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大神神社の神は、饒速日命。彼の后御炊屋姫は、二柱の天照に繋がる。★目次☆1大物主神と大国主神☆2子孫が神を祀る☆3三島神☆4高良神☆5大神神社の御炊社=豊受大神=御炊屋姫☆6籠神と伊勢神と磯神(石上)☆7宗像神☆8住吉神☆9鹿神=綿津見神=高良神☆10天照☆1大物主神と大国主神大物主神は、奈良の大神神社に祀られる。神話の「少名毘古那神(すくなひこなのかみ)が常世国へ帰った時、幸魂奇魂が海から現れ、三輪山へ祀るようにと告げる」とは、同
瀬田の唐橋滋賀県大津市瀬田27忍熊王、逃無所入、則喚五十狹茅宿禰、而歌之曰、伊裝阿藝伊佐智須區禰多摩枳波屢于知能阿曾餓勾夫菟智能伊多氐於破孺破珥倍廼利能介豆岐齊奈則共沈瀬田濟而死之。〈現代語訳〉忍熊王は逃げるところがなく、五十狭茅宿禰を呼んで歌を詠んだ。いざ五十狭茅宿禰、内朝臣の頭槌によって痛手を負わされるより、鳰鳥のように水に潜って死のう。そうして共に瀬田の渡しで死んだ。(『日本書紀』)ここ唐橋もやっぱり交通の要衝で、壬申の乱、寿
逢坂碑滋賀県大津市逢坂1-18-11(安養寺前)逢坂(おうさか)「日本書紀」によれば、神功皇后の将軍・武内宿禰がこの地で忍熊王とばったりと出会ったことに由来すると伝えられています。この地は、京都と近江を結ぶ交通の要衝で、平安時代には逢坂関が設けられ、関を守る関蝉丸神社や関寺も建立され和歌などに詠まれる名所として知られました。武内宿禰、出精兵而追之、適遇于逢坂以破、故號其處曰逢坂也。(『日本書紀』)故、逃退逢坂、対立亦戦。爾追迫敗於沙沙那美、悉斬其軍。(『
みなさんおはようございます~(*^^*)昨夜、仕事の材料を買うのに久しぶりによく行った中華屋さんに行きました…食べきるまで40分かかりましたギャル曽根すごいな~って思いましたよ淀川区の神津神社です十三駅から商店街を通りにけてすぐですまだ朝7時台ですが参拝者はチラホラいるんです…祭神はたくさんいます応神天皇・神功皇后底筒男命・中筒男命・表筒男命宇賀御魂神・菅原道真公少名彦神・猿田彦神ですまだお雛さんが飾ってあります…結婚できなくなるよ~狛犬さ
2月4日の木の芽春立つ日に開催したサイバー鈴木の『小江戸川越開運ツアー』川越ツアー最後の神社さんです⛩️『川越八幡宮』ご祭神誉田別命倉稲魂神川越八幡宮は長元3年(1030)、甲斐守の源頼信が平忠常の乱の平定祈願を行い、戦勝に感謝して創祀しました。長禄元年(1457)、川越城築城の際に太田道灌はこの八幡宮のご分霊を城内の守護神として奉じました。☆狛犬☆川越八幡神社の花手水☆ご神木夫婦銀杏上皇陛下がご誕生になった昭和8年、川越八幡宮の神職さんにより男銀杏と女銀杏の2本が植
高穴穂神社滋賀県大津市穴太1-3-112代〜14代天皇の皇居、高穴穂宮だとされる場所。この日は石山寺→瀬田の唐橋と行った時点で17時を過ぎていたので行くの悩んだけど、当日中なら周遊チケットが高穴穂神社最寄りの穴太駅までも使えるから、行った🚃💨少し暗くなりかけではあったけど、まだ明るくて良かった☀️「三帝の都」と言っても、景行天皇も仲哀天皇も主にいたのは別の場所。ここは成務天皇が長く都をおいた場所。…あれ仲哀天皇、半年?仲哀天皇は即位2年の2月6日に
しばらく書けていなかった、2022年9月福岡旅行編を書いていきますね~この時は、福岡に三泊四日でおたかさんと旅しておりました前回の記事は、こちら。おきよ食堂さんの記事でした。『長浜市場会館おきよ食堂@長浜(2022年9月福岡旅)』また、えらい昔のことになりますが、2022年9月は西が最大吉方位だったもので福岡に三泊四日でおたかさんと旅しておりました今日からは、2022年9月福岡旅行…ameblo.jpこちらで朝ご飯を済ませ、この日は最強の日だったもので、どうしても行
