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3月10日の歴史1378年3月10日室町幕府三代将軍足利義満室町に造営した室町殿(花の御所)に幕府を移す足利家より崇光上皇に献上され仙洞御所となっていた花亭を皇室から再び譲り受け御所としたこれが花の御所である室町時代と呼ばれる本格的な時代はここから始まりますね室町幕府将軍列伝[榎原雅治]楽天市場3,520円足利義満花の御所と金閣寺(学研まんが人物日本史)[広岡ゆうえい]楽天市場836円戦国の城を歩く(ちくま学芸文庫)[千田嘉博
おはようございます。昨日の京都は雪がちらついたり、寒い1日でした。今日から七十二候が変わります。【桃始笑(ももはじめてさく)】桃の花が咲き始める頃。花が咲くことを「笑う」と表現、「山笑う」は春の季語です。咲き始めた桃の花も、この寒さで縮こんだのではないでしょうか。実際に、桃の花が咲くのは桜の後です。毎年、山梨の笛吹市では甲府盆地がピンク色に染まります。まさしく桃源郷のようです。*****************************************************
…その邸宅とは?上京の「堀出シ町」と云う町名は、上京区役所を含むその一帯を指す。これは「花の御所(室町殿)」こと室町幕府・将軍邸の堀が在った事に因むと云う。室町幕府3代将軍・足利義満が造営し、6代義教、8代義政もこれを将軍御所とした。
名古屋のシンゾウです3級対策の週末試験が、今回で14回目です。昨日の人物抜粋(part01)は如何でしたか。本日も(part02)を掲載します。(Part02)徳川家茂、徳川家康、徳川秀忠、徳川慶喜、土佐光起、豊臣秀吉、豊臣秀頼、新島襄、野々村仁清、羽柴秀吉、橋本関雪、長谷川等伯、原広司、深草少将、藤原定家、藤原道長、藤原山蔭、藤原頼通、藤原彰子、ブルーノ・タウト、細川勝元、本阿弥光悦、牧野省三、槇村正直、松平容保、水戸光圀、源頼朝、宮本武蔵、明恵、夢窓疎石、紫式部、八木源
令和5年3月19日(日)御霊神社から大聖寺へ徒歩で向かう。烏丸通りを南へ下る。徒歩10分程。烏丸通りの両側には赤レンガ造りの校舎で統一された同志社大学のキャンパスが並び建つ。烏丸通り今出川上ル西側にひっそりと佇む寺が大聖寺である。大聖寺は門跡尼寺で特別拝観時を除いて、日頃は一般公開していないため、本堂内・庭園などを拝観することができないのが残念である。近年では、2013年と2020年に「京の冬の旅」で特別公開されている。〈大聖寺〉東門。大聖寺庭園の案内板。京都市指定名勝。玄関
FERRARI612SCAGLIETTI3月10日は東京都平和の日、農山漁村婦人の日、チベット民族蜂起記念日、東海道・山陽新幹線全通記念日、佐渡の日、横浜三塔の日、水戸の日、砂糖の日、ミントの日、サボテン🌵の日、1378年…足利義滿が京都室町に造営した室町殿(花の御所)に幕府を移転(新暦4月7日)、1872年…横浜に日本初のプロテスタント教会「横浜公会」(後の日本基督公会、現横浜海岸教会)が設立、1872年…文部省博物局(現在の東京国立博物館)が東京・湯島聖堂の大成殿を「文部省博物館」とし
おはようございます。今朝、京都市ではシェイクアウト訓練(一斉防災行動訓練)が実施されます。その際、緊急速報メールが京都市内全域を対象に携帯電話及びスマートフォンに一斉配信されますが、隣接している大津市内でも受信する可能性があります。緊急速報メールはマナーモード設定でも着信音が鳴る場合があります。受信した場合は落ち着いてメール文面を確認なさってください。訓練実施日時令和5年3月10日(金曜)午前9時30分(緊急速報メール配信時間は午前9時35分)********************
