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Aさんは、接種4回目でした。発熱があったが、静養。接種から2日目の夕方。シャワーを浴びていると、片方の腕以外は、足も、ぜんぶ、金縛りにあった感じになった。浴室から出て、ソファーに倒れこむ。しばらくすると、全身が、コントロールできるようになった。タオルで身体を拭いて、妻の帰りを待つ。妻にこれまでのことを話し、しばらく休むと伝え、また、ソファーに倒れこむ。そのまま、意識を失う。目が開いた時は、頭の手術が終わっていた。頭蓋骨を開いたそうだ。病棟に寝ていた。そして、
こんばんはamoreblueのゆきです🌈昼寝?夕寝して座位ができるように♪トイレは全介助から3分の1は自力で👍言語障害は時々あるんだけど…ここ数日は自分でも上手く話せないし話せば話すほどに頭が混乱してくのでひなこに紙に書いて分かりやすく説明してもらったり記憶の混乱はDBSオフからかなり回復したけど『限界がある』って往診のDr.に言われたように限界かなー言語に支障がでるのは今後も上手くつきあっていかないとジストニアに関して
私「東京でワクチン反対のすごいデモがありましたよ。また、集団訴訟があって、国が訴えられた。風向きが変わりましたよ」●さん「ワクチンは絶対何かあるよ!僕はあれを打ってから、脳の手術したよ」私「脳卒中ですか?」●さん「なんだったか忘れたけど」私「テレビも報道しないし、政府も接種後の被害状況を隠している」●さん「テレビも政府もぐるだろう」彼は接種後に、搬送されては緊急手術をしたそうです。術後、言語障害が起きて、言葉が不自由になりました。現在も継続中。彼とは、この話は二度目。
こんにちは。過去を振り返って書いてます。3月1日いよいよ卒業式当日の朝です。次男は8時に目が覚めてトイレへ行きいつも通り、薬を飲んで最後の学生服を着る。今日は私も嫁さんも、「どう大丈夫?学校行ける?」なんて聞きませんでした。ただ見るかぎり気力だけは充実していました次男にとっては、今日が人生の最大なるイベントだということを本人も感じているようでした最後になる学生服を着て、いつもの帽子をかぶり準備万端でした。私も久しぶりスーツを着た。3人で車に乗り学校へ向かいました。バック
おはようございますamoreblueのゆきです🌈連日ジストニア発作で四肢、首、腰言語障害🙈朝起きた時は今日はいい感じ!!って思っていたけど通院への不安からか?昨日よりキツい🙈🙈🙈拘縮で痛いと感じるの久しぶりかなー言語障害はジストニアとは違う原因からで何度も呼吸が止まったからです言語障害は毎日ではなかったけど最近は続いてるかなジストニアが四肢にでだし続くとやっぱりポジティブでいても不安になります昨日はトイレも全介助になったり悔しい気持
2月中旬の人間ドックにひっかかりそこから1週間おきにCT検査やらMRI造影検査やら気管支鏡検査やら。。結果的に「肺腺癌&リンパ&骨転移多発」。癌宣告されて1週間後に遺伝子検査の結果が出ました。3/22(金)の検診でALK融合遺伝子に変異があるとのことです。事前に「治験」の話を伺っていましたが治験ではなく標準治療で進めるらしく。(治験だと諸々の検査代や薬代が無料で、しかもお車代が結構出るので良い小遣い稼ぎになるなと思っていたので、少しだけ残念な気分でした。。)主治
こんにちは。過去を振り返って書いてます。2021年7月7日昼過ぎに次男が嘔吐した。ビックリした。午後すぎに遺伝子パネル検査のため暑い中車椅子をおして病院へ向かった。到着したが、次男の様子がおかしいすごくしんどそうだ。「どない気分悪い?」と聞くと「しんどい」と言った。看護師に緊急でベッドに寝かせてもらった。遺伝子パネル検査の診察中次男はずっーと寝ていた。あまりにも回復しないので再度東京G病院へ連絡して、T先生に診察してもらいにいった。急に外に出て階段を
2017年の初夏に脳出血に倒れ、要介護となった母。急性期病院&リハビリ病院を経て、自宅介護でマイペースの日々を送っていました。ところが。2019年の終わり、こんどは脳梗塞を発症し、現在入院中。脳出血発症時のことプラス、ほぼ現在進行形で脳梗塞の病状についてつづっていきたいと思います。↓脳出血の母日々のキロク↓←救急搬送&急性期病院の話最初から←リハビリ病院の話最初から←前の話さて。朝食後、急に様子がおかしくなった母。
