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飛鳥京絵図2023.2.26かつて天皇の宮などがあった、今の奈良県高市郡明日香村。その遺跡やお寺の往時の姿を想定した鳥瞰図です。それらの場所に関連する人物のアニメ風イラストもあり、見てて楽しい地図です。※※※今日のもう1枚地図があったのは、甘樫丘の展望エリア。このように明日香村を俯瞰できます。そこの一休み用の椅子とテーブルがあり、テーブルに貼られていました。今年はまだ、明日香村をめぐっていません。早く行きたいなァ。
明日香村へ行ったときのつづきです。『明日香村➀飛鳥坐神社』大晦日までに駆け込み更新٩('ω')وブログの時系列が前後してます湯船に浸かりYouTubeを何気にみてると、奈良県明日香村にある酒船石という遺跡のことを…ameblo.jp『明日香村②飛鳥寺』『明日香村➀飛鳥坐神社』大晦日までに駆け込み更新٩('ω')وブログの時系列が前後してます湯船に浸かりYouTubeを何気にみてると、奈良県明日香村にあ…ameblo.jp飛鳥坐神社、飛鳥寺と拝観した後は不思議な遺跡酒船石遺
おはようございます昨日は、山陽・神戸市交・神鉄・JRコラボハイキングに行って来ました!コースは兵庫津で距離も短かったのですが、2日目ともなると足の疲れと足の裏が痛くて大変でしたでは昨日の続きから。古代の迎賓館、石神遺跡はかなり広くて、こちらの資料館とあすか夢の楽市の駐車場もその敷地内だと思われます。ここには『明日香村埋蔵文化財展示室』があります。狭いですが、明日香村で発見された貴重なものが展示されています。
大阪での仕事を終え国道25号で自宅まで戻る際、あと15分ほどで到着するところでどうしてもトイレが我慢できなくなり、生駒郡安堵町の安堵中央公園に立ち寄りました。安堵中央公園·〒639-1064奈良県生駒郡安堵町窪田628−1★★★★☆·公園www.google.com大和盆地中央部に位置し、大阪府泉北郡忠岡町、奈良県磯城郡三宅町に次いで全国で3番目に面積が小さい町にある安堵中央公園公園内には野球場があり、前職サラリーマン時代の軟式野球部でホームグラウンド
☆飛鳥宮跡(エビノコ郭跡)大和国高市郡奈良県高市郡明日香村岡(「岡地区児童公園」内、Googlemapは間違えた場所に表記されています)(P無し、前面道路停め置き不可)「飛鳥宮跡」の一部分。宮跡全体の詳細はそちらの記事にて。こちらは「内郭」の外側、南東部に位置する「エビノコ郭」について。天武天皇の御世、「飛鳥浄御原宮」の主要建造物として設けられました。橿原考古学研究所附属博物館は公式サイトにおいて、以下のように示しています。━━エビノコ郭は一本柱塀で囲まれた一郭で、西辺に内
上/欽明天皇檜隈坂合陵左下/吉備姫王檜隈墓(附「猿石」)右下/飛鳥宮跡*印は記事改定予定(改定作業中につきリンクに飛ばないものも)*印は写真複数枚を差替えまたは追加予定(改定記事は起こしません)10/4【用事に併せてちょびっと】石園坐多久豆玉神社今里神社天高市神社天太玉命神社10/6【新調した靴擦れで…途中棄権…。】畝火山口神社☆欽明天皇檜隈坂合陵*☆吉備姫王檜隈墓(附「猿石」)*☆天武天皇持統天皇檜隈大内陵☆飛鳥宮跡*☆飛鳥宮跡(前殿跡等
夫の研修中に奈良・橿原の史蹟巡りを楽しんだ記録を4回に分けて綴ってますが持統天皇をめぐる旅については今回が最終回です(次回は番外編・橿原神宮なので…)藤原京跡→本薬師寺跡を巡った私は次に飛鳥へと自転車を飛ばしました聖徳太子、大化の改新、高松塚壁画…教科書で習った人物や出来事ゆかりの地がたくさん点在する古代史ファンには垂涎ものの場所ですでも、今回は持統天皇をめぐる旅持統天皇ゆかりの地だけを巡るぞと心に決めていたんですが…こんな黒っぽい雲に覆われた甘樫丘を見ると、ついつ
