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隨心院襖絵ルカ環境研究所小野小町歌碑極彩色梅匂小町絵図(ごくさいしきうめいろこまちえず)襖絵は左から「生誕の図」、「饗宴の図」、「伝承の図」、「夢幻の図」すてきな縁側
京都山科の最後は、勧修寺から地下鉄小野駅の反対側にある小野小町縁の隨心院です。拝観入り口の前にある小野梅園では、紅梅が満開の見ごろになっていた。院内には小野小町に関る絵馬・小町堂・小町文塚等見所が一杯で、女性の参拝者が多くみられました。今回は、どこに行っても風雨に悩まされた一日でした。(笑)
秋の山科プレゼントラリー令和4年10月1日(土)~12月11日(日)令和4年11月7日コンプリート岩屋寺(大石内蔵助隠棲の地)折上稲荷神社(働く女性の守り神)勧修寺(玉の輿伝説発祥の門跡寺院)隨心院(小野小町ゆかりの門跡寺院)赤山禅院秋の山科プレゼントラリー(おこしやす“やましな”協議会HP内)※企画は終了しています。御朱印ランキング※掲出の御朱印はこの日この時頂いた「一期一会の御縁」で、今現在も頂けるとは限りません。観光寺社以外は、基本的にアポイントを取ったうえで、先方の
牛皮山隨心院門跡(小野隨心院)⑳真言宗善通寺派大本山令和5年4月24日参拝御朱印『阿弥陀如来』(令和5年春期京都非公開文化財特別大公開・重文阿弥陀如来坐像修復完成記念))隨心院本堂改修中御朱印ランキング※掲出の御朱印はこの日この時頂いた「一期一会の御縁」で、今現在も頂けるとは限りません。観光寺社以外は、基本的にアポイントを取ったうえで、先方の御迷惑にならないよう自己責任でお参り下さい。
こんばんは!!!竹炭工房三代目伝徳の竹炭大使ことあなたの竹炭アドバイザー岩崎賢二です!(^^)!明日、12月3日は京都山科隨心院小町手づくり市に出店です☆☆☆今年最後の小町は、小町フェス歌にダンスに弾き語り~~~盛りだくさんで楽しみな1日になりそうです!!!お楽しみに☆☆☆ちなみに竹炭工房三代目伝徳、2024年の出店予定は???3月3日、5月5日、7月7日、11月3日の4回です!(^^)!=========================
名古屋のシンゾウです今朝の名古屋は、9度でした。厚手のジャンパーを羽織り、毛糸の帽子を被って、机に向かっていました。全く計画どおりに進まなかったので、勉強の環境を変えようと、歩いて8000歩のマックに出掛けることにしました。ナップにPC、資料等を詰め込んで出掛けました。ところが、ところがです、寒さと眠さで挫折しました。情け無い話です。近場の喫茶店でコーヒーを飲み、そそくさと帰宅しました。寒いし、眠いし、足が痛いし、根気が無くなるし.....散々な土曜日の始まりでした。家に帰り、ブ
隨心院は小野小町ゆかりの寺院です。真言宗善通寺派の大本山で、仁海僧正の開基になります。平安時代の女流歌人・小野小町の住居跡ともいわれ、小野小町が余生を送った場所と伝えられています。隣にある小野梅園は梅の名所としても知られています。また、小野小町を慕う深草少将百夜通いの地として有名です。小町を恋焦がれる深草少将が、毎夜小町の住まいへ通い続けたという百夜通いゆかりの地でもあります。「百夜通ったら意のままに」と言われ通い続けた深草の少将ですが、100日目に雪の中で凍死してしまったという
牛皮山隨心院門跡(小野隨心院)⑳真言宗善通寺派大本山令和4年11月23日拝受御朱印『小野小町』(令和4年秋季御朱印)隨心院小町堂京都随心院|門跡宣旨800年、文化財を守り継ぐ本堂改修にご支援を※募集は既に終了しています。御朱印ランキング※掲出の御朱印はこの日この時頂いた「一期一会の御縁」で、今現在も頂けるとは限りません。観光寺社以外は、基本的にアポイントを取ったうえで、先方の御迷惑にならないよう自己責任でお参り下さい。
