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《新古今和歌集・巻第八・哀傷歌》772返し皇嘉門院さもこそはおなじ袂(たもと)の色ならめ変らぬねをもかけてけるかな☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆返し皇嘉門院さぞまあ、わたしと同じような墨染の袂の色なのでしょう。わたしも、袂に、あなたと変わらない泣く音(ね)を、涙とともにかけたことですよ。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆✴︎✴︎✴︎
《新古今和歌集・巻第八・哀傷歌》771近衛院(このゑのゐん)かくれ給ひにければ、世を背きて後、五月五日、皇嘉門院(くわうかもんゐん)に奉られける九条院(くでうのゐん)あやめ草ひきたがへたる袂(たもと)には昔を恋ふるねぞかかりける☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆近衛院がお亡くなりになってしまったので、出家してのち、五月五日に、皇嘉門院にさしあげられたお歌九条院今日は、あ
3月1日から1泊2日で、慌ただしく京都旅行へ行ってきました。まだ空が暗いうちに東京駅を出発。当日の朝は雨がふっていて、その後も天気がパッとしなかったので車窓の風景写真はありません。でも京都駅に着いたら、雨が上がっていてテンション上がりましたよ!宿泊するホテルにキャリーケースを預けると、近鉄線で竹田駅まで移動しました。城南宮へは歩いて20分ほど。平日にかかわらず、観光客が多かったですね。参道の途中に鎮座する、摂社の真幡寸神社です。1200年以上
【食育クイズ:Vol.1547】「京都府」の「源頼政の鵺(ぬえ)退治」おさらいクイズ!鵺退治を成し遂げた後、弓の鏃(やじり)を奉納した神社とは?↓↓↓↓↓↓問題は下記から↓↓↓↓↓↓∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞たねすはら無添加味噌500gAmazon(アマゾン)コッチラボ国産大豆100%大豆ミートプレミアムソイミンチ粗挽き鶏ミンチ風サラダ・スープに大容量サイズ1kgAmazon(アマゾン)
していて、見つけた碑・立て看板+α、その16今回は、上品蓮台寺のすぐ北通に面してなくて、細い通路を入ったところ入り口には何も書かれてない前に、魚なんか、おるのかと書いたが、前言撤回ここは、周囲が堀になっているので、もしかしたら魚がいるところもあるのかもね近衛天皇というと、平安時代では、時々聞く呪詛で殺されたという話もこの天皇が、わずか17歳で早世したことが、やがて保元の乱に繋がっていくわけで、もし長生きしていたら、武士の台頭が遅れていたかもしれないと考え
前回のブログで「呉」市に触れた。角川日本地名大辞典に興味深い内容があったのでもう少し続けます...よろしければお付き合いくださいませ。---呉の前身である「呉浦」は美福門院(=藤原得子とくし)領安摩荘の一部とされた。美福門院は「呉浦」を厳島神社に寄進。鳥羽法皇の死後再び、美福門院に譲渡。美福門院没後八条女院(娘)へ伝領。その後「呉保」と漢字を改め石清水八幡宮寺領となる。「呉浦」と「呉保」の関係は不明である。---こ
2019/03/02配信<第76代近衛天皇>短命の天皇(関白)藤原忠通(左大臣)藤原頼長〔氏長者〕人事権掌握、ホモ日記忠通(兄)VS(弟)頼長の対立がキッカケで保元の乱が始まる
第七十六代近衛天皇は平安時代末期の天皇です。御父は鳥羽天皇、御母は藤原得子(美福門院)、異母兄に崇徳天皇と後白河天皇がいます。保延五年(1139年)誕生。諱は体仁(なりひと)。在位は永治元年(1141年から)から久寿二年(1155年)。大治四年(1129年)治天の君として君臨した白河院が亡くなると、孫の鳥羽院が政治の中心となりました。そして永治元年(1141年)鳥羽院は寵愛している美福門院との子である体仁親王への譲位を、待賢門院璋子との子である崇徳天皇へ強要します。この時、体仁親王はま
「古典和歌」を読み解くために歴史上の人物や出来事を調べていますと…「へぇ〜!そんなコトがあったんだ!」と、驚かされることがしばしばゴザイます。👆この歌👆の作者、小侍従(こじじゅう)は、藤原多子(まさるこ)に仕えていました。藤原多子は、史上だたひとり、「皇后であった女性がのちに別の天皇と再縁し、二代の后となった人」です。1150年、多子が11歳のとき、12歳の近衛天皇に入内し
