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事後から7年めの年末…大掃除、それまで行き届かなかった場所にも手を伸ばせる気力が湧いてきたのは良いのですが、リビングの片隅にある引き出しのポーチから、有ちゃんの診察券がごっそり保管されていたのが出てきました。小児科、耳鼻科、眼科、整形外科、歯科、皮膚科………通院歴のある病院の診察券たちです。一枚一枚めくって見ていると、その当時のことが妙なリアリティを持って思い出されます。「ああ…あの子、ちゃんと此の世に生まれてきて家に居たんだよね」、「あの時の通院は長引いたよね、一緒に通っ
娘へ自殺した娘へもしママへの抗議の自殺ならママは、受け取るよでも、ママは、二度と卑怯な事はしないどんなに辛くても自殺なんてしないから貴女が死んで明日で2ヶ月言うよ親だから言うよ心の寿命だった理由はねそう思ってあげるでも、そんな弱い子にママは育てたつもりないからママは、貴女に会いになんてあっちに行かないからママに会いたければ貴女が探して来なさい分かった?ママは、今日からこの世でいっぱい戦うよ戦うから見てなさいそして誰の所でもいい今度産まれ変
春がくる。何度も何度も経験してきた春なのに。今回の春はまるではじめましてのよう。外に出ることが怖い今。窓ガラスの向こうはまるで異世界だ。車で少し行った場所に産直市場がある。野菜も新鮮だし地元のパン屋さんやお菓子屋さんの商品もあって。そしてなにより、花や植物がとても豊富に置いてある。時々、夫と二人でそこに行く。短いドライブ。短い異世界への旅だ。桜の枝が束になって売られていて。思わず手に取った。花はそんなに好きな方ではないけれど、華やかな生命力と芳香についつい誘わ
授業中、学校敷地内での飛び降り自死。第一発見者は学校見回り職員の方。*その日は冬休み明けの健康診断があり、着替えが終わった順に生徒たちは自分のクラスに戻ることになっていました。が、クラスに戻って来ない生徒が1名、それが我が子でした。机の上に残されていた『いしょ』を生徒たちが発見して、担任をはじめその日学校に来ていたPTAの方々や見回り職員さんたちで校内を探し始めたらしいです。すると三階の渡り廊下に、上履きシューズがきちんと揃えて脱いであるのが見つかったそうで、そ
産まれてからも、娘は検査なども特に問題なくクリア。おっぱいを飲むのがヘタでなかなか体重が増えないところ以外は特に問題なく退院の日を迎えました。生後5日2700グラムで産まれた娘は生理的体重減少で2300グラムまで体重が減り生後5日目に、退院できるラインの2500グラムまでギリギリ増えてなんとか退院できました体重の増え方がゆっくりなので、お家に一緒に帰ってからも必ず3時間おきの授乳。でも本当によく寝る赤ちゃんでこちらが起こさない限りは、3時間で自分から起きてくることは珍
リサがのこしてくれてた車。今はおかちゃんが仕事に使わせてもらってるよ。ありがとう。鍵のぬい、可愛いね。
2024年の1月12日で、まる7年経ちました。あの日の朝。私:「行ってらっしゃい」有希:「うん」私:「あ、気を付けて」有希:「…うん…」冬のオーバーコートを羽織って学校へ行くいつも通りの姿。随分と気をつけて行った(言った、逝ってしまった)ものだなぁと、思い起こしていました。周りの誰にも気づかれないように。目には見えないけれど、体の一部、こころの中で進行していった“思い詰め”。どうしようもないくらい重たく苦しくなってしまっ
