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直感なんだけど、いま自分に必要な書が分かったから、早速注文した!まずは、【貞観政要】。貞観政要は、光るの君への大河ドラマにでている一条天皇が愛読していた書。中国の唐の時代に仁政を敷いた、皇帝・太宗の言行録。現代まで読み継がれる帝王学の指南書。御成敗式目を制定した北条泰時や、徳川家康、明治天皇など、乱世を鎮めた日本のリーダーが愛読して、指針とした稀代の良書や!続いて、【神明鏡】。南北朝時代にかかれた年代記。特に玉藻前の九尾の狐伝説を中心に書かれた書。なんで、この本を読
北向山不動院さんの御開帳は年1回の1月16日です。お不動さま巡りを始めた頃から1月16日には北向不動さまへ!!と、決めていたのですがコロナ禍も相まってなかなか訪れることができず。。。この日は義母の3ヶ月に1度の通院アテンドが重なり絶望視していたのですが・・・お昼からの柴燈護摩供を諦めて御開帳のみでも!と訪れることを決心しました。(1日の運転時間が半端ない💧)本当に無理をしてでも参拝できて良かったです車を近隣Pに駐車して山門にたどり着い
ようやく第十六服が書き終わりました。第十五服を書き終えたら全部見直そうと思っていたんですが、やはり続きを書きたくなってしまって(笑)第十六服は元々利休の祖父・道悦が得度する話の予定でしたが、その前の柳本賢治のエピソードに字数を取られてしまったため、分割し、第十六服を柳本賢治のエピソード、第十七服を京都の茶会の話と得度のエピソードとすることにしました。7000字って乗ってるときはあっという間に終わってしまうんですよね。第十七服も、3000字以上書き終わってますので
一旦3時に目覚め、今朝起きたの8時ちょっち前や。ザ・ポインターシスターズのアルバム「ザッツ・ア・プレンティ」をレコードで聴いた。朝食は山形産つや姫でご飯炊き、くめ納豆、梅干しでご飯一膳半。デザートは愛媛産みかん2個。大坂昌彦→原大力→奥平真吾→本田珠也→岩瀬立飛→鈴木麻緒と、これ迄ライブ聴いとるドラマーをユーチューブで聴いた。モン・ズーイーが主演で、シュー・ジェンシーが相手務める「花令嬢の華麗なる計画」第一話をユーチューブで見た。昼食は浅草「Rrestaurant&bar」へ行っ
平家物語Amazon(アマゾン)琵琶法師の物哀しいイメージがある平家物語。平氏の栄枯盛衰と朝廷の勢力争い。朝廷の争いは、どちらかというと恋の恨みのようで…。政の蚊帳の外に置かれていても、皇位に対する執着はあり、その優先性は親子の確執にも繋がっていて。親子の確執は、産みの母の出自にも関わっていて、見目麗しければ権力者の目に留まり国母となることも…。清盛と時子夫婦の間にも隙間風が吹き荒れていますが、娘を入内させるという目的によって時子が清盛と協力し合うさまは、耐え忍んでも正
安楽寿院(あんらくじゅいん)は保延三年(1137年)に鳥羽離宮の東殿に鳥羽上皇が、仏殿を建立し、覺法法親王(かくほうほっしんのう)を導師に落慶したことにはじまる。保延五年(1139年)に、本御塔(ほんみとう)と呼ばれる三重塔が建立され、続いて九体阿弥陀堂、焔魔堂、不動堂、等が建てられた。その後、保元元年(1156年)に、鳥羽法皇(上皇)が安楽寿院御所崩御され、本御塔(三重塔)に葬られた。また、境内に隣接して、鳥羽天皇安楽寿院陵および近衛天皇安楽寿院南陵の天皇御陵ある。*鳥羽離宮は、白河天皇
前回まではこちら⬇️目次我に任せろ!私は源為朝(みなもとのためとも)の孫、里子(さとこ)です。「我は八郎(はちろう)だ!」八郎は東国から帰京した兄、源義朝(みなもとのよしとも)を睨みつけていました。義朝さんは為義(ためよし)さんの長男なんだよね義朝「ほぉ、お前が八郎か。我がお前の1番上の兄、義朝だ。」八郎「1番、ならば我と勝負せえ!」義朝「勝負?我と勝負して勝てると思っているのか?はははっ(笑)」為義「八郎、義朝は強いぞ!」八郎「やってみねばわかるまい!」義朝は木刀を2本
