ブログ記事23件
「死んだら生きれない」から生命力みなぎる発信で人を元気にします!令和の清少納言幸坂ゆうあです。↑こちらポチット押して登録してね。毎日がおもろくなるいろんなお話書いてます。※こちらは2019年10月30日に掲載した記事を加筆修正したものです。☆2011年に起きた出来事の自分史☆退職して一週間後旦那が突然死にました第一話【東北震災・津波の日の次の日に我が家に起こった激震の話】初めての方へ【自己紹介】「今まで生きてきた人生とこれからの生き方
夫は、ある日突然心臓が止まってしまった。家を出るときは、何ら変わらず元気だった。夢なのか現実なのか。心は止まったまま、涙は出なかった。現実は、バタバタと、次々と容赦なくやってくる。会うまでは、もしかしたら人違いではないかと、きっとそう。なんて思っていたけど。紛れもなく、私の夫だった。体の力が抜けてしゃがみ込んでしまった。しばらくしたあと、夫の近くに。冷たくなった夫の額や頬を触る。そこで、涙が止まらなくなった。ぽつぽつと、夫の顔に私の涙が落ちる。それでも、まだ夢なのか現在な
おはようございます😃ハンカチ代わりに空さんが持って行こうとしたモノに朝からビックリ‼️などうもアタスです今まで…彼はハンカチなんぞ持って行ったことがない(小学生の頃は待たせてたよ)中高は部活で常に浴用タオルを持ち歩いてたもんで…すっかりハンカチを持つ!と言う習慣が抜けた(笑)今朝…「ねぇ〜コレ別に手拭きに使ってもおかしくないよね??」と見せられたコレニキビっ子の空さんのためにたくさん用意してある刺し子ふきん↑水分吸いとりが良きなのでねや「問題は無いと思うけど…こっ
でへへ、昼飲みしちゃいましたテラス席なのでコロナも安心テラスなんてこじゃれたものではないかもー最近は出かけるのも夢のように気楽ずーっとシングルマザーだったからさ、出かける時は家事を済ませて作り置きしてといろいろ段取り考えないといけなかった私は手抜きが出来ないというか、家がキレイでないと気が済まないし、食事も手作りでないと・・・というところがあるのですようち、駅から徒歩2,3分なんだけど、いつも必ず駅まで走るハメになっていた・・・でもいまは「掃除しておいて」
中途失明は辛い[PTSD発症リスク]ですね。皆さまも、お大事に。
今から13年ほど前の事。日曜日の朝、息子ちゃんのクラブチームの野球に行くために朝から準備して家を出た。息子ちゃんと2人で車に乗って練習場に向かってる途中に携帯の音がなった『もしもし~』電話に出ると姉からだった『どうしたの?こんな朝から』姉に問いかけると・・・「お父さんが救急車で病院に運ばれた」「私も今から病院に向かうから、あんたも帰ってこれる」携帯を持つ手が震える2週間程前に父と母の2人、車で高速を走って1時間半程の我が家に遊びに来ていた父孫と遊んで嬉しそうにしていた野球
みんなの回答を見る▼ニックネームは?めーたん(*゚∀゚)▼ブログを始めたきっかけきっかけ、、、思いつきで笑私の人生、波乱万丈過ぎないか(!?)(ᐛ)(ᐛ)
このブログを始めようと思った動機は、いくつかあります。まず、私自身の記録用として。私の今までの人生の中で一番ショックな出来事でしたが、記憶は、だんだん薄れていくと思うし、何年か経過した時に未来の自分が今現在考えていること、思っていたことがショックが大きすぎて、あの時とてもつらくて、苦しかったけど、そんなことを思っていたんだと今よりもっと穏やかに冷静に見つめ直せる日が来る気がしているからです。それから、夫のようにある日突然命が終わるかもしれない。明日のことは、誰もわか
3月16日春の季節北海道も暖かくウキウキするような朝だったレイの最終引っ越し準備に出掛ける準備をしニトリとAEONで買い物をしたAEONで引っ越しの時のスニーカーを選んでる時に悪夢の電話が鳴った…とにかく病院に来るようにと病院に着くと会社の人が居た…私はパニックでいったい何があったんですか?倒れたんですか?そんな事をしきりに言ってたと思う直ぐに医師からの説明がありました車の中にいて仕事の時間になっても来ないから呼びに行ったところ様子がおかしいので救急要請をした救急隊員
