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以前、畑仕事の手伝いに出向いたと記したことがありますけれど、その後も折りに触れて借り出されているのですな(もちろん収穫物にありつく算段で…)。この週末、先の週末にもそれぞれ少しばかりの作業ながら付き従ったわけですが、種で蒔いたほうれん草が紗の中でわさわさと育っているではありませんか。そして、こちらは種イモを植えておいたジャガイモ。やっぱり芽を出し、すくすくと育っているような(といっても、こいつは地下を見ないと・・・ですが)。とまあ、かような姿に接すると、「早く芽を出せ、柿の種」と
花巻に行った際に、高村光太郎記念館にも行きました。↑巨大なリースがありました。ドライになってもきれいでした。出来上がった時はさぞ美しかったと思います!彫刻家であり画家であり、詩人であった高村光太郎。父親は高村光雲という有名な仏師で彫刻家でした。上野の西郷さんを作った方です!高村光太郎の作品は早くから注目されていました。同じく芸術家であった妻、智恵子は思うように評価されない自分の作品にプレッシャーを感じ、心の病に陥り亡くなります。智恵子の死後、光太郎は
今回の方位取りで花巻にいきました。以前、秋田に授業で通っていた時、次は花巻に行きたいと思っていたのでした。宮沢賢治の足跡をたどりに。岩手県立花巻農学校の先生をやめた賢治が住んでいた家。↑ベートーベンの姿を真似たという銅像と共に。羅須地人協会という私塾を開き、どうすれば農家が豊かな生活をすることができるか、質が良く、価格の高い作物を育てるためにはどうすればいいか、仲間たちと話し合った場所です。現代の農業で話し合われていることを、100年近く前に話していたのだと思うととても先進的
一昨年(2014年)のゴールデンウイーク、岩手県花巻市を訪ねた。花巻駅で列車を降りてから、駅近くの商店で自転車を借りてのんびりと漕ぎ出す。花巻市北側の郊外、花巻空港の近くに岩手県立花巻農業高等学校がある。この学校は宮沢賢治が勤務していた岩手県稗貫農学校(花巻農学校)の後身である。この学校に足を運ぶ観光客は私だけではない。この学校の構内には羅須地人協会の建物がある。賢治は農学校を辞めたあと、農家の後継者のための私塾を開くが、それが羅須地人協会である。現在この建物は賢治先生の家
羅須地人協会が謎の閉鎖でがっかりし、予定変更して次の目的地へ行く前に新花巻駅前へ。そこで顔出し看板を見つけました。■SL銀河と駅長の顔出し看板撮影場所:JR新花巻駅(2016.05.01)SL銀河は現在、釜石線の花巻~釜石間を運行しているそうです。全席指定で、ほぼ毎週土、日の運行のようです。こちらもどうぞE257系の顔出し看板SL銀河と駅長の顔出し看板その2
宮沢賢治童話村を見た後、すぐ近くにある山猫軒でランチを取る予定でした。名前で分かる通り、注文の多い料理店に出てきた山猫軒をモチーフにしたレストランです。食事だけではなく、宮沢賢治をモチーフにした商品やオリジナル商品もたくさんあるというので、楽しみにしていました。ところが、山猫軒への道が封鎖されています。警備員の方に聞くと、この日は混雑しているので、自家用車でレストランに行くのはダメですとのこと。行く方法は、宮沢賢治童話村から発車するシャトルバ
二日目朝は神子田(みこだ)の朝市へ。神子田朝市は盛岡市民の間で長年親しまれている朝市だとか。名物のひっつみ。電車に乗って、花巻空港駅へ。目的はこちら、羅須地人協会。宮沢賢治先生の私塾兼住宅を復元した建物でございます。長年憧れ続けた羅須地人協会、ようやく行くことが出来ました。感動!駅への帰り道は歩いてみました。すごくいい天気。午後は、いとこの娘たちと合流して、地元商店街の七夕祭りを覗いてみたり、遊んだり。岩手での夏休み、楽しかったー!皆さまもぜひぜひ訪れてみて下さいませ。
全国大会へ向かう途中,私達は花巻で宮沢賢治ゆかりの場所を訪ねました(7/30に紹介済み)。今回はその番外編。その時,岩手県立花巻農業高等学校も寄りました。ここには羅須地人協会(賢治の家)があるからです。そこで高校の門を入っていきました。帰り際,野球部の生徒たちがとても気持ちの良い挨拶をしてくれました。見学も終えて門を出ようとすると,なんと門のうらにいらずらがきが…「下ノ畑ニオリマセン」と書いてあります。それを消して「オリマス」に直してもあります。なんとも高校生らしくてうれしくなって思
宮沢賢治記念館の次に,「羅須地人協会」へ行ってきた。といっても,ここは花巻農業高等学校の敷地内。そこに賢治の家がある。なんで農学校の敷地にあるのかはややこしいので,どこかの説明を見て欲しい。とにかくあるのである。そんで,あの有名な言葉が,外の黒板に書かれていた。「下の畑居ります」ってやつ。しかし,学校が休みなので,この家の鍵が開いていなかった(学校がある日は開けてあるような説明があった)。そこであきらめきれないSさんは,高校の事務所まで鍵を借りてきて,しっかり中も見学することができた。
[内容]時代は移り変わっても、宮澤賢治の残した詩や散文の数々は日本のロマンの、ひとつの到達点を教えてくれる。農学校教師、農民芸術運動家としての賢治はよく知られるが、肥料の炭酸石灰、建築用壁材料のセールスマンとして、東へ西へと駆け回っていた最晩年近くの姿はあまり知られていない。賢治が生涯にのこした膨大な書簡から、オロオロと歩きながらも、生活者として必死に生きようとしたサラリーマン・賢治が、浮かび上がってくる。[目次]第1章石っこ賢さん(賢治の先祖は大工石っこ賢さん盛