飛鳥宮跡(あすかきゅうせき)は飛鳥京の中心として、七世紀の100年間に歴代天皇の宮が飛鳥の地に造営された宮殿遺構である。飛鳥宮跡は、3時期の宮殿遺構が重なって造られており、1期遺構が舒明天皇の飛鳥岡本宮(あすかのおかもとのみや)、2期遺構が皇極天皇の飛鳥板蓋宮(あすかのいたぶきのみや)、3期遺構(前半)が斉明天皇の後飛鳥岡本宮(のちのあすかのおかもとのみや)、3期遺構(後半)が天武・持統天皇の飛鳥浄御原宮(あすかのきよみはらのみや)であったとされている。昭和47年(1972年)に史跡指定され
[太子道vol.5]聖徳太子さんが斑鳩の宮から飛鳥京へと黒駒に乗って通われたという「太子道(たいしみち」を歩きました。この太子道は両地点を最短距離で結び、「筋違道(すじかいみち)」とも呼ばれています。南北線に対して斜行しているからですね。距離は21kmほどあるようですが、今回歩程は、太子道の面影残る中間付近の生活道の区間です。歩いた目的は、筋違道に残る伝承と民俗を探ることです。…と、偉そうに言いましたが、これを調査・洞察し、文章にまとめるには今少し(←か
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明日香村の冒険の続きになります。『萬葉集』を巡るその五|TOSHI'sdiary(ameblo.jp)ここから一気に量が増えますが、よかったら最後まで見ていただけると幸いです。冒険の基本アイテムとなる地図をゲットしました。万葉文化館で手に入ると聞いていたのですが閉まっていたので、いろいろと巡り巡って飛鳥駅で手に入りました。万葉歌碑マップがあれば冒険もスムーズにいくはず。飛鳥駅まで来たのでこの駅から近い順番に巡っていくことにしました。歌碑を探し
(昨日の続きで)橘寺から、飛鳥川沿いに北に進むと、板蓋宮跡です。飛鳥京跡で、はるかな古を偲びます。自転車でビュンビュン走って、東に向かうと昔ながらの町並み。その突き当りには、事代主神、大物主神など4柱を祀る、飛鳥座神社(あすかにいますじんじゃ)。そうして、真言宗豊山派の飛鳥寺。人気のスポットで、今日も遠足の子供たちでいっぱい。開基は、蘇我馬子です。飛鳥大仏さまには、外から失礼します。お寺の西に、ひっそりと佇む入鹿の首塚。歴史を感じます。時を
28日は涼しくなった朝は飛鳥路に向かいました、ススキの穂も出てきました。飛鳥寺方向へ、彼岸花が出てないか探しましたがまだ早いようです。飛鳥寺門前で休憩です。夕方はファミリーマートを通って植山古墳へ夕焼けが綺麗でした。29日は28日より少し長いコースになる亀石を経由して聖徳太子生誕地を通って橘寺に向かいます。ビックリしましたが6時前なのに門が開いてます。たぶん昨夜閉め忘れでしょうね。川原寺跡方向へ飛鳥宮を経由して、蘇我入鹿の首塚前を通って帰りました。テレワークのこの日のラン
先週金曜日に訪れました橿原市探訪紀の続きになります神武天皇陵のあとに橿原考古学研究所附属博物館にやって来まして、第2展示室の途中...奈良県橿原市の四条古墳の木製品笠、楯、鳥、剣など色々な出土木製品が展示奈良県天理市の黒塚古墳副葬品銅鏡がメインでこちらは重要文化財黒塚古墳といえば銅鏡が30面以上発見されて一躍話題になった古墳ですよ奈良県天理市の天神山古墳出土鏡こちらも重要文化財奈良県天理市のメスリ山、下池山古墳副葬品こちらも重要文化財重要文化財に指定されている遺物がず
気が付けば電動自転車のバッテリーがかなり減っています。飛鳥駅に戻るにはいくつもの坂を超えなくてはいけませんし、何よりも電池切れすると帰りの飛行機に間に合いません!そこで極力、自力走行に切り替え、余力を残すことに。飛鳥寺に向かう途中で飛鳥宮址へ昔は飛鳥板蓋宮址と表示されていましたが、いくつかの宮址を総称して飛鳥宮跡とするようになったようです。この辺りに岡本宮、板蓋宮、浄御原宮と歴代天皇の宮が築かれていたんですねえ。ここを歩いているだけでこれまで出てきた登場人物と動線が重なっ