今年も無事に誕生日を迎えることができた。と言いたいところだが年末に大怪我をしたので無事ではない。しかし120歳まで生きるつもりだからこれで余命78年。今年のプレゼントは「人と会うこと」今日は育休中のMちゃんと一緒にO僧正に会いに行くと計画していた。いま会いたい人ランキング1位のO僧正の新しい職場は…隨心院門跡時代劇の撮影でよく使われるお寺なんじゃよ。「るろうに剣心」とか。ここには有名な襖絵があってね…ぎゃお!と言いたいのをぐっとこらえてO僧正の絵解きを聞く。
牛皮山隨心院門跡(小野隨心院)⑲真言宗善通寺派大本山令和4年9月28日拝受御朱印『悠遠』(クラウドファンディング支援者への返礼品)隨心院本堂改修中(R4.11月撮影)京都随心院|門跡宣旨800年、文化財を守り継ぐ本堂改修にご支援を※募集は既に終了しています。御朱印ランキング※掲出の御朱印はこの日この時頂いた「一期一会の御縁」で、今現在も頂けるとは限りません。観光寺社以外は、基本的にアポイントを取ったうえで、先方の御迷惑にならないよう自己責任でお参り下さい。
三室戸寺の後、六地蔵駅に移動し大雨で少し足止めされましたが、Taxiを呼んで小野にある「隨心院」へ移動。弘法大師から8代目の弟子である仁海僧正が開基して、一条天皇の正暦2年(991年)奏請して、寺を建立。謎の多い小野小町ゆかりのお寺と言われています。春には梅園の梅まつりで賑わいます。6月末までおこなっている「そうだ京都、行こう。」の春のプロモーション『花咲く京都』は6月30日(金)まで展開。初めて訪れた時はこの襖絵の撮影は禁止でした。二度目から撮影可能になって、その時には結婚
【小町巡り】随心院の梅園|TOSHI'sdiary(ameblo.jp)最近過去のブログを読み返していて気付いたのですが、画像が小さいままになっていることが判明。拡大するをクリックorタップしても小さいことには変わりません(泣記事編集で画像を貼り直すことで直るみたいですが、古い記事を全て修正していくのは困難です。いっそのこともう一度訪問して撮り直し→ブログを書くことにしました。ちょうど醍醐方面に行ったついでだったので、途中で小野小町さんゆかりの隨心院にも寄ることに。過去
河原町五条の、ひと・まち交流館にやってきました。「地・結・継・祭」と題して、京都各地の祭りを継承するための、保存会の取組を紹介するイベントです。オープニングで、はねず踊り保存会による、はねず踊りの演舞がありました。小野小町ゆかりの随心院から、紅梅の色にちなんで、小町と深草少将の悲恋を、わらべ唄で踊ります。小学生たちの、可憐で優雅な舞が気持ちいい。次は、先日も拝見した、嵯峨大念佛狂言の紹介です。実際の様子は、会場の外のビデオで拝見しましょう。そうして、八瀬郷土
…その隨心院の行事は何か?山科の小野の里に所在する隨心院は、小野小町ゆかりの寺として知られるが、小野梅園を持つ梅の名所でもある。ここに咲く梅は「はねず」と呼ばれ、少女達が踊る「はねず踊り」として伝承されている。「はねず」とは、梅花の薄紅色の古名。菅笠に梅の造花を挿して踊る「はねず踊り」には、小町にまつわる深草少将「百夜通い」の恋物語が歌い込まれている。その物語とは平安の昔、小町に恋した深草少将が小町の屋敷に毎夜通ったが、九十
本題の前に今朝、イエローマジックオーケストラのドラムス、高橋幸宏さんがお亡くなりになったことを知ってショックです。高校一年生、周りが『たのきん』とかに熱狂している中、30過ぎのYMOに熱中していました。幸宏がいなかったら、今の坂本龍一もいなかった。ファッションがオシャレで、ドラムはタイトな精密機器のような正確な叩き。作る曲はキャッチーでカッコいい。ご冥福をお祈りします。YMOは永遠に私の人生です。(真面目で無口そうな彼らのこういうお茶目なとこが好きだった)昨日の続きです伏見稲荷を
