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★一番頑張ったのはNちゃん★今年は緊急事態宣言があり、お参りをお断りする口実ができました。3回忌が済むまでは、お参りして下さる方々のお気持ちを優先しようと受け入れてきましたが、私は訪問客を苦痛と感じていました。そう感じてしまうのは、長時間滞在されると、今の話し、これからの話し、そして最後には愚痴を聞かされる事になる。娘には「これから」がないのに。楽しそうに話す方の前で、悲しみを隠して笑顔で聞いている私。つらいです。ですが、娘が通った中学の担任の訪問だ
★Nちゃんは、離れていてもずーっと家族★今年の春、新社会人となった息子。就活生の頃、家を出るように勧めたのは私。出発の日、スーツケースひとつ。2度、振り返って手を振ってくれた。角を曲がるまで、その後ろ姿を見送りました。玄関の鍵を閉めた途端、涙がこみ上げ声を出して泣きました。私は子供を2人、失ったような気がしたからです。地方の企業から内定を頂き、決めたのは息子。その企業の内定式に両親も招待して頂き、遠方の為、現地で一泊。内定式の後、社内見学や懇親会もあり、安心
35年前、逆子だった子を経膣の普通分娩をしました。子宮の口をバルーン(風船)で徐々に広げて逆子ちゃんが足からスルッと出てくるという・・・分娩法。もしも危険な状態になれば帝王切開に切り替えますよ・・・と言われて初産で知識も経験もなくすでに破水しており・・・お願いしますと、了承して・・・たくさんのお医者さん、助産師さん、看護師さんに我が子の命を助けていただいた。産声を聞き、裸かんぼうの私が裸んぼうのAちゃんを抱っこしたとき生温かい、命のにおいがしました。その7か月
Aちゃんが生涯をかけて愛していたダンス。舞台に立つのも、舞台を見るのも大好きだった。この世に残された母はひょっとしてこの劇場のどこかに、娘も観に来てるんじゃないかと娘の好きそうな演目を選んで観劇している。切れのあるダンスと、迫力の声量とカーテンコールでは観客も総立ちで踊る振付があるミュージカル。なかなかええやん。むすめごのみ。カーテンコールで踊るときに手につけるサイリウムという発光しているわっかを入り口でもらった。入場者一人に一つ。荷物を預けたコインロッカーの足元に
僕の前で泣かないでくださいという夫。わかったよ・・あんたの前では泣かない・・・(怒)たまらなく泣きたくなったときは、娘の写真と一緒にプチ家出することにしている。お伊勢さんの空気に触れたくて、鳥羽の海が見たくて、ひとり温泉旅してきた。いつもツインの部屋を予約する。私よりも背の高かった娘、二人でくっついて寝たらもう窮屈だろうから。胸に抱いた写真に話しかけて、思い切り泣いて独り言ぶつぶつつぶやいて・・・翌朝,檜の壺湯につかっているとひらりひらりととんぼがやってきて壺湯の
★14歳の娘さんを脳腫瘍でなくされたお母さん★Nちゃんにずっと伝えたい言葉があります。それは「ごめんね」です。4月に入りNちゃんの命日までの日々を思い出して、毎日がしんどいと感じていました。夫と、Nちゃんの元気な頃や闘病中の話になった時、夫しか知らないNちゃんの様子、私しか知らないNちゃんの様子を、お互い知る機会になりました。「逢いたいねぇ」と言う私に夫は「謝りたいなぁ」と言います。私は、ハッとしました。夫も同じ思いでいたのだと…
★絵本を作ったお母さん★「愛(めぐみ)が生きた証を残したい!」当時の私は愛を亡くした失望感を抱きつつも、1つ上の兄(小学5年生)や双子の片割れ(小学4年生)が通う学校や友人達との関係を切り離すことは出来ない状況でしたので(PTAの仕事をしていたので尚更)迷いつつも読み聞かせボランティアを立ち上げるに際して、私も参加することになりました。そこで色々な絵本に触れる機会、それを食い入るように聞いてくれる子供たちを目の当たりにする機会ができました。そこから、た
あの日、火葬場で、骨になったらあかん!!と泣き叫んで夫に取り押さえられた。私をこの世に引き留める者、物、何もない。後を追いたいという私に夫が言った『わかった。そうしよう。ただ、きっちりとAちゃんの供養して天国にたどり着いたとわかってからにしよう。』そうだ・・・Aちゃんが天国にたどり着けるように、供養をしなければ・・・供養というもの、いつまで続くんだろう。3回忌までだろうか。それならあと2年、生きないといけない。そこから先、自分がどんな生活してるかなんてましてや6年先
★14歳の女の子のママです★4月(2019年)、娘の三回忌を終えました。我が家のいたるところに、娘の存在を現す物がたくさんあります。今でも私を呼ぶ声が聞こえるのに、どこにも娘の姿が見えません。いつも私のそばにいた娘と、以前と変わらず一緒にいると感じることのできるもの、それは小さな額の中で笑っている娘の写真です。私が仕事に行くとき以外は、必ず一緒に出掛けます。外食するときは、テーブルの上に写真を置いて食事は私と半分こ。一度だけお店の方が、そっと娘の分のお皿を持ってき
朝目が覚めても動くこともできず着替えるのも億劫だった。今になってわかるが、抜け殻になって引きこもっている妻が心配だったんだろう。夫が、週に一回おいしいものを食べに行こうと言い出した。出かけるために着替えて、化粧をする。食欲ないのに、無理して食べる。そうやって始まった、週一の外食の日も6年目に突入。私の誕生日が近かった先日、レストランにネット予約した際に『利用目的』の欄があったので、「誕生日」と記入してみた。そう書けば、にぎやかなグループや幸せいっぱいの家族連れから離れた
息子は、高校2年の時に、首つりの未遂をおこしています。なんでかわかりませんでした。たまたま、父が、裏山に朝早く行き、ロープを見つけました。頭が痛いからやすむとやすんでました。もう少し遅れてたら、亡くなってました。理由は、絶対言いませんでした。高校のアンケートもいじめはないと。何回か話し合いをしました。むすこは、泣いて普通科の高校いきたくないと。
23才で、いってしまったむすこ。電話かけたら、女の人が出て、違いますと。ラインを、書き続けても、返事なく。ライン電話かけても、応答なし。ずっと、消さずにまってる。返事が、くるのを。優しくてありがとうをよく言ういい子