ブログ記事3,228件
昨日のブログで主人のいない事が悲しすぎて(´;ω;`)自分で、消えて無くなりたいと思い号泣したと昨日ブログに書いたのです愛されなかった自分なのに主人や子供を愛し過ぎる自分ブロ友さんのめぐみさんに>その愛されたかったって>子どもの頃の自分が>まだ癒やされて無いんじゃないかな?とコメント頂きハッとしました我が家は確かに父と母は愛情表現出来ない人祖父母に育てられ祖母とは大きくなるまで一緒の布団に寝て
昨日は、ボランティアの傾聴の会に行って来ました前回月初めに行った傾聴の会とは異なり少人数の会でした聞き手が4人聞いてもらう側が3人私は一番最初に着いたので2名話を聴いてくださいました早めに着いたのでこちらの縁切りの神様に「この辛い気持ちを断ち切ってください」とお願いしてから…内容を話してただただ傾聴してくれたのですが主人が2014年に多系統萎縮症という難病を患い私がショックを受けて主人に慰
父が入院してから、毎日様子を見に行くと、なんだか、母の最期の頃に似ていて、心配になる。半年前ぐらいから、ご飯をあまり食べなくなっていたと聞いたけど、1月の父の誕生日に”イチゴ”を持って行った時は、嬉しそうに”イチゴ”を食べていたので、そんなに心配はしていなかった。それに、私が施設へ行くと、いつも車いすに乗って、フロアのロビーで窓の方に向かって独りぼっちで日向ぼっこをしているのを見かけたので、【みんなテレビ見てるので、おとーちゃんだけ独りぼっちやん】ぐらい
今日は歌のレッスンに行って来ました。訪問看護師さん週3回指導の中一日も早く・一番仲良しの介護仲間学生時代のKさんと会う事・歌のレッスンを再開する事・仕事を少しでもする事・習っているオンラインフィットネス再開する事を主人の亡くなった直後に言われました。同級生のKさんと会ったのは葬儀終わってすぐ12/4に会いました。会っていて話をしていたら途中で「ご主人、もう少し生きていて欲しかったよね」訪問看護師さんにも妹にも言えないセリ
昨日、今日連日で出掛けて来ました昨日は、午後から隣の駅のボランティアの傾聴の会に行きました方向音痴なので不安でしたがすぐわかりました傾聴の会はこころのフラットというもので色んな方が参加しています大抵70代から80代の方です20人弱の方の参加で二班に分かれて話をしました私がおどおどしていたからか優しい女性が横にすっと寄り添ってくださり話をしました「主人が去年亡くなって」と言うと会が始まる前に
今まで書いてなかった父と母の事に触れますね父はそう昭和はじめ生まれの生粋の昭和人間でした(良くない意味で)酒乱で、殿様で愛人も数人いたと思います母は優しいけれど芯は強い人父に絶対服従で母は父にとっては良い奥さんのように映っていたはず二人とも娘三人にはあまり興味なかった親でした(長女の私と年子で双子の妹達祖父母に育ててもらいました言わば産みっぱなしです)殿と女中のような母と愛されない娘の家族でした愛されてないと常に幼心
本日は午後から亡くなった主人の障害者年金の手続きに年金事務所に行きます。今朝、起きたら当たり前に主人がいなくて本当に寂しくて悲しくてもう満面の笑みの遺影しか残っておらず起きるまでが辛かったです。朝が尋常ではない辛さで夜もボーっとしながら寂しさで心が潰れそうになります。何とか予定を作るようにしますが私のメンタルの訪問看護師さんが週3回来てくれるくらいで仕事も少ししかしていないので朝は放心状態です。年金の手続
うちの主人の病気は神経難病の一種です多系統萎縮症という病気でした最初、2014年辺りから主人が職場で「〇〇さん(主人)歩いている時ふらついているよ」と言われたそうですそういえば、なんとなくそれ以外のいつもと異なることが多くなってきました下痢症だったのに便秘になったり寒がりだったのにそうでもなくなったりめまいがするとか飲み込むとき変だとか何だかわからないけれど症状が出てきましたネットで調べて(主人はそういうことはわからな
昨日、同業者の友達とても仲良しだった友達と聞きたいことがあってLINE通話したのですが「元気?」「うーん主人いなくなって元気ない」「それは仕方ないよ」これそう言われると悲しくてたまらない話がかみ合わないあんなに仲良しだったのに来週の日曜日も元仕事仲間とランチ会(私以外は男性ばかり)の予定が中止になり悪いけれどちょっとホッとしてしまいましたきっとまた私が傷つく会話になるのだろう
