ブログ記事1,940件
目の前に現れる現象を前にして狼狽えたり驚いたりそうした連続の人生があります。僕は何度か、そうした場面に出くわしたという記憶があります。慌てます。とにかく慌てて驚きます。そして、考えがまとまらず随分と長い時間を要します。それがとても腹立たしく要領の悪さを恨みます。しかし、それでもなんとか前を向くしかなくて乗り越えたかどうかはまったくわかりませんがなんとか未来が連続したと実感いています。それはありがたいことです。一人になる時間はあまりあり
おそらく私たち現代人は数万年の時を経て今の価値観を得たと思います。喜怒哀楽という感情を駆使しながら不安や期待を心に思ってきたはずです。いろんな人がいろんな考えを素直に心に描きつつ今の文化が誕生したり幸も不幸も生じたでしょう。いま、このブログを見るあなたは子どもの頃に感じたことをほぼ忘れています。しかし、その記憶は、しっかりと心の奥にしまい込んでいます。そうした記憶の積み重ねにより今のあなたがいるわけですね。無意識の内に他愛なき経験が積み重なって
現実を信じ過ぎると本当の現実は遠ざかる。と、僕はこの人生の中で感じています。と同時に...非現実を信じ過ぎると本当の非現実は遠ざかる。とも思います。何事もいい塩梅が大切ですがいい塩梅と似た言葉では中途半端というのがあります。なんだかいい印象はありません。しかし、そんな曖昧な価値観はもしかしたら大切なのかな?とも思います。シーソーの端っこに立って反対側を見ると上に上がっていてそれを見て慌ててその方向に走ると反対側が上がっている。
近頃は、健全な老いを考えます。今からでも遅くない?といった考えからです。結局は誰でも年をとります。だからこそ、積極的に齢を重ねたいのです。ところで、僕は音楽が好きですがつたない自作を作ります。若い頃は、まったくできず才能がないのかな?と自覚していましたが最近は、年をとったせいか割り切って作っています。才能があろうがなかろうがそんなことはどうでもよくてとにかく、死ぬまでに自作を作り続けようと色々と考えを巡らせています。絵を描こうかと思いま
生を全うするとはこれはなかなか難しいテーマです。全うする中にはいろんな苦みや甘みがあってその配分を間違うと偏ってしまうこともあります。しかし、自分ではまったく見当もつかず他人から言及されてやっとのことで「ああ、そうなのかな?」といった程度の理解に至ります。楽しく生きることと一生懸命に生きることの差はほとんどないはずですがそれでも、楽しい方が選択の向こうにあってほしい!そんな思いもあるでしょう。しかし...悲しみと苦しみの中ではその差は拮
人々を救おうとする人たちが一瞬のうちに殺される...。僕は愕然としています。こんなことがあるなんて信じたくありませんが事実なんですね。「戦争では生じてしまうことだ。」といった発言を報道で知り言葉もありません。近頃、目立つ方々の失言が何かと目立ちます。「誤解だ。」とは言えますが誤解は、誤解する方が誤解に至るということですから発言した方は悪くないということ。誤解した方に問題があるということ。これでいいのかな?とか思うのですがんー、理解
経験主義なんて言葉...それがあるのかどうかわかりませんが経験してみないと要するに実感してみないとわからないと思う方々は意外と多いはずです。周囲の友人たちからのアドバイスで「そんなのやめた方がいいよ!」と言われても突っ走ってしまうんですね。それがいいとか悪いとかそんな話ではなく...かなり多くの人々がそんな傾向にあると思います。沈着冷静な人から見ると無謀な賭けに見えても本人は、そう思っていません。しかしですね...それでいいのでは?