こんにちは。過去を振り返って書いてます。1月9日次男が、「今日おじいちゃんとこへ行きたい」と言ったので、急遽、3男・4男連れておじいちゃんとこへご飯を食べに行った。急に行ったので、おじいちゃんは朝からお酒を飲んで酔っ払っていた。嫌な予感は的中した。酔っ払って、同じ話を何回もしだしたので、3男、4男は、おじいちゃんを無視しだしたそれでも話を続けるおじいちゃんに私が、一言言ってしまった。「うるさいなしつこいねん」すると、おじいちゃんがキレて「帰れ」「もう、みんな二度と
4月22日、今日は母の誕生日です74歳です今日も仕事休みです昨日、母に買いました喜んで選んでました!沢山食べて沢山移動して疲れたのか昨日は早くに寝てました笑元気でこれからも過ごせます様に✨夕方から訪問診療ですそれまで私はゆっくりします朝イチで母におめでとう!何歳?って聞いたら…63歳‼️と…ハッキリと言ってました。こう言うのはハッキリ言う一応、言語障害があるんですがね。ま、63歳って事にしときます。今日も頑張りまーす!良い1日を✨
こんにちは。7月10日高校サッカー部3年生が8人次男に会いに来てくれた。言葉がでない次男なんでどうなるのか心配だったが、笑い声がいっぱい聞こえたみたいだ。(嫁談)サッカー部の子らには入院中も励まし続けてもらい、退院してすぐに会いに来てくれたり本当にありがとうと伝えたい。部活動をする意味というのを教えてもらった。7月12日テモダール投薬1日目今日学校へ行った。7か月ぶりだ。3年生のクラスメイトは会ったことがないのでいきなり教室は恥ずかしがって、別室でリモートで授業をきいた。
こんにちは。過去を振り返って書いてます。11月24日今日、MRI検査を行った。やっと、感染症、水頭症の手術が終えたばかりなのに今度は、腫瘍再発の検査9月27日の再発摘出手術をして、腫瘍は全部とれなかった。あれからちょうど2か月経った。前回、摘出手術をして、放射線、抗がん剤治療を終え退院して、2か月後に大きな腫瘍が再発していた。手術してこんなにすぐ再発するのか放射線も、抗がん剤もあんなに頑張ったのに自家癌ワクチンもしたのに…絶望的な気持ちになってしまった。次男にかける言葉
こんにちは。7月15日~16日テモダール4日目~5日目今日から2日間学校では2、3年生による球技大会があった。グランドでは、フットサル、ドッチボール体育館ではバスケットボールをしていた。朝学校に行くと担任の先生が、クラスTシャツあるので、これ着て一緒に応援しようと言ってくれました。前回退院した直後久しぶりに外の空気に触れ太陽の光をあびて、凄く気分が悪くなってしまったことがあったので、外で応援するのは心配だった。しかし次男はどうしてもフットサルが見たい久しぶりにサッカー部
こんにちは。毎日、朝起きると次男の様子を見に行きます。寝てたら何故か安心して、起きてたら「おはよう」というと少し反応してくれます。食事をしているとどれぐらい食べれたか気になります。携帯を触ってると安心します。お風呂は湯船に浸からせてやると、小さくグーの合図をしてくれるので、幸せな気持ちになります。私では無理なんですが、嫁さんと話している時、たまに笑顔が見れます。その時は、すごい幸せな気持ちになります。振り返ると、1年前のこの頃、Y大学病院で手術をして、手術直後なのに腫瘍がすぐに大
こんにちは。過去を振り返って書いてます。1月11日いよいよ高校最後の3学期が始まりました。次男は体調も良く学校へ行きました次男は大学には行けないし、専門学校も行けませんので、人生最後の学園生活です去年の今頃右手と右足が痺れると言い出し、整形外科に通院しながら、2年生の3学期をスタートした。それから数日後に脳腫瘍と判明し入院となり学校を休み、手術、転院を繰り返し3年生の1学期(7月)に退院して、数日間学校へ行った。夏休みは、卒業の意思を見せるために、出来るだけ学校へ行き出席日数
