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前略●来年の約束は出来んナー!帰郷の度にあんたに言っていたが、どっこい、まだ生きてるゾ・・・・仕事が忙しそうだなー。無理して「帰らんちゃよかばい」かあちゃんも元気ばい。帰ったら、いきなり団子に豚まんを作るばい・・・二人とも去年より年寄りになったな!!早々2024/4/22父ちゃんかあちゃん瞑想四月に月が通るのは再生という道春は来るのを忘れたのかしらと思っているとき、木の上でマキバドリが歌う。土から花が顔を出す。踊りたくなる。雲に向かって歌いたくなる
((2年前の入院生活の備忘録です)令和4年4月9日・10日…術後5日目、6日目体調も安定、尿の色も正常になってきました…ただ笑ったり、咳が出ると右下腹の傷口が痛たたたたーと…処置的なことは特に何も無く(コロナ禍で面会は禁止)、夫に📲したり、ひたすら歩いたり、外に見える行き交う🚃を眺めたら、遠くにちっちゃく見える東京スカイツリーを写真(動画)に収めてLINEで送ったり…時間がゆっくりの土日でした令和4年4月11日…術後7日目ついに最後の管(尿道カテーテル)が抜けました🙌朝の9時過ぎに
歩かなくちゃー●治療4日目、ベッドから降りる時が一番やばい。しっかり歩行開始を意識し立ち上がり確認する。次第に膝下の脹脛は固まって弾力がない。足首はロープで縛られ砂袋を括られてるようだ。朝のトイレまではシルバーカー、手すりとたどる。そんな一日の始まりで、ヨタヨタと歩く準備でスタートです。●昨日より足のしびれは和らいでいる。昼には雨降りの予報で早めのスタートです。パドセブ奏効で73回も続けた結果は末梢神経障害、手足のしびれの運動機能消失です。痛くとも極力歩いて手足を動かさないと、
違いを知った●最初の受診は泌尿器科での診察。部屋は腎臓科と泌尿器科に分かれていた。腹部エコー腎盂癌の疑いで再診、入院諸検査を受けます。腎盂がん確定で施術になりますが、腎臓科の先生でなくて泌尿器科の先生担当で、お尋ねしました。腎盂はおしっこを濾すところで泌尿器科で担当と教えてもらいました。●左腎摘出し尿管から膀胱壁、リンパ節も転移なしで、手術をしてもらいました。3か月毎の定期診察で膀胱転移でTUR-Bt施術です。膀胱再発予防にBCG膀胱内注入療法を8回処方でした。しかしその翌年のCT検査で肺転
73回目パドセブ治療●今朝はどんより曇り空、予報の黄砂で視界が悪くけぶっています。せっかくの葉桜に新緑、山笑えない有様です。ご用心!ご用心の!!合言葉で、彼女の安全運転です。本日は、パドセブ治療開始から73回目のバドセブ投与です。パドセブ日誌6冊目、パドセブ治療開始から869日目です。●病院到着はびったし予定時間です。診察券発行、受付、採血、看護師の事前問診と進み、主治医の診察待ちです。主治医の診察時間はその日次第です。わたしより予約診察の患者の方の診断、患者との対応時間延長で、な
この記事は、私の介護に関する「はてなブログ」の記事を編集したものです。***********************************************腎盂ガンの母の介護をしていたら私の腎臓にも問題が発覚したわけですが、2024年4月15日の9時半から、2週間前に行った泌尿器科のTクリニックに検査結果を聞きに行きました。前立腺肥大(40CC)と水腎症というのが前回の診察でしたが、血液検査、尿検査、細胞診結果からさらにどんな結果が出てくるのかと心配しながらの2週間でした。この間に、
あれから8年か・・・●熊本地震2016/4/14-4/162016年4月14日、9時26分地震発生、震源は日奈久断層、阿蘇山ろく益城町は震度7私の町は測定値は震度5強、これでも立っていられない揺れ●4月15日。前年の心房細動カテーテルアブレーション術後で定期診断予約日。病院へ電話し診察可能か尋ねると平常診察の返事。海岸沿いの病院への道路は損傷なくスムーズに病院到着。途中で瓦が落ちている家屋も散見。病院の玄関のモルタル壁に亀裂、広いロビーいっぱいに救急ベットがあり、整然と並んでいる。それ