最近バタバタと忙しくて…間があいてしまいました😢関東の友人から、東京七福神詣りしてきたよ〜ってLINEがありあれ?神戸にもあるんじゃない❓って調べてみたらありました😊神戸八社巡りしかも‼️一宮〜八宮まであるのは神戸だけらしいです❤️まずは、生田神社お詣りしてきました⛩️春詣、切絵御朱印も購入しました🌸201年、神功皇后が三韓征伐から凱旋帰国の途中、生田神社を建立。神のお告げにより生田神社周辺の八社を巡拝したといいます。そんなご縁があり、神功皇后の参拝順に従って一宮~八
ご訪問有難うございます✨雨の福岡地方昨夜は雷ゴロゴロ雨は土砂降りとても賑やかな夜でした。先日山口県下関市の住吉神社さまへ伺いました。『下関住吉神社の狛犬さま』ご訪問有難うございます。とても冷えた朝です。暖房を使いました。山口県下関市長門一宮住吉神社さま『長門一宮住吉神社』ご訪問有難うございます。家の回りで鳴いて…ameblo.jpお詣り頻度高めの神社です✨御祭神住吉三神様応神天皇様武内宿彌命様神功皇后様建御名方命様狛犬さまいつ見ても姿も顔
日々、一歌87/365+1山桜咲く頂を時ならぬイカズチ襲う谷間にひとりそぞろな歌になっとる、、、
富士王朝の謎と宮下文書Amazon(アマゾン)2,200円神皇紀(宮下文書/富士古文献):大正10年刊Amazon(アマゾン)580円謎の宮下文書―富士高天原王朝の栄光と悲惨日本人のルーツを明かすAmazon(アマゾン)5,718〜20,470円富士山、2200年の秘密なぜ日本最大の霊山は古事記に無視されたのかAmazon(アマゾン)990円消された日本超古代史の真実Amazon(アマゾン)320円縄文文明世界中の
東林間神社ひがしりんかんじんじゃ相模原市南区の東林間神社へとある日に東林間神社に行きました神奈川民なのですがこのあたりは不案内で…東林間は町田市だと思っていたくらいと言うのは…このあたりに「鶴間」と言う地名がありますがこの鶴間が町田市、大和市、相模原市にまたがっているのだ。なので、鶴間の近くの中央林間や南林間、東林間もなんとなく町田なのか相模原なのか混同してしまうこちらの東林間神社ですがなんか気になっていました手水舎龍さま…境内社にお稲荷さんこのお稲荷さん
本日は土蜘蛛、田油津媛の命日なり。丙申、轉至山門縣、則誅土蜘蛛田油津媛。時、田油津媛之兄夏羽、興軍而迎來、然聞其妹被誅而逃之。〈現代語訳〉(仲哀天皇9年3月)25日移動して山門県へ行き、土蜘蛛の田油津媛を誅殺した。その時、田油津媛の兄の夏羽が軍を起こして迎えに来たが、妹が誅殺されたことを聞いて逃げた。(『日本書紀』)というわけで、色々飛ばして、昨日のバスハイクで訪れた、田油津媛の墓と伝わる場所の話。老松神社福岡県みやま市瀬高町大草311立派な楼門をくぐった先にある
歴史から抹消された日本の女王の正体!?#shots#ゆっくり解説#ゆっくり解説#shots#歴史#はにわ#神功皇后このチャンネルのメンバーになって特典にアクセスしてください:https://www.youtube.com/channel/UCL6ndtHDs2nbVfnyjJLzdhg/joinyoutube.com
『神戸住吉ぶらり①本住吉神社』JR住吉駅。人工島、六甲アイランドに連絡する六甲ライナーの駅に繋がる駅。『舞子・垂水ぶらり②海神社、ミカゲヤ』前回の続き、垂水漁港、海神社の大鳥居。の横に、…ameblo.jp本住吉神社を後にして国道2号線からバスで山側へ🚍️六甲山の登山道が始まる一番山側の住宅地との境界にある、本住吉神社の奥宮へ。もう少し西側には、六甲山頂へ繋がる六甲ケーブル🚟があります。『六甲・有馬日帰り温泉ぶらり①六甲比命神社』毎年、妻との秋の行事、六甲比命神社、参
木更津駅近くにある八剱八幡神社です。⛩️その昔この神社のあたり一帯の地を八剱の里と呼ばれて、里の神は八剱の神として祀られていたそうです。この神社は、日本武尊、源頼朝、徳川家康にもゆかりがあります。御祭神は誉田別命(ほんだわけのみこと)(應神天皇)息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)(神功皇后)足仲彦命(たらしなかつひこのみこと)(仲哀天皇)素盞嗚命(すさのおのみこと)日本武尊(やまとたけるのみこと)の五柱になります。「手水舎」「御神水」「源頼朝お手植えの蘇鉄」「源