理由もわからずただ闇雲に悩むことがあります。なんら具体的なキッカケもなく理屈に合う合わないの判別もつかず愛する人を恨んだり憎んだりそうした思いに駆られる人はたくさんいらっしゃいます。更年期障害といったとても曖昧な症状もありますが診断されない状態のままその判断を妄信的に信じて孤立していく人もいます。想像を絶するほどの孤独は愛する相手を前にして世界でもっとも憎い相手だと実感してしまうこともあります。私たち現代人の心身はとても不思議なのです。
人は、意見を発出する際目の前の人に理解してほしいと心底願うはずです。だからこそ意見するわけです。しかし、万人に理解を求めることはほぼ無理だと思います。おそらく、全ての人々が理解に至る説明は困難でありそうありたいと思うこと自体驕りであろうかと思います。それでも、目の前のたった一人に理解してもらいたいとする心は万人に対して理解されたいと思う気持ちとほぼ同等でしょう。意見を述べることはそれほど心してかかることだと常々思っています。もちろん、人そ
僕も随分と生きてきました。意外と生き続けるもんだなと感謝と共に感じています。それにしても、数々の悲劇が至るところで勃発しています。悲しいことですがそれも現実なのですね。戦争では、悔しいところですが子どもも死んでいきます。僕は、戦争で子どもが死んだら全世界で責任をとるべきだと若い頃から思っています。しかし、そうとはなりません。戦争だから仕方がない。ということなのでしょう。それがいま現実にあります。近代的な文明の中に暮らし何不自由ないはずの私たちですがそれでも
自分のペースを知るって意外と難しいのだと思います。心が敏感な人だけではなくおっとり型の人でも自分のペースを知らないことが多いのではないでしょうか。自分の体調をコントロールしコンスタントに動くのはとても難しいようです。ネット上では、いろんな対策が披露されていますが自分自身に適したものかはなかなかわかりません。手っ取り早くできることは自分のテンポを知ること。自分が楽な速度を知ると仕事も家事も楽です。意外と、そのことはあまり耳にしません。なるべくゆ
ご相談を承るお仕事って何らかの目的(営業など)が先にあっての相談はメジャーですが相談だけのお仕事ってこの国ではメジャーではないと思っているんですがまあ、実際どうなのか?色々と想像してしまいます。僕は、皆さんがいま使われているネット環境の黎明期にちょっとばかりお手伝いしたという経験がありますが電気通信の端くれにいたということになります。そんな仕事からこの仕事に鞍替えしてかなり年数が経ちました。元を質せば情報のやり取りに関与するそんな仕事だったの
ある日、二つの隣接する村がありました。一つは山の村でもう一つは海の村でした。山の村の人々は高い山々を登り星々に近づくことで神聖な体験をすると信じていました。彼らにとって山は力と純粋さの象徴でした。一方、海の村の人々は広大な海に船を浮かべ地平線の彼方へと旅をすることで自由を感じていました。彼らにとって海は無限の可能性と冒険の象徴でした。両村の間には互いの価値観を理解しようとする橋がありました。しかしその橋を渡る者はほとんどいませんでした。山の
ある特定の人々が共有する霊感とは神や仏といった霊的な存在やメッセージをリアルに感じることや極めて直感的なインスピレーションを受けることを指します。霊感があると自覚する人は宗教的な信仰や経験、文化的な背景心理的な状態などによって異なるとも考えられるでしょう。霊感があると自覚する人が多数いらっしゃる理由として以下のようなことが想定されます。霊感は五感を超えた第六感とも言われ人間にとって普遍的な心の働きの一つであると考えられます。夢や直観、閃きといった世にも不
日本においてスピリチュアリティと現代科学的思考の間には垣根が存在しています。一方、近年ではその垣根を超えるフレキシブルなアプローチが増えていることは素晴らしいことだと思います。スピリチュアリティと科学の融合は新たな視点や理解を生み出す可能性を秘めています。その重要性と可能性についてちょっとだけ考えてみます。1.ホリスティックなアプローチスピリチュアリティと科学は人間の存在や宇宙の謎を理解するための異なるレンズです。両者を統合することで物質的な側面と非物質
只今、絶販売中虹架かる24枚の「龍のオラクルカード」🐉一枚づつ紹介しますね~18番は「羽龍」家族やペットがいつも幸せであるようお守りください、と願う時は天使さまにお願いします。普段は神様だ、妖怪だ、って言ってるクセになんですがwなんとなく、ふんわりやさしく見守ってくれてるのは天使さん😇、って感じがします♨️でも、その「なんとなく、」の想いが大事なんです。そこにはっきりとした理由や裏付けなんてなくていい。でも私達が普段、無意識のうちにふわっと沸いてきた「想い」こそが紛れもな
いろんな人がいます。常識を振りかざしてもそれを理解できないまま理解しているフリをする人もたくさんいらっしゃる。恋愛や結婚がうまくいかず直接的な表現に終始し嫌がられてしまったりそんなつもりはなくても一般的な受け止め方では執着するかのように受け止めるそうした判断がつきまとったりいろんな不都合があります。一方で恋愛から結婚に至って図らずも相手の反応に驚き「こんな人だったの?」と、愕然とする人もいらっしゃる。各々の個性は激しく異なり同じ背景にあって
楽しむことができたかな?今までの人生を振り返り自分自身を可愛がったかというとそうでもなかった気がします。もっと楽しませてあげたかったと。しかし、これから先まだ人生はあると思っているので存分に楽しませたいですね。じゃないと可哀そうだから。そんな風に思う昨今です。というわけで最近は、どうやって楽しませるかと色々と画策しています。結局、一人遊びです。自分で好きなことをやってみるということ。それしかありません。僕が好きに感じることを色々とやっ