本ブログを訪問いただき、誠にありがとうございます。占い鑑定士昭晴(akiharu)です。四柱推命の命式に現れた健康運"人の命は天が定める。"という言葉があります。つまり,人の命は天に決めるものであり,長く生きようと努力するからといって,そうできるものではないということです。では,人が死ぬ日が本人が生まれた生年月日時によって決まったのでしょうか。また,突然の死を指す言葉の中に"非命横死"という言葉があります。つまり,自分の寿命どおり生きられず,急に死を迎
私は頼りにしていた母を36で亡くした。あまりに突然で懺悔と後悔と悲しみの10年だった。そして今年に入り夫を突然亡くした。やはり頼りにし甘えていた。甘えすぎていた。懺悔と後悔と悲しみが増えた。これはズルい生き方をしている私への罰なのか?それとも、一人で頑張れるのか試そうとしているのか?だとしたら、私に関わる人は不幸になってしまうよな…私がズルくなったとたんに生を奪われてしまうのだから。そんなことがついつい頭をよぎる日々。もう、こんな風に大切な人を奪われたくない。
主人の有り難さに気付かされます。どんなにたよりにしてたか。どんなに甘えていたか。どんなに考えてくれてたか。どんかに話を聞いてくれてたか。考えれば考えるほど溢れだします。
せっかく早起きをしたのなら動き出せばいいのだけれど一人起きて、ぼーっとしちゃうと彼が居ない寂しさが込み上げたり色々な思い出が涌き出てきたり言い知れぬ気持ちになり暗いループに落ちてしまう。だからついつい目を閉じて眠ろうとする。二度寝。そうすると、今度は体が重くなり倦怠感が1日つきまとう。悪循環。前向きなこと考えてもまだまだそう簡単に元気になれるわけがない。わかってる。
君と出会ってから20年毎日、毎日、沢山の話をした。君の声を聞かない日は無かった。それが、2ヶ月前に終わりを告げられた。この世にいなくなった君の声を聞くことはもう出来ないんだなぁそんな事を考えてしまうとやっぱり寂しく悲しくなる。馬鹿話でも、喧嘩でも何でもいいからしたいよ。
ちょうど一年前、車を買い換えた。それまでは観音開きの四駆で子供も小さいし、わんこもいるしで移動がとても大変でした。だから、今度はスライドドアのファミリーカーにしようと値交渉もして大体気持ちも固めていた。けど、主人の気持ちを覗くと多分今までずっと欲しかったあの車が頭にあるんだろうなと感じたので「見るだけタダ、話を聞くだけ聞いてみよ」と、言って向かった。そして、値段も変わらないことがあり迷っていた主人の背中を押した。今、ガレージにその車が眠っている。今まで私もハンドルを
今日、息子と二人で義弟のお家へお邪魔するのにいつが良いか決めていた時無意識に日曜日は避けていた。義弟は日曜日も仕事が多く大丈夫なのだが主人は唯一のお休みが日曜日。日曜日は家族水入らずで過ごしたい人だった。家族だけで遠出したい人だった。だから、私も日曜日は予定を極力入れずに過ごしてきた。そんな生活が19年ともなると染み付いてるなぁとしみじみ思ってしまった。そして、ぽっかりと穴があいた心がチクチク痛んだ。
「たられば」の話をすると無理しないでゆっくりでいいんだよ頼ってねと、優しい言葉をかけてくれる。本当にありがたい。でも、正直言うとどうやって頼ったら良いものかどうやって甘えれば良いものかわからない。図々しさって簡単なようで難しかったりする。今、私に出来るのはもがいてもがいて主人が居たときにはしていなかったことを見つけ出しては始める、行うことで新たな自分を作り出して主人が突然いなくなった現実から逃げること。
パパが亡くなってから息子の幼稚園のあるうちは気丈に早起きをして変わらぬ生活をしてきた。とてもとてもしんどい日々だったけど仕事も何とかこなしてきた。保険の名義変更、葬儀の振込法要の準備、口座凍結による引き落とし不能な公共料金等の払い込み…とにかく目まぐるしく動いていた。けど、息子が春休みに入り四十九日法要も済ませ納骨したら気が抜けてしまった。とにかく息子との時間を一番に考えよう✨と、いいつつ仕事に関しても甘えが出て遅れがち。息子の新学期の準備もしなければならな