子孫が祖神を祀る。巨勢氏が祀った社もまた、彼らに繋がる。★前の記事『儺の國の星~39、莎星~高木神と高良神』高良大社は昔、高木神がおられた。高良神が追い出して、結界を張ってしまった。何を意味するものなのか。★前の記事『儺の國の星~38、聖母星~神功皇后と卑弥呼と…ameblo.jp★目次☆1ヒメコソ神☆2巨勢氏は物部氏ヒメコソ神(「儺の國の星」40、葛城星(かつらぎほし)より引用)風子(かさこ)を姫子と書き”ひめこそ”と訓ずる。”ひめ”とは天女であり、後
【豊山八幡神社(とよやまはちまんじんじゃ)】(福岡県北九州市八幡東区)@art.mochida.daisuke洞海湾の近くに鎮座する豊山八幡神社は、皇室守護神で武家の神でもある八幡神(応神天皇)を祀り、古くからこの地域の総鎮守として信仰されてきた神社です。社伝によると、14代仲哀天皇が突如崩御された後に三韓征伐を果たし帰国した神功皇后が、筑前宇美(福岡県宇美町)に於いて15代応神天皇を御出産されました。穂波郡大分村(現在の福岡県嘉穂あたり)より小倉村(現在の福岡県北九州市)に行幸され
纏向遺跡に関する関裕二氏の古代史観の説明を続ける。・ヤマト建国のきっかけは、タニハ(古代の丹波、但馬、若狭の北近畿一帯)が作った可能性が高い。タニハは弥生時代中期に瀬戸内海沿岸地域とつながっていたが、弥生時代後期になって、琵琶湖の水運を利用して、近江、東海との交流を深めていったことがわかってきた。・タニハは、ヤマト建国の直前、西側の出雲と日本海の覇権争いを演じていた。タニハは鉄を輸入し、鉄製品を作っていたらしい。タニハは、海人の拠点(港)となる潟湖(ラグーン)にも恵まれていた。交易で
山津照神社(やまつてるじんじゃ)滋賀県米原市能登瀬390祭神国常立尊(くにのとこたちのみこと)息長氏が国常立尊を祖神として祀り創建したと伝えられるとか。古墳にある神社は若宮八幡宮。広々。イラストには最初にくぐった鳥居は描かれていない。拝殿の修繕中の様でごちゃごちゃしていたので、程よい距離から撮った社殿の写真はなし🙅♀️宝物庫。山津照神社由緒には「当地に在住の息長氏の崇敬殊に厚く、神功皇后は朝鮮に進出の時祈願され、帰還の際にも奉賽の
飛行機のエンジン部分に乗ってる春馬くん…今日書く内容は、もしかしたら、前世というものを信じない人には面白くないと思うのでスルーしてくださいね。こんなに気分が高揚したのは久しぶりです。春馬くん、himikochannelさん、九頭龍様ありがとうございました。春馬くん、あんじゅ様をはじめとするいつもこのブログに参加してくださる読者の皆様のおかげで前世を鑑定していただけました。前世は人間でなく植物…春馬くんが歩く道端に咲く花でも良いと思っていた私ですが…なんと…1.応神天皇の息子で
■須須神社珠洲市三崎町〈崇神天皇の時代創建〉髙座宮.金分宮併称※祭神髙座宮→ニニギノミコト、ミホススミノミコト金分宮→コノハナサクヤヒメ元来の祭神はミホススミ神出雲の美保神社の祭神と同一東方の日を受ける神■古麻志比古神社珠洲市若山町〈崇神天皇創建〉※祭神日子座主命(ヒコイマスオウノミコト)↓崇神天皇異母弟神功皇后の祖※境内社スクナヒコ神社スクナヒコはカミムスビ神の子■珠洲市若山川流域の若倭部大和政権の命令により、若倭根子大毘毘命(崇神天皇の父、開化天
■紀元前5世紀初め、九州北部で水田稲作農耕始まり、北海道、沖縄、南西諸島以外の日本全国に広がった。時期は第一代「神武天皇」時代に重なる。神武天皇は紀元前711年2月13日、日向(宮崎)で生まれ、前585年127歳で崩御■〈神武天皇系図〉※父方天照大神→アメノオシホミミ→ニニギ→ホオリ→ウガヤフキアエズ→神武天皇※母はタマヨリヒメ(蛇神)。その父はワタツミ(海神でイザナギとイザナミの子)タマヨリヒメの姉はトヨタマヒメ(ワニ神でホオリの妻)※皇后はヒメタタライスズヒメその父は大