牛皮山隨心院門跡(小野隨心院)⑱真言宗善通寺派大本山令和4年5月6日参拝御朱印『如意輪観音』(本尊修復記念限定御朱印)隨心院京都花咲くキャンペーン【花の間】御朱印ランキング※掲出の御朱印はこの日この時頂いた「一期一会の御縁」で、今現在も頂けるとは限りません。観光寺社以外は、基本的にアポイントを取ったうえで、先方の御迷惑にならないよう自己責任でお参り下さい。
『都名所図会』に端を発した「小町塚」の情報ですが、やはり隨心院の敷地内にあるとの事ですが、隨心院の管理ではなさそうだと分かりました。(隨心院のホームページより引用)上の図は隨心院の敷地図ですが、小町文塚は載せられていますが「小町塚」、「侍女の塚」、「清瀧権現」は載せられていません。上図の様に「清瀧権現堂」として神社のマークがある事から、三社で祀られていた清瀧権現は残されていて、本体である三社は無くなっているのかも知れません。因みに「○○権現」というのは仏教
『都名所図会』に載る「小野隨心院」の絵図から、初代小町のお墓が隨心院と醍醐天皇の後山科陵との間にあった事が分かりました。前回はこの小町塚が「欣浄寺(ごんじょうじ)」に移されたのではないかと、思っていましたが、同じ『都名所図会』に載る「欣浄寺」の絵図には既に「小町塚」が描かれています。この事から、欣浄寺にある小町塚は死後は一緒にさせてあげようと、親切から建てられた供養塔である事が分かりました。(ということは深草の少将の塚も供養塔だと思います。)では鍵となるのは隣に
初代の小町である妹尾氏、采女、「小町」の存在は山科の小野小町伝承で引っかかっていた疑問を解決するとともに、その終焉地の問題も解消するのではないかと思います。まずは、復習からですが、鳥取県の伯耆町にある「小町」地区の豪族、妹尾氏から出たと思われる采女(うねめ)、後宮での源氏名を「小町」とする女性ですが、二代目の小町の小野重子の母だと思われる事から、小野岑守の妻となっていた事は確実だと思われます。また、深草の「欣浄寺(ごんじょうじ)」の伝承から、この初代小町が小野庄に住んでいた事が
今日は『都名所図会』に載っている「石田の小野」という言葉に注目してみたいと思います。非常に些細な話で申し訳ないのですが、私としては何で「小野」なの?という疑問が出発点となっています。まずは、証拠の和歌ですが、雉子鳴く石田の小野のつぼ菫しめさすばかり成りにける哉顕季柞(ははそ)ちる石田(いはた)の小野のこがらしに山路しぐれてかかるむら雲中務卿親王霧はればあすもきて見ん鶉鳴く石田(いわた)の小野は紅
名古屋のシンゾウです昨日、5回目のコロナワクチン接種でした。現在の症状は、接種跡の痛みと前身の倦怠感です。高熱で(前2回は熱が38度で2日間継続)ブログも書けないかと思いましたが、意外に普通でした。京都検定を勉強している方には、直接は関係の無いことですが......「漢字検定1級」の関係図書を購入しました(写真参照)。1万円を優に超えてしまいました。これで、覚悟が決まりました。「ザル記憶」の私には、無理無理の挑戦なんですが、数年計画でやってみようと思います。この試験の合格率は、リピー
…小野門跡とも云われる寺院は?「小野門跡」とも云われるのは、山科・小野にある「隨心院」である。「雨僧正」とも云われた「仁海」が正暦2年に創建した曼荼羅寺に始まる。5世・増俊(ゾウシュン)の時に「隨心院」に改められ、7世・親厳(シンゴン)の時に門跡寺院となった。小町の末裔とされる女子小野小町ゆかりの寺とされ、小町が用いたと云う化粧井戸や、小町を恋して「百夜通い」をした深草少将らの恋文が埋められたと伝わる文塚などがある。又、少将の悲恋をテ
昨日、近所にある隨心院へ散歩に行ってきました時代劇のロケなんかにもよく使われています隨心院の正面である薬医門。ここのロケーションはよく画面に登場します乳母車じゃないのが残念イチョウもすっかり黄金色に〜と思えば、早くも葉っぱが落ちてる箇所もあり、なんとなく寂しい気持ちに…ちゃんと季節を感じてくれてるかなぁお日さまが心地よさそうです本堂前の庭にもなつと一緒に入りたかったのですが、階段を上らなくてはいけないのと、観光客でごった返していたので断念ひとりでチャチャっと写真だけ隨心院は
