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こんにちはNanaです🐰👉最初のブログから読みたい方はどうぞ👉これまでの経緯はこちら※今日のブログのコメント.メッセージはフォロワーさんのみ了承します。それ以外の方のコメント等は即削除致します⚠️2024年4月18日☁️叔母から連絡があり実家に数年振りに行って来たことを言われました。いつものパターンだと、母がここぞとばかり叔母夫婦の前で父の愚痴をこぼすらしいのですが、この日は母はおとなしく、父が喋り続けていたそうで。その話の中で父が「毎日の生活でストレスが溜まってたまに爆発し
私のうつ病はいろんなことが複雑にまざりあって発症したのですがその1つが婦人病子宮筋腫でした3年半前に子宮と卵管を摘出したのでホルモンバランスが多少崩れて更年期障害とお付き合いしています私の子宮筋腫自体はそこまで大きくなく薬の服用で抑えていたのですが子宮の内膜にイタズラする筋腫だったのでそれも上手くいかなくなりミレーナという避妊具にも使われる器具を子宮に入れましたこれも上手くいかずその時には経過観察で4週間子宮筋腫の治療で病気休暇をいただきましたミレーナも上
こんばんは!皆さんは社会的入院というと何を思い浮かべますか?社会的入院とは医学的な必要がないにもかかわらず、引き取り手が居ないなどの理由で長期に渡って入院させられることを言います。私は初めての精神科への入院で十年や二十年の病院生活を送っている患者に驚愕しました。今では長くても半年くらいで退院できますが、平成初期くらいの精神病院は十年以上の入院生活は当たり前でした。人生の貴重な年月を病院で過ごさなくてはならないのは耐え難い苦痛です。それくらい精神障害者の人権は軽視されていました。つい
精神病によって対応を変えなくて良いのか?それは普通のうつ病とかなら、精神病院の大部屋で看護師も気にしないし、どちらかと言うと入院患者同士でピアカウンセリングするので良いと思うけど、自閉症スペクトラムの精神病患者が精神病院の大部屋に入院する場合、大部屋には最大4人に入院患者がいる。その4人と寝食を共にして上手くやっていかないといけない。自閉症スペクトラムで4人と寝食を共にできるのか?そもそも、自閉症でコミュニケーションできるのか?
YouTube徘徊していたら、とんでもない我が儘女がいました(゚д゚)ハッ!東京都大田区池上6丁目22で現れた車の前に立ちはだかるママチャリ...逆走・信号無視・進路妨害か【ずんだニュースちゃんねる】【合成音声】VOICEVOX:https://voicevox.hiroshiba.jp/使用ボイス:ずんだもん【イラスト】ずんだおばけ様:https://youtu.be/Ifwmb4Oao2Q【使用させていただいているBB素材】https://www.youtube.com/watch?v
減薬をする事になった大きな精神病院。セルシン以外に、毎回SSRIや抗精神病薬を処方していたため血液検査をすることになった。(服薬してないけどね、医師には服薬している体でいたから。)2週間に一回は通院していたため、次の診察日には、結果がでていた。主治医「えーとね、結果がでたんだけど、これ見て」と、HCV(C型肝炎ウイルス)の検査結果をドヤ顔でみせてきた。これまでの診察の中で、過去にHCVに感染し、インターフェロン治療をして完治した話をした事があった。私「
退院の当日、入院していた数人が集まってくれて、「退院おめでとう」といってくれました。変なもので、こんなところでも仲間意識ができるのです。一緒にがんばった仲間って感じでしょうか。メールアドレスを交換した人もいました。病院から最寄り駅に行くバスに乗り、病院の建物が遠くになるにつれ、もうこの景色は見なくていいのだろうか?すぐ戻っちゃうんじゃないか?まだ不安でした。
