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今朝は六時に起床して例によって空をみていましたらほんの30分の間に色づいた雲から、雨模様の灰色の雲まで強烈な変化を遂げました。あまり見ない変化でした。広島県では雪で高速道路が通行止めになりました広島市内でも、雨が霙の状態でした。”雪の果”とは春を迎えてその年の雪が降り納める事を指すようです。三島由紀夫が自決の直前に書き上げた、”豊饒の海”という大作に”春の雪”という巻があります。高校生の時に興味をもって読んだのですが、全然理解不能でした。読みかえしたくなりました。
一段落の納税申告準備ちょうどお仕事の端境期、というのか、日本の確定申告は、会計士さんとのこまごましたやりとりに落ち着き、アメリカのTAXRETURN(確定申告)は、外国金融口座報告書(FBAR)を提出して、あとは日本の確定申告書提出を待って、モーレツに動き出す直前、という時期。この1週間は、お客様との面談だの、会食だの、の予定です。そして、封印していた趣味も再開。厚い本をゆっくり読む時間ができて読みかけの三島由紀夫の4部作”豊饒の海”の第二巻、”奔馬”を手に取っ
2008年に文化勲章を受章したドナルド・キーン(DonaldLawrenceKeene、1922-2019年)は、米国生まれの日本文学研究家、コロンビア大学名誉教授、彼は真珠湾攻撃から間もない1942年、カリフォルニア大学バークレー校の海軍語学校に志願、その後は海軍情報士官としてハワイの海軍翻訳局に赴任した。【紀尾井町の福田家で対談中の二人、1964年】三島由紀夫とは1954年に知り合って以来親交を深めた。ドナルド・キーンの日本語名「怒鳴門
1965年2月、三島由紀夫は豊饒の海4部作の第一巻『春の雪』を書く為に、奈良の円照寺、臨済宗妙心寺派の尼寺を訪れている。此の寺は大和三門跡と呼ばれる門跡寺院で、華道の「山村御流」の家元でもあり別名、山村御殿と呼ばれている。【春の雪の舞台、「月修寺」のモデルになった奈良「円照寺」】『春の雪』は三島自身が小説の後注に、菅原孝標女の『浜松中納言物語』を典拠にした夢と転生の、手弱女振り(たをやめぶり)又は、和魂(にぎみたま)の物語と呼んでいる。
1970年8月31日、三島由紀夫は羽田空港国際線ロビーに居た、澁澤龍彦夫妻(仏文学者で小説家。渋沢栄一の遠縁)が欧州旅行に出発するのを見送りに来たのだ。三島が空港に見送りに出向くのは非常に稀な事だ。【三島由紀夫と澁澤龍彦の交流は深かく長く自刃まで続いた】【遺作となった“高丘親王航海記”は文藝春秋社から1987年発刊された】三島の遺作、豊饒の海(四部作)は1970年11月25日自刃当日
わが家の受験生,次男君,私大の追加出願はしないことに決めました。国公立の出願については,来週,高校の先生と面談があるようなので,そこで正式決定になります。さて,1月1日から読み始めた,三島由紀夫の「春の雪」を読み終えました。20年以上前に一度読んで,そのときも魅了されましたが,今回も三島世界に圧倒されました。恋愛小説という体を取っていますが,非常に恐ろしい小説です。作品に登場する,聡子という女性。その美しさを表現する,三島のペンは冴え渡っています。読んでいて,これほ
雨降って地固ま、、、らない時もある。その昔、いろいろあって仲違いしたお友達♀のことを昨日ふと、思い出した。お元気だといいなぁ今日は雨、、、仕事のんびりかなぁお相撲見て読書しよ
1967年に、三島由紀夫が42歳を目前に(1925年1月14日生まれ)、読売新聞正月版に『年頭の迷い』というエッセイを書いている。【三島由紀夫は剣道5段錬士であり居合道も2段だ】”私も40になったら、せめて地球に爪痕を残すだけの仕事をしたいと思って、一昨年から四巻物の大長編に取り掛かったが<中略>この長編の完成は早く共5年後の筈であるが、その時は私も47歳になっており、此れを完成した後は最早華々し
