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8月18日何気なく、「InDeepさんの記事」を読んでみたところ、ビックリ仰天な記述がありました。詳しくは当該記事をお読みになってください。拙者ブログでも『世界の気候変動』をお伝えしていますが、ヨーロッパと中国は熱波と干ばつに苦しんでおりますね。西暦1540年のヨーロッパでは、『10ヵ月以上まったく雨が降らない究極的な干ばつ』を経験していたのだそうです。そして、ブログ主は「この時の日本を見てみよう~」と思いたち、室町時代の天文9年(1540年)に日本全国で発生した大飢饉を発見
ここ1・2年研究のため衣笠から西大路通沿いを歩く機会が多いため、一条通を横切ったり、通にある寺社を拝観しておりましたが、400㍍ある通をゆっくり歩いたことはありませんでした。今回は嵐電の旅の一環として、一条通を久しぶりに歩いてみました(七本松通の一つ手前の通まで)。一条妖怪ストリートその由来室町時代に描かれた絵巻(二巻)『付喪神絵巻』による。主役は暮れの煤払いで捨てられた道具たち。さんざんこき使われあげく捨てられ、人間への怨みがつのる。そこで道具た
室町無頼1,836円Amazon(あらすじ)※Amazonより応仁の乱前夜、富める者の勝手し放題でかつてなく飢える者に溢れ返った京の都。ならず者の頭目ながら骨皮道賢(ほねかわどうけん)は権力側に食い込んで市中警護役を任され、浮浪の徒・蓮田兵衛(はすだひょうえ)は、ひとり生き残った用心棒を兵法者に仕立てようとし、近江の古老に預けた。兵衛は飢民を糾合し、日本史に悪名を刻む企てを画策していた……。史実に基づく歴史巨篇。ならず者の頭目・骨皮道賢は幕府に食い込み、洛中の治安維持を任され
皆さんご存じ、浦島太郎。古くは奈良時代に記された『丹後国風土記』に掲載されており、『万葉集』にも長歌として詠まれたものが採録されています。丹後国というと日本海に面した京都府北部のあたりで、この地にはこの浦島太郎伝説にちなんだ「浦嶋神社」があります。創建は825年とのことなので、平安時代初期です。うら寂れた感じにとても雰囲気を感じる神社でした。修繕の計画があると書いてあったような記憶があります。さて、今回ご紹介するのは室町時代に作られた『御伽草子』版です。
大河ドラマ『麒麟がくる』、始まりましたねw主人公は明智光秀。光秀大河は2012年にもウワサになったことがありましたが、長い雌伏の時(?)を経て、2020年に実現。主演はウワサとは違う人になっていますが…(^^;ところで、大河ドラマ中にも何度かキーワードとして出ていましたが、光秀の出身・明智氏は「土岐氏」の流れをくむ一族です。この土岐氏って、何者だかご存知ですか…?このあたりを分かっていると、大河ドラマ『麒麟がくる』も、もう一段面白くなる(かもしれない)…と、紹介してみようと。今日は
これまで「一条家」と「二条家」を紹介してきた当ブログ。ならば次は「三条家」ではなかろうか…?となってきたので、せっかくなのでやってみようと思いますw三条家は、藤原氏閑院流の嫡流にあたる家です。閑院流とは、藤原兼家(道長の父)にとってずっとずっと下の弟・公季(きみすえ)から始まる一族。公季は道長にとって、たった10歳だけ年上の叔父さんです。紫式部大河にも出る…はず。閑院流の紹介は、普通にやると今日どころか明後日まで終わってしまうので(笑)、ざっくりやると『平清盛』にも登場し
何度かこのブログでも取り上げている、日中戦争に従軍した昭和の軍刀修理班の一員「成瀬関次」氏。彼の著作には戦地での日本刀の実用性や問題点などが多く記載されており、とても勉強になります。成瀬氏いわく、軍刀の故障は刀身3に対して外装7。刀身の故障は案外少ない。外装のうち、「柄の故障が一番多い」として、刀の柄について多く紙片を割いています。今回この記事で取り上げるのは、その中の記載の一つ「茎の短い刀」は柄の故障が多い、という点です。例えば下の写真のような刀茎が