このところ暖かい日が続き、初夏を思わせる天気になっていますが、なかなか晴天が続かず、外壁のシールド塗装が進まない状態です。気温の上昇を地球の温暖化に解答を求める学者が多いですが、何か違うような気がしています。これまで積算されたデータを無視するわけではないですが、もし地球に意思があるとすれば、何か怒っているのではないのかという気がします。人類は地球にとって一番の外敵だと思われるので、人類によって蝕まれた傷を自浄作用によって修復しているように見えます。不安定な気候、自然災害は傷口を治
医師の診察で、退院の話がでました。入院して一月半。本当に待ち望んだ退院でしたが、(毎日、カレンダーを黒く塗りつぶしていました。)また再入院になるんじゃないかなと思いました退院しても、また戻ってくる人も結構いました。中には、4回目の方もいました。僕には、その時は単なる不安というより、言葉では表せないのですが、わさわさしたとでもいうのでしょうか、そんな感じがありました。それが、またここに来るんじゃないかと思わせるのです。看護師は「だいぶ落ち着いてますから、この調子でよくなっていき
高3双子女子娘1ADHD娘2優等生の我が家です4日の娘2の心療内科受診後…『心療内科受診〜鬱』高3双子女子娘1ADHD娘2優等生の我が家です娘2今日は朝ごはんもお昼ご飯も食べないで寝ている年始以来の私の平日有給の日一人旅に出ようと思っていたら、大雨…娘…ameblo.jp今日は精神病院を受診した。娘2は病院に行っても行かなくてもどっちでもいいけど…と言いながら学校に行ったので、今日は私一人で受診した。学校にはかろうじて行けているものの…学校以外の時間は寝たきり…精神病院
孫にも衣装という言葉があるがハゲにも衣装である。スーツつーのはどんなにダメ人間でも一応立派に見えるツールである。ビートルズなんて売れない頃はステージで便器にウンコしたりやっていたが一応スーツとマッシュで決めてデビューした。一応それなりに見えるけど彼らはそこからどんどん異脱していくので面白いしそもそも楽器がちゃんと弾けるのは絵描きがデッサンしっかりできるのと一緒だと思う。ピカソはデッサンめちゃうまかったと聞く。基礎ありきの遊びだと思う。芸事は。でいろいろ新
僕の状態は、だいぶ落ち着いてきました。でもなにか、心がわさわさしています。些細なことが不安です。微熱が続きます。(これも精神的なものからくるらしい)。胃に違和感を感じます。いろいろ、おかしいと思うところはあります。医師は「順調によくなっています。そろそろ退院する準備を始めましょう。」準備というのは、一泊の一時帰宅です。これを日を開けて、何度かします。いきなりの帰宅は、生活の変化に耐えられず、再入院ということがあるらしいです。(実際感じたのは、電話、宅配便との対応、近所の人
精神病院の思い出ですが、昔岡本台病院精神病院に訪問したら全身靴下まで真っ赤なおばさんにジュース1時間ねだられて、買ったら医者に怒られたよ。その精神病院で面会した医者に立野さんあの患者にジュース買ったらしいね。ダメだよ。あの人ここに入院してるが、毎日ここでねだってる、癖になるので次回は無視してね。統合失調症の患者はひつこいよ、大変だよ!と言われる、しかし今なら写真撮っとけば良かったよ全身靴下まで真っ赤ですよ帽子も口紅も頬紅も爪も髪も服も真っ赤で凄い素晴らしいインパクトだった。でも一時間も横で座っ
私はあまりウチのエージェンシーやコミュを取らないかんプロバイダーの愚痴を書かんようにしてます。が、、、だって、言い始めたら山ほどアルアルウチのプログラムはチーム制で各チームにスーパーバイザーがいます。そのスーパーバイザーのひとりにエージェンシーで皆に知れ渡ってる超問題ビッチがいてるし。なんでクビにならへんねん。というのは皆の疑問。その話はまた今度に置いときます。色々と水面下のナンヤラがあるようなのでセンシティブな問題と言うところでしょうか。職場、アルアル、でしょ。プロバイ