アロハ帰国した。実家には親戚が集まっていた。みんな黒い服を着てる。妹が死んだ?葬式?夢を見てるのだ。そんなわけない。妹なのだ。妹が姉の自分より先に死ぬわけない。順番が違う。これは夢なのだ。悪夢をみているだけ。目が覚めたら元通りになる。何もかもがふわふわと、スローモーションのように流れていく。息子の結婚式に帰ったのだ。こんな事があるはずない。小説やテレビの世界じゃあるまいし、現実に、自分の人生にこんな事が起こるわけない。43才だった妹。遺影。この後何年も、見
毎年、今の時期になると思いますが。娘と過ごした最後の3月は一日、一日がシアワセで。平々凡々、他愛もないことばかりでしたが、あんなシアワセな時間はもうやってこない。わかってますが・・・わかってますけどね。先日、主人が思い出したように夢の話をし出して。娘と一緒にランチへ行ったそう。ヨーロッパのフツウのレストラン、テーブルに着いてメニューを見たら、一皿1000ユーロレベルばかりでびっくり。2人で、どーする、どーするってなったそう。そこへサラリーマンたちがやってきて、フツウにオーダー
娘はもう居ないあの時私が高校生の時あのまま死んでたら娘は、私以外の夫婦で産まれたのかなそしたら、幸せになってたかな最近そんな事を考える不幸の原点は私?って考える自殺スイッチ··········一旦入ると誰にも止められない分かってる·····娘もきっと私と同じだったんだ出口のない迷路に入った娘だから私が何もできなかった自分に苛立ってるんだ私が、2度も死に損なってそして、娘が死んだ事その理由が分からなくて私から娘を奪ったそのきっかけが許せない娘のスイッチ
神様に心深くお祈りしたいことがありお百度参りではないけれど時間を見つけて娘のお気に入りの神社⛩に詣っています。年明けから、ザワザワしてどうしようもない心を神様の近くに伺って落ち着かせたいのもあります。こちらの神様は水を司り五穀豊穣を願う神様戦国武将も必勝祈願した武運の神様でもいらっしゃいます。水のように柔らかさと、それとは逆の強い意志両方を持った娘でしたからあの子がこの神社にあんなに惹かれたのは自然なことかもしれないとこの頃思うのです。先週お詣りした時白鳩に遭遇
娘がいなくなってしまってから2週間くらい後から、寝ていると娘の泣き声や、言葉が聞こえるようになりました。辛い気持ち聞いて欲しいのだろうなと軽く考えていました。それは毎日のように続き、眠れない日々で私の頭の中はぐちゃぐちゃで。これは娘のふりをした悪霊だと思うようになり命狙われると思うようになりました。これは娘じゃない、乗っ取られていると泣き叫び、たくさん酒飲んでやっと眠ることができました。主人が「病院行こう」。少し眠れたら、自分がおかしくなってるのに気付きました。統合失調症。大変な病
2024年3月吉日、実家に預けっぱなしだった雛人形を箱から出しました。やっと飾ってあげることが出来ました。最後に飾って片付けた後、箱に仕舞ったのはアルツハイマー型認知症に罹患する前の母。有ちゃんが還って逝った3年後に母も老衰で彼の世へ逝きましたから、なんと12年間は箱詰めにされて押し入れの奥に仕舞われていたわけです。防腐剤やカビ・着物の虫よけ剤に記入された日付は、2012年3月となっていました。保存状態、バッチリンコでしょう?おっかなびっくり開封し
平成31年2月23日14時頃同棲中の彼氏のアパートでドアノブに、コタツのコードを結び首を掛けて旅立った娘は··········中学生の頃から非行に走った家出、不登校、児童相談所に、お世話にもなること3回最後は、家に帰りたくないと言って私の元から、元夫の所に行った娘私が嫌いなのかーと思って娘が良く慣れはと思い、夫に預けた私からは、連絡しなかった寂しかった、でも心鬼にして我慢した高校も合格した(元夫から)事で少し安心してた家から離れて3ヶ月目に娘から初めて電話が来た