室町幕府3代将軍・足利義満は当初は父・義詮から受け継いだ三条坊門殿(三条坊門万里小路〈マデノコウジ〉殿)を御所としていたが、永和4年に室町殿(北小路亭・花の御所)を造営してそこに移った。義詮義満ここは、元々は光明上皇・崇光(スコウ)上皇の仙洞御所である。菊亭と、義詮の花亭があり、義満はこの2つの邸宅を合わせる事で新たな御所を建立した。義満が当・御所を建立して以来、足利氏の家督者は「室町殿」と呼ばれる様になり、足利政権は「室町幕府」と
…【85】室町殿(花の御所)を造営し、翌年、三条坊門殿から移った。その敷地には鴨川から水が引かれ、「花の御所」の名の通り、四季折々の花が咲き誇っていたと云う。その範囲を現在の通り名で表すと、北は上立売、南は今出川、東は烏丸、西は室町と考えられている。
前回まで、南北朝期の平安京の変化について書いてきました。ようやく室町に存在する「花の御所」に言及出来て、やっと室町時代の話ができるようになった気がします。ここまでくると、室町時代の地図を見てみてたくなりますが、残念ながら、そのような絵図はありません。応仁の乱で主たる建物が焼け、天皇の御所、将軍御所、それぞれが仮設建物であった時期もあり、地図なんて作って意味あるか?て状況だったのでしょう。地図とは異なり
おはようございます。今日から七十二候が変わります。【桃始笑(ももはじめてさく)】桃の花が咲き始める頃。花が咲くことを「笑う」と表現、「山笑う」は春の季語です。咲き始めた桃の花も、この寒さで縮こんだのではないでしょうか?実際に、桃の花が咲くのは桜の後です。毎年、山梨の笛吹市では甲府盆地がピンク色に染まります。まさしく桃源郷のようです。今日も語呂合わせのような記念日がいっぱいです。○佐渡の日佐渡観光協会が1998(平成10)年に制定。「さ(3)ど(10)」の語呂合せ。○水戸の日
室町時代に一世風靡した花の御所。現在の烏丸今出川上ル北西一帯に当たる。私の学生時代は同志社大学の学生会館で多目的ホールがあった。それを取り壊して2002年に新しく「寒梅館」ができた。器ができれば中になにかしらのイベントを入れたくなる私の性分だ。▲寒梅館、右は神戸・真神戸・真夏の夜のJAZZ「TheTRIOinKOBE」よりちょうどベーシストのロン・カーターがやってくるというので飛びついた。学生時代に若き日の彼のコンサートが学生会館で開かれた。ヘルメット姿の学生がデモ
城ミニ足利将軍家の館『花の御所』秋ミニジオラマ#花の御所#ジオラマ#足利将軍#室町時代
昨日は『終戦記念日』で、今日は京都では『五山の送り火』ということになる。ただし去年に引き続いて、今年も「大文字」などの点火は縮小して行われる。(昨年のちょっとだけ点火された大文字)そもそも『五山の送り火』だが、この行事自体は、お盆に彼岸から戻って来られた先祖の御霊「お精霊(しょうらい)さん」が、再び彼岸へ戻って行くのを見送る行事だ。(普段通りならこうした大文字に点火されるのだが)その時に、彼岸への道を照らす「千灯籠」「万灯籠」という行事は古くからあったらしい。そうした〝火
参議の位を得、幕府だけではなく、朝廷の廷臣まで従えるようになった足利義満を同い年の後円融天皇はどのように見、感じていたのでしょうか。1381年3月、後円融天皇は新築された足利義満の邸である、室町第に行幸します。父、足利義詮が足利直義から譲り受けた三条坊門よりも広く、加茂川の水を引き入れる大掛かりな工事を行って、糸桜や四季折々の花で埋め尽くされた室町第は『花の御所』と呼ばれています。本当の意味での室町幕府、室町時代の始まりです。このころまでは二人の関係は良好でした。その後、足利義満は内大