僕は大学二年になった。登山サークルに僕は入った。僕はその頃には背が高いと言われるようになっていた。精神病院では色々な人と仲良くなった。しかし照明の問題や幻聴の先鋭化から僕の頭脳は衰耗し、明敏さを失っていった。僕はこのままではいけない、意気阻喪のままではいけないと思い、病院を退院した。意外と退院はスムーズになった。その後はグループホームに入所した。京都にある山に友達と登ったりもした、アドラー心理学の本もその友達から貸してもらった。バーベキューもした。楽しかった。講義は卒業に必要ないのに、無知蒙昧
僕は20歳で精神病院を退院した後、グループホームに入所した。しかしその施設には長くはいられなかった。髭もじゃで、精悍な顔立ち、頻繁に咆哮する男性に僕は気に入られていた。それに僕は非常な落ち着かなさを持っていた。怖くて、怖くて、その事を関係者に相談したりしても、その懊悩を解決し、暮らしやすい環境にしてこらう事は出来なかった。僕の部屋は最初二階の部屋であった。しかしそれも不快に感じ、一階の部屋に変えてもらった。それでもグループホームはストレスが半端なかった。食事も精神科のデイケアでしたりする事も強
毎日、長い道のりを電車を乗り継いで、妻は面会に来てくれました。本当にうれしいかったです。妻は気分転換に、よく散歩に連れ出してくれました。(1人ではダメですが、親族などとならオッケーです。)散歩に出てみると、人里はなれたところにあることがわかりました。いろんな鳥。動物(馬がいました。もちろん飼われてましたが。)無人野菜販売所。なぜか水車。近くには、小さな小さな飛行場がありました。妻と手をつないで歩くと、少し安心しました。面会時間が終わって、妻が帰るのがとても寂しかったです。
入院が半月にもなり、だんだんと周りの人の病状がわかってきました。覚せい剤をやめるため。すぐなんにでも怒り、ずっとおさまらないひと。両親への暴力行為責任感が異常に強く、心が耐えられなくなったひと。躁うつ病、統合失調症もなどなど.....話しをする人は普通と思える人ばかりなんですが。
僕は弟からガタイがデカイとかプロレスラーだと言われている。これは僕が長身で、そう、背が高くて体格がしっかりしているという意味だ。以前作業所にいた職員にも大きい体の人と言われていた。僕は自分の背丈に自信を持つべきだ。そりゃ悪く見える時、チビに見える時はある。それは立ち位置だったり角度だったり気分だったりで変わっていく。またこの前スーパーの戸棚の鏡より顔の上半分が映らなかった事で非常に驚いた。他人から見ても同じように大きく映っているのだろう。出なければ母や弟の証言が整合性を取れない。ガタイがデカイ
入院している方は、普通じゃない方(いい言葉が見当たらなくて)だと思ってました。(自分のことはさておいて)実際は、普通に見える人が多いです。しばらくすると、相部屋の人以外の話し相手でもできました。中には、2年以上の入院のひともいて、驚きましまた、もちろん病気のひどい人も見かけます。ほんの些細なことで怒り続け、叫びながら怒鳴り壁をたたき続ける人。(隣の部屋の方でした)だんらんルーム(新聞、テレビ、お話をする部屋)で、ズボンを下ろし下半身を出す人(この人はそれから隔離されたのか見なくな
中国共産党の現地当局者、あるいは権力を笠に着る不動産開発業者などによる強制的な土地徴用や家屋取り壊し、不当な立ち退きなどに遭った市民のなかには陳情の道へ進む人も少なくない。陳情自体は中国公民の正当な権利であり、いかなる違法性もない。しかし、実際に陳情すれば現地当局から目を付けられて弾圧され、辱められることになる。なかには「精神病院」という名の監獄に送られて、そのまま命を落とすケースもある。【続き】罪なき陳情者を精神病院に監禁迫害の末に殺害=中国2024年3月29日、
人間の狂気、エゴイズムを題材とした作品は古来から続けられ上梓されてきた。殊に明治以後の近代日本においてはその類の文学作品の名手が続けざまに台頭していた。しかし世界というスケールで見れば日本人作家の、今偉人だと定評のある作家であっても大した事の無いように思えるかも知れない。僕は海外の小説は翻訳でしか基本的に読まない。昔は精神病院で格好つけて、英語で書かれた書物を読んでいたがあれは単なる自尊心の哀れな産物だ。皆それに感心する事はなかった。狂気と言えばピンクフロイドのアルバムにも狂気というものがある