(2年前の入院生活の備忘録です)令和4年4月6日…術後2日目傷口の痛みは続くが点滴は終了になり、カロナール1日に2錠✖️4回服用に。採尿バックを下げてガラガラと廊下を何周か歩き始めました(まだ血尿出てた)この日、またまた病室変更最初に希望していたトイレ付きの4人部屋の明るい窓際へ令和4年4月7日…術後3日目夜中に目覚めた時、傷口が痛み、ナースコールしてセレコキシブ2錠服用…その後はぐっすり眠れ、すっきりした朝を迎えました体調も安定してきて、離床時間も長くなり、術後初めて洗髪しました(
痛い―夜明けに両足が攣つて激痛に、雄叫びを上げています。隣の彼女を目覚めさせて仕舞いました。両足が一度に攣るなんて初めてのことです。痛みが通り過ぎるのを、じっと待ちます。枕もとにあるカロナール500を服用します。やがて数分もしないうちに眠りについていました。ここ数日ははしゃぎずて歩いたのがよくなかったか??甘夏●空き家になった家を買って暮らす息子の同級生がいます。家の裏に10アールほどの畑があります。畑の片隅には以前の家主が植えた甘夏の木が数本ありました。しかし同級生も家
天国目当ての手紙Ⅲ-42「一筆啓上」「天国目当ての手紙」のタイトルで手紙やハガキを届け始めたのは、抗がん治療の開始からです。1ナンバーが100通、今朝はⅢ-42ですから242通目になります。弟夫婦との昼食会●今朝は朝早くから彼女は準備します。なんの手伝いも出来ないので、わたしはお散歩です。定刻の11時50分、弟夫婦の到着です。お土産は饅頭、庭の菜園の野菜です。いただきまーす!!シャコの天ぷら、鶏手羽のから揚げ、サヤエンドウ、タマネギ、エビの野菜天ぷら筍とワカメのお汁、てまり
御殿場桜の下で●なかなかお天気が定まらず、ヒデキ君も花見の予定日が立たないと、相談にやってきました。急遽、お花見弁当を取り寄せて、仲間の安否確認での集まりです。それぞれ体調万全とは言えないが、酒が飲めて働けてりゃー有難い事と、乾杯です。全員集合?ジュン君は関東、関西の青果市場へトマトの売り込みです。一番若かった彼も51歳、111世帯トマト農家の部会長です。先年まではヒデキ君が頑張っていました。ごらんのように、ほぼ爺さんで老人会の花見です。ヒデキ桜は満開です。豪華、お花み弁当、地先の
坂本龍一の人生の終いかたに・・・NHKスペシャル、4月7日放送でした。「坂本龍一最期の日々」見ました。再放送が4月10日(水)NHK総合24:35-25:34の放送です。私の感想より視聴をおススメします。海岸散歩本日は澄み切った快晴ですが、風が強く肌寒い。風がやんだ午後から海岸散歩に出かけます。あれほどいたカモも数羽が潮が引いた港の河口にいます。干潟にはムツゴロウが飛び跳ね、カニも一緒です。塩釜神社は葉桜に、銀杏の若葉ぐんぐん濃くなっていきます。●カウントは3710歩、
10回目バドセブ治療、2年前です。お墓参り●今朝も小雨の残る花曇りの朝です。介護施設の叔父から、コロナ感染者が施設内で多くなり、面会に来ないようにと、電話です。今回は、おやつの差し入れは受付窓口でお願いします。コロナ感染情報もすっかりなくなり、不用意の外出は避けています。介護施設の近くにある彼女の両親お墓参りです。52年目無事のご報告です。納骨堂はお寺さんの中で、永代供養になります。御殿場桜と鯉のぼり●トマト仲間のヒデキ君とセイコちゃんに初孫です。トマトハウスの前の御殿場桜も満開です
手術の翌日の4月5日は…まだまだ辛い1日でした朝、心電図モニターは外されたけど管はまだたくさん体に…手の甲には点滴が…背中には痛み止めが…膀胱には尿道カテーテルが…お腹には(青いポーチに入った)ドレーンが…血栓予防のフットポンプが外されたので、何とかスマホ📱を取り出そうと決意…しかしそれが至難の業でしたまずスマホが入ったキャリーケースはベットの右側の近くにあったのですが、点滴台は左側…となるとやっぱり左側から行くしかないと一大決心してやっとの思いでお供(点滴台)を連れてキャリーケ
手術を終えて目覚めた時の記憶は曖昧なのですが…まずは手術前に居た個室から4人部屋(暗い廊下側)に移動してるーということだけはわかって軽いショックを受けたのでした(せめて術後あと1日個室で居させてほしかったと嘆いた厚かましい私です)目覚めた時はとにかく喉がカラカラで気持ち悪くて、長時間寝ていたので体や首が痛くて…そして人生初のナースコールを押したのでしたところがビックリ声がかすれて出なかったでも何とかかんとかかすれた声で「喉がカラカラで…」「体や首が痛くて、枕を…」と訴えたのでした来て
