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995年(長徳元年)、北宋の商人・朱仁聡ら70余名が若狭国に来航。藤原道長は、彼らを越前国へ移します。そして翌年、越前守に任じられたのは紫式部の父・藤原為時。越前国へ下向した為時は、宋人と詩をやりとりして懐柔に務めたのだとか。紫式部公園為時の越前下向には紫式部も同行しました。越前国府があった越前市武生には、紫式部の越前下向を記念して紫式部公園が整備されています。気比の松原若狭国から越前国へ移された朱仁聡らは、越前国府ではなく敦賀の松原客館に滞在していたものと考えられています。松
玉川洞窟観音(玉川観音窟)秘法護摩供令和六年度修法日時5月5日(日)午後1時より5月18日(土)午後1時より5月20日(月)午後1時より6月18日(火)午後1時より6月20日(木)午後1時より
こんばんは~♪天星✨です。先日の日曜日は丸っきり冴えない釣果で終わった自分。最大サイズがコレです。しかもコレ以下のサイズを含めて数はたったの16枚で終了。最後の方は本当にイヤんなってしまって珍しくPちゃんよりも20分以上も早く納竿しました。笑で、ちょっと気が早いけど今週の日曜日の行き先は北陸です。(^_^)本当なら先日の日曜日に行く予定をしてたけど、Pちゃんの要望で尾鷲にした訳で……もし自分独りなら間違いなく北陸だったんで、1週間だけ順延したと思えばイイわけです。笑笑その北陸の天
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久しぶりの、美味しいパステル画です。今回は、福井県の名物「越前おろしそば」の上に、さらに名物の「焼きサバ」がのっかった「焼きはサバおろしそば」です🎵ねぎとかつおぶしものってます。福井駅前にある「あみだそば」でいただきました。いつもは、出雲そばがお気に入りなんですが、これはそば汁が全然違って美味しかったーっ!福井県産の十割そば粉で大根おろしの入ったさっぱりとした汁がかかってます。それに、焼きサバをほぐしてまぜまぜしながら食べるのが、また良いのですよ🎵また食べたいな~っ💕
昨日の釣行での実燃費です。往路(滋賀→越前)22.0km/Lいい燃費でした。復路(越前→滋賀)23.6km/L帰りのほうが大幅に良かったのは初めてでした。
まだまだ好調の乗っ込み真鯛🐟先週に引き続き、どこまで浅場に近づいてきたか調査🧐まずは深場から。一投目から早速ヒーット❗️何て幸先が良いんだろう😄真鯛47センチ。今日は爆釣かと期待したが、その後が続かない。修行のような時間が過ぎた後、ようやく2枚目ゲット。真鯛48センチ。今日は食いが悪い日なのだろうか。遠目の遊漁船も移動を繰り返しているので、きっとあまり釣れてないのだろう。そして同じく自分も移動😅移動後、しばらく何の反応もなく無心になりかけた頃、ようやく次がヒット❗️さっき
『義経記』によると・・・壇ノ浦の戦い後、源頼朝と不仲となってしまった源義経は、都を逃れ、逢坂の関を越えて大津から琵琶湖を渡って奥州平泉へ向かったのだといいます。義経は唐崎の松、比叡山、日吉大社、堅田浦を眺めながら琵琶湖の西岸沿いを進み、白鬚神社を拝みながら今津浦を過ぎて海津浦へ。海津浦から愛発山を越えて敦賀に至り、気比神宮で祈願した後、木ノ芽峠を越えて越前武生に辿り着いたようです。紫式部公園義経が越前に下る190年前、紫式部も越前にやってきました。紫式部公園は紫式部の越前下向を記念し
本日ベタ凪釣り日和大好きな桜根魚を狩りに笑釣友達に付き合ってもらいましたファーストヒットはシューイチプロが自作ラバーで外道ゲット笑幸先良くパタパタって釣れてくれますトーゴくんも本命ナイスナイス😊のちに無風地獄に悩まされますが軽めの60グラムキャスト巻き上げで納得の本命😆😆DUELソルティーラバースライド魚に見えないピンクフロロただ全く船も流れないので一気に深場へ移動しますあざらさんはいきなり自己新記録のホーボー笑途中までヒラメとかアマダイって言ってたのは秘密🤫
越前和紙の里越前市は全国一の和紙の産地。越前和紙は、父の藤原為時とともに越前に下向した紫式部も使用したかもしれないもの。2024年7月には新しい紙幣が発行されますが、1868年(慶応4年)に発行された日本初の全国通用紙幣「太政官札」には越前和紙が使用されました。紙幣の「透かし」は越前和紙の技法の一つで、現在の紙幣にも使われている特殊な技術です。新一万円札の肖像は、生涯に約500もの企業の設立などに関わったといわれる渋沢栄一。新五千円札の肖像は、津田塾大学を創設した津田梅子。新千円札
鯖江市議会議会報告会運営委員会では、本日、越前市議会にお伺いして、議会報告会についての研修会を開催させていただきました。鯖江市議会では、開かれた議会を目指す取り組みの一環として、市民の方に向けての議会報告会、語る会をこれまでに実施。全市民対象のものと、市聴覚障害者友の会会員さん、防災士ネットワークさばえさん、鯖江市くらしをよくする会さんたちなど、いろんな団体・グルーブの方を対象としての会を行い、議会活動報告、市民の方たちのそれぞれの活動報告ならびに意見交換を続けています。今日は、お隣
