ブログ記事61件
今日は札幌市中央区の『三八菓舗』さんへいってきまた。http://kakasha.com/こちらは株式会社三八の和菓子部門のお店で、明治38年の創業です。洋菓子部門の「札幌菓子處菓か舎」の「札幌タイムズスクエア」が札幌土産として有名です。いろいろあるお菓子の中から『雪太郎』を購入しました。北海道産の小豆で炊いたこしあんをマシュマロで包んだ和と洋を組み合わせたお菓子ですが、昭和28年から発売されていて60年以上の歴史があります周りはグラニュー糖がまぶされていて、マシュマロはふんわ
もう12月だねぇ早いねぇ、、、なんてつぶやいていた先週のこと。外出から戻るとるるぶ宛に何やらお届け物が♪ここあちゃんからだぁ~♪るるぶの実姉妹のここあちゃんからでした。何だろうねぇ!?とワクワクしながら開封すると...ど~ん!!お手紙と一緒に美味しいものや可愛いものがザックザク♪♪♪うわぁすごぉい!ここあちゃんどうもありがとう❤入っていたお手紙は、何と!あの有名な雪太郎さんのイラストの便箋です。うちのこソックリに描いて頂けるんですが、大人気作
八月の歌舞伎座は3部制で、朝昼夜と興行があります。先週は第2部の「東海道中膝栗毛」で大笑いしたのですが、第3部は坂東玉三郎の主演・演出・補綴(ほてつ)による「新版雪之丞変化」です。原作は三上於菟吉。長崎の豪商であった両親が、冤罪により非業の最期を遂げ、その息子の雪太郎が、歌舞伎役者中村菊之丞の庇護の下、人気女方の中村雪之丞となり、盗賊の闇太郎の助力を得て、両親の恨みを晴らすという波乱万丈の物語です。それにしても坂東玉三郎という人、私よりも少しおじさんなのですが、そもそも総合芸術の歌舞伎にさら
連載小説=興味なし戦中、戦後の話。貧乏で毎日の焼夷弾が雨霰第84回魔女の如しおていと云う女家族の疎開は罹災証明書が発行され旧住所名古屋市瑞穂区船原町二丁目三番地その夜父ちゃんを残して伸吉
連載小説=戦中、戦後派の人生。第78回魔女の如しおていと云う女「刹那の享楽」求め「床艶」に全精を旧住所名古屋市瑞穂区船原町二丁目三番地雪太郎は酷く疲れて眠りについて夜中、顔に濡れた〇〇の匂いがする、「煩い」と感じたものの匂い慣れた香りだ。瞬間匂いの元がていであると気ついたが知らんぷり、行ったり来たりの動作で弄んで喜びの
連載小説=戦中、戦後派の人生第77回魔女の如しおていと云う女明日大江工場へ、只夢中で旧住所名古屋市瑞穂区船原町二丁目三番地この世に自分の母親(継母)の存在は認めてもその母親が母親なる存在としては存在さえ話たくない余リンもこの世とかけ離れた「継母」であるためどの事務欄にも事実を実として書きたくないといつも思っていた。世の
連載小説=戦中、戦後派の人生。第76回魔女の如しおていと云う女昭和19年(1944)雪の降る夜牛車で岩倉へ旧住所名古屋市瑞穂区船原町二丁目三番地徴用工の宿舎入りが明日に迫って雪太郎は長男の伸吉に「お前も来週から寮住まいらしいが病気には気を付けて働け」「ああ父ちゃんも・・・何時休みがあるんだ」「一月二回らしい
連載小説=戦中、戦後派の人生。第72回魔女の如しおていと云う女つかの間の歓び徴用まで後4日旧住所名古屋市瑞穂区船原町二丁目三番地徴用まで後4日とまで迫った朝タバコの配給日に雪太郎は並ぶ人からこんな話を聞いた。「配給で貰うのはきんしではなくキザミタバコを選んで紙巻タバコ用紙を用意
連載小説=戦中、戦後派の人生。第70回魔女の如しおていと云う女昼夜の空襲下、ねだるていは旧住所名古屋市瑞穂区船原町二丁目三番地この頃は伸の夜勤が一週間毎なので毎度の「魁技」ももっぱら昼の営みに代わって毎夜のようにていが雪に誘いをかける、まだ30歳の若い小柄な女ていは乳飲み子と夫婦だけの夜がつづくのは「神」の下さった貴重な時間とまでの思