やるべき事→年賀状です。50枚足らずですが,やりたくないモードのまま今日になってしまいした。なんとか気持ちを奮い立たせて,さっき終わりました。これで,すっきりです。妻は,昨日戻っていきました。次男は,床屋に行ったぐらいで特に変化無し。昨日と今日の私トレーニングなしスタサプ数Ⅲ56/75終了入門問題精講数Ⅲp79~96年賀状が終わったら,ちょっとだけお正月という気分になってきました。作家の高橋源一郎は,正月に谷崎潤一郎の「細雪」を読むそうです。
「過去」というものは、絶対的にあるように思いますよね。私も昔の嫌なこととか失敗したことなどを思い出して「ぎゃー!」と叫んでしまいそうになることがよくあります。でもその過去の事実って本当にあったことなのでしょうか?例えば、昔よく行ってたあの定食屋ってこの道行った左手にあったよなー、と思ってても実は右手にあった、なんてことないですか?過去の事実が記憶の中ですり替わっていることがあるような気がします。私の好きな三島由紀夫の長編小説「豊饒(ほうじょう)の海」では、人の記憶と過去の事実が重なり合
小室直樹と三島由紀夫がどう結びつくのかというと、それは小室直樹が書いた『三島由紀夫が復活する』(文庫本『三島由紀夫と『天皇』』)という本を私が読んだからである。昭和60年3月に毎日フォーラムから出版された本だが、そこで小室は三島に多大な共感をして、わざわざ書き上げたのだった。そのとき私は33歳であった。たまたま実家が会津坂下町の駅前であったので、駅の売店でその本を見かけた。そこでは買い求めなかったが、その後読むことになった。小室については会津高校の在学中に、同級生であった担任から変人ぶ
今度の日曜日に柳津温泉で講演をすることになっているので、三島由紀夫の『豊饒の海』の4冊を読み返しています。唯識思想の解説書として小室直樹も高く評価していますが、70年代の唯識ブームのきっかけとなったことは確かです。三島の文体はきらびやかで、目で追うことことも考慮されています。僕は若干抵抗がありますが、輪廻転生について書いてある部分は、熟読しています。そして、小室の「『豊饒の海』の真意」(『日本人のための宗教原論』)という文章が正鵠を得ていることを確認しました。「第一巻の松枝清顕(まつが
三島由紀夫が、1965年9月から1967年1月にかけて月刊誌「新潮」に遺作となる『豊饒の海』4部作の第一巻『春の雪』を発表した。三島は執筆に入る前には綿密に調査や取材をするのを常としており、三島の『取材ノート』には細部に亘るイラスト等も描かれている通り、その徹底振りには驚かされる。「春の雪」執筆に際しても、その舞台となる明治から大正時代の華族の生活習慣等に就いて取材をした、その取材相手に三島が選んだのは学習院で一年上の三島を”兄貴”と呼ん
おはようございます☀️昨日はおうち宝塚鑑賞day📺オンデマンドから探して明日海りおさんが月組にいらした時のバウ主演公演、春の雪を見ました!いやもうビジュアル最高🥰これは三島由紀夫の豊饒の海という有名な小説の第1作、春の雪を舞台化したものになります。私は原作を知らないのでこの宝塚のお話だけで語らせていただくのですが…ストーリーがめっちゃ面白い!!大正時代がこのお話の舞台になっています。ヒロインは元雪組トップ娘役の咲妃みゆさん。私ゆうみちゃんの演技が本当に大好きだった🥰良家に
約半世紀前に人生半ばで切腹自殺した、天才作家の三島由紀夫さん。場面も自衛隊の市谷駐屯地で、自衛隊員に檄を飛ばした後と言う、その舞台装置も劇的だった。彼は自分の人生を自らの手で、自分が執筆した長編叙事詩そのものに、締めくくったわけだ。この総括の仕方は、ある意味狂気である。この狂気の基本原理として、「陽明学」という指摘がなされた。陽明学は孔子の儒教の一流派で、「知行合一」を旨とする。なお日本における儒教の主流は朱子学で、こちらは形式美と秩序を基本としている。江戸幕府もこちらを奨励していた。