「室町幕府は京都にあったんだよね」まあ、一応そうです、って言うしかないんだけど。京都の室町に「花の御所」があった時代が長いから、この組織を一応「室町幕府」って呼んでる。だけど、そもそも足利尊氏が「幕府を開いた」ときは鎌倉の幕府を再興したつもりだったはずで、落ち着いたら当然鎌倉に帰るつもりだった。結局京都に居続けちゃったけど、室町にはまだ御所は作ってない。これを作ったのは三代将軍義満だから。足利将軍が現いるところが幕府だというなら、将軍が京都から逃げ出して他所に御所を構えたこともしょっ
私の京都検定テキストの目次はチェックリストとして活用しています。京都検定と出会ってから16年、かなり黄色のマーカー=「訪問済み」が増えてきました。人名はピンクで色分けしてます。昨年からまだ行けてないスポットへの“狙い撃ち訪問”をしていて、先日、足を運んだのが上京区の町名。地図で見ると確実に近くを通ったことはあるんですけどね。町名まで確認できてなかったなぁー(*^_^*)私の町名チェックにはルールがあって、現地訪問町名を確認できるモノ(看板など)を確認これ
義詮が二九歳で二代将軍になった後も、康安元年(1361)に南朝方に京を占拠され、義詮はふたたび天皇を奉じて近江へ逃れなければなりませんでした。しかし、南朝方にそれ以上つき従う武士たちはおらず、南朝方が引いた京へ難なくもどることができました。また、相変わらず幕府重鎮らの内訌はつづき、決して安定した政権とはいえませんでしたが、貞治二年(1363)には、幕府を悩ませていた周防・長門の大内弘世が、また、丹波など五ヶ国に勢力を及ぼす山名時氏がそれぞれ義詮に降りました。こうして翌春
今日も来て下さり有難うございます(^-^)/前回の周山城ですが、調査してみると、城の天主跡のまわりには、瓦がほどんど落ちてなかったそうです・・という事は、おそらく天主は、瓦の屋根でなく、檜皮葺(ヒノキの皮で葺いた屋根)だったんではないか、と言ってました・・入り口も3つあったそうです・・・とても珍しい造りだそうです。。このことは、何を意味するのか・・・?光秀は、なんと京都の足利将軍邸(花の御所・・足利義満公が住んでいた)をイメージして、このお
徳川将軍8代目と言えば「中興の祖」である。では、足利将軍8代目は…。侘び寂びの文化を愛した趣味人…なだけ?応仁の乱後、戦国時代へ突入していく元となった日野富子の悪妻ぶりに押されてその個性が見えてこないような存在です。物語が、義政の幼少期と現在を行きつ戻りつするので混乱してしまうが、もののけや会員が身近であった時代の一握りの為政者たちの権力闘争の物語である。東山の銀閣に集った人々全てが「銀閣の人」である、そういうお話です。
2020年11月19日木曜日朝からポカポカ陽気で快晴ですよ。朝食を済ませ、ウォーキングに出かける。天気は最高です。今朝比叡山です。右岸を下がります。桜の落葉も進んできました。今日は、暑いです。半袖になりました。桜の紅葉が綺麗です。頼山陽の山紫水明処です。夏ミカン?南の二条方面です。北側です。左岸を上がります。もみじも綺麗。川端通です。鴨川に戻りました。賀茂大橋の向こうの下鴨神社の糺の森も紅葉しています。今度は、高野川の河合橋の工事
2020年11月18日水曜日今日も快晴です。朝から暖かい。今週、こんなに暖かくなるとは思わず、週末にビーフシチューの材料を買ってしまた。朝ごはんを食べ、ちょっと休憩してから、ビーフシチューの仕込です。【ビーフシチュー】〈材料〉牛肉:ブロック(今回はオージービーフの厚切りステーキ用)じゃが芋、人参、玉葱、ニンニク:お好みでハーブ:ローリエ、タイム、セージ(ガーデンで栽培しているもの)お好みで塩、黒胡椒ドミグラスソースまたは市販のビーフシチューのルー〈作り方〉①野菜は屋か