パパがいなくなっておよそ2ヶ月私の睡眠は1~2時間おきに目覚める状態が先週まで続いていた。守ってくれる人がいなくなったという恐怖感が働いたのもあるかもしれない。少しの物音や気配で飛び起きるそんな状態だった。でも、気持ちを切り替えてから不思議と熟睡出来るようになった。今朝は六時間眠ることが出来た。わんこも熟睡、息子も熟睡。パパがいなくなってから誰かしら一緒に寝泊まりしてくれているので怖がる必要なんてないんだよな。
自分が不調になると息子もわんこも不調になる。きっと、二人とも私の不調を感じ取って、不安でたまらなくなるのだろう。辛い体にムチ打って二人の病院へ行ってると主人が居たときは、二人の面倒を一切引き受けて私は横になっていれば良かったのにな…と、有り難くなり涙が溢れてきた。病弱な妻の代わりに彼がどれだけ大変だったかよくわかった。感謝しかない。病院の待合室で冷静になりじっくり自分を見つめ直してみた。結果、思考を変えてみた。「たられば」を捨ててみよう‼️主人が居てくれたらこ
結局、内視鏡検査では全く異常が無かった✨ホッと一安心。心の疲れが体に出たのかな。昔から原因不明の病が多くて主人にもいつも一度、しっかりと全身細かく診て貰った方がいいよ✨と、薦められていた。そんな主人が先に旅立ってしまいいつもどこか不調だった自分の体がもっともっと信じられなくなっているのは確かだなぁ。明日があるのか不安になってしまった。主人の突然死で。
色々頑張りすぎたかなぁ。胃痛が背中にまできてしまい昨夜はお粥と少しのおでんそしてガスター20を飲んだのに痛くて苦しくて酷い吐き気寝泊まりしてくれている妹に「もしかしたら救急車をお願いするかも」と、告げた。けど、苦しくて眠れなくても息子の事を考えると我慢した。また、あんな思いをさせたくない一心だった。私は相当怠け者だっあなぁ主人に甘えすぎてたな…とつくづく思った。随分と楽をしていたようだ。救急車という言葉に息子は過度のストレスがかかってしまったようで私が死んで
4歳の息子はYouTube依存性と言っても過言ではないほどだ。きっと、仕事で忙しいとき妹の手を煩わせたくないときYouTubeを見せてやり過ごしてきてしまったから。週末は主人が必ず息子と二人でまたは家族で出掛けていたのでそれで依存から引き離せていた。そんな、安心感もありついつい見せてしまっていた。主人がいなくなってしまった今、週末も家で引きこもり状態。つまりはずっとテレビを見て一日が終わってしまう。そんな焦りと不安でモヤモヤしていたところに「もう、夜になるの?」「
目覚めたら全てが悪い夢で家族が並んで寝てたらいいのに…笑って今まで起きた悪い夢の話を君に話して、笑い飛ばして以前の日常が始まるそうだったらどんなにいいか…でも、やっぱり君はいなくて息子の夜泣きで起きる現実。息子はきっと君がいなくなった日の事や君を送り出した日を思い出して夢の中でも見ているんだと思う。私と息子の叶わぬ夢は君が戻ってくること。
先週の土曜日は四十九日法要をし納骨してきた。4歳の息子にも何をする日か理解できていて法要中も落ち着きなく墓所でも小さな抵抗が見えた。とにかく聞き分けがなかった。仕方ないとわかっていてもイライラしてしまった。そんな母に息子も怒りを覚えたに違いない。私は各種手続きや精算、接待などで悲しみに浸かる暇もなくとにかく滞りなく済ませるのに必死で息子の悲しみに向き合う余裕もなく、父や妹に自分の行き場のない悲しみを当たり散らしながら過ごしていた。本当に申し訳ないと思った。そし
息子は幼稚園に入ってすぐの尿検査で尿蛋白が出ている事がわかり3週間ほど入院検査を行ったがネフローゼまではいかず要観察で通院を続けもうすぐ一年になる。いまだに出続けているので不安だからそろそろセカンド・オピニオンを考えている矢先に夫が逝ってしまった。明け方、夫が亡くなってから二度目の発熱。朝には下がったものの今度は泣きながら腹痛を訴える息子。急いで自分の身支度を整え病院へ向かう。今までなら不安を漏らし相談して、時には一緒に病院に居てくれた夫がいない。全てを抱えて病院