6日は出社でしたのでファミリーマートへの短いコースを歩きました。夕方は嫁さんが代わりに歩かせました。7日は亀石経由川原寺跡前飛鳥村役場を通って飛鳥宮へまぁこのコースが標準になります。道路の真ん中で撮影も出来ます。蓮華満開の田んぼを通って家に戻った後は、ゴールデンウィーク中唯一の単独行動で神戸へ向かいました。近鉄から直通する尼崎駅行きで、淀川を渡ります。尼崎駅からは山陽電気鉄道の直通特急に乗り換えて三宮駅に到着。バスに乗り換えて神戸税関近くのこちらへ、この日のイベントは豪華で
関裕二先生の奈良ツアー(12/5新潮講座)〜飛鳥編〜今日ご紹介するのはなんと遺跡でございます!『飛鳥京跡苑池』国指定名勝・国指定史跡『飛鳥京跡苑池(あすかきゅうあとえんち』は、飛鳥時代の都である「飛鳥京」の跡から発掘された国内最古の宮廷庭園跡で、飛鳥川右岸の河岸段丘上に立地します。平成11年に橿原考古学研究所が実施した発掘調査で、はじめてその存在が明らかになりました。平成22年度から飛鳥京跡苑池の整備にむけ、継続的に発掘調査が実施されています。今回は第15次調査とのことです。
愛子さま学業の傍ら蚕飼育10年以上「日本の伝統」守る決意-エキサイトエキサイト皇太子さま“新天皇の決意”強めた「天皇の直筆文書」.現地に集まっていた人々が待ちわびるなか、天皇陛下と美智子さまを乗せたお車が、東宮御所正門に入って...リアーナが故郷バルバドスの「国家の英雄」に!チャールズ皇太子らと記念式典に出席【SPUR...Yahoo!ニュース-Yahoo!JAPAN2021年11月29日(現地時間)、リアーナの故郷としても知られるカリブ海の島国バルバドスが、英
『全国百線鉄道の旅2時間SP太子ゆかりの地を巡る~聖徳太子没後1400年~』~BSフジ(10/7)以前から何度も触れておりますが、今年は『聖徳太子1400年御遠忌』にあたります。夏にはこんなニュースもありました。偽の聖徳太子の旧1万円札都内コンビニなどで使用か(8/30)今週末、聖徳太子関連のTV番組が二つ放送されます。まずは、BSフジの番組からご紹介します。(参考)BSフジサンデースペシャル「全国百線鉄道の旅SP」令和3年は聖徳太子が没して1400年目の「御遠
最近は、すっかり歴史にはまってます。歴史に興味をしめしたのは中学の歴史の先生に出会ってからでした。頭のはげたいかにも「ザ、先生」って感じで、いい先生でしたね。とにかく、歴史の研究をされてるんだなぁーと授業を受けていて子供ながら伝わってきてましたから☆当たり前か、歴史の先生が歴史を研究せずに生徒に教えているなんて、もってのほかだね。最近の先生は、アニュアルだからなぁー(笑)「飛鳥京」と「平安京」がどうもね、腑に落ちなくて何度も何度も、先生に聞きに行ってましたよ先生も、
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/奈良時代奈良時代-Wikipediaja.m.wikipedia.org楽器好き。それもアジアの楽器は好きです。中国の共産党や出稼ぎ紛いのトラブル外国人様はお引き取り願いたいし、言葉も伝わらなく、愛想もクソも無い中国様のコンビニ店員に辟易しておりますが、楽器は別。琵琶、ニコと言う弓、中国琴もええ音色やなぁ。そんな訳で個人的に『琵琶のゼマイティス』と呼び羨望の眼差しで見ているのが螺鈿紫檀の琵琶正倉院より拝借。もう
【なんだこれは‼️】今年の夏至は奈良の明日香村へ。前日の雨の砂浴から一変、炎天下をレンタサイクルでまわりました。いにしえの都は緻密に計算され、天文学やエネルギーの流れを1ミリもずらす事なく完璧に作られている。藤原京天皇の住まわれていた場所飛鳥京私に出来ることは?その流れに沿って立ち、エネルギーをより良く循環させること。今回は方位磁石を持ち、様々な場を巡りました。不思議な岩が沢山の飛鳥。なんてことない原っぱが都の中心で、天皇が住まわれていたり御神事の場でもある。古代の人々の