お金は魔物です。この国の一部ですがまたバブル経済を経験したい人達がいるようですね。不思議なことですが実際にどこでもあり得るということでしょう。怪我をしてもう一度怪我したいと本気で思う人はいません。しかし、もしかしたらバブルは楽しかったと再来を願望している人が多数いらっしゃるのだとしたらこりゃダメだわ。と思ってしまいます。お金、たしかに必要ですが僕は、分相応以上のお金は要りませんしできたら、0円で生活をやってみたいと思っています。お金が
僕が中学生の頃ですが当時、YMOの人気が凄まじく音楽が好きだったこともあり恐る恐る聴きました。レコード針を落とすと「なんじゃこりゃ?」といった驚きの音でした。ヴォーカルはほとんどなく風変りな印象でした。しかし、段々とはまっていき気がついたらのめり込み深みから抜け出ないのです。なんだかわからないまま気が遠くなるほど聞きまくったものです。高校生の頃は、友人宅で多重録音してみたり演奏の技術を高めたり色々とやりましたが本家の音には程遠く難しさを知りまし
歳をとるのは楽しみです。楽しみの中でもっとも上位に位置します。年寄りになった自分が何を感じるのかそのことを考えると気持ちが高揚します。いまの自分が思う年寄りはいまの自分の感性でしか量ることはできません。だから、おそらくはほとんどわかっていないと思っています。僕が年を重ねてていきその間、いろんな経験を重ね何を感じるのかと思うと仮に時間があるということに感謝するしかありません。それにしてもいろんなことを経験します。あまり動く人生ではありませ
街をふらつくと意外な場所に目が向きます。今まで思いつきもしなかったそんな場所を知ることがあります。そこにある出会いや気づきそこに醍醐味を感じます。いろんな人が感じるがまま正直に生きていることに驚くわけです。職人さんや引きこもる人いろんな人がいますが自由気ままに店を開き来る人は拒まず去る人を追わずそうした基本的姿勢を保っている人たちがいらっしゃるということ。それを知りました。人恋しくて自転車に乗って街をふらつき自転車の前かごにラジオを入れ
特に目立った出来事はなくただ、日常を淡々とこなし日々を過ごしています。仕事は仕事ですからお客様各々のご事情をお伺いしつつ学ばせていただいているところです。さて、こうしたお仕事は会社員時代を経た今やっとのことで自分自身のペースが理解されてきた気がします。意外と多くの時間を要し多くの経験を要するものと実感しているところです。僕は、何故か、この立場になってしまいましたが本来は、よくあるパターンの生き様を沿うはずだった?との認識があります。
なんにもわからないことがわかるようになることがあるんですがそれがわかるとちょっとやる気が失せていくそんな気がします。しかし、実は失せたのではなく必要がなくなっただけのことです。燃え尽き症候群とか色々と言われますが僕は、そうしたことに対して特に気になったことはほとんどありません。それよりやるべきことがひと段落したという事実を認識する方が大切なのではないかとそんな風に思います。常に頭脳をフル活用しつつ苦難と共にある人生を否定すべきではなくそれ
突然に、ある土曜日の朝日帰りの旅に出ようと思いついたものの何処へ行くのかもわからず近くの中華料理店の店主に「なんか、いい処は?」と聞いてみたら「ただひたすら歩いたらどう?」と言われその言葉通りに歩きました。あてもなく歩くと右か左か?と考えることが多くて段々と、その判断も早くなり気がつけば、かなり高い処に足を延ばしていました。その頃、住んでいた処は熊本市なのですが街中から健軍町の方向へと歩を進めていてラーメン屋さんの前までやってきました。そこ
なんとなく身体が重く気持ちも重くなる...。実感して、そんな状態になってしまうことがあり体調管理は大切だとつくづく思わされます。今は、回復しています。皆さんもあると思いますが重々しく感じるシーンは歳を重ねる毎に感じさせられます。色々とありますね。人生は十人十色です。いろんな人生の軌跡がありそこには、全て意味がある。その意味を後付けしても宿命だとしても意味はあります。如何に捉えて生きるかです。オフィス羽龍LINE公式アカウントのお友達募集
今、従事している仕事で経験していることってもし、企業勤めに徹した場合何も知らなかったんだと思うとムシズが走るほどの恐怖を感じていしまいます。それほど、大切なことを僕は知ってしまったなとつくづく思います。どんな仕事でも同じでしょう。長く続ければ気づくことって色々とあるんでしょうね。僕は、とても濃い学びの場にいるんだろうなって思います。僕が子どもの頃に想像したことは後に実感したことに比べて数百倍も異なっていて経験なくして成長なし!との思いに至り
今回は、ちょっと個人的な話題になるんですがわかりにくいと思いますが少しご紹介です。僕は、幼少期からある感覚というか...あるリズムがずっとあります。それは、アフリカのリズム。おそらくですがセネガル?っぽいかな?そんなリズムがずっと頭の中に響きます。気がつけばそのリズムをとりながら一日が終わるんですね。不思議な感覚で言葉では言い表せない。四拍子のようで三拍子の雰囲気があってパズルのようなリズムです。それがずっとあります。あるっていうのも
国連児童基金(UNICEF、ユニセフ)のジェームズ・エルダーの言葉が胸を突く。「子どもたち100万人が人道上の悪夢に直面する中権力者らが手をこまねいていることに私は激怒している。」「私は激怒している。今こうして話している間にも身を隠そうとしている子どもたちが攻撃を受け、今後数日のうちに切断手術を受けることになる」「私は激怒している。クリスマスにはさらなる蛮行や攻撃が仕掛けられる可能性がある。その間、世界は自分の身の回りの愛や善意のみに気を取られる」さらに.