昨日はお手伝いをしている高校の「総合学習」で出掛けていた。あれやこれやで、結局ブログを書けなかった。「総合学習」はクラス内での中間発表会だった。5つのグループがこれまで行ってきたことをまとめ、これからを展望してそれぞれに発表した。(高校の校内の桜が赤く色づいていた)使っている教室が英語のLL教室なので、今日がハロウィーンということで、この教室もアメリカ人の英会話の先生がカボチャをくりぬいた飾り付けをされて、ハロウィーン気分になっていた。そんな中で各グループがそれぞれ前
江戸山東京伝編第一遺恨の草履。今では昔の事であるが、天皇百三代、後花園院の御代、長禄年中(1457年から1460年)、足利義正公の時代、雲州(出雲国)尼子の一族に大和の国を領地にしていた、佐々木判官貞国(ささきはんがんさだくに)という人がいた。兄弟二人の男子をもっていた。兄は桂之助国知(かつらのすけくにとも)といって今年二十五歳である。弟は花形丸といって十二歳である。兄は先妻の子、弟は後妻の蜘手(くもで)の方に産まれた子である。桂之助の叔父に、
2020年6月3日水曜日朝から暑い。膝がまだ痛いので、朝から整形外科へ行く。今日も、水を抜かれる。30ccらしい。前回ほど痛くはない。今日は、炎症を抑える薬を間接内に注射した。先生「炎症を抑えるのに薬を注射しました。」あれ?最初から炎症の飲み薬もらってるやん。最初から薬注射したら、早く治るんと違うか?何回も痛い注射器で水抜かんでええんと違うかー。帰り路に「花の御所」跡地を観に行く。その途中で、気になるバナナを発見した。サンキューバナナと江戸時代のバナナマン、松尾バナナ(松尾芭蕉)
昨日からこのニュースが気になっていました。秀吉最後の城、京都新城出土仙洞御所の中にあるのでこれまで調査ができなかったとのことですが、今まで秀吉が京都で建造したものは聚楽第と伏見城くらいしか知らず、京都新城という名称も初めて聞きました。少し前にも実家の近くで室町幕府の通称花の御所と呼ばれているところの跡地から巨大な庭石が出土したり、京都にはまだまだ歴史ロマンがあります。実家にも帰れていませんが、早く京都に行きたい!と思ったのでした。緊急事態宣言解除はいつなのか?ウィズ
スマホのアルバムから、過去の、記事にしていなかった写真をご紹介中❕(訪れた時期は今年1月~3月初めです。)昨年12月に四条河原町(高島屋の南)に京阪系の商業ビルGOODNATURESTATIONがオープンしました。物販やカフェ、レストラン、ホテルなどが入るビルです。宇治抹茶とレモンのケーキRAUCAFEでお茶をしました同じフロアには天然成分のみという化粧品や素材にこだわった雑貨器や小物類、洋服などが購入できるコーナーもありました。RAUcafeには
*4月13日付記事の続きです。R大学文学部史学科のぜんざい教授とあんみつ君の歴史トーク、今回はEメールのやりとりで、テーマは中世の怪物・足利義満です。本日は、花の御所と拝賀の儀式のおはなし。***足利義満超略年譜***1358足利義詮の子として春王誕生(1歳)1366北朝後光厳天皇より義満の名を賜う(9歳)1367義詮38歳で逝去、足利氏の家督継承(10歳)1368管領・細川頼之を烏帽子親として元服(11歳)1369征夷
前回からの続きです京都市考古資料館から今回最後の京の冬の旅の場所・大聖寺へやってきました住所・京都市上京区烏丸通今出川上ル御所八幡町109別名・旧御寺(おてらの)御所駐車場は無いので、京都御苑の駐車場に停めてやってきましたちなみにこちらは珍しくトイレもありませんでした(^^;山門をくぐると、ちょっと広々そこには花の御所の石碑がありますというのも、こちらは室町幕府三代将軍・足利義満が造営した花の御所の跡に建っているんです歌碑こちらの玄関から入りますこちらには一度入り口まで訪