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2012年12月17日(月)駕籠の屋根を張替えしました
前回の続きから「台所」、岡山弁で表すと「でぇ~どころ」(^-^)ここから外に出、別棟移動になります。順路どおりに進みます。本陣展示蔵:前出の掛け軸はここに展示されてたものを先行して出しました。他にこれといって目ぼしいものが…(・・;)写真奥に馬の鞍が見切れているのですが、展示物の駕籠ここからチコッと酒蔵らしくなってきます、絞り場だって。m(__)mサンドイッチに挟みたい具材は?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようベタですが、タマゴサンド、もしくはカツ
小笠原流礼法に伝わるお雛様を皆で作りました🎎色んな柄の和紙乃折り紙から好きな柄を選んで、それぞれの個性がでた素敵なお雛様が出来たよ皆上手にできたね『折り紙教室小笠原雛をつくりました(ゴン太)』皆さんこんばんは本日、塾では桃の節句にむけて「小笠原雛」を作りました。このお雛様は、礼法の小笠原家に伝わる折り方で、塾長先生が若い頃に折り方を教わ…ameblo.jp小笠原雛に関しては、上記の記事を是非読んでみてください。今回参加出来なかった人は、来年も開催
某古刹のメインの建物の中にありました。
”『人間というもの』について-⑫!!”-●司馬遼太郎”「花神中」より”日本人はその居住環境がせまく、競争がはげしいせいか、道具、ことに新奇な道具に対する好奇心が、ほとんど異常なほどにつよい。銃がその端的な例であった。この日本人の性癖を、もっともおそれたのは徳川家康とその幕府であった。徳川幕府は、兵器だけでなく、ノミやカンナ、駕籠などの乗り物にいたるまであらゆる道具の様式を凍結し、「新奇なもの」はゆるさず、諸道具の開発は国家に対する最大の罪悪として禁じ、それによって徳川体制を
前々から乗りたかった物がありまして。天空駕籠tenkucargoとはなかなか洒落が効いてますね。正式に英彦山スロープカー。英彦山神宮に登る469m(高低差133m)を約7分で運んでくれます。これに乗らないとなると、最低でも300段のきつい石段を登らないといけない片道350円払って楽々上がって来た先に英彦山神宮の立派な社殿がありました。こういう場所の神社に来るといつも思うのですが、どうやってこの社殿の資材を運んでくるんでしょうね。何も持たずに上がってくるのでさえ、かな
令和5年9月21日《友引》、ついに上棟式。ようやく、この日を迎えることができました。式の前にザーッと雨が降り出し、どうなるかと思ったら、開始時刻にはすっきりと晴れ渡りました。建物には、屋根の垂木や梁などがしっかり貼られています。庭に面した部分は、☆プライバシーを守りつつ解放感が溢れ、☆美しい柱が整然と建ち並ぶ、長い渡り廊下&テラスがはっきりと形を表していました。幾何学美というか黄金比なのか、ただ垂直に立つ柱が、これほど美しく感じる理由をもう少し考えてみた
鳳儀山栖足寺の次は同じ谷津にある日蓮宗の長運山乗安寺へ。御本堂。こちらの小さな駕籠は「お万の方」が使われていたそうです。小さな境内に大きな蘇轍があり、花がついていました。蘇轍の花は珍しいそうで…見ると幸せになれるとか(*´∇`*)花がもうひとつ。蘇轍の幹下に弘法大師さま。御首題。
こんにちはまーにゃです今日は江戸時代のタクシー、駕籠のお話🚕江戸時代の陸の移動手段といえば、徒歩、駕籠、馬でした。市中では、武家以外は、馬に乗ることが許されていませんでした。庶民は、急病人か医者でもなければ、町駕籠さえもほとんど使わなかったそうです。庶民が籠を使うのは、旅先が多かったそうです。江戸時代は伊勢参りが大流行し、空前の旅行ブームも何度かあり、女性も長旅を楽しみました。駕籠いろいろひと口に駕籠といっても、厳しい身分制度があり、武士や庶民など階級別に決めら
梶本家の野田藤創り出す薄紫の情景は必見こちら泉南。熊野街道沿いの街並みは未だ。当時の信達宿の面影を強く残しており、散策だけでも雰囲気味わえる。物好きでなきゃ歩かないか。ワタクシは好きですけどね。野田藤があるお隣で毎回、ふじまつりの日。展示会してる、夢あかり…絹の着物生地で柄を構成したオリジナルな行灯(あんどん)と言えば。また古い言い方と言われるか。毎回書く御朱印帳も売ってるんやけど。手に取って見るも買おう言う様な感じじゃないのよね。お隣だ
