になってしまった。そして私は
義母のお通夜と葬儀。何とも複雑な気持ちで行きましたが…亡骸見たらもう今までの憎しみとかそーゆーのなくなってお別れの時このわたしが泣いてました。ありがとうとは言えなかったけどパパの事はわたしが守ります。と手を合わせて来ました。パパ泣いてました。むすめは号泣。義理妹も。パパに帰ってきてからありがとうな。と言われました。何もしてないけど…やっぱりお葬式は行ってよかったです。とりあえず二日間終わりました。明日からいつものブログに戻ります。お付き合いいただい
時系列バラバラです。お父様のお葬式の画像です。久子さまの所でもアップしておりますが、茶髪かつボサボサ、皇族らしからぬ格好にメディアとか気にならなかったのでしょうか!?●宮内庁ホームページよりお借りして引用させて頂きました。早稲田大学を卒業。●画像記事をお借りして引用させて頂きました。
さてさて。なんだかんだと葬儀準備について、葬儀費用について書いてきましたが、結局、いくらになったのか。今回はその辺の話を書きたいと思います~。年が明けた1月十二指腸潰瘍で緊急入院したところに胃がんが発覚した父(83歳)。入院転院手術退院再入院転院転院老健入所と駆け抜け、8月22日、父は静かに息を引き取りました。父の闘病経緯はこちら【まとめ】父の闘病経緯と私の気持ちの変化実家の人物紹
もう何年も前から絶縁状態の母親。現在入院中で、あと数日で亡くなるとか。携帯電話が普及してから30年、初めての兄からの電話でした。私は母親が元気な時、絶縁する時、「お母さんが死んでも葬式には行かない」と伝えました。なので葬式には行くつもりはありません。事情を知ってる彼には、葬式くらい行った方がいいと言われたけど、やっぱり無理。兄からの電話で、亡くなったらまた連絡する。と言われましたが、その後ラインで「お葬式や実家に行くつもりはないので連絡不要です。不甲斐ない妹ですいません。お元
見に来て下さってありがとうございます父の葬儀に来た母の話しと認知症について思ったことです。『18日に父が他界しました。』見に来て下さってありがとうございます。先日、父が亡くなりました。危篤と聞いた時は少し泣きましたが、その後は普通に死を受け入れて、「体から開放されて自由に動ける…ameblo.jp父の葬儀が始まる前の空き時間に、母も式場に来ることが出来ました。もしかしたら母が混乱するかもと思ったのとスケジュールの問題もあり、葬儀が始まる前に特養へ帰らせました。車椅子に乗ったま
こんにちは日本冠婚葬祭司会・アテンダント検定協会、グランディメモリーの木野島光美(テルミ)です。栃木県の宇都宮市に入りました明日、おじゃまする企業さんでは人事異動があったそうで事前にご連絡をいただきました。今までお世話になった研修のご担当は企画室から現場へ異動。葬祭ディレクターとして葬儀運営に復帰されることになったそうです新たに研修企画室に配属される方と明日はご挨拶。研修のピークを迎える5月、6月。人事異動のお知らせがけっこうありそうです気持ち新たに私も精進致し
先日、羽田まで友達を見送りに行ってきました。彼女のご主人は三年前からタイに赴任中。お子さんがいないので、本当なら初めから一緒に行くところなのですが、彼女には育ててくれた祖母を看取ってからという気持ちがあり、それまで旦那さんには1人で頑張ってもらっていました。彼女のおばぁちゃま、104歳で亡くなられました。彼女のご両親は早くになくなられています。お父様は彼女が5歳の時に、お父様37歳という若さで。お母様は彼女が中学2年の時にお母様40歳と言う若さで。とくにお母様が亡くなられたのは突然
今日はアメリカのお葬式について書いておこうと思います。わかりやすくアメリカと日本を比較しようと思ったんですが、歳を重ね参列する回数が多くなれば多くなるほど(悲しい現実)、国の違いというより、宗教・享年・死因・遺族の希望・家庭の事情・故人の遺志などの違いのほうが大きい気がしてきているので、あくまでも個人的な意見です。お通夜まずはウェイクまたはViewingと呼ばれるアメリカのお通夜のこと。お通夜の会場では、遺族が最後のお別れに訪れた人々を出迎え、一人一人握手をして挨拶
友の死の覚悟『友の死の覚悟』金曜の午前中ある在住日本人のタイ人奥さんから突然の電話がありました。それは彼女のご主人が今、プラチュアップキリカン病院に入院中であと数日の命だと宣…ameblo.jp18日のお昼に最後の見舞いをした友人は23日の朝永眠しました。もうこれ以上苦しむことなく静かな旅立ちだったと奥さんから伺いました。昨日は彼のお葬式に行って最後のお別れをしてきました。バーンクルット
特養から持ち帰った服などは、割とすぐチェックし、最初の資源ゴミの日に処分しました。ジジババの部屋だった六畳の和室が、後飾りやら特養の荷物やらで一気に狭くなり「やらざるを得ず」という理由からなのですが。まだキレイな物だけチョイスし、毛玉だらけのスヌーピーのトレーナーとかでも、あまりシミジミ見てしまうと、着ていたババの姿が浮かび「ピッチピチで、家で着るか…」なんて間違いを犯しそうなので、勢い&気合いが大切。パパッとビニールに入れ、すぐに口を縛ってしまいました。「私にしては、手際よく、未