「光る君へ越前大河ドラマ館」は、武生中央公園にある屋内催事場「しきぶきぶんミュージアム」内に開設されています。まひろが裳着の儀式で着た衣裳為時の居室と書道具まひろが代筆した恋文為時が惟規に読み聞かせた漢詩安倍晴明が天文観測に用いた星図為時の衣裳日野山大河ドラマ館の前から見える日野山は、紫式部が詠んだ山。「ここにかく日野の杉むら埋む雪小塩の松にけふやまがへる」
3月にこんなに積雪あるんだ~でした。越前の山の中ではあるんですよね。
「ここにかく日野の杉むら埋む雪小塩の松にけふやまがへる」越前富士とも呼ばれる日野山は、越前で暮らした紫式部が眺めていたという山。紫式部公園の紫式部像の視線の先には日野山。
藤原為時と紫式部996年(長徳2年)、越前守として武生の国府に赴任する父藤原為時に同行した紫式部。この情景は武生に向かう国司の一行が木ノ芽峠あたりで休息している場面。藤原道長と紫式部1008年(寛弘5年)9月11日、中宮藤原彰子が一条天皇の第二皇子・敦成親王(のちの後一条天皇)を出産。11月1日の「五十日の祝い」で藤原道長に賀の歌を所望された紫式部は、「いかにいかが数へやるべき八千歳のあまり久しき君が御代をば」と詠みました。紫式部像紫式部が越前国に下向したことを記念して
岡太神社は、紙祖神の川上御前を祀る神社。川上御前は里人に紙漉きの技術を伝えたという女神。紫式部が下向した越前は和紙の産地。日本初の全国通用紙幣「太政官札」には越前和紙が使用されました。岡太神社
一昨年の2022年の9月に日向坂46新メンバー募集オーディションから誕生した4期生の1人で、初めて北陸出身(福井県出身)ですこの時期に入ったメンバーの中で1番年上で、マフラータオルに書かれているあだ名は「くらげ」です福井といえば恐竜で有名で、福井の昔の地名である越前から取られた生き物といえばエチゼンクラゲから取った名前かもしれませんね
土曜日に釣りに行ってきました。今回も釣り仲間のキノピーと2人、予報はまたまた無風ベタ凪の好条件。今回はキノピーが行きたいと懇願され仕方無く行く事になりました。前回同様暗いうちから準備をして4:30過ぎに出港。ゆっくり走りポイント到着。薄っすら明るくなって祭りが始まる予定が…あらら?当たりが…暫くして私に当たりがありましたが針掛かりせず…仕掛けとヒットパターンを前回教えたキノピーに当たりヒットしました。それからはキノピー連発で私が1枚だけ…今回は食べ頃の
早いもので父が他界してから忌明け法要となりました。法要後、親兄弟と共にお気に入りの釣友のお店に越前町の「やそはち」さんありがとうございました😊忌明けで気持ちもスッキリしたので早速出港して来ましたまずは深場でタイ狙いも不発速攻で大好きなカサゴポイントへ😊何故か青物しか釣れない💦みんなは嬉しそうですが私は不満ピンポイントに攻めてようやくガッシーではない後半に差し掛かり全く反応がない状況でこの男がやらかします細いラインに加えて風と潮に乗りまくり長いバトルの末上が
越前付近では、先週から遊漁船のタイラバ釣果は好調をキープ中。真鯛は、これから段々と浅場に入って来るので、どこまで入ってきているか調査調査🧐夜明けと共に出艇し、あらかじめ決めておいた沖のポイントを目指す。移動途中の魚探反応には目もくれない😤しかし、あまりにも良い反応があったので我慢できずにジグ投入😅上層に小魚、下層に中型魚。弱った小魚が落ちて来るのを待ち構えているような反応。下層にてジグのフォール中に何かがヒット❗️今日は幸先良いぞと思ったが、上がってきたのはチダイ。気を取り直して
今日は、越前産のガス海老をご紹介致します‼️ねっとりと口中に旨味が広がります‼️美味しいですよ〜(^。^)♪本日は、カウンター席貸し切り営業となりますので宜しくお願い致します‼️^_^
「春なれど白嶺の深雪いや積り解くべきほどのいつとなきかな」越前国へ下向した紫式部に「年が明けたら唐人を見にそちらへ参ります」言っていた藤原宣孝(のちの夫)が・・・年が明けると、「春になれば氷さえ解けるもの。あなたの心もとけるものだと、どうにか教えてあげたい」と言ってきたことへの返歌。「春になりましたが、白山の雪はますます積もって解けるのはいつのことかわかりません」(春になっても私のあなたに対する気持ちは解けません・・・)気比の松原「唐人を見に・・・」紫式部が越前国に
昨日は福井県で2日目のロケでした。晴れて良かったです!山でタケノコ掘り体験しております。土に埋まっていた可愛いタケノコが採れました。土からほんのちょっとだけ頭を出しているのを見つけた瞬間がテンションあがりますね☆タケノコご飯が最高です!こちらは和紙作り体験です。越前のさまざまな文化にふれることができましたね〜つくしも元気に生えてました。昔はそこら中にいくらでも生えてたけど最近は見る機会が減った気がしてなりません。ほんじゃまた!