今日は神奈川県・小田原の落語を紹介します。小田原は昔は「小田原宿(しゅく)」と呼ばれており、これから箱根峠を越えようという江戸からの旅人が行き交う大きな宿場でした🏨東海道中の9番目の場所となります。江戸から出て初めての城下町となっていましたので、賑わっていたんでしょうね✨江戸からぶらぶら歩く旅人もいればゆったり駕籠(カゴ)に乗って来る人もいたでしょうし、逆に箱根を越えてきた人もまたいたでしょう⛰ちなみにこの駕籠屋さん。別の呼び方で「駕籠かき」と言います。旅人の足の疲れ具合を見ては値
久能山東照宮博物館で、徳川家康が関ヶ原の合戦で使用したと伝わる竹駕籠が公開されています。竹駕籠には、銃弾を受け穴が開いています。公開は夏頃迄となっています。竹駕籠、見る価値あると思います。県内ニュースでも放送されました。戦後初公開戦場で徳川家康が実際に乗った「竹駕籠(かご)」を展示静岡市・久能山東照宮博物館-LOOK静岡朝日テレビ徳川家康ゆかりの静岡市の久能山東照宮博物館では家康が実際に乗ったと伝わる「かご」が初展示され注目を集めています。look.satv.co.jp
皆さんこんばんは本日、塾では桃の節句にむけて「小笠原雛」を作りました。今年の干支であるうさぎにちなんで、うさぎ柄の素敵な折り紙で作りました🎵『折り紙教室小笠原雛をつくりました(ゴン太)』皆さんこんばんは本日、塾では桃の節句にむけて「小笠原雛」を作りました。このお雛様は、礼法の小笠原家に伝わる折り方で、塾長先生が若い頃に折り方を教わ…ameblo.jp小笠原雛に関しては、上記の記事を是非読んでみてください。今回参加出来なかった人は、来年
二丁の駕籠(かご)がゆく。どちらの駕籠も螺鈿の塗り駕籠である。街道は狭く、道の両側は丈の長い草で覆われている。「えっさほいさ、えっさほいさ」駕籠かきたちは急いでいる。前の駕籠には私が乗っている。後ろの駕籠には弟が乗っている。近習の武士が四人、駕籠の前、中間、後ろを駆けている。私は月代を剃り、髷(まげ)を結っている。白い死装束を身につけ、腰には短刀が差されている。「もつかどうか…」と一番前を走る武士がつぶやいた。「もたせねば!」と二番目の
【抜け雀】「雀が止まり木を描くのを忘れた」とかけて「禁止を破り遭難したが救助された」と解くその心は「過誤(駕籠)を加護されました」【ぬけ雀】古今亭志ん朝令和4年5月に再生回数が40万回に達しました。ありがとうございます。youtu.be東海道小田原宿の宿屋、小松屋清兵衛の前に立ったのが、汚れた着物の年の頃なら三十手前という男。「しばらく滞在したい。・・・金の五十両ぐらい先に預けておいたほうがよかろうのう」、「いいえ、お勘定はご出立の時にまとめてで結構でございます」この男、毎日晩
どうしてもこのドラマが観たくてDisney+に入ってしまった。もちろんイ・ジュン目当てだったが、毎回二転三転のストーリーに魅せられ、次が気になってしょうがない。フィクションだからこそ自由な発想で練られたストーリーなのだろう。しかも映像が素晴らしく、それだけでも観る価値があると思う。ロケーションが本当に美しく、その中に佇む俳優たちも際立っていた。チャン・ヒョクも好きな俳優だが、今回は抑えめの演技の中にも王に対して恫喝とも取れるシーンの迫力が凄くてメリハリの効いた演技だった。チャン・ヒョク演じ
ラテ新宿南口(Latte)|ホットペッパービューティー【ホットペッパービューティー】ラテ新宿南口(Latte)のサロン情報。サロンの内外装、お得なクーポン、ブログ、口コミ、住所、電話番号など知りたい情報満載です。ホットペッパービューティーの24時間いつでもOKなネット予約を活用しよう!beauty.hotpepper.jp皆さんいつもありがとうございます😊いよいよ長野県大会当日になりました🥋試合時間まで時間があったので温泉に行って♨️お茶しました🍵サッパリしてイザ会場へ🥋「枇杷の湯
