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http://www.meijijingugaien.jp/art-culture/seitoku-gallery/明治神宮外苑|聖徳記念絵画館聖徳記念絵画館。明治神宮外苑は明治神宮の外苑として大正15年に創建され聖徳記念絵画館を中心に神宮球場をはじめ各種スポーツ施設と四季折々の自然を満喫することができる。特にいちょう並木はよく知られている。www.meijijingugaien.jp遊就館に劣らない薩長プロパガンダ絵画館ワイのような会津藩推しには非常に胸糞悪い所です。明治大帝の生涯に絡
なぜ日本の城下町はこんなにも殺風景なのか…城を「過去の遺物」としか見なかった明治政府の恐るべき無教養(プレジデントオンライン)-Yahoo!ニュースなぜ現存する天守は12しかないのか。歴史評論家の香原斗志さんは「大きな要因は明治政府が出した廃城令にある。彼らに文化や歴史的景観を守るという発想はまったくなかった」という――。■なぜ日本の城は無news.yahoo.co.jp根っからのクソ田舎者どもに、「文化」などという言葉を示しても1mgも響くわけがないこの記事についたクソ
内海聡@touyouiホントそうなんだが日本の天皇洗脳は根深い。だからこんな国になったんだが説明するのも疲れた。私の歴史の本でも読んでくれ。https://t.co/HRpEm8TFny2023年04月21日16:58ぼくちゃん@djR61A2bmS4AOP0日本最大のカルトは【天皇教】天皇教は明治維新後に生まれた新興宗教!薩長テロリストが天皇教を作る天皇教の中核を成す経典が教育勅語明治以前の庶民は天皇の存在を知らず、天皇と国民の関係は高々150余年の歴史しかない天
〈速報〉です。本日は、孫の一歳誕生日の為の熊本行きにかこつけて、途中下車と寄り道して「小倉城」(福岡県北九州市)と「佐賀城」(佐賀県佐賀市)を訪城しました。新大阪駅から小倉までは「ひかり」どちらも、数十年ぶりの訪城で、特に「小倉城」はアナログ写真十数枚しか撮れてなかったので、シッカリと写真に納めました。鏡石級の石が一杯使用された大手門跡から槻門跡、鉄門跡等立派な門跡を見ながら通り抜けて本丸跡へ。鏡石級の石が散りばめられた大手門跡大きな枡形の槻門跡赤茶けた石がある鉄門跡槻門跡上に
みなさんこんばんは🌆メムです。過去51年間、ずうっと騙され通しだったメムですでも、気づけたからいいやー💕と思うしかない。パート2は明治維新についてです。https://ameblo.jp/20020702777/entry-12788014022.html『騙され通しだったわたし①』みなさんこんばんは🌆メムです。ここ、しばらく、この51年間騙され通しだった日々を振り返っております。列挙してみるので、みなさんもチェックしてみてください💕…ameblo.jpこの話並みに、「見事に騙された
サーベル警視庁[今野敏]楽天市場1,760円サーベルを持つ警察官の姿が美しくキリッと引き締まった感じがしの装丁です。明治38年という年がどういう年なのか…。幕末から明治維新にかけて激動を生き抜いた斎藤一が出てきます。もうここだけでワクワクが止まらないのですが斎藤一が警察官になったことを現役の警察官が知らない程度には時間が経っているのが明治38年という年のようです。不忍池で発見された帝大教授の遺体。関係者として出てくる黒猫先生が夏目漱石だなぁと当たりをつけつつ、山