主人が亡くなって少し時間が経ちました独りぼっちになって4か月半くらいです独りぼっちになって午後の時間配分が上手く出来なかったのに少しずつ外出したり調整は出来るようにはなってきましただけれど朝、襲ってくるこころの痛み目を覚ました瞬間誰も隣にいないという辛さは全然慣れなくてギューッと心が痛くなったりざわざわしますこれはいつまで続くのか?不安で仕方ありませんある方は旦那さんを亡くされて2
明けましておめでとうございます新年早々、マイナスなタイトルすいません毎年なのですが、お正月はお互いの両親のところへ里帰りするのですがいつも悲しい気持ちになってしまいます。仕方ないことなのですが…皆の輪に入っていけない、一人で遊んでるアラジンを見る事がとても辛いんですパパは久しぶりに会えた甥っ子や姪っ子達と、お年玉やプレゼントをあげてとても楽しそうにしています。アラジンにもはじめは話しかけてはくれるけど、やり取りが出来ないので長時間になると独りぼっちです。時々、私も相
主人を2014年から介護しておりましたが2023年11月26日4時40分に亡くしました。まだ主人は60歳でした。1月13日に49日法要をしてきましたがとてもとても悲しくて悲しくて立ち直れそうもなく未亡人生活をどう過ごしたらいいのか?迷走中です。よろしくお願いします。
主人が他界してまだ二か月足らずで色々動くなんて無理なんだ皆様のアドバイスをお聞きして思い直しました。だって大好きな大好きな旦那様だもの。私が元気ないのは当たり前。父の他界時は葬儀時当日泣いただけでも母の他界時は3か月くらい放心状態だったチック症にもなりました。けど主人の介護が続いてあったので気が張ってました。今、独りぼっちだもの急ぐことはないとだれも急かしてないじゃん悲しいのは悲しいんだもん。辛いのは本当なんだも
子供は風邪のために服を着て、父親に言った:「わかった、お父さん、準備できたよ」彼の父親、牧師は「何のための準備ができている」と言った「お父さん、そろそろ外に出てチラシを配る時間だよ。""父は答えた。「息子よ、外はとても寒くて小雨が降っている。""子供は父親に驚いた顔をして言った、「でもお父さん、人々は雨の日でも神について知る必要がある。""父は答えた、「息子よ、この天気では外出しないよ。""必死に、子供は言った、「パパ、一人で行っていい?お願い!""彼の父親はしばらく
エドは、病院で診断された訳ではありませんが、分離不安症だと認識しています↓詳しくはこちらをどうぞhttps://www.min-petlife.com/10003去年の2月後半にエドを迎えてから、エドの問題行動により発覚した訳ですが、当時はそりゃまた相当なものでした独りぼっちに耐えられないエド私の散歩は自転車なので1匹ずついくのですが、(2匹の自転車は危険、若いのでエネルギー発散させる目的、歩き2匹だと1時間以上の為、2匹のペースが違うなど)ま、留守番の練習も兼ねてはいて、当初、エドの
今日も私は、生きています。息子が迎えに来てくれるまで生き行きます。物理的にも、本当に私の命と引き換え手もいいくらいの君。お母さんの命を差し出しても、君は受け取らないだろうね。ささやかに、主人と年老いていく。「おじいちゃん、おばあちゃん」と言われる事も無い。君の子供が見たかった。今からでも取れる資格があるあら、と学校に通っているけれどただ通っているだけ、独りぼっちの寂しい時間が何かの使命感を与えられて動いているだけ。時間が過ぎるのが早く感じるのが有り難く感じる。
今日隣の奥さんと朝バッタリ会い立ち話をしました主人が亡くなった直後は泣きながら「亡くなったんです」と告げたら寄り添ってくれて支えてくれました「これからは奥さんの人生を生きればいい」と台湾の方ですが流暢な日本語で優しいのですその時は(*・ω・)(*-ω-)(*・ω・)(*-ω-)ウンウン♪と思います今日も「ご主人はきっと天国で元気にしてるよ動けなくなって天井だけ見て辛かったんだよ」と慰めてくれるのでその時
古い桜の木に寄り添うように咲いているドウダンツツジベル型の可愛い花羨ましい……寄り添ってくれる誰かがいる人も羨ましいけど誰かに寄り添うことが出来る人も羨ましい。「優子さんの世界には優子さんしかいないんだね。」と言われてしまうほど誰かと世界を共有する能力に欠けた私なので自分が変われない限り、死ぬまで独りぼっち。
