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所用で函館市総合福祉センター(あいよる21)へ。函館駅近くの若松緑地公園にあります。土方歳三ゆかりの地のモニュメントがあり……敷地内には、土方歳三最期の地碑。箱館戦争で命を落としたといわれる場所にひとつ、一本木関門がこの辺にあったということです。命日の旧暦5月11日はまだ先だけど、お花がたくさん供えられていました。そして、この1円玉は何でしょうね……??センターの前は八幡通り、日当たりいいところでは街路樹のエゾムラサキツツジがもう咲いてました。ツツジの中では一番
ツアー最終日の午後は、歳三さんの最後の日々を追って、丁サ跡(歳三の滞在した宿)〜新選組屯所跡(旧称名寺跡・現在は弥生小学校)〜弁天台場跡〜一本木跡を巡りました歳三は、5月11日、敵に囲まれ、孤立してしまった弁天台場にいる新選組隊士ら同胞を救わんがため、五稜郭を出発、千代ヶ岡陣屋にて隊を整え旧松川街道を一本木へと進めます。「吾、この柵にありて退くものを斬る」各地で同様に味方を鼓舞してきたように、歳三は一番後方に立ち、味方を進軍させます。そして異国橋あたりまで先頭が押し入った頃
今日は、鬼の新選組副長の土方歳三が箱館戦争で戦死した日。土方歳三は、幕末期の幕臣、新選組副長。蝦夷共和国陸軍奉行並。諱は義豊、雅号は豊玉、家紋は左三つ巴。新選組時代には、局長・近藤勇の右腕として組織を支え、戊辰戦争では旧幕軍側指揮官の一人として各地を転戦し、またいわゆる「蝦夷共和国」では、軍事治安部門の責任者に任ぜられて指揮を執った。明治2年(1869年)5月11日(6月20日)、戊辰戦争の最後の戦場になった箱館五稜郭の防衛戦で戦死。享年
今回の動画です。戊辰戦争の終結新選組土方歳三の死と総督黒田清隆の友情秘話箱館戦争新政府軍VS旧幕府軍の戦いの結末蝦夷共和国の総裁・榎本武揚は敗戦を認め、自害を決意するが、新政府軍の総督・黒田清隆がは旧幕府軍を許し命を助けた。ここで助けられた大鳥圭介や榎本武揚、永井尚志らは明治維新で大きな活躍をし、日本を支えることとなった。
河上彦斎について調べていた時に、ちょっとした拾い物をしたのでご紹介します。国会図書館デジタルコレクションに、『国士列伝』という書籍が公開されています。これは大坪草二郎(1900-1953。歌人で「アララギ」同人)の執筆によるもので、昭和16年に高山書院から出版されました。この中に河上彦斎についての伝記があるのですが、残念ながら、ほぼ小説といってよい内容であり、何を参考にしたのか、誰に取材したのかはほとんど述べられていません。その一方で、同じく今井信郎に関する伝記は、史料や関係者
※2018年8月1日訪問※東郭隅櫓跡から北西に歩いて行くと【本丸内堀】が見えて来ます二ノ丸と三ノ丸を隔てる堀には水が張られていませんでしたので、松前城で見られる水堀はここだけですね下の写真、少し石垣がお堀に出っ張っている部分が有りますが、江戸時代の絵図によるとこの場所には木橋が掛けられていたようですね内堀越しの天守は画に成りますよね◆蝦夷国・松前城(福山城)本丸表御殿跡/国指定史跡◆に続く