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芸術的四畳半〜義政の愛した「同仁斎」バウヒュッテー「同仁斎」〜侘び寂び蒲生文化バウヒュッテ<独り住宅>が生まれた時代背景バウヒュッテの生まれた時代背景には、小工という存在が出てきたことが大きく関わってきます。バウヒュッテは、小工の住宅の形式として東日本大震災を契機に平成時代後期にかけて成立しました。小工が自分の家を構え、家族住宅が発達する中、平安時代からの寝殿を中心とした寝殿造からこの書院造へと移り変わっていきました。蒲生三丁目の家の「同仁斎」では、
芸術的四畳半〜義政の愛した「同仁斎」バウヒュッテー「同仁斎」〜侘び寂び蒲生文化バウヒュッテ<独り住宅>が生まれた時代背景バウヒュッテの生まれた時代背景には、小工という存在が出てきたことが大きく関わってきます。バウヒュッテは、小工の住宅の形式として東日本大震災を契機に平成時代後期にかけて成立しました。小工が自分の家を構え、家族住宅が発達する中、平安時代からの寝殿を中心とした寝殿造からこの書院造へと移り変わっていきました。蒲生三丁目の家の「同仁斎」では、プライベー
5/1、今日の最大の目的は瑠璃光院です。バイキングのモーニングで昼の分まで食べて、ホテルをチェックアウト、バスでまず源光庵へ向かいます。平日なので、途中の佛教大学へ通学する学生で混んでいました。源光庵はバス停を降りてすぐの静かな住宅街の中にあります。ここの目当ては丸窓と角窓です。丸窓は悟りを開いて円になった悟りの窓、角窓は人生四苦八苦していることを表わしている迷いの窓だそうです。窓から見える新緑が鮮やかです。比較的空いていたので、じっくり見ることができました。続いて、バスを乗り継ぎ、次の
芸術的四畳半〜義政の愛した「同仁斎」バウヒュッテー「同仁斎」〜侘び寂び蒲生文化バウヒュッテ<独り住宅>が生まれた時代背景バウヒュッテの生まれた時代背景には、小工という存在が出てきたことが大きく関わってきます。バウヒュッテは、小工の住宅の形式として東日本大震災を契機に平成時代後期にかけて成立しました。小工が自分の家を構え、家族住宅が発達する中、平安時代からの寝殿を中心とした寝殿造からこの書院造へと移り変わっていきました。蒲生三丁目の家の「同仁斎」では、プライベ
室町末期。名門・畠山家の次男・直光には将来を誓い合った幼なじみ阿古姫がいた。ところが、阿古姫の父・大納言が急逝した際、八代将軍・足利義政が言い放ったひと言が、2人の運命を大きく狂わせる。それは、畠山家の兄弟で、阿古姫を娶ったほうに官領職を継がせるというもの。これによって、家督も次期官領職も手に入るはずだった兄・信津綱は動揺し、阿古姫を力ずくで奪いに掛かる。直光は阿古姫のためにすべてを捨てる決意を固めるが…。【中古】DV
慈照寺銀閣寺(2018年4月21日訪問)清水寺仁王門をでて、抹茶アイスを頬張り、西方面へ、松原通りを下り西大路道にでて、清水道バス停から、京都市営バス100号線に乗ります。20分ほどして、銀閣寺前バス停で降車し、銀閣寺を目指します。細い風情のある銀閣寺参道を東へ登っていきます。数分で総門が見えてきます。左手に案内標識があり、拝観料を払って、いざ、銀閣寺へ。高校の修学旅行依頼です、ワクワクします。銀閣寺参道銀閣寺境内図総門拝観券境内に入ってすぐ、右手に銀閣寺がそびえ
一般的に銀閣寺と呼ばれていますが、こちらは俗称であり正しくは東山慈照寺。1482年に足利義政が建立した、東山文化の象徴でもあります。地味といえば地味かもしれませんが、私はこの簡素さが好きです。そして、侘び寂びの心に触れるため訪れてきました。見るところやおすすめがたくさんありますが2つ紹介させていただきます。まずは約50mある白砂の参道「銀閣寺垣」。両脇の垣は左右の造りが違うため、見比べてその違いを楽しんでもらえたらと思います。特に椿の花が見頃を迎える3~4月がおすすめです。この
昨日、銀閣寺へご案内いたしました。とても良い天気で、夏気配を感じるほどの陽気でした。ヽ(゚◇゚)ノ活き活きとした力強い緑に囲まれながら、侘び寂びを感じる凛と佇む国宝観音殿の気品は素晴らしいですね。(▰˘◡˘▰)銀閣寺、煌びやかではないけれど、どこかしら控えめな華やかさを感じます。隅々まで手入れの行き届いた美しい庭も見どころのひとつです。(*^.^*)木々の合間に見える東求堂日本最古の書院造りで、住宅建築遺構として国宝に指定されています。義政の持仏堂兼書斎、その気品ある姿に義政