18日は娘の日でした娘に会えなくなって10ヶ月今月はお盆もあり娘の場所はお花やお菓子でいっぱいです娘を想い、娘の好きな物でいっぱいに喜ぶ顔が見たい、声が聴きたい、話しがしたい娘に触れたい、、、どんなに触れたくても抱きしめたくてももうそれは叶わない事、わかってる娘がお空に還った日のこと、姿が蘇り辛くて苦しくて気が狂いそうなあの時の感情がこみ上げる私も一緒に娘のいく場所へと飛び込みたかった私の大切な娘、離したくなかった娘は今、何を想っているんだろうこんな予想もできない出来事
24日、日曜日、朝9時過ぎ1本の見知らぬ番号の電話不吉な予感で、電話を取る見知らぬ男性から「〇〇ちゃんのお母さんですか?」泣いてる男性また家出して居なくなったのかなーって思った私「昨日、〇〇ちゃんが死にました」「は?」「アパートで首を吊って」「何があったん?」「分かりません」最初に思った事(あーーやったんだ、馬鹿が)その後は、息子を呼んで、母を呼んで·····元夫に連絡して良く覚えてない警察に連絡して場所確認して会社の事頼んで葬儀社調べて、連絡して早
最近ずーっと娘に逢えずとっても寂しかった休日は目が覚めても逢いたいと願いながら何度も寝てしまうそれでも逢えなくて、、昨日はそんな寂しさもMAXになり仕事中も娘の事で頭いっぱい堪えても涙が溢れてきてしまいどうしていないんだろう寂しいよ、逢いたいよどうにかなってしまいたい、、、そんな事ばかり考えてた1日寝つき悪く何度も目が覚めてウトウト、、そんな中、娘が久しぶりに夢に現れてくれました夢の備忘録です娘はお気に入りの薄紫のフワフワセーター姿私はソファの下に座っています娘
今日は仕事がお休みで最近仕事がバタバタしているので家でのんびりさっきウトウトとうたた寝をしてしまいましたすると娘が、、、娘が横になって泣いている私も夢だと分かりながら横になって娘を抱きしめて逢えて嬉しくて泣いた私は抱きしめながら泣いてる娘に「どうして泣いてるの?」と娘の顔を見た娘は答えないけど、、、その表情で娘も私に逢えて嬉しいんだとやっぱり娘も淋しいんだと悟ったぎゅっと抱きしめて、、、すると娘が何か言ったもう一度聞くと「ママ、血圧の病院行かなくちゃね」こんな時
眠れない日々
遺体引き取りは、医師の検案書が必要翌日病院に·····葬儀社と連絡·····遺体引き取り·····棺の中の娘顔も(口)整えてもらって安らかな表情カバンから赤目の口紅を取り出して娘へ紅を引くいつもの〇〇の顔や母も、元夫も呟く·····花を入れるすぐに出棺·················ゆっくり娘と·····娘の体と向き合えないまま時間に追われるように火葬場へ車で食事空を見上げた今年1番の暖かい日だった途中手芸店で布を買った白い遺骨の入れ物をピンク
娘に逢えない日々を数えてもずーーっと増えていくだけ虚しい、、、あと何日我慢すれば逢える??娘に逢える日までのカウントダウン知りたいな18日、9回目の月命日朝からどうしても最期の姿が目に浮かび起き上がる気力もわきませんこのまま食べず飲まず眠っていられたら何日で娘に逢えるのだろう、、なんて馬鹿なこと考えてみたり×××娘に逢いたくて逢いたくてたまりません先日ふと見たテレビで紹介されたケーキ屋さん外観が見た事あるような、ないような??ハッと気付きました娘のスマホに保存され
サインのお話、初めて知りました。私にも娘はサイン送ってくれるかなぁ…悩んでる時に相談のってあげられなかったからな。いつかサインくれる日まで頑張って生きよう。。
昨年、初めて娘のいない丸1年を過ごしました。そしてまた娘のいない1年が始まりました。何もめでたくない、おめでとうと声を掛けられてもスルー、今年もよろしくとだけ挨拶してます。次女を連れて実家に挨拶。そこへ妹家族も集まりおじいちゃんおばあちゃんからお年玉をもらい喜ぶ次女&甥っ子。娘、甥っ子、次女とちょうど1歳ずつ違うので甥っ子は20歳、成人式。いつの間にかお酒も飲めるようになっていました。娘だって、娘だって…。何でいないんだろう。娘も一緒に実家に連れて行く気持ちで来たけど、やっぱり姿が