夫の会社は祝日は出勤日になっている。昨日も仕事に行った。一年前の今頃、夫は仕事と言って土曜日は毎週家にいなかった。日曜日は自分の好きな事がしたいからとほぼ毎週遊びに行っていた。若干怪しいと思いつつも仕事だという夫の言葉を信じていた。どこにも連れてってあげられない小学生の娘が不憫で2人でいろんな所へ遊びに行った。まさか女と会っているとは知らず。家族はどこにも連れて行かず不倫女が行きたい所は連れて行ってた。休日はいつも1人で買い物し
前日に退院した私です。家は幸せいっぱいです。本当に幸せ。病院は苦しかった。その苦しさが、家に帰ってきて解き放れてきた。だからこそ、体の違和感なども敏感に感じるようになってきた。退院の次の日、トイレに行ったとき、右の足の付け根に違和感を感じた。なんだろうなぁと思い、何気なく触ってみた。えっ!まさか!!!もう一度触ってみる。やっぱりある。
ネイル行ってきた爪が綺麗になるとテンション上がるよね私よりも10歳以上年下のネイリストさん歳は離れてるけど、友達がいない私には仕事以外で話せる唯一の人かもしれないとは言ってもあまり調子に乗って喋りすぎないようにしてる適度な距離感が大事だけど、それが難しいよね友達じゃないからなおさらそのネイリストさんが、ちょっとした悩みを打ち明けてくれたママ友にキツイ言葉を言われたみたい。「けっこう傷ついたんですよー!そんなこと言うなんて酷いでしょ⁉︎」と笑いながら言ってたけど、そんなこと言
ただこの一言に尽きると思う。夫がいたときはなんの波風も立つことはなかった。うまくやっていると思ってた。だけどそれは夫がいたから。夫が守ってくれてただけ。私という人間は、義実家の方々にはただの赤の他人でしかなかった。次の義実家のネタはアメンバー限定にします。身近な人が私のブログ読んでるとは思わないけど赤裸々な内容になるとどこで何が起こるかわからないのがネットの恐さなので
来年春まで一緒に暮らす事になった浮気男は、浮気発覚以降、私への悪態も無視もなくなり、呼び名も昔のようにちゃん付けに戻り、頼まれごとはすぐに応じ、積極的に手伝いなどに勤しみ、私が夜まで遊びに行っていてもなーんにも聞いてこず、とっても従順に暮らしているなんだかとってもずるいなぁと思う来年春にさようならを言い渡されないように頑張っている感じがして14年も付き合ってきただけあって、性の問題さえなければ、私達は喧嘩もほとんどせず仲が良い方だと思うでも性の問題を抱えたまま入籍は出来ないし、私もまだま
孤独感誰にも話せない誰にも理解されない世界で独りぼっちの感覚世間話やたわいもない話を出来る友達や職場の人、家族はもちろんいるでも違う私が求めているのは心から話せる相手心通うソウルメイトそして唯一無二のツインレイ誰どこにいるの理解してもらえない1人でも平気だと思ってたでも今は孤独感に押し潰される毎日泣く助けて欲しい虚無感職場や家では笑ってるけど表面上毎日なんとかやり過ごしてるいつになったら魂から幸せ感じれるのかな
会は、辞めるけど、「新・祈りのみち」の本は、読むことにする。自分が、孤独感や、寂しさに襲われて、どうしようもなくて、自分を持て余して、困った時に、読んだ。自分は独りぼっちだ、という不安。話し相手がいない寂しさ。孤立しているという焦り。のけ者にされているという恐れ。寄る辺のない心細さ---。人はもとより、独りで生まれ、独りで死んでゆく存在です。あなたが孤独を抱えているように誰もが孤独を抱いて生きているのです。そのことをまず、心
子供の頃から色白で「なんでそんなに白いの?」と言われてきた。少しソバカスがあるけど全く気にしたことなかった。46歳肌がくすんでソバカスも濃くて、いつから私の肌はこんな風になっちゃったんだろう毎日ちゃんと鏡を見てるのに気づかなかった。肌のくすみは老化?過食嘔吐の人は代謝かなにかのせいで、肌のくすみがひどくなると聞いたことがあるけどこのことなの??ソバカスも濃くて汚くなってるこれってエステではどうにもならない肌の内側から改善しなきゃいけない食生活だよねあとは睡眠とか規則正しい
エピローグ196「美しい過去」「不幸な時に幸福だった日々を思い出すほど、悲しいものはない」ダンテ北坂戸9時「ピロロン🎵📨もっちゃん着信1件」(ありがとう!返信してくれるとは思わなかっから、うれしいよ!)「‥‥‥。」3年ぶりにギャル男と会う約束をした。別れる為に…坂戸10時。「お先失礼します。(・ิω・ิ)」「ピロロン📨もっちゃん着信1件」何だろう…ポチッ📱「………。」(お疲れ様。仕事終わった?)「‥‥‥。」あれから毎日ギャル男からメールが来る