【食育クイズ:Vol.1484】「京都府」の「74代天皇后、待賢門院」おさらいクイズ!「浄土式庭園」と「青女の滝」が造立された寺院とは?↓↓↓↓↓↓問題は下記から↓↓↓↓↓↓∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞コッチラボ国産大豆100%大豆ミートプレミアムソイミンチ粗挽き鶏ミンチ風サラダ・スープに大容量サイズ1kgAmazon(アマゾン)大豆コーヒードリップパックAmazon(アマゾン)∞∞∞∞∞
令和5年11月12日(日)法楽寺から大念佛寺へ向かう。09:13法楽寺を出発↓地下鉄谷町線田辺駅へ向かう。09:23地下鉄谷町線田辺駅↓09:28地下鉄谷町線平野駅↓徒歩09:42大念佛寺に到着大念佛寺は大阪市平野区にある融通念仏宗の総本山の寺院。山号は大源山。本尊は十一尊天徳如来(絵像)である。創建は1227年とされ、日本最初の念仏道場である。また、「十一尊天徳如来」とは融通念仏宗特有の呼称で、阿弥陀如来と十菩薩の絵像をさす。《大念佛寺》本堂が改修工事中。
「百寺巡礼」の第146番は安楽寿院です。安楽寿院は京都市伏見区にある真言宗智山派の寺院で、1137年に鳥羽上皇の発願により、鳥羽離宮の東殿の御堂として建立されました。1139年に鳥羽上皇の生前墓として本御塔の三重塔が建立され、1163年には新御塔に近衛天皇が埋葬されました。この鳥羽離宮は、かつて伏見・宇治付近一帯にあった巨椋池の北側の畔に、1086年白河天皇が退位後の仙洞御所として造営を始めたもので、東西1.5km、南北1kmの範囲に御所、庭園、仏堂などが営ま
前回まではこちら⬇️目次我に任せろ!私は源為朝(みなもとのためとも)の孫、里子(さとこ)です。14歳で源氏(げんじ)の棟梁となり、左衛門少尉に任じられた源為義(みなもとのためよし)。源為義源氏と言っても源頼信(みなもとのよりのぶ)、頼義(よりよし)、義家(よしいえ)の流れの河内源氏なんだよね為義は白河法皇(しらかわほうおう)様から検非違使(けびいし)に任命され、即位したばかりの鳥羽天皇(とばてんのう)様の警備をしたり、寺社の強訴からの防衛をしたりと院を守護する武力として期待されてい
こんにちはあやかしようこと申します妖怪ゆかりの場所を訪ね歩くあやかし旅をしております今回は栃木県は那須湯本にあります九尾の狐伝説で有名な殺生石へ行ってまいりました九尾の狐といえば、九本の尾を持つ妖狐の最高位、絶世の美女に化けその美貌と博識で時の権力者をたぶらかし権力を欲しいままにします。紀元前11世紀殷の時代、妲己とういう名で紂王を骨抜きにしますが、炭火の上に油を塗った胴の柱を橋の
これは日本の三大怨霊の一人、崇徳上皇のホロスコープ。表向き父親は鳥羽上皇だが本当の父親は崇徳上皇の曾祖父にあたる白河法皇。父親に嫌われ、騙され、実権を握れず、退位してからは院政を敷くでもなく宙ぶらりんな立場に置かれ、終いには弟と争い、負けて島流しに。讃岐に流された後は仏教に帰依し、3年かけ写経した大乗経を奉納してもらおうと後白河上皇に頼むも拒否されそのまま送り返される始末。崇徳上皇はそれに激怒し👺大乗経に血で呪いの言葉を書き海に投げ込む。崇徳上皇の死後、
今こうして2週間前の和歌山旅行のことを細かく思い出しながら、根来寺様について間違いがないようによくよく調べながら心ゆくまでゆっくりと少しずつブログに書いていると、なんて自分は幸運なんだろうと、我が身の幸せと有り難いお導きに打ち震えるような思いです。心に移りゆくよしなしごとを徒然なるままにそこはかとなく書きつくれば、うたかたのように消えてゆく日々の記憶が私の指を通して繋ぎ留められ、後でスマホを開くとそれはまるで貴重な宝石のようにキラキラと輝きを放って、