InJapanthe8thShogunYOSHIMASAofMuromachiShogunate(室町時代の8代将軍、足利義政)ThisisGINKAKUJIItisatemplethathehadmade(彼が建立した銀閣寺です)So,it'ssocutetomake(それはとてもこぢんまりしたかわいい創りで)It'slikeyo
『司馬遼太郎が語る日本』●室町時代と能について-司馬遼太郎✪和光同塵✪足利義政は、「和光同塵」ということをよくいっていますね。自らの才知を隠して世俗に交わる。そして仏教的な意味ですが、みな一つの塵である、上も下もない。これが義政の基本的な思想でした。当時は身分社会です。それからのちの江戸時代でもそうですね。大名が江戸城で将軍に拝謁する。何べんも何べんも拝謁した人でも、将軍の顔を知らなかったそうです。頭をあげられないものですから、そこに会話というものはありません。日本の封建時代にお
今日・・・・じゃなくて昨日になるかブラタモリ、見ましたか?1度でいいから人のいない静かな銀閣寺に行って銀閣の縁側から庭園を飽きるまで眺め東求堂の同仁斎の4畳半でのんびり過ごしたいタモリさん、羨ましいです
ブラタモリは、地形に焦点を当てた番組ですが、建築学的にも神回だったと思います。忘れないようにメモを残します。銀閣寺の正式名称は、「東山慈照寺」室町時代から江戸時代に造営された銀閣寺。足利義政建立1951年国宝に指定される。世界遺産でもあります。銀閣の正式名称は、「観音殿」銀閣の正面は、1階と2階で違うとのこと。1階は、庭に面した東側が正面。庭を堪能するため。2階は、京都御所に背を向けた南側が正面。観音様が祀られている。禅宗造。花頭窓がある。銀閣寺
来ていただいて、ありがとうございます。今日の文字は(Ginkakuji)今日の「ブラタモリ」は「京都・銀閣寺」。テーマは「美しき”ニッポン”の始まりは東山の奥にあり!?」今日からパートナーが変わって芸大出身で絶対音感を持つという林田理沙アナウンサーに。通称「リンダちゃん」。ということで、初回は恒例となった(?)京都。奥東山にある「銀閣寺」参道が坂道になっているだけで嬉しそうなタモリさんに林田アナは「???」正式名称「東山慈照寺」。応仁の乱で
さっきブラタモリを見ていて初めて知った言葉地学用語?末端膨隆丘(まったんぼうりゅうきゅう)断層の端に起きた隆起のことらしいです。今回のテーマは奥東山8代将軍足利義政の時代に花開いた東山文化の原点がテーマでした東山文化といえば華道、香道、お茶、書院造、お能など今の日本らしいものの原点世阿弥観阿弥のプロデューサー兼パトロンが足利義政でした。お花見や紅葉の時期に哲学の道、慈照寺銀閣、吉田山など50回以上歩いているから向月台とか4畳半の始まりとかは存じてい
1160年創業の歴史ある茶屋足利義政や豊臣秀吉も立ち寄ったと伝わる。茶房では宇治市産の高級抹茶や有機栽培の抹茶を使用した茶そばにこだわりメニューがそろう
おはようございます┏oペコいつもみてくださって、ありがとうございます。いっつもネムイ(´・ωゞ)ですが今日は特にネムイ(´・ωゞ)。んもーういっつもネムイ(´・ωゞ)ネムイ(´・ωゞ)言い過ぎと思われてそうだ。実はジューダスがきていたんで夜中起きていたんですよ・・・0時からの降臨とかやめてほしいんだけど。目が充血しとーるwちょまじ目薬ささないとホラーな感じになりそうよ(´。•ㅅ•。`)←バカ
前回のシモイ話についてもっと上品なお話は無いのか!とのご意見を頂戴しまして昨日はネタを探しに昼から京都に行って来ました。まずスタート地点は蹴上から南禅寺へ、まあここはひとが多いのでスルーして哲学の道へ。まずは若王子神社へ。ここはこの界隈で唯一タバコが吸える休憩所がありまして、取り敢えず一服した後哲学の道を北上します。お!枝垂れ梅が満開?ちょっと寄り道してみます。もう梅の時期は終わったと思っていましたが、大豊神社のこの梅は満開でした。さてまた哲学の道に戻って北上すると、天皇の陵があり
おはようございます三双(さんそう)ですいつもブログをご覧いただきありがとうございます地震や台風で被災された世界中のみなさま心よりお見舞い申しあげます。今日は銀閣寺春の特別公開をご案内します。室町幕府八代将軍足利義政公により造営された銀閣寺。茶、花、香の原点となった国宝東求堂同仁斎が公開されます。日程2018年3月15日(木)~5月6日(日)時間10:00~15:30(受付)料金特別拝観料1000円(別途通常入山料500円必要)場所銀閣寺銀閣寺アクセス