連載小説=戦中、戦後派の人生。第六十九回魔女の如しおていと云う女神風よ吹け、昼夜のB29名古屋市瑞穂区船原町二丁目三番地三機か五機編隊のB29の爆音が消えた頃は10時をまわっていた、近所の防空壕では空襲こそなかったが何となく恐ろしい気がしてそのまま夜を明かす防空壕もあった最近では昼夜の区別もなくB29の編隊20機が飛来して大曽根、名古屋港周辺が敵
徴用工=昭和19年(1944)年頃、職人という名で呼ばれる大工、左官、建具、庭師、ガラスなど空襲下には必要のない職人が強制徴用されて「軍需工場」へ住み込みで徴用されるのでその際白いはがきで知らせられる事から職人は皆恐れて、仲には「炭鉱」へ出稼ぎに行ったりした。当時の日給月給は72円。連載小説=戦中、戦後派の人生。第六十八回魔女の如しおていと云う女こ
連載小説=戦中、戦後派の人生。第六十四回魔女の如しおていと云う女こそこそ、それが又好し旧住所名古屋市瑞穂区船原町二丁目三番地噂であろうが、例え後妻でも「親」は「親」、親を殴るとは悪業、許されない行為です。自然「親不孝」のレッテルが張られる結果になり伸の悩みが肩に背負わされた。その夜迫るていに雪太郎が「お前、前歯が折れたらしいが」「ウンそうだ
昨日やっと毎年出かけているボローニャ絵本原画展に行ってまいりました。24日まで!と書いてくださってたいつも読ませていただいてるブロガーさんのおかげです毎年、平日午前中に行っているのですが、今回は休日の午後。学生さんの団体や、親子連れで賑やか、それぞれの感想も、耳に入り、心の中で、ほぅ〜とか、にやにやしつつ。子供が素直に好き!という感覚を見習おう!と思って見てました。今年はなんだか黒やグレーの世界が多くプラス赤とかピンクでちょっと寂しい感じ。色としては好きなん
連載小説=戦中、戦後派の人生。第六十二回魔女の如しおていと云う女何が何でも好きは好き旧住所名古屋市瑞穂区船原町二丁目三番地「痛いぞ、そんなに強く」「だって自然によるんだもの」「あああ布団がビショビショだ、雨だと云ううのに」と嘆く雪太郎は言葉でのみ嘆くが何時ものままの通りすがりの出来事だと平気な顔、ていは口に出る自然の声に顔を赤
連載小説=戦中、戦後派の人生。第五十七回魔女の如しおていと云う女家事、炊事駄目知らぬ存じづ旧住所名古屋市瑞穂区船原町二丁目三番地天気予報では3,4日はぐずぐず続くらしいうっとおしい雨28才とはいささかの疲労感は知らず、誰も見ていない今日も「ねえ・・・」と迫る、一晩ぐっすり眠れば翌日は元気。「それよりもお前、少しは家庭料理は作れんのか、おい」「そうよ、作った事ないもん」と何も知
連載小説=戦中、戦後派の人生。第五十六回魔女の如しおていと云う女前妻と後妻の差天才的な「夜働き」旧住所名古屋市瑞穂区船原町二丁目三番地雨の日の夫婦は生き返る程の活気に満ち溢れていた、が今日に限って亭主雪太郎は大好きな「酒瓶」を横にご機嫌だ、強いから顔に出る事はない、怒りっぽくなるのも事実、そんな亭主の起きるであろう日
連載小説=戦中、戦後派の人生。第五十回魔女の如しおていと云う女男を強靭に、丸○○のお陰今日は久しぶりの雨、勤が産まれて三カ月長男伸も6年生になり5年、3年と続く、「夜色(やしょく)」事も夜では中々
連載小説=戦中、戦後派の人生。第四十九回魔女の如しおていと云う女修学旅行は中止国民小学校へ産まれた「勤」の体重は3k余で誰に似ているのか異人の子のようで今更弟がとは一寸恥ずかしい思いだった。しかも母親違いであるので余計異端児の思いが強かった、産後の経過はすこぶるよく2月には火鉢の横で勤に乳を飲ませる姿は母である。小学校2年