本日は52年目の結婚記念日です。「うちの息子でいいかい・・・」父はあなたに言います。「どうしてうちの娘、あなたには似合いの人がいるでしょうに」初めてあなたの家に伺って時の、お義母さんの言葉でした。わたくしは23歳であなたは25歳でした。丈夫な体が自慢の私はあなたより長く生きますと言いました。まさかこんな有様で老いを迎えるとは思えませんでした。振り返ればご迷惑の掛け放題の「わたくし」、最後まで厄介を掛けますが「ありがとう」です。感謝とお詫びです。ナンシー・ウッド「今日という日は贈
2年前の今日人生初めて病院で迎えた朝…外は土砂降りでした前の日下剤を服用していたので、5時頃トイレへ無事にスッキリ7時に人生初の浣腸を初体験(仕事柄、高齢者さんの浣腸には何度も立ち会いましたが…自分がされて初めて即効くことがよくわかりました)その後手術着に着替え、8時からNHKの朝ドラ「カムカムエブリバディ」(この週が最終週でした)を見ました弾力ストッキングを必死ではき、病棟の看護師さんが8時半に迎えに来てくださり、2人で歩いて手術室へ向かいました(コロナ禍でデイルームに来ていた夫と
かんたんな経過広告です。●左腎盂癌から膀胱がんの施術治療は近くの市民病院でした。施術後の経過観察、BCG膀胱内注入療法も8回をクリァーです。その後の定期CT検査で肺転移を診断されました。納得できずベット検査の病院を紹介されたのが、現在の病院です。ペット検査の結果は肺転移の映像は確認できず、さらにひと月ほどの経過観察後にCT検査を受けます。最初の診断から3か月後の映像は、両肺に最大7ミリのがん細胞で、主治医と数えたのは10数個でした。診断は根治不能な尿路上皮がんの肺転移です。残っている治
1ヶ月ぶりの投稿ですまだまだブログを書く(投稿)することに不慣れな私です今年もあっという間に4月4月といえば…あれから2年が経ちました令和4年4月3日は人生初めて入院した日2月に「腎盂癌」宣告を受け手術を勧められ、2月28日に紹介状を持って大学病院を受診…そこでいつ手術できるか決める時、教授先生がカレンダーを見ながら「ここが空いてる」と4月4日を指差しました。私が「その後だといつになりますか❓」と聞くと「GW明けになるよ」と言われたので、早い方がいいかと4月4日を予約したのでした
凄い雨降り●夜半から春雷で過ごす雨音、夜明けからの小降りです。出発時間になると小雨模様です。視界が悪くライト点灯で無事に病院に到着です。●二階の受付、待合室は珍しく空席が目立っています。採血もベテラン看護師でハチの一刺しです。体重、血圧も変わりない測定です。看護師の事前問診を受けます。体調は変わりなく、引き攣りが少し酷くなってきたと伝えます。●主治医の診断も予約の時間です。ご一緒に採血データの一覧を見ながらパドセブ治療の診断を受けます。ちょびり耐性後の治療などを伺いますが、7月のCT検査の
4月1日●朝から断捨離、清掃センターへ彼女の運転で無事に処分です。帰宅後は、二男はすでに帰ってますので、長男と3人でお花見です。隣の母の生まれた集落の水路沿い1キロの桜並木です。息子と記念の一枚草枕温泉の桜を眺めて、花の館で昼ご飯です。かすかに見えるのが対岸雲仙岳です。草枕温泉の桜並木の坂道、お出迎えは漱石くまモン4月2日●彼女は任務終了の息子を早朝に高速バス停へ送ります。父ちゃん、母ちゃんにラインが届きます。「買い物してさっき無事に自宅に帰り着いた!また笑顔で会いましょ
2024年3月に母は「腎盂ガン」の告知を受けました。そのことがあり、その後、私は腎臓の病気に関して徐々に過敏になってきました。実は私自身が、今までは、7~8時間の睡眠でもトイレの必要がなかったのですが、今年の1月くらいからでしょうか、6時間睡眠くらいでトイレに行きたくなるので、「あれっ!」と思っていたのです。また、飲み会で友人と「連れション」(下品でごめんなさい)すると、いつも私が一番最後なので、このことも「あれっ」と思っていたのですね。その上、最近は、少しお腹の左の下あたりに痛みというか違和