山津照神社古墳滋賀県米原市能登瀬390(山津照神社境内)神社庁の記述には「(境内にある古墳は)神功皇后の御陵候補地」とある。現地の石碑では、神功皇后の父、息長宿禰王の墳墓とある。でも、発掘調査の結果、出土物の年代から6世紀前半に築造されたものだとされているの。でもさ。代々同じ場所に埋葬するとしたら、どこかのタイミングで古い物は一新して綺麗にするんじゃないかな。だから、出土品が6世紀の物だったとしても、それ以前の人の墓
私が人間界の女子として今生きている存在を知ってくださいますように。いつも願います。私は、神功皇后様をお慕いして18年。最近の小話では、私は22回ほど人生で引越ししてますが、引越しする場所は、歴史ある土地を選ばせてもらいます。今は誉田町、もちろん、ホンダワケノミコト様にちなんだ場所だったから、物件の中身はさておき、土地に住み、霊性を高める生き方を優先します。仲哀様、皇后様、八幡様、がこの世にいらっしゃった時代があると確信したのは、千葉で安房の地にある安房神社、洲崎神社様に
さて、近くに神社があるのでそちらへ行ってみることに。参道はこちらから。でも、楽して車で上がります。※写真はストリートビューから駐車場まですぐでした。歩くべきだったかな😅傾斜地にある駐車場、二階もある😲宮地嶽神社長崎県佐世保市宮地町ええっと、鳥居はどこだ?少し戻って見つけました。宮地嶽神社(みやじだけじんじゃ)は、神功皇后(息長足比売命)を主祭神として、随従の勝村大神・勝頼大神(宮地獄三柱大神)を併せてお祀りする神社。神功皇后が西海道平定の時に天津神を祀った地を里人が宮地
ご訪問有難うございます✨福岡地方は晴れてますがとても寒いです。9時頃の地震大丈夫でしたか?福岡県大川市風浪宮さまへ伺いました『風浪宮』ご訪問有難うございます✨どんより曇り空の福岡地方雨が降って来そうです。今夜は北九州市の小倉駅周辺の飲み屋を題材にしたドラマ『キキミミメシ』がある。主人公は濱田…ameblo.jp鳥居をくぐったらお天気も良かったけれど境内が明るいの✨パ~っと解放感のある気が溢れていました。神門のある池の手前左手に祇園社さま御祭神が須佐之男命様です
増えたので前後編と分けました。(は行~わ)です。★前編『総索引前編(あ行~な行)』『ブログマップ』ブログ内の記事のマップです。これを読めばとりあえず分かるという記事をまとめました。まだ、途中ですがアップします。「神社*総まとめ」なども…ameblo.jpは八大龍王弁財天(山の辺の道)*奈良県★八大龍王と弁財天1(浦島太郎伝説)★八大龍王と弁財天2(神功皇后と高良神)★八大龍王と弁財天3(籠神社の天火明命と豊受大神)★八大龍王と弁財天4(三輪の神は八大龍王
息長宿禰王像滋賀県米原市顔戸(滋賀県道243号線沿い)今は米原市顔戸という地名だが、昭和30年(1955年)までは滋賀県坂田郡息長村という地名が存在していた。その名残りの坂田小学校。息長氏のことが紹介されていた☀️息長氏。14代仲哀天皇の妃、息長足姫(神功皇后)や、30代敏達天皇の妃、息長広姫を輩出している。古事記では、9代開化天皇の息子、彦坐王の妻、息長水依比賣も。とにかく、天皇やそれに準ずる人に娘を嫁がせがちな豪族であり、天皇家に近い存在だと分かる。「この御地より神功皇后
【撃鼓神社(げっこじんじゃ)】(福岡県飯塚市)@art.mochida.daisuke福岡県飯塚市に鎮座する撃鼓神社は白旗山中腹に上宮があり、写真の下宮が山裾にあって古くは上宮を鼓打権現(つつみうちごんげん)・下宮を笛吹権現(ふえふきごんげん)と呼んでいました。この両権現は、神功皇后が三韓出兵の際の神楽奉納で囃子の太鼓・笛を指導した神だと云われています。地理全誌には志賀の浜(現福岡市東区)で神楽を奏した時、笛鼓をつかさどった神といわれています。本殿は文安3年(1446