雨の日の過ごし方を教えて!▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようTBSラジオの街頭インタビューを受けた。学生の活字離れが叫ばれ、その調査も兼ねていたのだろう。「読書週間ですが、今何か読んでますか?」「勿論です」「本のタイトルは?」「それは、ちょっと…」『禁色』思わず、言い淀んだ記憶がある。二十歳かそこらだったので、こういう世界に興味を持ってると思われたくなかった。カエル🐸というより、カメ🐢からオタマジャクシ🎵をどこに放つかと
仏教の世界に「阿頼耶識」(アラヤシキ)と云う言葉があるが、広辞苑に拠ると「人間存在の根源を成す意識の流れ。輪廻を超え経験を蓄積して個我を形成し、又全ての心的活動の拠所となる」又、大辞泉によると「宇宙万有の展開の根源とされる心の主体」と解説があるが兎に角、分かり難い唯識論だ。三島由紀夫が、1970年11月25日の自刃当日に脱稿した長編小説「豊饒の海」4部作のキーワードは、”輪廻転生と無”と云われているが、そのベースが即ち”阿頼耶識”と三島自身が語っている。
三島由紀夫は昭和41年8月、ドナルド・キーンと2人で京都・奈良の旅行をしていることに就いて以前このブログに書いた。【在りし日の三島由紀夫とドナルド・キーン】三島の最後の作品、「豊饒の海」四部作の第二巻「奔馬」は昭和42年2月から43年8月に月刊新潮に掲載されたが、この作品の為の所謂取材旅行だ、三島の取材旅行の拘りは良く知られるところだ。この時は京都東山蹴上の”都ホテル”に宿泊し、古事記に登場する日本最古の大神神社(おおみわ)を訪れ、巫女の『杉の
\\メイクしながらスキンケア//山あり谷あり、波乱の人生ドンブラコ!ようやくたどり着いたあこがれの年金生活‥夢見た悠々自適ゆうゆうじてきの年金生活は、なぜか幽遊自虐ゆうゆうじぎゃくの年金生活にさま変わり‥だがしか~し転ころんでもただでは起きないのが団塊だんかい育ちのいじましさ!つかんだ節金せつきんテクニックを余すとこなくご披露いたしましょ~ぅさて、昨日の『三島由紀夫が復活する』の続編、いよいよ本作の中身に迫ります!
\\メイクしながらスキンケア//山あり谷あり、波乱の人生ドンブラコ!ようやくたどり着いたあこがれの年金生活‥夢見た悠々自適ゆうゆうじてきの年金生活は、なぜか幽遊自虐ゆうゆうじぎゃくの年金生活にさま変わり‥だがしか~し転ころんでもただでは起きないのが団塊だんかい育ちのいじましさ!つかんだ節金せつきんテクニックを余すとこなくご披露いたしましょ~ぅ新聞の紙面広告で新版『三島由紀夫が復活する』(小室直樹/著)という書籍の広告を見ました。
連休真っ只中ですが、いかがお過ごしでしょうか。最近だんだん遅読になっている気がして多くは読めていませんが、ずーーっと気になっていた『豊饒の海』を読了できたので大満足です!『豊穣の海』に言及している色々な作家の作品も読めるので、今後はそれも楽しみとしましょう。では、先月読んだ本をまとめます先ずは、三島由紀夫の最後の小説となった『豊饒の海』から。『豊饒の海①『春の雪』三島由紀夫』美しい言葉で紡がれたことばの連なりを読んでいると、日本語を母語として生まれてよか
これまで、好きすぎて何度も記事にしてきた「春の雪」の続き「豊饒の海」第二巻「奔馬」を再読しました『師走の湯島を歩いてみたら』御徒町に行く用事があったので、ちょっと寄り道してみた双子パンダ誕生に沸く上野界隈。早く見たいな~なんて思っていたら、今朝の東京新聞の記事。来月、会えるんだって…ameblo.jp『「春の雪」が降る頃に』昨年末に旧岩崎邸庭園へ行って、またこの小説を読みたくなりました三島由紀夫の「豊饒の海」第一巻「春の雪」岩崎邸に行った時に、これは松枝侯爵家のお邸のモデル…ame