知っていますか鶴林寺の三重塔にはチョット違う鬼瓦があることを。三重塔の屋根の四方に鬼瓦が乗せられています。お寺ではよく見かける風景ですが、よく見るとなぜか一か所だけ初層の南西側の鬼瓦に、三つの顔があるように見えます。正面は困った顔、左右は怒った顔に見え、どこから見ても睨まれているみたいです。その理由は、南西側が裏鬼門になっていて、魔よけのためではないかといわれています。寺社建築では、こうした魔よけの装置が少なくないと言われます。
~前回までのあらすじ~①丹後国で釣りをしながら両親を養っている青年、浦島太郎。ある日、一匹の亀を釣り上げたけれど、気の毒に思って海に帰してやりました。次の日、また釣りに出かけると、今度は一人の女性が小舟に乗って近づいてきました。事情を聞いてみると、大荒れの海で乗っていた舟が難破して、どうにか小舟に乗り換えて漂流してここまで来たとのこと。浦島はこの女性を故郷まで送り届けてやりました。②その名も“竜宮城”という邸は、銀の塀に囲まれ、金の屋根瓦が並び、筆舌に尽くしがたいほど豪勢なものでした。四方を
~前回のあらすじ~丹後国で釣りをしながら両親を養っている青年、浦島太郎。ある日、一匹の亀を釣り上げたけれど、気の毒に思って海に帰してやりました。次の日、また釣りに出かけると、今度は一人の女性が小舟に乗って近づいてきました。事情を聞いてみると、大荒れの海で乗っていた舟が難破して、どうにか小舟に乗り換えて漂流してここまで来たとのこと。浦島はこの女性を故郷まで送り届けてやりました。さて、船から上がって、どんな所だろうか、と思うと、銀の塀に囲まれ、金の屋根瓦を並べ、立派な門を建て、天上界の邸宅が
灰汁から作った江戸時代風手作りこんにゃくは本当に癖がなく美味でしたこのデザートは古来からある材料なのでタイムスリップして店開いたら繁盛しそう…そして織田信長とかに召し抱えられるんだあ…黒砂糖が高すぎで無理か0:00始めにトーク0:23調理開始6:20実食8:00一品目室町時代のおでんの原型9:00二品目これはもう完全な酒のつまみ13:00休憩の竹酒14:15三品目こんにゃくステーキ(おいしい定期)16:25四品目問題作?こんにゃくはデザートになり
東京都福生市より東京都青梅市に移動してきました。ここは塩船寺さんで青梅市吹上菖蒲園も近く良いお天気なので立ち寄らせていただきました。参拝させて頂き違う場所に移動します。青梅市にある宗泉寺さんに移動してこのあたりの少し高台の場所から青梅市の風景を眺めようと思います。こちらには東京都天然記念物に指定された宗泉寺のカヤの木があります。宗泉寺さんの本殿
先々月、大分県の蓮城寺に参ったRieruです『大分の神社仏閣☆蓮城寺』先月、大分県に所用で参ったRieruです独り身の空き時間を有効に使うため、豊後大野市へ足を伸ばしました。はい、以前書いた雪山に凸した日の午前中の事です。『まん…ameblo.jp般若姫の故郷…とあると同時に、般若姫のご両親が契りを結んだ場所。境内の近くにあった東屋に『飛鳥時代の大ロマン真野長者・般若姫物語』という看板に一連のストーリーが書かれていたので、そのまま書かせていただきます。はじめてわが国に仏教が伝わった
勝央町黒土〈くろつち〉と美作市上相〈かみや〉の境を東西に走る道路は、江戸時代、津山藩によって整備された出雲街道にあたります。現在、その脇で発掘調査を行なっている上相遺跡では、この道路に沿うように延びる2本の切り通しが見つかりました。この切り通しの底にはいずれも細かな砂利が敷かれており、出雲街道に先立って使われた道の跡と思われます。特に、上幅9m、深さ3.5mもある南側の切り通しは、断面がV字形をした山城の堀とよく似ていて、あるいはその技術を応用してつくられたのかも知れません。山城が築かれは