こんにちは。過去を振り返って書いてます。2月15日今日、次男が18歳の誕生日を迎えることができました。凄いなと思うことは、長男が1歳の時から、毎年、子供達の誕生日は嫁さんがささやかですが、誕生日ぽい事をします男4兄弟なので、年4回小さい時は次男も大ハシャギでした。ここ最近は大人になりなんか恥ずかしそうにしていた。なので今日も次男が病気だからとかでなく普通に誕生日会ケーキにロウソクを立て、電気を消して、私がハッピーバースデーの歌を歌わされるという恥ずかしい役回りも毎年やらされて
こんにちは。過去を振り返って書いてます。12月27日長男が1年ぶりに帰ってきた。1年前はまだ次男は普通に元気だった。4兄弟でサッカーまでしていた。長男が関東に戻った後、次男の病気が発覚した長男は高校卒業して、関東の大学に合格し一人暮らしをしていた。2021年2月に次男の病名がはっきりわかり、今後、次男がどのようになっていくかと言うことを長男に電話で説明した。その時、長男は黙って聞いていた数日後に長男から連絡があり「大学辞めるわ」と言ってきた。次男が理由で辞めるとかは言わ
こんにちは。いつもコメント、メッセージで励まし、応援、アドバイスしていただき本当にありがとうございます。返事を返せず申し訳なく思っています。しかし、本当に何か次男に目に見えないパワーが浴びせられているような気がします。今回、皆様のコメント・メッセージの中に度々アドバイスがありました。クラウドファンディングというものを考えさせてもらえる時間がありました。本当にありがたい事だと思います。そう言っていただけるだけでも十分嬉しいことだと感じました。しかし、今この仕組みでお金をいただくと言
こんにちは。過去を振り返って書いてます。退院して1日後東京上野で泊まり朝から自家癌ワクチンを打ちに行った。前回の手術後にもワクチンは2回していたので、今回は場所も進行もわかっており次男も注射を5回以上することを知っていた。あれほどの大手術を6回もしているので、注射ぐらいとは思ってしまうが、すごくビビっている姿を見て少し安心した。やっぱり注射は恐いんだ。自家癌ワクチンについては、前回2回分したが再発してしまった。だけど今回もやることを決めた。迷いはなかった。お金は民間治療
こんにちは。過去を振り返って書いてます。2021年4月28日術後16日目光線力学的療法による手術で室内の照明を消していたが、やっと照明がつき明るくなった。T先生が明るくなった部屋で次男の様子を動画で撮って送ってくれた。本当にありがたい。次男は寝たまま一言、二言喋ったがやっぱりまだまだ言葉はでにくそうだ。元気だった次男と比べるとあまりの変わりように無言になる。ただ何かを喋ろうとする姿にとても感動した。動かない右手右足言葉が出てこない自分に落ちこんでいないのか頭
こんにちは。7月13日テモダール2日目今日も学校に行ったが別室で1時間目のリモート授業を聞いただけで、次男が「しんどい、お腹いたい」と言ったので、1時間で帰った。少しテモダールの副作用が出てきたようだった。7月14日テモダール3日目今日も学校へ行く。1時間目から3年生は全体の大学講習会で集まることになっていた。本人にみんなと一緒に話聞くかと言ったら迷っていたが、その時サッカー部の子らが来てくれて、「車椅子、階段持ち上げに来ました」と来てくれた。そして4~5人で車椅子を抱
こんにちは。過去を振り返って書いてます。1月4日旅行2日目今日は次男のために、どうしても連れていきたい場所があった。鳥羽から伊勢まで行く、伊勢志摩スカイラインの山頂にある朝熊山頂展望台。鳥羽湾を望む絶景が見える癒しスポットとガイドに書いてあったので、レンタカーを借りて向かった。到着して心配だったのが、車椅子でも展望台まで行けるのか心配だったが、スロープがあり本当に助かった。次男も興味を示してくれて、携帯で風景を撮りだした。いろんな角度から何枚も撮っていたので、その姿を見れて本当
こんにちは。過去を振り返って書いてます。9月25日手術の説明があった。嫁さんと次男が話を聞いた。フレア画像で腫瘍がかなり広がっているので、今回は無理して取っても厳しいとのこと。なんとか大きな塊は取るが奥の方にも小さい腫瘍があり、右側にも染みてきている。奥のやつは摘出手術では取れないので、手術後にアバスチンが効いてくれたらいいが、聞かない時はまた考えなくてはならない。後、声が出なくなるかもしれないとの話があった。かなり厳しい話だった。その話を聞きながら、次男は落ち込んだり