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朝は6時にアナウンスで起床。7時30分に朝食。朝の薬の服用。(看護士の前でごくんと飲むところまでしなくちゃいけない)。ラジオ体操。看護士からの報告、検温。自由時間。12時昼食。そして、薬の服用。午後の時間は、日によって「アートセラピー」とか「病気の回復の話」などの時間。絵を描いたり、餃子の皮で簡単ピザを作って食べたりすることもありました。それらがない時は、自由時間。自由時間は、テレビを見たり、お話をしたり、卓球したり。中には、腕立て伏せ、腹筋をするグループもいました。
数日後、母の転院に付き添いました。廊下で待っていると、看護師さんがタブレットで最近の母の様子を見せてくれました。そこにはニコニコと手を振っている母の姿が映っています。え?笑ってますよ?あの鬼の形相はどこへ?以前にお菓子を持っていって、孫の写真を観てからとても機嫌が良いとのことでした。その後、車椅子で現れた母は、嬉しそうな笑顔です。「お母さん、その服とても似合うよ」「あんたが自分で選んだからでしょ?」え?え?普通に会話してる。一ヶ月前の転院の時とは大違い
昨年6月に投稿した記事ですが、再投稿させていただきます。(おまけの動画は、再生できなくなっていたので変更しました)☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆最近気になった記事・ツイートをいくつか貼らせていただきます。【「泊まりたくないホテル」】『「泊まりたくないホテル」』小倉謙氏投稿より【ようこそ、HotelThe精神病院Japanへ!】当ホテルは…・料金はサービスにもよりますが一泊につき約2万5千円~3万円で…ameblo.jp
精神病院に4年閉じ込められた彼女の壮絶体験世間では正月休みが明けたばかりの、1月6日午前10時。米田恵子さん(42歳)は東京都八王子市にある精神科病院「多摩病院」(持田政彦院長)から退院した。2016年2月の入院から、すでに4年近くの歳月が流れていた。…toyokeizai.net
今日は少し盛りだくさんで、神従姉妹がまず様子を見に来てくれ、午後よりケアマネさん訪問&ヘルパーさん+α。+αの影響で母がかなり興奮していたのもあり、ここのところの母の言動に私がイライラMAXで言い争いになったのもありますが、またしても「私を殺せばいい」と逆ギレ。ウンザリ😮💨するとイキナリ、手元にあったバッグを自分の額に何度もぶつけ出した挙げ句、泣き叫び出した何ごとが起こったのか訳が分からず、唖然としていると、そのままバッグを持って部屋をよろめきながら出て行ったので、目を離す訳にもいかず
精神病院の楽しみは食事のみ、あとはなーんにもすることなし、時間が過ぎるのをじっと待つのみ。あまりにも暇なので、2人部屋の隣人とも話をするようになりました。「あなた、僕を無視してましたよね。監視していると感じました。」無視はしましたが、監視なんて。。「いやぁ、うつで元気が出なかったのも、あと、結構人見知りなんです。。。」(汗すると、「あなたはスパイだと思ってました。」と真顔で言われました。「スパイなんて...なわけないじゃないですか」精神病院だから、しょうがないか。そんなこ
何となく認知が少し進んだような??ほんのびにょうな感覚ですがよく分からへんけど認知に関してはあまり分からないわたし実家の父も認知やったけど離れてくらしてたし認知の本は計3冊購入3か月に一度通院するドクターに聞くことも←毎年替わるねんよそれも毎年若い医者学生?みたいなそんな風にわたしには見えるんよね仕方ないねそれでも通院しないと大阪府立精神医療センターといいます100年くらい前からある地元では有名な精神病院です