こんにちは、badasstigerです❗️約160年前、所属する藩の為に命をかけて散った若者達がいました。その名は白虎隊といいます。若者達は、何のために戦い何のために散ったのか?朝敵となった会津藩白虎隊は会津藩、今の福島県会津若松市に所属していました。会津藩は、2代将軍徳川秀忠の弟の保科正之の血筋でその遺訓から将軍に忠誠を尽くす教えが行き渡っていました。それが、子供の頃から厳しく教えられる什の掟と言われるものです。この教えの最後には、「ならぬことはならぬものです」という
新しい年を迎えて、改めて葦津珍彦の『明治維新と東洋の解放』を読み直して、教えられることが多かった。明治維新については、マルクス主義者の解釈が横行し、それに振り回されてしまっているが、葦津は在野の思想家として、正論を述べていたからである。葦津によれば、幕府側を守旧派と決めつけ、薩長側を進歩的と決めつけるのは間違っている。実際に権力を握っていた幕府は、世界の情勢にも敏感であり、危機感を抱いていたからだ。幕府が構想していたのは、身分制度的組織を改組し、能率本意の官僚組織への改組であり、各藩の
日本史上で1番男尊女卑キツかったの、明治から昭和辺りじゃねーの?全部薩長のせいです。
私は仙台出身なのですが、東北はいつも苦い思いをしてきていると感じます。特に福島は地震や原発で散々です。私の母方は福島にルーツがありますので原発の話題になるたびに辛いです。田舎というイメージも強いように感じるのですが、発展させようと思えばできたはずです。意図的に発展させなかったのでは、と思うのです。東北が冷遇されているのは明治からの複雑な歴史が絡んでいるから、と仮定するとすんなり腑に落ちます。幕府側についた会津藩への恨みはそれほど深かったのでしょうか。都市圏の電力供給のための
慶応4年(1868)1月3日―慶喜上京の先供と称して会津・桑名藩を含む旧幕府軍約1万5000が、「討薩の表」をかかげて京へむかった。その行く手には約4500の薩長軍が手ぐすねを引いて待ち構えている。旧幕府側はすっかり西郷の術中にはまっていた。国立国会図書館デジタルコレクション「大日本読史地図」(吉田東伍編[他])討薩の表を携える滝川具挙は鳥羽口で道路を押さえる薩摩藩の兵を認めたので、関門に使者を出して道路を開放するよう求めたが、薩兵は応じない。朝命で上京するのだから
やり方選ばねえ残虐さはのちの薩長、露軍と親玉(プーチン)にも受け継がれるわけで。
時の流れは、誰にも止められない。ならば、流れに身を任せるしかないのか。そうやって、人は生きてゆくのか。いつの世も、時の流れに逆らう者がいる。それは、愚かなことなのか。私は、そうは思わない。時の流れを知らずに逆らっているのなら、愚かと呼んでもいいかもしれない。しかし、それがわかっていながら、己の信念に従って逆らう。それは、ひとつの美学だ。土方歳三がそうだった。私が入隊したのは、戊辰戦争の最中の会津だったが、彼は愚かではなかった。「俺はね、俺の行きたいよう
家族ではなく華族最近は上級国民?とも呼ぶようです華族制度にはもとは旧大名家・士族等を慰撫する目的もあったようです。その特権は多岐にわたりましたそこにゆけば真子様に使わされる費用など微々とも言えるでしょう・・やがて明治新政権を担った人々が我田引水的に運用し始めますデーターによれば新規参入華族は①山口県75家②鹿児島県71家③高知県31家④東京府21家⑤福岡県17家⑥佐賀県15家・・・だそうですから・・それに華族制度で最高位の公爵家は山口3家と鹿児島2家のみだそうです薩長自儘
歴史的な大事件に関する謎として、よく本能寺の変が挙げられていまして、本能寺の変の真相について、色々な説が考えられていますし、それについての本もたくさん出版されていて、テレビ番組でも度々取り上げられていますね。けれども、私はなぜか本能寺の変の真相についてはそれほど知りたいとは思わなくて、どちらかというと坂本龍馬を暗殺した犯人が誰なのか?ということの方が気になります。吉野奏美さんの霊感体質かなみのけっこう不思議な日常8(裏京都編)(SAN-EIMOOK)Amazon(アマゾン)11