★割引クーポンはこちら★◆明日以降のご予約状況はこちら◆【問題】次の中から,室町時代の三管領にあてはまらないのはどれでしょう?【答え】山名氏です。その他のクイズへ戻る西船ボウルブログ目次へ戻る
こんにちは、教育しん研です。HP開設しましたTOP|教育しん研草加駅から徒歩5分の学習塾kyouiku-shinken.com日本史ややこしいシリーズです。やはり毎年この質問多いので書きます。借上、土倉(どそう)、酒屋の違いです。全て、高利貸、現代でいうと質屋やサラ金、消費者金融と呼ばれる業者です。アコムとかモビットとかレイクとかのあれです。本当は質屋さんが一番近い業態ですね。。。鎌倉時代に借上と呼ばれる業者が、室町になって土倉と称されました。
江戸初期、1614年、徳川幕府は南総里見八犬伝で有名な里見氏の館山藩を改易(取りつぶ)した。室町時代以来の里見氏の歴史は幕を降ろした。館山藩の廃藩後、1618年に幕府代官の手によって再検地が行われ、安房国は、以後天領、旗本領、小藩、他国の藩の飛び地領に細分化され、安房一国を治めていた旧館山藩の規模を継承する藩は現れなかった(wiki)。長い歴史の里見氏が改易されたから、即、消滅したとは考えられない。単に殿様と一家が処分されて歴史から消滅しただけでは無く、一族や家臣さらには長い歴史で結び付けられ
以前小袖風に丈・身幅共に直した着物で室町時代の庶民風着付けをしてみました😊こんなゆったりとした感じ✨本当はもっとゆったりしてたんだけと💦暑ければ上は脱いでたみたい🎶今回帯にしたのはバリの民族衣装用の帯です✨こういう感じの布でも細帯でもいいですね💕着た感想は楽ですよ~😆ゆったり身幅に直したものがまだこれしかないのですが増えていくと色んなコーディネートも楽しめますね🎶今は暑いけど秋頃にはこんな着方も楽しみたいなと思ってます😁ゆうゆと着物遊び♪でも試してもらえるよう色々
奈良市の西大寺石落神社(しゃくらくじんじゃ)には、八重桜が一本あります。それか満開です。石落神社は、隣にマンションがあり、全景を取るのはちょっと…な近さです。また、神社の由緒は、鎌倉時代に西大寺を再興した叡尊上人が、石落神=少彦名命を祭ったと伝わっているのだそうです。現存の祠は、室町時代のものです。おしまい。
「3つある一条家をそれぞれ解説しよう!」という、連続3回やらかした前企画。「一条家(五摂家)」は、なんだか二条家の解説っぽくなってしまったのですが(もちろん理由があってですよ…無駄に語ったからじゃない!と思う)これに便乗して、二条家の曖昧回避もやってしまおうかな…などと思い立ってしまった…というわけで、今日はそんなお話になります。相変わらず、どこに需要があるんだか分かりませんが(笑)、まぁ自己満足もまた、立派なストレス解消なのでねー。さっそく、wikipediaで「二
読者の皆様は、「正長の徳政一揆」という大規模な一揆をご存知ですか❓大学受験では、センター試験でも出題される、高校生にとっては標準的な歴史事項になります。正長は「しょうちょう」と読み、当時の元号のことを指します。徳政一揆は「とくせいいっき」と読み、徳政令の発布を要求する土一揆を指します。少し補足が必要です。「徳政令」についてです。徳政令は、中世(主に鎌倉時代・室町時代を指す)に行われた債権・債務の破棄を命ずる法令のことをいいます。鎌倉時代に出さ
夏の花木…芙蓉花言葉…「繊細な美」「しとやかな恋人」ピンク色は愛らしく…白花は清楚で美しい…公園でもなく他所様の庭でもなくこんな美しい花が…なんとありがたいことに路傍の片隅に咲いている室町時代から鑑賞されてきた花薩摩半島から約50k…東シナ海にある甑島に芙蓉の繊維を使用した甑島芙蓉布…があるという。ここにしかない日本唯一の布…明治初期まで作られていた布その後、途絶えた織物を復元大正10年生まれの中村悦子さんが50歳の時に13年をかけ成功した。そ