「百人一首」の後半の80番代以降、歌のテーマを見てみますと…👀代々の天皇が年若くして崩御されていることが多く詠まれています。第76代:近衛天皇:1155年7月23日崩御(享年17)第78代:二条天皇:1165年7月28日崩御(享年23)第79代:六条天皇:1176年7月17日崩御(享年13)第80代:高倉天皇:1181年1月14日崩御(享年21)第81代:安徳天皇:1185年3月24日崩御(享年満6歳4ヶ月)安徳天皇は
86歎(なげ)けとて月やはものを思はするかこち顔なるわが涙かな西行法師【出典】『千載集』巻十五・恋五・929「月前の恋と云へる心を詠める」円位法師++【口語訳】(『最新全訳古語辞典』・東京書籍より)++嘆けといって、月は私にもの思いをさせるのだろうか。恋のためなのだが、まるで月のせいだとも言うかのように、恨みがましく流れ落ちる私の涙よ。++++++++++++++++++++++++++++□□□□□□□【和歌コードで読み解いた新訳】
85夜もすがら物思ふ頃は明けやらで閨(ねや)のひまさへつれなかりけり俊恵(しゅんえ)法師【出典】『千載集』巻十二・恋ニ・766・俊恵「恋の歌とてよめる」++【口語訳】(『最新全訳古語辞典』・東京書籍より)++恋人が通ってくるのを待って一晩中思い悩んでいるこのごろは、夜はなかなか明けないで、朝の光がさしこんでこない寝室の戸の隙間までが恨めしく思われます。++++++++++++++++++++++++++++□□□□□□□【和歌コードで
82思ひ詫びさても命はあるものを憂きに堪へぬは涙なりけり道因法師(どういんほうし)【出典】『千載集』巻十三・恋三・818・道因「題しらず」++【口語訳】(『最新全訳古語辞典』・東京書籍より)++恋のために思い悩み苦しんでも死ぬこともなく命はたえてあるのだが、つらさにたえきれずに流れるのは涙であったよ。++++++++++++++++++++++++++++□□□□□□□【和歌コードで読み解いた新訳】□□□□□□□(※『和歌暗号
81郭公(ほととぎす)なきつる方(かた)をながむればただ有明の月ぞのこれる後徳大寺左大臣(ごとくだいじのさだいじん)【出典】『千載集』巻三・夏の歌・161・藤原実定「暁聞郭公といへる心をよみ侍ける」右大臣++【口語訳】(『最新全訳古語辞典』・東京書籍より)++ほととぎすが鳴いた方向を眺めやると、ほととぎすの姿はなく、夜明けの空にただ有明の月が残っているだけだった。++++++++++++++++++++++++++++□□□□□□□【和
《新古今和歌集・巻第六・冬歌》572清輔朝臣柴(しば)の戸(と)に入日(いりひ)の影はさしながらいかにしぐるる山べなるらん☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆清輔朝臣柴の戸に夕日の光はさしていながら、どうして、同時に時雨の降っている、あの山部なのだろうか。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎《和歌コードで読み
【食育クイズ:Vol.1142】「京都府」の「妖怪伝説」おさらいクイズ!「妖怪、鵺(ぬえ)」にまつわる「神社」とは?∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞【食育クイズ:Vol.1141】(「京都府」の「秦氏と地名」おさらいクイズ!「秦氏」にまつわる地名「太秦(うずまさ)」ゆかりの産物とは?)の↓↓↓↓↓↓正解と解説↓↓↓↓↓↓【解説】「太秦(うずまさ)」と言う地名は、渡来して有力な「豪族」となった
《新古今和歌集・巻第五・秋歌下》468白河院にて、野草露繁(やさうつゆしげし)といへる心ををのこどもつかうまつりけるに贈左大臣長実秋の野の草葉おしなみ置く露に濡れてや人の尋ねゆくらん☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆白河院の御所で、「野草露繁し」といった趣を、廷臣たちが詠んでさしあげた時に贈左大臣長実秋の野の草葉をおしなびかせて置く露に濡れて、人は尋ねてゆくのであろうか。
台風が去った後の朝、竹田駅で降りて、パルスプラザに向かいます。途中の公園。草地がずぶずぶになっています。見上げると、秋らしい雲。このあたりは、鳥羽離宮跡です。その名のとおり、鳥羽天皇の御陵です。安楽寿院への道。鐘楼の向こうにも、秋の雲。近衛天皇の御陵です。百日紅と、青い空。ここから、西に向かうと、北向不動院。水の音に、耳をすませます。油小路通まで歩いてきました。向こうに、白河天皇の御陵が見えます。パルスプラザに着きました
《新古今和歌集・巻第四・秋歌上》388法性寺入道前関白太政大臣家に、月歌あまたよみ侍りけるに太宰大弐重家月見れば思ひぞあへぬ山高みいづれの年の雪にかあるらん☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆法性寺入道前関白太政大臣の家で、月の歌を数多く詠みましたときに太宰大弐重家月の光見ると、あまりにも清らかで美しくて、月の光とは思えない。山が高いので残っている、いつの年の雪であ