人生会議が・・・●長男、二男の里帰りです。長男も二男も嫁さん方は不都合で二人の息子だけです。今回は二人が帰ったら人生会議のつもりでした。彼女はごちそう準備し、息子たちのもてなしです。二男は途中の白石のレンコン、蠣小屋の蠣のおみやげです。4年ぶりに長男は友達の訪問で、お土産はコストコのハイローラを頂きました。息子たちは自分の家でも朝夕の食事は担当しています。私は料理はほぼ駄目ですが、二人は見ていて手際か良い、持ってきた蠣でアヒージョをつくります。●9回目CT検査の報告を聞いて、人生
「母の前で」ピエール・パシェ根本美作子訳・2018年10月・岩波書店発行●フランスの作家でピエール・パシェの100歳の母に向き合う自伝小説です。老化の進行は「私はだれ」「あなたはだれ」と認知機能を失くしていきます。言葉を失くした認知症の母親を、見舞に通い続けた作者は、思索の日々を紡いでます。認知症、アルツハイマー、自分を忘れるとは・・人の行方を学び、祖父、両親、義父母と、自身も老いつつ、読み解きます。あなたはだれ●姉が若年性アルツハイマーと分かったのは還暦前です。両親や私たちを理解
3/27天気快晴●朝の5時過ぎおしっこタイムで目覚めます。台所ではすでに豚まんたくさん出来上がってる。彼女は義妹誕生日のプレゼントに添えて送るらしい。彼女は英会話サークルのお花見にお出かけです。例年ならソメイヨシノは満開の時期ですが、いずこも咲かずです。それでも花見弁当発注、いずこ一本の古木の桜咲く神社へ出かけました。花より団子、仲間で集まりお喋りが楽しみです。●いつもなら本日は治療日、主治医の都合で休薬延長です。前回のCT検査でがん細胞縮小維持で、そういきなり増殖は無いでしょう
春雷●夜中から雷と瓦をたたくすごい雨音に目覚める。予報でも大雨になるとあり心配で潮見表を調べていた。午前2時43分の干潮で樋門が開いて雨は海へ出る。とりあえず洪水の心配はなく眠りにつく。●夜が明けて雨戸をあけてると雨は小降り、排水路は満水で樋門、排水機場へ流れています。排水機場建屋についている赤色灯は点滅でしっかりポンプ動きを知らせています。樋門隣の家、ユウジ君に電話でポンプ、樋門チェックをお願いします。この時期の大雨は滅多にありませんが、近くにある野菜のハウスは浸水が及びます。排
終らない終活です。●22日、天気快晴。予報では23日から数日は雨模様。枯らしていた草木、準備していた父の戦友会のアルバムなど一緒に焼却です。彼女は軽トラに積み込み私は助手席で「発車オーライ」の掛け声です。場所は海岸遊水地のある、我が家の田んぼです。ちょっと水はけが悪いので、イッセイ君は麦を植えずにレンゲソウを蒔いています。●父の戦友会参加は還暦を過ぎてからです。水兵さんのスタートは海軍横須賀通信学校と記録されいてます。軍艦榛名で通信兵としての戦友が集まりの、戦友会でした。毎年行われる集ま
3月20日・ツバメ飛ぶ●海岸散歩道、潮の引いた干潟を、ツバメが飛んでいます。3月は息子の誕生日、ツバメが飛んできた日です。きのうも同じ場所で二羽のツバメが北風にめげず飛んでいました。今日の散歩道でも暖かい日差し麦畑で二羽がスイスイと飛んでます。たぶん2羽はご夫婦で去年のお宿か新居探しの様子です。ツバメさん、息子はことし50歳になりました。50年前に息子の誕生お祝いに産院の彼女に、トマトハウスの隅に咲いていた、レンゲソウの花束を届けました。ツバメさん、飛び交っていて、そこからレンゲソウ
母の記●年寄りと暮らしてきました。・・デーサービスのお迎えの車が来るまで、玄関の上がり框に腰を降ろして母は待ちます。予定時間よりずいぶん早くから待っています。寒い朝には部屋で待つように言っても、早く腰を降ろして待ってます。隣の部屋にいる私に聞こえる、母の念仏のような声がします。必ず出かける前のルーティンです。「えー、私の名前は〇〇です。生年月日は大正〇年〇月〇日、子どもは5人で、孫が11人です。」5人の子供の名前を声に出します。そして11人の孫の名前です。このあたりで孫の名前が思い出せ
2024年3月1日に、施設(グループホーム)に入所中の母が、腎盂(じんう)ガンの診断で、さらに3月8日に、ステージ4のガン告知を受けました。その経過は、私の「はてな」ブログに詳しく書いています。Royue80キロ離れた独居の母の介護を中心に起こったこと、その後の施設入所後のことを書いています。royue.hatenablog.comそのことがきっかけで、私は腎臓病のことを気にするようになりました。ネットで調べるのはもちろんですが、2024年3月10日の夜にテレビを見ていたら、たまたま