ご訪問いただき、ありがとうございます桜が早くも、あちこちで満開になって来ましたね🌸🌸その前にこのシリーズを完結「恋する飛鳥」で万葉巡り、前回の犬養万葉記念館から移動して🚲古の京、飛鳥宮跡に立つ飛鳥宮跡は、6世紀後半から7世紀後半の約100年にわたって宮が置かれた、まさに飛鳥時代の政治の中心地もともと、飛鳥板蓋宮跡と伝わっていたところ、飛鳥岡本宮、飛鳥浄御原宮といった複数の宮が置かれていた事が調査でわかったそうです。この大井戸跡や柱は、一番新しい飛鳥浄御原宮(天武・持
新緑に包まれる『水と巨石の里』・・今日は7月31日、大阪管区気象台は「近畿地方が梅雨明けしたとみられる」と発表。平年より10日遅く、昨年に比べると1週間遅い発表です。昨日は九州北部、中国、四国地方で梅雨明けの発表があり、西日本ではようやく全ての地域で夏を迎えたことになります。そんな中、謎めいた歴史と巨石の里「明日香(飛鳥)」は新緑の絨毯に包まれる季節到来です。数カ月経つと、この爽やかな新緑の絨毯も黄金色に輝き、風に揺れるさまは「瑞穂国」や「豊葦原千五百秋水穂国」とよばれるのが納得できます。
EOぱんぷきん2019年6月号好きです「遠州」!自社善光寺如来は、欽明天皇に贈られますが、飛鳥時代の排仏派によって二度も堀に沈められてしまいます。その後、信州よりやってきていた本田善光がこの仏像を...EOぱんぷきん2019年11月号好きです「遠州」!自社ところで、諏訪に近い松本付近に、天武天皇は、飛鳥京の副都の建設を計画しました。松本は、関東に向かう陸路の東山道に位置するとともに、天竜川を下れば...【京田辺市】げんき館薬局が閉店してしまうようです。号外NET
こんにちは江戸前の明日香人しぐれでございます(*´∀`)vCiao!皆さまの体調は如何でしょうか?お見舞い申します。さて、万葉集にある志貴皇子の有名な歌采女の袖吹き返す明日香風都を遠みいたずらに吹くここに歌われている「明日香風」ですが長い間これは一般名詞だと思っていました。ですが明日香に暮らしてみて初めて分かったのですがこれは明らかに固有名詞です。「asukakaze」ではなくて「the
標高148m、南北1kmに縦に伸びた明日香の丘陵です。■河原展望台畝傍山、葛城山系を一望。■墓地■水場■休憩所・資料室付近一帯は飛鳥歴史公園として整備。■飛鳥川■オオムラサキ■甘樫丘展望台多武峰や飛鳥村内を一望。大和三山、藤原京を一望。
☆飛鳥板蓋宮跡大和国高市郡奈良県高市郡明日香村岡(P無し、5~10分徒歩圏内に有料無料駐車場多数有り)皇極天皇(重祚して斉明天皇)が営んだ宮。「飛鳥京」の中枢施設。蘇我蝦夷に命じて造らせたものですが、入鹿が殺害される現場ともなりました。重祚してもこの場所、入鹿が殺害されてもこの場所のまま。女帝にとっては特別な場所だったように思います。あくまでも個人的な仮説ですが。皇極天皇の即位は1月のこと。「飛鳥の神奈備」山を「藤本山」と仮定して、朝日が山頂から昇る場所に宮を定めたのではないか
☆甘樫丘(あまかしのおか)大和国高市郡奈良県高市郡明日香村豊浦(P有、ただし「甘樫丘展望台」からはかなり離れている)飛鳥時代にさまざまな形で舞台となり、歴史を彩った「甘樫丘」。小学生の時に2回登っていますが、2017年にずいぶんと久しぶりに登ってみたのです。※写真は2017年7月撮影のものです。この丘の中には特に目立った史跡や磐座などがあるわけでもなく、記事にもせず放置してきました。先ずは簡単なプロフを。標高は148m。北東から南西にかけて長く、べたっとした感じのなだらかな
今月11日からスタートしたNHK紀行・バラエティ番組『ブラタモリ』の新シーズン。最初の2回がこのブログでずっと取り上げている奈良ということで、2015年7月15日に続いてブログ記事にして紹介しています。先週11日『法隆寺〜なぜ法隆寺は1400年愛され続けるのか?〜』に続いて、今回の記事では18日放送の『奈良・飛鳥〜なぜ飛鳥は日本の国の礎となったのか?〜』を取り上げます。前回が法隆寺ということだったので、この飛鳥のブラタモリでも聖徳太子の話題が出るかと思いましたが、番組では主に蘇我氏