香道の世界へ香木伽羅を中心に白檀沈香と日本の香りの文化を楽しんできました香道はAD538年に仏教とともにインドから伝来したそう🇮🇳杉檜榊の自然の香りしかなかった日本に濃密な香りがもたらされ人々は深く魅了され香道へと発展正倉院宝物に香木が収蔵されているほど高品位な香りが薫物合として公家社会の優美な薫物から武家社会へ伝わり日常のストレスを解消する香りへと発展し庶民の生活へと入り香道が日本文化に定着しました奈良県東大寺正倉院宝物に納め
桜のつぼみが地域によってはかわいらしくふくらみ始めます。「開花」や「満開」は、全国にある「標本木」を元に発表されます。開花予想の歴史は室町時代に、足利義政将軍が、つぼみのふくらみ具合から「花見連歌の宴」の日取りを決めたことにさかのぼるそうです。
御崎神社から西北へ500m程のお寺に来ました寺院名;還来寺宗派;真宗大谷派御本尊;阿弥陀如来所在地;岐阜県高山市丹生川町町方1355TEL;0577-78-1071還来寺は白川郷で浄土真宗の鍵を握る八代将軍足利義政の命を受けた内ヶ島氏の居城天正13(1585)巨大地震によって埋没してしまったとされています蓄えた黄金が埋まっているという伝説が帰雲城ゆかりのお寺と伝わります山門鐘楼本堂山額本堂堂内収蔵庫庫裡*:..。o○☆
面白いコメントを数々寄せて下さったブロ友さん、kaorukunさんがお亡くなりになったとのお知らせがありました。お浄土でも拙ブログをお読み頂ければ幸甚です。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。合掌さて、久しぶりに報恩大師備前四十八ヶ寺を巡拝した。この度は和気町の寺院を巡る事にしたのだが、道すがら、以前から気になっていた場所に立ち寄った。掲題の通り、室町幕府第8代将軍足利義政(あしかがよしまさ)の御台所日野富子(ひのとみこ)の墓がある。まだ10代の頃の松たか子さんが少女期を演
京都には、実に様々なお寺があります。まず京都といえば、金閣寺金閣寺といえば京都というくらい有名なお寺京都といえば金箔をこれでもかというくらい張りまくったまさに、金の寺院庭園も美しいと言われますが私の好みではないすみませんこれには、ワケがありまして、、、アジアにはとにもかくにも金を使ってしまえばいいみたいなところがありお金もってるでぇ!って誇示してるようでなんとなく敬遠してしまう。はい。勝手な私の主観です。すみません言い訳にもなってませんね金閣寺様とそのファン
そうしゅうさいです。普段滅多に風邪をひかない僕でしたが、先週から風邪をこじらせてしまいました。念のため、インフルエンザが猛威を振っているので検査したところA型、B型とも陰性でした。ひとまず一安心しました…(^_^;)とはいえ、味覚はない、鼻水が止まらない、頭痛はするというとってもキツイ3メニューを頂きました(笑)それでもど根性!模型制作は滞らせたくないという思いが強く、気合いを入れて進行させております。不思議と熱がある状態で制作するとそれ一心に集中し普段よりサク
京都ぶらり歴史探訪歩くとわかる応仁の乱なかなか面白かったです。昨年は応仁の乱勃発から550年という事で、呉座勇一先生の講演など、お勉強させていただきました。呉座勇一先生のご本を読み解くのに、こちらに助けられました。たくさんの人物が入り乱れるので、「?」となるとこちらで再確認。我が家は、上御霊神社に歩いて行ける距離。で、つい最近判明した薩長同盟の話し合いの場となった近衛家別邸御花畑御屋敷跡にも徒歩五分。けれども、番組で紹介された同志社大学寒梅館の東陣の遺構とかも、なんどもお茶をしな
⑨京都の銀閣寺の話です(*^^*)銀閣寺は金閣寺と同じように、慈照寺の観音堂が『銀閣』であり、鹿苑寺の『金閣』を模して造られたそうです(*^_^*)銀閣の名前の由来は諸説ありますが、金閣に対応して銀箔を貼り付ける予定が足利義政の死後、足利家の衰退とともに財政難となり銀箔が貼られなかったので今の造りのままになったそうですW(`0`)W室町幕府の衰退とともに銀閣寺も荒廃したが、江戸時代に徳川家康によって寺領を与えられ、建築物の修理や増築、庭園の修築などをすることが出来たそうです(=^x