こんにちは。過去を振り返って書いてます。12月14日本日4回目のアバスチン点滴があった。無事終わった。前日に私の妹から連絡があり今日その息子が、次男に会いたいという連絡だった。次男にとっては従兄弟である従兄弟は小学1年生の時から夏休み、冬休みは必ずこちらのおじいちゃんの家に1か月は泊まりに来ていた。次男も、従兄弟も夏休みは楽しみでたまらなかったと思う。次男とは歳も一つ違いで、4兄弟の中でも次男と従兄弟は一番仲が良かった。お互いが中学生になってからは、部活動で忙しくなり会わない
こんにちは。過去を振り返って書いてます。2021年4月23日次男の高校へ書類があるということで、学校へ行った。担任の先生から新しい3年生のクラスメイト全員からの写真つき手紙をいただいた。とても心和む内容の手紙ばっかりだった。担任の先生や、学年主任の先生、部活の顧問の先生など次男の事をすごく心配されていた。サッカー部の顧問の先生から、同級生(3年生)に次男の事が心配なので現在の様子を教えてほしいと言われて、3年生の前で、3回手術したこと。右半身麻痺言語障害まだ寝たきり
こんにちは。過去を振り返って書いてます。10月1日今日からリハビリを開始した。その姿を見たら、手術前とほとんど動きは変わってないように見えた。左手が動いているのが確認できたので、携帯は使える。良かった。言葉はやはり、出にくくなっていたただまったく喋れなくなるかもしれないと言われていたので、少しでも声を聞けるのが嬉しかった。10月2日頭のガーゼが外れた。痛々しい姿だったが本人の表情はいたって普通だった。10月4日学校授業をリモートで開始した。そして、学校から連絡があった
こんにちは。過去を振り返って書いてます。10月20日私は東京のホテルで朝待機していた。朝10時頃連絡があった。退院できますとの連絡だったとても複雑な心境だった。水頭症はまだ治っていないが、症状は悪くなく退院して様子見ても大丈夫とのことだった。病院へ次男を迎えに行った。久しぶりに次男を見た。感動的な再会ではない、こっちが手をあげると、次男も小さく手をあげた。元気はなかったが、言葉が出たので安心した。そして、次男が行きたがってたジブリ美術館へ向かった。初めは元気なかった
こんにちは。過去を振り返って書いてます。1月3日次男は普通に目覚めてくれた。体調は悪くないいよいよ家族全員で伊勢旅行へ出発することができました。次男が病気になり旅行どころの話ではなかった2021年、長男もコロナで帰って来れるかどうかわからなかった。3男にいたっては、旅行に行くのは嫌だと言っていたので、全員で出発できたのは奇跡のような旅行です。次男の体調は、1日ごとにどうなるかわからないので、当日キャンセルも頭にはいれていた次男が行けなければ、この旅行は意味がない今の次男を神
こんにちは。過去を振り返って書いてます。2月24日J病院でのリハビリに行く事が不可能となってしまったので、訪問看護、訪問リハビリにお願いすることになった。訪問看護の方が家に来て次男と面会したいと言われたが、今の次男の症状と、今までの経緯は私が施設に行って説明させてもらうことにした次男の前で事詳しく話するのが嫌だった。そして、26日の診察でまた改めて説明させてもらいますと伝えた。訪問看護をしなくてはならない状況に次男は戸惑うかも知れないが、嫁さん一人で、トイレ、お風呂が大変になって
こんにちは。過去を振り返って書いてます。1月18日今日は学校へ行けた。学校が終わり、次男がゆっくりと、はっきり聞き取れる声で言った。「みんなが羨ましい」とても重みがあり、ずしりとくる言葉だった。この時期、高校3年生は将来に向かっていろんな会話が飛びかっていると思う。大学受験で学校休む人就職、専門学校、バイトの話卒業旅行の話、恋愛の話次男はそのどれの会話も入れない次男に、先生方から進路の面談なんてない友達からも、これからどうするのみたいな会話も絶対にないでも周りは希望