先日娘のために自分の姉妹や甥っ子姪っ子みんなで集まってくれました。それまで連絡全然してない10年でした。久しぶりに笑ったりみんなでないたりして。帰ったあとはしょんぼりしたけど。その後自分も含めて6人発熱咳が出て、え!コロナかなと思ったけど全員陰性でした。怒っちゃったかな…。今日も眠れそうにないなぁ。ごめんね、理裟
娘とよく行ってたアーティストのライブがチケット取れそうで。飲んでたノリで申し込んでしまったけどやっぱり辛くなりそうでキャンセルしてしまいました。一緒について行ってみたかったかな、2人でめっちゃハマってたライブこれから1人かと思うとキツイ💦もっと一緒に楽しみたかったなぁ。
夢でやっと娘に逢えたこれは忘れたくない備忘録です2階の廊下に娘と次女がいて娘はショートカットの小学生くらいの頃の姿私は何の気なしに娘に話しかける「○○〜、、、」ここでハッと娘に逢えた事に気づくすぐに娘を抱きしめて「逢いたかった、ずっと逢いたかった、元気でいるの?」娘は「うん」ずっとぎゅーっと抱きしめていたから娘の表情を見ることができなかったけど…。やっぱり笑顔ではなかったかなぎゅーっと抱きしめながら私は「ありがとう、来てくれてありがとう」と娘に伝え、ずっと離したくな
4月末から体調崩しメンタルも不安定で毎日日課だったこちらのブログを読む事もなかなかできない日が続いていました。GWも娘の事を想いながら家で過ごす、、、ニュースではコロナ前の活気を取り戻したかのような行楽地の賑わい娘といろんな場所へ旅行に行こうと約束していました。こんな事になるのならコロナ禍だろうが行ってしまえばよかった、、見せてあげたい景色もいっぱいいっぱいありました。娘に会えなくなって8ヶ月もう二度と家族4人で食卓を囲むことはできない楽しい食事の時間も今は静かです。(次女とも食
長らくブログを書くことが出来ずにいました。ブログを書き始めてもいろいろな想いが入り乱れうまくまとまらず途中で終わる、、下書き保存のままのブログがたまっています。。9月は娘の祥月命日でした。祥月命日が近づくにつれて鮮明に蘇る1年前の日々の出来事、、、何故か時系列を追うように忘れていた医者や看護師と交わした会話まで蘇りました。仕事する気力もなくなり休みをもらい、家で過ごす日々娘を喪った直後のように死について深く深く考える日が続いたように思います娘に逢いたくてたまらない娘は今どこにい
先日、今年初の弟4のお嫁ちゃんとのお喋り。なんらかんら3時間以上は話していたわたしたち。元旦の京都での出来事やわたしの実家のこと。なぜか娘が小学生の時の話にもなって。あとコロナウィルスに感染した時のこととかね。2人で絶対に某国が作った人工菌だよねと((´∀`))。初めて聞きましたが、お嫁ちゃんの勤め先のクリニックでは看護師が防護服を着て検査をやっていて、症状が重度の人はすぐに対応できる病院へ搬送しつつも途中で亡くなったり、搬送先で亡くなったりってことがあったそうです。日々、防護服を
ご無沙汰しています。随分とブログを投稿できずにいました。、、というよりも書いても最後まで書ききれず下書きのままになっているのがたくさん溜まっています。。(その時の思いや出来事も少しずつ投稿できたら、、と思います)最近は娘のいない辛い現実に蓋をして過ごす事が上手くなりました。日中は職場の事だけを考えて過ごし同僚と笑い合ったり暇な時間ができるとスマホゲームに集中したり、、、娘の事を考える隙を与えない位他の事を頭に詰め込んで、現実逃避しています。仕事帰りや夜1人になるとその分悲しみが押し寄せてき