このように終止するのかあ。そうかあ。そうかあ。‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥。(しばし呆然と)ということで、一巻『春の雪』、二巻『奔馬』、三巻『暁の寺』、そして四巻『天人五衰』と、『豊饒の海』読了しました!👏👏👏1~4巻まで通読するのははじめてだったから、うん、満足したし、ちゃんと読めてよかった!私はたいてい併読するタイプなんですが、『暁の寺』からは他の本との併読ができなくなり、夢中になって駆け抜けた感じです。おかげで、今月読もうと思っていた村
『暁の寺』を読みました。また今回も熱く読み込ませますねーー🔥最後の方は夢中になって読むスピードが追い付かなくなり、目が滑りそうになりながらの読了となりました。本を閉じて、あ、呼吸しなきゃと思いました。第一巻『春の雪』、第二巻『奔馬』、そして第三巻にきました。今回はエロティックでしたね。しかも、まさかのこういう展開?と濃厚なかたちもあり。三島美学においてエロスは切り離せないものと感じます。『暁の寺』は、第一部、第二部からなり、内容がもりだくさん!モリモリ
三島由紀夫『豊饒の海』を読んでいますが、『奔馬』を読んでから気になったのが「神風連」についてです。実は、「神風連」について知りませんでした!歴史の教科書に載ってたっけ?全く覚えていません!!神風連の乱-Wikipediaja.wikipedia.org『奔馬』は「神風連」に魅せられ、ほとばしって散った主人公、勲(いさお)の壮絶な人生を描いた作品です。『豊饒の海②『奔馬』三島由紀夫』最後の最後で怒涛の如く、カーーーッと熱が上がって、本が燃え尽きる感覚に陥りました
最後の最後で怒涛の如く、カーーーッと熱が上がって、本が燃え尽きる感覚に陥りました🔥豊饒の海、第二部『奔馬』です。なお、現在『暁の寺』を読了したところであります。大変にハァハァしております。『春の海』で見た、一人の女性への命がけの愛とは異なり、『奔馬』では、憂国の士であった「神風連」の精神と行動に魅入られた若者の、高潔な思いが迸っていました。「神風連」しかり、ここに出てきた若者の精神性に共感はしないけれど、日本人が根底に持つ気質というものはきっと変わらないはずなの
美しい言葉で紡がれたことばの連なりを読んでいると、日本語を母語として生まれてよかったと感じます先月の記事にも書きましたが、改修のため約4年間閉館する(した)鎌倉文学館へ行く前に『春の雪』を読みました。こちらは再読で以前映画も観ました。しかし、清様(妻夫木聡)の、裸にサスペンダーの場面が強烈で(原作にはなかったよ!)他はあまり覚えていないという…💧これを機に『豊饒の海』を最後まで読んでいこうと思います!自分のブログをどれくらいの人か最後まで読んでくれているのか分
清水エスパルスvs東京ヴェルディ皆様4月8日日本平へ。東京ヴェルディの応援に行きましょう。それは三島由紀夫。豊饒の海。東京都民の矜持です。
東京ディズニーランドは今年で40周年(昭和58年開園)を迎えるそうだが、三島由紀夫は自決の年、昭和45年正月、11歳の長女と8歳の長男を連れ家族で米国ディズニーランドに遊びに行こうと瑤子夫人に提案したが、夫人は「豊饒の海」を完成した後にしましょうと断った。【ロス近郊にあるディズニーランド】【山中湖畔にある三島由紀夫文学館】三島自身は、作家の三島由紀夫と、家庭人の平岡公威を日頃から厳密に使い分けている訳だが、同夫人は『私の結婚相手は平岡公威ではなく、実は三島由紀夫だ
2023・3・3見事に花咲かせたねにょきにょき此れは帽子❓体より大きい花だね丸くて面白いね手前の上が平ら❓どうしたんだろう🌵キラーにやられたかなうっ