今日は母の四十九日でした。どんな嫌なことがあるんだろうと身構えていましたが、穏便にすみました。気のせいかもしれないけど妹が寂しそうに見えました。人の気持ちは7日単位で変わってゆくと言われていますが、私の場合はあの時のまま。ずっと、あの時が目の前にあるような感じで、過去になってゆきません。夜遅くに仕事を終えて帰って来る車の中では、これまでの10年そして、亡くなったときに私の手を握って振ってねぇ、(もとの部屋に)帰りたい、帰して!といった母の柔らかい手をあったかさを思い出して
わたし、自分はガン家系ではなく、わたしだけが遺伝子変異的なことでガンになったんだと思っていましたが先日、叔父(父の兄)が前立腺がんで亡くなりました。叔父が前立腺がんだったことも亡くなる数日前に聞いて、それからすぐの訃報でした。そうなると、父と妹、そして姪たちが心配だ〜詳しくは聞いてないけど、叔父は、限界まで痛みを我慢していて、病院に行ったときには手遅れだったそうです。2月13日に自分で限界を感じて救急車を呼び、それから入院して4月17日に天国へ。たった2ヶ月…前立腺がん、早く治療を
ミステリと言う勿れ田村由美さんのマンガですがドラマにもなっていますね菅田将暉さん好きだから観てみようかな?夫はこの方のマンガが好きで。探したら本棚にありました。読み始めたら面白くて止まらない我が家の納戸↓どんだけマンガあるんだかまだ写っていない部分にも山ほど~地震がきたら、大惨事になりそうマンガだけでなく、本もすごく読む人でした。子ども達には「文字が書いてあれば、マンガでも本でも良い何でも読め」そう言っていて、気が付いたら二人とも読書好きになっていた(長男は最
バイク、乗りますよ!天候やスケジュールに嫌われてずっとバイクに乗れていませんでした。この日もそんなに時間があるわけじゃないけど…でも、こんな晴天☀ある?っていうぐらいの晴れ。自分の都合は自分でどうにかできるけど、天気は自分でどうにもできないって誰かが言ってました。と、なれば、行ってきまーす。気温17℃17℃ってどれくらいの服装が正解なんでしたっけ?これでいいのか?いや、寒すぎないか?17℃の世界が思い出せない。気持ちがはやる。久しぶりの横浜横須賀道路。大好きな
今日は節分ですね。恵方巻きを買おうとスーパーへいったけど、結構お高くて結局買わずに帰ってきました。代わりにまるごとバナナを買ってきた(私はまるごとイチゴです)形状似てないですか??北北西(あってる?)向いて黙ってたべよ。かなりテキトウな母ですーーーーーーーー気になっていたこと。昨日娘に聞いてみた。娘は(息子も)お葬式でも、その前も、その後も、全然泣いたりしていなかった。私が泣かないから?(うるっとすることは何度もあったけど…泣けない)「お母さん、お父さんの借金の話
昨日は朝早くから夜遅くまで息子夫婦のブライダルフォト撮影でした。息子夫婦が入籍して2週間後主人が急逝し結婚式ではなくお葬式の準備を進めなくてはいけなくなってしまった令和23年。一周忌を過ぎた令和24年4月にウエディングフォト撮影をする事になりました。嫁の実家のお寺をロケ地とさせてもらい新郎は羽織袴、新婦は色打掛でまず撮影。次はスタジオに戻り新郎はタキシード新婦はウエディングドレスで撮影。最後に主人の写真と一緒に撮影しました。素敵な1日が過ごせました。
こんにちは、久しぶりに投稿します。年末年始は4歳の長男と夫の3人で迎えました。実は長男の誕生日も先月にあり、12月はそもそも忙しい月。次男のお葬式、長男の誕生日、クリスマス、年末年始と怒涛のような日々に追われ、その上私は約一年半ぶりの仕事復帰に加え長男は1月から幼稚園に転園するという…こうして書き綴ってみるとまぁ、間が悪いというかなんというか…(苦笑)(仕事復帰と幼稚園は先々月に決定したこと)でもまぁ、実際振り返ってみるとある意味、気が紛れて良かったのかもしれません。だからなのか、生
おはようございますたくさんのいいねにコメントありがとうございます私自身過去を振り返ってみたら様々な事があり過ぎて昨日のブログに書いた亡くなった友人といつも3人でいたもう1人の友人には本が書けるくらいの人生やで〜と言われてます(関西なので関西弁)いつもそのもう1人の友人と会うと〇〇ちゃんならどうしたやろう〇〇ちゃんは今の私達を見て何て思うだろうそれが合言葉のようにいまだに話しをします。癌と言う病気も友人のお母さんが胃がんになった時に身近に感じた癌友人が事故で亡
以前から母と、ゴールデンウィークに買い物に行く約束をしていた。最初は三月の旦那の誕生日プレゼントとして、礼服を買ってあげたいと言われたのだが、誕生日にお葬式を連想させるものは抵抗があるからと断った。それでゴールデンウィークにと決めていたのだ。実家に到着すると、私の礼服も必要だからと、母が昔着ていた服や靴を試着してみた。しかしデザインが古いし、ワンピースは私には丈が短すぎて膝が出て、礼服としてはみっともない。靴は小柄な母とサイズが合うわけもなく、シンデレラの姉たちのようにキッツキツで入ら