2019/03/02に公開<第76代近衛天皇>短命の天皇(関白)藤原忠通(左大臣)藤原頼長〔氏長者〕人事権掌握、ホモ日記忠通(兄)VS(弟)頼長の対立がキッカケで保元の乱が始まる
2022年6月13日この日もひとり京都勉強会近鉄竹田駅を降りたココロは、てくてく歩いたこの日の目的地はふたつ。そのひとつは長年行きたいと思いながら、なかなか「ご縁」がなかった【城南宮】への参拝だ当然、その途中にある見どころも忘れずに巡ります………まず、最初に到着したのは………【近衛天皇安楽寿院南陵】京都府京都市伏見区竹田浄菩提院町【近衛天皇(このえてんのう)】第76代天皇生来体が弱く政務を執ることなく崩御した天皇だ陵は珍しい多宝塔だココロは、2回目の訪問となる近衛天皇
やっと落ち着いてきて、時間が取れるようになってきました。しっかり積読本を読もう~~。そんな積読本のなかに~~。「八条院の世界」(永井晋著山川出版社)がありました。八条院は鳥羽天皇・法王の娘。近衛天皇の姉。そして、村上源氏の血を引く美福門院の娘。太田道真・道灌、資正たちの祖先である、源頼政は、この八条院家に仕えていたのです。歌人としても名高い頼政。鵺退治の恩賞として近衛天皇から賜った剣「獅子王」。江戸時代「獅子王」を取られてしまう?太田尹資。八条
第76代近衛天皇安樂壽院南陵即位西暦1142年退位西暦1155年皇位年数13年御陵印所在地
《新古今和歌集・巻第三・夏歌》265千五百番歌合に権中納言公経(きんつね)露すがる庭の玉笹(たまざさ)うちなびき一群(ひとむら)過ぎぬ夕立の雲☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆千五百番の歌合に権中納言公経夕立の露のすがりついている庭の玉笹が風になびき、空では、その夕立を降らせた雲が、一団過ぎ去っていった。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
安楽寿院鳥羽離宮跡第76代近衛天皇安楽寿院南陵🙏天皇陵・皇后陵リンク集第1代神武天皇陵第2代綏靖天皇陵第3代安寧天皇陵第4代懿徳天皇陵第8代孝元天皇陵第9代開化天皇陵第10代崇神天皇陵第11代垂仁天皇陵第11代崇仁天皇皇后陵第12代景行天皇陵第12代景行天皇皇子日本武尊(ヤマトタケル
昨日は終日雨だった。そして今日も、午前中はどんよりとした曇り空。午後も遅くになってから、少し青空がのぞいてきた。春の気候になって、周期的に天気が変わるのだろう。今日の午前中は、いまにも雨粒が落ちて来そうな曇り空の中を、「鳥羽離宮」の旧跡を目指して出掛けていた。鳥羽離宮跡は「院政期を代表する遺跡」である。白河天皇が1086年に「堀河天皇に譲位し院政を開始」し、「拠点として『鳥羽殿』の造営」を行った。その様子は、「都遷りが如し」と言われたほどに大規模なものだったそうだ。
お墓の問題は古今東西を問わず十人十色、本人、家族を含めていつも考えておかなくてはならないし、金銭がともなう場合が多いから意見が分かれる問題だ。最近では自身の終末期や死後に、家族が判断や手続きを簡便に進められるよう必要な情報をまとめておくエンディングノートを薦める世の中になっている。私も娘に「ちゃんと書いといてや」と強く言われている。千年ほど前の話だが鳥羽天皇と得子皇后は生前に自分の意志を明確に伝えていた。とても参考になる話だと思う。天皇も貴族も死後のことを懸念していたのだ。現世の上皇、皇太后
《新古今和歌集・巻第三・夏歌》183葵をよめる小侍従(こじじゆう)いかなればそのかみ山の葵草(あふひぐさ)年はふれども二葉(ふたば)なるらん☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆葵を詠んだ歌小侍従どうして、その昔から神山の葵草は、年を経て古くなってはいるけれど、いつまでも初生のように二葉のままであるのだろうか。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
大阪自力整体ナビゲーターのみほです🎵久しぶりのお不動様に行ってきましたです🔥今回は第二十二番札所北向山不動院さま、京都市内にも行きたいお不動さまはあるのですが、人も増えてきているので少し離れた場所、伏見に伺いました⤴️鳥羽・伏見の戦い等のイメージが先行する私ですが、天皇陵(白河法皇、鳥羽法皇、近衛天皇)があり歴史を感じます✨皇室ゆかりということもあり、本堂に入らさせていただき、奥を拝見してびっくり、菊の御紋と大きな鏡がありました🌕ライトがついているのでとても神々しいです✨ご本