霊界物語第一巻に【世を救う弥勒の神の標章は〇に十字の神定めなる】とあります。しかし、〇に十字だ言われても、どんな形なのかよく解りませんね。写真の左は、現在の大本が平成になって建立した神殿群にある標章です。出口王仁三郎聖師が亡き後、普通に考えればこの形でしょう。さて、右の〇十は解読したものです。総合して右の標章でないと解読に結びつかないのですが、決め手がありませんでした。大本神諭に、「薩張り(さっぱり)」で改めるとありまして、それが最終の決め手となりました。明治維新において、薩摩と
大政奉還は徳川幕府のほうが出してきた手で、王政復興の大号令は薩長のほうが出してきた手だから。そりゃ最初から全然違うわけですが。「結果は『幕府解散』という同じことを、解散する側が言ったのか、させる側が言ったのかの差だけで、内容は同じでしょ」ってお思いなら、これは全然違うんです。最期の将軍は、「もう参りました、許してください、命ばかりはお助けください」って泣きながら大政奉還した、みたいなイメージでいるのなら、それは大間違いです。徳川慶喜は、徳川政権が生き残るためのウルトラCで「大政奉還」したん
『宮さん宮さん』作詞~品川弥二郎(1843~1900)一、宮さん宮さんお馬(んま)の前にひらひらするのは何じゃいなトコトンヤレトンヤレナあれは朝敵征伐せよとの錦の御旗じゃ知らないかトコトンヤレトンヤレナ二、一天万乗(ばんじょう)の一天万乗の帝王(みかど)に手向いする奴をトコトンヤレトンヤレナねらい外さずねらい外さずどんどん撃ち出す薩長土トコトンヤレトンヤレナ三、音に聞えし関東武士(ざむらい)
『①外圧で開国を迫られ、安政の大獄や将軍継嗣問題、攘夷運動等が高まる中で、幕府が威信低下し、そして、②最後の将軍”徳川慶喜”が大坂から江戸へ逃避していくその間に起こった出来事に纏わる「お城」を採り上げる』シリーズです。幕府は、「第二次長州征伐」で長州を攻めるべく、各藩連合の「幕府軍」を編成して四か所で「長州軍」と対峙します。しかし、各所いずれも長州軍に攻められたり、劣勢となって自ら自分のお城に火をつけて退去、更には総大将でもあった将軍「家茂」が「大坂城」で逝去したことによって、長州から撤
🗓皇紀2680年(令和2年)10月29日木曜日🗓🎈故郷の偉人⭐️🔥⭐️13/♾📙🎈今朝、手に取ったのはこちら先日、歴史の話の中で薩長のはたらきを聞き西郷隆盛の最後の想いを感じとると私は悔しい思い、、無念な思いだったのだろうなぁと涙がこぼれ落ちた😢これまでの歴史知らなさすぎることが多い自分、、この偉人達が生きた土地で生まれ育った自分人生中盤、、いや後半に入った今からだけど沢山の書物に触れ歴史に触れていく‼️歴史は古すぎ、初めからはきっと難しい、、ならば、わが
歴史教科書等によると、幕末、薩摩と長洲が、攘夷から開國路線に轉向したのは、外国と戰って自らの非力を悟ったからだなどという書かれ方がしてあるものも、散見される。薩摩や長洲が、外国と戰い、その結果判明した外国の利点や長所を學ぼうとしたことは事實だ。しかし、特に薩摩は、イギリスずれと戰って、負けてなどいない。むしろ勝ったとさえ言えよう。薩摩とイギリスの戰い、薩英戰爭において、當時世界最強の海軍国であった英国は、末端の田舎艦隊を送ったわけではなかった。當時イギリスでも最新鋭のスクリュー推進蒸氣船、