…真言宗小野流の拠点として知られたが、「小野」の地名から絶世の美女として名高い「【72】小野小町」が住んだ所と伝承されている。小町は平安初期、仁明朝に出仕したが、天皇崩御後、小野の里に引き籠り、余生を送ったと伝わる。同寺境内には小町の井戸や文塚などの遺跡がある。隨心院は、遅咲きの梅でも有名で、境内の梅園に紅色の梅が咲く頃には、観梅会が催されるが、菅笠に薄紅色の梅花を挿した少女たちが華やかに「【73】はねず踊り」を舞い踊る。深草少将の伝
今日は伝承上からみて、本物の小野小町の文張地蔵について、市井の情報と如何に乖離しているかをお伝えしてみたいと思います。小野小町の文張地蔵と言えば、京都山科区にある隨心院にある文張地蔵が有名だと思います。(小野小町文張地蔵尊像)(文塚)(↑『隨心院門跡小野小町略縁起』から引用)隨心院は小野小町の邸宅跡をうたい文句にしている為、上記の様に小野小町にゆかりのあるものを集めているように思えますが、『小野小町行状伝』によると桜塚(一名を文塚)は元々この地にあり、随心院
牛皮山隨心院門跡(小野隨心院)⑰真言宗善通寺派大本山令和4年3月25日参拝御朱印『曼荼羅殿』(令和4年春季・切り絵御朱印)隨心院小野梅園御朱印ランキング※掲出の御朱印はこの日この時頂いた「一期一会の御縁」で、今現在も頂けるとは限りません。観光寺社以外は、基本的にアポイントを取ったうえで、先方の御迷惑にならないよう自己責任でお参り下さい。
牛皮山隨心院門跡(小野隨心院)⑯真言宗善通寺派大本山令和4年3月15日参拝御朱印『小野小町』(令和4年春季・切り絵御朱印)隋心院能の間御朱印ランキング※掲出の御朱印はこの日この時頂いた「一期一会の御縁」で、今現在も頂けるとは限りません。観光寺社以外は、基本的にアポイントを取ったうえで、先方の御迷惑にならないよう自己責任でお参り下さい。
名古屋のシンゾウです今回の《過去問題(小論文)です》は、12回~14回の内容です。【31528】は盲点でしたね。読み飛ばしていました。【31554】国宝の歌論書「古来風躰抄」、【31558】押大臣は誰か、難問でしたね。私は得点できませんでした。ポツポツと難問が出題されますが、ある程度の割り切りを持ち、捨てることも大事です。【参考:私の得点結果】本日のブログを更新します。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆本日の問題(638)◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆《過去問題(小
名古屋のシンゾウです本日の《覚えちゃお!》コーナーで取り上げました、5人の歌人、皆さんは完全に覚えていますか。私は、何度覚えても駄目です。どうしても覚えられない事項ってあるんですね。部屋に備え付けたホワイトボードに書くことにしました。頑張らねば!!本日のブログを更新します。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆本日の問題(613)◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆《漢字書取り》()内のヒントを参考にしてください【30521】じゅふくさん(!仲源寺の山号)【30522】あ
小野('22.6.12)隨心院にはもう1ヶ所、忘れちゃいけないスポットがある。薬医門の右側から、境内の裏手に回り込む。俳句の刻まれた黒い石がひたすら並ぶ、細い道を進む。一般の参拝者が歩いていいものかどうか、ためらうくらい細い。やがて丁字路に突き当たった。右に行くと清瀧権現堂。清瀧権現(せいりゅうごんげん)といえば、さっき訪れた醍醐寺の総鎮守。丁字路に戻り、そのまままっすぐ進む。分かれ道を右に入って、本堂の裏手の森のさらに奥へ。そこに「小町文塚」が、ひっ