連載小説=戦中、戦後派の人生。第四十八回魔女の如しおていと云う女赤門劇場で笠置シズ子の実演旧住所名古屋市瑞穂区船原町二丁目三番地「簡単服」と云う当時の洋式服は誰もが(女性)着用していたのか、そうではなく「簡単服」を作るにはミシンが必要でそのミシンさえ貴重品で何処の家庭にでもある物ではなく宝物でもある(製造所はブラザー)
連載小説=戦中、戦後派の人生。第四十七回魔女の如しおていと云う女三人目の弟産まれ赤門へ旧住所名古屋市瑞穂区船原町二丁目三番地昭和17(1942)年も暮れかけてきた12月暮れ頃継母ていのお腹が張り出しているのがはっきりとわかる
連載小説=戦中、戦後派の人生。第四十六回魔女の如しおていと云う女魔女のわけ説明不可能な女旧住所名古屋市瑞穂区船原町二丁目三番地薪釜戸で炊いたご飯は直ちに「おひつ」へ入れないとご飯が固まり上手くない。と富浦で
注=姿三四郎は戦中戦後度々映画化されているが黒沢進監督「藤田進」主演で初映画化され以降度々映画化されている1943年が初版。連載小説=戦中、戦後派の人生。第四十五回魔女の如しおていと云う女講談社の姿三四郎の本旧住所名古屋市瑞穂区船原町二丁目三番地炊事一切出来ない母なんて何処にいるもんかと
連載小説=戦中、戦後派の人生。第四十四回魔女の如しおていと云う女日本国民「徴兵検査」逃れる手なし旧住所名古屋市瑞穂区船原町二丁目三番地1942年頃の時代男が女は何であるか知る機会と云うのは20才
連載小説=戦中、戦後派の人生。第四十三回魔女の如しおていと云う女雨の日の艶戯、あとはつづき旧住所名古屋市瑞穂区船原町二丁目三番地産みの母美津が死んだのは33才の若さで死ぬ間際まで伸をはじめ謙次、よしえの末を案じて余計病を重体化させ、挙句の果て喋る元気もなく「蘇峰の間」で死んだ、その間際までの事は生涯忘れまいと伸は謙、よしえに母の死に顔をしっかり見て忘れるでないと諭し
連載小説=戦中、戦後派の人生。第四十二回魔女の如しおていと云う女良治を放し、それでも親か?旧住所名古屋市瑞穂区船原町二丁目三番地昭和15年(1940)に入って1月突然のように良治を浜松宮口へ帰すことになり父ちゃんとおていは旅立って行った。本の4時間の列車旅だが夫婦である雪太郎とていは暫くだんまりで退屈な旅ではあるが乗車
連載小説=戦中、戦後派の人生。第四十一回魔女の如しおていと云う女風呂銭惜しさに、盥の行水旧住所名古屋市瑞穂区船原町二丁目三番地昭和の時代まで誰もが貧乏暮らしで「働けど働けど」暮らしは楽にはならない、誰もがで当然のようにお互い様で暮らしていた。古来から山、川、村、民、女が主に語られてきたしかし人間そのものは語られたとしても美的存在の「恋物語」に終始して語られ
連載小説=戦中、戦後派は生きている。第三十九回魔女の如しおていと云う女舌と舌が舞う、成り行きは思う壺。旧住所名古屋市瑞穂区船原町二丁目三番地昭和14年(1939)の世情乱れ、史那(現中華人民共和国)へ仕掛けた戦争で日本は勝ち戦と国民の誰もが勝った、勝ったで夜は市民の誰もが参加して祝う提灯行列、何の目的もなく行列は進む、軍歌を歌いただ歩いて帰る。のが日常の頃女性用の
連載小説=戦中、戦後派は生きている。第三十七回魔女の如しおていと云う女新女房ていが初見参、サカエ湯へ旧住所名古屋市瑞穂区船原町二丁目三番地妹のよしえより5才も下、突然出来た弟には皆とまどっていた、訳に分からぬその子「良
連載小説=戦中、戦後派は生きている。第三十五回魔女の如しおていと云う女日特の裏が秘密の場所旧住所名古屋市瑞穂区船原町二丁目三番地母ちゃんが33才の若さで死んだのも父ちゃんの酒好きが死に追いやったと思うようになったのが船原へ帰って来てからで、度あるごとに父ちゃんに歯向かった日々で、伸は度々ビンタを食らっては一人静かに泣く日々が訪れ、