皆さんこんばんは本日、塾では桃の節句にむけて「小笠原雛」を作りました。『折り紙教室小笠原雛をつくりました(ゴン太)』皆さんこんばんは本日、塾では桃の節句にむけて「小笠原雛」を作りました。このお雛様は、礼法の小笠原家に伝わる折り方で、塾長先生が若い頃に折り方を教わ…ameblo.jp小笠原雛に関しては、上記の記事を是非読んでみてください。今回参加出来なかった人は、来年も開催しますので、是非参加してみてくださいね♪ワンワンワン♪
昨日の続きです。復元尼崎城の展示を一部紹介しています。今回は復元天守多聞続櫓(渡櫓)です。天守に付属した2階櫓です。江戸時代の古絵図では渡櫓と書かれています。ほとんどの天守には直接入る入口はなくて、続櫓(渡櫓)から入り、天守に接続していました。天守台の石蔵を入れると、四重天守ですが五階です。この続櫓の2階部分2階の続櫓はVRシアター尼崎城となっています。超ワイド画面で、尼崎城の歴史映像を見ることが出来ます。その場面を2つ紹介すると戸田氏鉄
歌や、小説、映画などに出てくるのは、天城峠と隧道のことだと思います。隧道ではなく峠と言ったらもう一つ二本杉峠があります、トンネルがなかった時代はこちらを歩いて越えていたようです。初代下田領事ハリス氏もここを越え江戸に向かった、伊豆八十八ケ所2番、弘道寺でも休息したという記録もあるようです。弘道寺山門二本杉峠は天城峠の西側にあって、小生も一度知人と行ったことがあります。道の駅「天城越え」に車を置き、バスで天城トンネルの向こう河津町のバス停の名は忘れたが、そこで降りて、宗太郎園地という
先日行った学習院大学史料館秋季特別展で見てきたボンボニエールの一つの駕籠形のボンボニエールです。とても小さくて「掌上の」と言われるほどのものてす。散歩の道すがら見つけた椿です
東海道舞坂宿脇本陣。入口付近まで戻ると、階段が在るので二階へ。二階に上がると、すぐに十二畳間。↓天井は低い。↓隣の八畳間。↓八畳間には、駕籠(かご)が。↓現代人には窮屈そうだ。側面から内部を見る。この駕籠は1800年代の物らしい。一階へ降りる。舞坂宿の建物配置。赤い所が本陣&脇本陣。
チケットがあったので、両国の江戸東京博物館の「大江戸の華」という展示を観に行きました。地下鉄の両国駅から行きました。博物館の裏側から行くことになります。「武家の儀礼と商家の祭」という副題が付いています。立派な鎧兜、ロン毛のもあれば、髭を生やしてるのもあります。徳川家関連の武将のもの。見るからに重そう。重くて歩くのが大変なので馬に乗っていたって、知ってました?馬が大変だけど。これは四神旗。旗の手前に四神像がありますが、左から青龍、朱雀、白
「駕籠をおかきになって後に大名になっても、肩について回るもんじゃございません。」ともっともな言い分である。ここで嫌と言ってこの男に断られたら他に頼むところもなく、悔しいながらもここで死ぬのは是非もなく、作兵衛と一緒に島原に駕籠かきに行くことにした。生まれ変わったわけでもなく、昨日まではお大尽と三枚肩[1]に乗っていた身分であったが、今日はその駕籠をかく身に大転換。上りつめた太夫が身請けされ、亭主に連れて味噌こしを持って、オカラを買いに行く時代であるので、恥ずかしいが世間では恥とならな
追加画像雪月花2021琵琶湖座大和樹やまといつきhttps://youtu.be/1u1jnkS3sqQ大和樹2021琵琶湖座雪月花-YouTube追加画像あまつ秀二郎50枚https://youtu.be/ipAsvRQl-xU2021あまつ秀二郎琵琶湖座公演-YouTube追加画像5号特大近藤光70枚https://youtu.be/LRWmKxmVYqI《近藤光》2021琵琶湖座公演-YouTube
『人間というもの』について-⑫ー司馬遼太郎🔯”「花神中」より”日本人はその居住環境がせまく、競争がはげしいせいか、道具、ことに新奇な道具に対する好奇心が、ほとんど異常なほどにつよい。銃がその端的な例であった。この日本人の性癖を、もっともおそれたのは徳川家康とその幕府であった。徳川幕府は、兵器だけでなく、ノミやカンナ、駕籠などの乗り物にいたるまであらゆる道具の様式を凍結し、「新奇なもの」はゆるさず、諸道具の開発は国家に対する最大の罪悪として禁じ、それによって徳川体制をまもろう