読み終えました。涙が出ちゃうよ。主人公が負けるとわかっているお話を読んでいくのはけっこうつらい。いよいよダメが近くなってくると読み進められなくなる。そういう時はラストの章から読んで元に戻ったりする。お話は箱館戦争の終結まででした。その後のことはほんの3ページほどで老いて今際の際の夢やら言葉やら。そして後書きのように、その後の武揚について1ページほど。降伏後、29年生きたのかな。佐々木さんの榎本武揚は私が今まで少ない知識でイメージしていた武揚を
「中」は武揚が5年間のオランダ留学から帰って来て、日本は大政奉還か・・・という時。そこから、薩長に江戸城を明け渡し、その後の徳川家の処分が決まるのを待って~~あまりにもひどい処分だったので・・・・いよいよ戦かというあたりで終わりました。武揚の中に蝦夷地に行こうかという思いがどんどん膨らんできたところです。「下」が蝦夷地でのできごと、そしてその後の明治政府での人生ということですね。幕末のお話って、複雑?でわけわからなくなっちゃうことが多いんですよ
ほいぃ~(・(エ)・)ノシまだ20時半とは、今日はゆっくりと転がれるわい。そんなわけで、もう少しだけ書こう。これは私が常日頃、彼氏に熱く語っていることだが、そもそもこの国がおかしくなったのは、明治維新から。現在政府にいらっしゃるのは、ユダヤの手先として動いた、薩長の子孫の方々だ。幕府側も最終的には、フランスの手を借りているため、ユダヤの手先に利用されたのは同じ。どうして北海道が真っ赤な大地かと言えば、薩長に滅ぼされた幕府側や、会津藩、仙台藩な
『落日の宴勘定奉行川路聖謨』(吉村昭著講談社文庫)の下巻を読了しました。軽輩の身から立身出世を果たし、幕末期に外国との交渉の最前線に立った川路聖謨の一生を追う作品です。ロシアから来日し、開国を迫る使節・プチャーチンとの緊張感にあふれた交渉からスタートした下巻。日露和親条約の締結という、大役を見事に果たし切りました。しかし、下巻の中盤以降は華々しい活躍とは縁遠くなっていきます。井伊直弼の大老就任後は左遷され、その後は目立った活躍ができず、表舞台からの引退を余儀なくされます
明治国家偽者か。そんな疑問が、誰もが浮かぶだろう。考えると、薩長の連中と利権を貪った者が財閥となる。民衆は富から遊離したままだ。天皇は飾り物で、民衆を扇動するためにある。このままでは、財閥と癒着した者が利権を貪る。これが何の真の日本であろう。大本開祖出口直は、一度目の天の岩戸を嘘で固めた岩戸開きとお筆先で述べる。明治国家は嘘で固めた岩戸開きという意味である。大本では、「九月八日のこの仕組み」とある。この日を大本では重要な日とした。
自分も昔から書いていますが、今の日本政府は不完全政府の薩長の流れを汲んでいますから、余計にダメなのです。坂本龍馬が生きていたら別でしたが。やはり、市民による政府に変わり、北欧のように環境先進国兼福祉国家に変える必要があります。それが成されれば、ゆりかごから墓場まで保証された社会になり、それらの社会になれば差別社会も消え、医療や教育費は無償になります。ただ、高税にはなっていきますが、今回のコロナ禍で思い知る羽目になりました。アメリカの言いなり政治もやめましょう。陰極霊団の思う
新型コロナウイルスの感染元として特に謝罪もなく、むしろ初期対応が優れていると自国(中国)の発表。その最中、日本固有の領海内で、中国公船が日本漁船を追尾する問題が・・・。確実に日本の領土を狙ってきている証です。中国は、その他技術も侮れません。一帯一路による5Gのデジタル普及。宇宙強国へ向けてロケット打ち上げ。何が怖いかと言えば、世界人民監視社会になるということです。一方で、量子暗号にも先端を越され、中国内部情報は外に漏れる可能性は低い。もし中国との関係が悪化すれば、容赦なく「報復」経済面