慶応3年(1867年)12月の王政復古クーデターは薩摩藩、中でもその中心を担った西郷や大久保に対する京都在住の旧幕臣や会津、桑名両藩士の激しい怒りを掻き立てずにはおかなかった。慶喜は、このまま京都にいては会桑と薩摩藩の軍事衝突が発生しかねない情勢を恐れ、彼らを引き連れて大坂城に退去した。この慶喜の政治的決断は、期せずして政治・経済の重要拠点である大坂を制圧して新政府に軍事的威圧を加え、京都・大坂間の物資輸送を遮断することも可能な戦略的優位を確保する効果を挙げた。慶喜はこの大坂城で英・仏・米ら6か