紫式部歌碑(越前市蔵の辻)「ふるさとに帰る山路のそれならば心やゆくとゆきも見てまし」父・藤原為時とともに越前武生で暮らした紫式部が「早く都へ戻りたい」という思いから詠んだ歌。雪掻きをして山のようになった雪に登った人が、「外に出てこの山をご覧なさいませ」と言うが・・・それが都へ帰る途中の鹿蒜山(かえるやま・木ノ芽峠)なら喜んで見てみようと思うけれど・・・鹿蒜神社(南越前町)鹿蒜神社は、996年(長徳2年)、木ノ芽峠を越えて武生へ向かったといわれる紫式部が参拝したという社
紫式部公園歌碑「ここにかく日野の杉むら埋む雪小塩の松にけふやまがへる」父・藤原為時に同行して越前武生に下向した紫式部が初めて迎えた冬・・・初雪が降った日に越前富士とも呼ばれる日野山に積もった雪を眺めながら、都にある小塩山の松を思い出して詠んだ歌。日野山の杉は雪が降って埋もれんばかり。都の小塩山の松にも降り積もっているのだろうか?紫式部公園紫式部公園から見える日野山。紫式部像園内の紫式部像は日野山を見つめている。大原野神社都の小塩山の麓には紫式部が氏神と崇めた大原野神
北陸新幹線見学に行きました🚅じゃんぷぐみ、すてっぷぐみ分かれて越前たけふ駅へ北陸新幹線見学に行きました🚗³₃自分で切符(入場券)🎫を買い、改札口を通り駅のホームまでレッツゴー新幹線来たよー!かっこいいね!🤩新幹線が通過する音が大きくて耳を抑えている児童もいますね新幹線を見た後はミスタードーナツでお買い物🍩🛒´-好きな味を選んで買えたよすてっぷに戻ってきておやつタイム🍩ドーナツおいしい〜🤤💕︎
満開のてまりこども園の桜剪定後、少々貧相ではありましたがやはり満開となるとそれなりにいいものです昨日からは散り始め空からは雨がぽつりぽつりいよいよ今日からは散る花びらとの闘いがはじまりますっと言うのも花びらが気に入らない落ち葉も気に入らないこどもたちの声も気に入らないそんな風におっしゃる方がご近所にいらっしゃるからだいらっしゃったからと言うべきか『子ども庁』昨日の新聞で「子ども庁」の創設案についての話題がチラホラ首相官邸の動きを毎日チェックしている
天気予報と遊漁船のタイラバ釣果情報を気にする毎日☀️あんなに好調だった遊漁船のタイラバ釣果が一時どん底に😅そして、ちょっと上向き加減になった4/5(金)に仲間内で遊漁船に乗ってみた🛥️すると、どうだろう🙄前日までの好調が一転して、そこらじゅうの船も含めて皆絶不調という釣りあるあるを食らってしまった😵↑これだけの釣果(チビ真鯛、チダイ、ウスメバル)で終了となった😵💫翌日は天気は良いが都合がつかず釣りには行けず🏠すると、どうだろう🙄遊漁船情報では真鯛が爆釣であると😱悔しすぎる😣
気比の松原松原客館は、平安時代前期に、渤海の使節団(渤海使)を迎えるため越前国敦賀に建てられた迎賓・宿泊施設。気比の松原付近にあったといわれています。気比神宮松原客館は、気比神宮の神官が管理していたともいわれることから、気比神宮近くにあったという説もあります。928年(延長6年)に渤海は滅亡しますが、松原客館は渤海滅亡後も、宋の商人や官人の迎賓・宿泊施設として使用されていたようです。紫式部の父・藤原為時は、その交渉相手として越前国司に選ばれたといわれています。東鴻臚館址平安京の鴻
なんやかんやとバタバタしてて全然行けてませんでしたがようやく少し落ち着いたタイミングで久し振りにマイボートで沖まで遊びに行って来ました時期的にタイも気になりますが目もくれず根魚一本です笑笑鉄板ポイントであっさりたけやんご満悦😆わたしも負けじと良型ゲット例の魚に見えないピンクフロロ🩷いい仕事してくれますポイントさえ合えば連発してくれますあっという間にバケツは満タン風がない状況にも関わらず良く釣れてくれたと思いますラストはトーゴくんのデカクロソイを見届けて納竿としま