翠邑日誌Suiyu’sDiary榎本翠邑元書法展会員、元太玄会会員、元瑞雲会評議員同人、元全国書道師範連盟会員、元東京書道教育会会員、英国ではブルネル大学ギャラリー、アルバートホール等での展示、英国BBCテレビ「天皇」等があり、また「俳画」・「水墨」・「書」・「花」等の書の担当での出版物があります。東京生まれ。6月百人一首77崇徳院崇徳院77番瀬を早(はや)み岩にせかるる滝川(たきがは)のわれても末(すゑ)に
というわけで、Will-BeStation「歴史のお話」で、“殺生石”を取り上げた時の録画、改めて御覧下さい!↓↓↓↓↓https://youtu.be/Mg0WXdxc-yE歴史のお話~第133回「殺生石」~主演文化歴史学者KickMizukoshi文化歴史学者KickMizukoshiと歴史好き、シンガーソングライターのLife-Likeマスダアツシ、が教科書に載っていないマニアックな歴史お話番組ゲストに毎回、夜想会の新撰組ガールズの宇塚彩子さんを迎えて、まったり歴
令和4年3/5に割れてしまった殺生石にまつわる伝説。鳥羽上皇の院宣により編成された、九尾の狐討伐軍。その顔ぶれは…三浦義明↓↑傍らには、息子の三浦義澄の姿も。千葉常胤↓平“上総介”広常↓この三将に加えて、軍師として、陰陽師・安倍泰成。その名が示すように、三将は関東の三浦半島と房総半島を本拠地とする武士団の頭である。彼らは、早速、北関東・那須野へと進軍。那須野で九尾の狐と交戦したのだが、九尾の狐の使う妖術の前に敗退してしまう。しかし、その敗戦から学ぶ物が有ったよ
令和4年3/5に割れてしまった殺生石にまつわる伝説。古代インドの十六大国の1つ、マガダ国から逃げ去った九尾の狐だが、それから約1000年の時を経て、また姿を現す。AD735年頃、吉備真備の遣唐使船に、若藻という名の少女が乗り込み、日本に渡って来たという。どうやらこの若藻こそが、九尾の狐だったようなのだが、それから暫く目立った動きは無かったらしい。しかし、それから400年程経て、鳥羽上皇の女官として現れたのは、先のブログ記事にも書いたとおりである。陰陽師・安倍泰成に正体を見破られ、宮
栃木県・那須温泉の北方に、“殺生石”と呼ばれる石が在る。令和4年3/5に割れてしまった、その殺生石にまつわる伝説を。平安時代後期、鳥羽上皇の時代。(天皇としての在位は、1107年〜1123年。その後、1142年まで上皇。出家して1156年まで法皇。)子の無い夫婦に育てられた藻女(みくずめ)という娘が18才で宮中に出仕し、やがて、鳥羽上皇に仕える女官となり、玉藻前(たまものまえ)と呼ばれるようになったという。玉藻前は、その美貌と博識によって鳥羽上皇の寵愛を受けるようになったのだが…
鎮宅霊符神社大和国添上郡奈良市陰陽町5(P無し)■祭神天之御中主神陰陽師鎮守の祭壇となる社。奈良市「陰陽町」に建てられています。◎「奈良坊目拙解」(村井古道、享保十五年、1730年)によると、境内の南側を東西に走る社前道は、元興寺西大門の門前通りであり、かつての四条大路であるとのこと。また「平城坊目考」(久世宵瑞、1600~1700年頃)には、天正年地子帳に陰陽町という地名が載っていないことから、天正以降にこのような町並みになったとのこと(以上Wikiより)。当地には陰陽寮があっ
昨日、インターネットTV“Will-BeStation”から生放送させて頂いた『歴史のお話』“殺生石”、御覧頂き、ありがとうございました。今なお、有毒ガスによって、小動物の命を奪う事もあるという殺生石。その前身である“九尾の狐”と戦ったのは、“鎌倉殿の13人”にも出て来たあの人達の若かりし頃!見逃したというアナタ!こちらから、録画を御覧下さい!↓↓↓https://youtu.be/Mg0WXdxc-yE歴史のお話~第133回「殺生石」~主演文化歴史学者Kic
本日、12/19(月)PM8:00~インターネットTV“Will-BeStation”より、『歴史のお話』“殺生石”生放送!平安時代末期、大陸から日本に来た“妖怪”を退治したのは、“鎌倉殿の13人”にも出て来たあの人達の若き頃??是非、御覧下さい!☆生放送開始と同時に、URLをお知らせ致します。↓↓↓↓↓https://youtu.be/bw9q249VLSI歴史のお話~第133回「殺生石」~主演文化歴史学者KickMizukoshi文化歴史学者Kick
明日、12/19(月)PM8:00~インターネットTV“Will-BeStation”より、『歴史のお話』“殺生石”生放送!平安時代末期、大陸から日本に来た“妖怪”を退治したのは、“鎌倉殿の13人”にも出て来たあの人達の若き頃??是非、御覧下さい!※YouTubeライブでお届け致します。YouTubeで、“Will-BeStation”をチャンネル登録しておけば、生放送開始と同時にお知らせが届きますよっ!▼因みにこちら、前回放送の、『霜月騒動』の録画です。
◎平家歴史探訪忠盛塚(三重県津市)に行ってきました平忠盛(清盛の父)が産まれた時の胞衣を埋めた塚と伝わる場所だそうです。忠盛は、白河法皇、鳥羽上皇に仕え、武士で初めて昇殿を許された人。子の清盛が太政大臣に昇り詰める足がかりを作ったと言ってもいいですね。平家はもともと伊勢平氏なのですが、忠盛が伊勢生まれというのは初めて知りました。忠盛が産湯を使ったといわれる池もあります。
…と云う悲運を味わったのは、「【86】崇徳天皇」である。崇徳上皇派と後白河天皇派が対立し、保元の乱が勃発。敗れた上皇は、配流先の讃岐で憤死し災いをなしたと云う。崩御後、陰謀や災害が続き、やがて平治の乱が起こり乱世となる。
白河上皇、鳥羽上皇、後白河上皇による政治が行われていた「院政期」。時代小説やドラマでは、世が乱れた暗黒時代として描かれることが多いです。10年前の大河ドラマ「平清盛」でも、えらく暗い画面で白河法皇はじめとした各院が暗躍しているシーンが印象的でしたし、地方では悪党やら海賊やらが暴れて世の中が乱れている雰囲気が演出されていました。暗がりの中で、ひたすらすごろくのサイコロを転がしている光景も、繰り返し映し出されていました。
2022年3月5日頃、栃木県那須町の那須岳に祀られていた「九尾の狐」に由来する「殺生石」(国の名勝)が真っ二つに割れた。割れた日時は定かではないものの、5日に観光客がツイッターで画像を投稿したことで発覚した。数年前から、ひびが確認されていたことから自然に割れた可能性が高いと思われる。この出来事はメディアが取りあげ、SNSでも話題を集めた。一部の海外のメディアも殺生石に纒わる伝説を紹介しながら報じた。殺生石は那須岳の標高850メートル付近の斜面に鎮座しており、高さ約2メートルで横幅は不明だと
日本三景松島「雄島」の板碑に注目!霊場・聖地「雄島」の姿平和を願う!日本三景松島の「雄島」は有名ですが、知らないことが多いのでは・・・。本日は、「板碑」についてブログを書きます。先日、瑞巌寺学芸員の新野一浩氏の面白い話を聞きましたので、紹介します。新野氏の「雄島の
先日、栃木県那須町にある殺生石が割れたというニュースが流れていました。九尾伝説の「殺生石」割れる「一大事」「何かのたたりか」話題沸騰:朝日新聞デジタル妖怪「九尾(きゅうび)の狐(きつね)」の伝説が言い伝えられる栃木県那須町の国指定名勝史跡「殺生石(せっしょうせき)」が二つに割れた。石に姿を変えた九尾の悪行が封じられ、その石が那須から全国に散ったと…www.asahi.com実は、このニュースはとても深い意味が含まれているようですので、今回ご紹介したいと思います。殺生石につい
國照彦皇子です。こんにちは、御存じの方も多い思いますが玉藻前が復活を遂げたようですね。光と闇の力が結集しようとするときには邪の力も結集してきますね。少し、玉藻前とよばれる存在を描いてみます。近衛天皇の御代鳥羽上皇の御所に、一人の美女が姿を現します。白雪のように清らかな肌紅をひかずとも赤く潤う唇その艶やかで美しい姿は言葉にできない程であったとあります。鳥羽上皇の寵愛が厚く、