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おはよう!金曜日、天気は晴れさっ今週もあとちょっとふぁいと~4月はじめの京都外人さんでいっぱいの哲学の道から逃れて真如堂へ総門横の塔頭法伝寺まいどお馴染みの真如堂ここは外人さんいも団体さんもいないからいいやお寺に桜自由に撮り放題八重紅枝垂れも満開綺麗やうん?八重と違う?ま、どっちにしても綺麗やからOK
平安神宮で幸せになった後は金戒光明寺(紫雲山・くろ谷金戒光明寺)https://www.kurodani.jp/浄土宗大本山・くろ谷金戒光明寺新選組発祥の寺、本陣を置いた事でも有名な金戒光明寺。2www.kurodani.jpあの方に会いにいきました。アフロヘア(螺髪)の仏様正式名「五劫思惟阿弥陀仏(ごこうしゆいあみだぶつ)」桜🌸が咲いても修行されています精神集中して左のお顔を拝見すると気難しそうなお顔つきですね今回はあの上までは行かずに途中でやめました
少し遠回りしたかっこうで真如堂に着きました山門前の法伝寺で前撮りでしょうかお幸せに山門を入ります本堂と三重塔まっすぐ本堂には行かないで横の道を上がります元三大師堂前の落ち椿元三大師堂と桜本堂ここで京都の友人と待ち合わせ友人「真如堂は桜より紅葉やで」青紅葉が綺麗友人に三井家のお墓とか案内しても
京都市左京区浄土寺真如町にある真如堂[しんにょどう]。■寺号標寺号は真正極楽寺。・・・ですが、真如堂の方が一般に通りが良いはず。■三重塔1817年(文化14年)再建。■本堂重要文化財。1717年(享保2年)再建。本堂南西側。本堂南側側面。■たてかわ桜樹齢300年以上。春日局(1579-1643)が父の菩提を弔うために植樹。父は美濃斎藤家、明智光秀家臣であった斎藤利三(1534-1582)。斎藤利三の最後は、
■元三大師堂1696年(元禄9年)建立。元三大師[がんざんだいし]良源(912-985)を祀る大師堂。扁額は「元三大師」。元三大師堂南西側。東側には本坊。■新長谷寺■喜運院■理正院■法輪院
今日は休日だったので、散歩がてら100円ショップ巡りをしました(何か目的ないと歩けない私😅)たいして欲しいものも無かったのですが💦外に出ると、天気はいいけど風があって、肌寒い感じでした。ま、歩くにはちょうどいい11℃くらい?帰ってきてからGoogleで距離を調べてびっくりしました!!!以前は1時間を5㎞くらいで歩いて、お寺まで○◇㎞だから何分で着く…とか計算してましたが、今日は1.5㎞の帰り道、30分かかっていました。(小樽と違って平坦な道なのに)ええぇー1時間で3㎞!!!遅いよ
昨日も市内の桜を巡ってきたので、そのダイジェストをアップしておきます昨日はどこも満開状態でした今週雨が降れば散るとこもあるかもしれません花見としては今日がベストかもしれないので、その目安になればと夜中も定期更新しましたが、取り急ぎアップしておきます🙇昨日は嫁さんとやはり4時過ぎ起き🤣出たのは5時過ぎてました通りすがりの亀岡・七谷川こちらは満開のようでした道から見えたとこチラッと見ただけですけどね😅市内に入り、気になってた神光院庫裏前のしだれ桜は残念ながらもう一息?駐車場
4月5日に、京都の桜満開宣言が発表されました。今日は、人気観光地の銀閣寺・哲学の道の近くの「穴場観光地」に行ってきました。先ず向かったのは、くろ谷金戒光明寺に行きました。金戒光明寺⇒浄土宗大本山・くろ谷金戒光明寺(kurodani.jp)光明寺の桜は、満開でした。山門前の桜は、見事に見頃を迎えていました。境内では、阿弥陀堂の前の桜も「可憐な姿」を見せていました。何故か、この光明寺は外国からの観光客が少なく、女のひとり旅の姿を見かけました。金戒光明
岡崎神社から金戒光明寺、真如堂までの散策の様子です。このルートは紅葉時期も綺麗ですが桜も綺麗です。2024.4.5こちらの写真の一部はコミュニティメンバーの投稿写真をもとに作成しています。岡崎神社金戒光明寺真如堂
にほんブログ村☝️ここをポチっとヨロシクです❣️2024年4月6日土曜日おはようございます😃2024年桜のお散歩🌸真正極楽寺編です🤗4月5日この日の京都は雲☁️開花は満開🌸真如堂[真正極楽寺]こちらの枝垂れ桜🌸は咲き始め青葉からの三重塔このお寺はワンちゃんにやさしいお寺でお散歩OKなんですよホントに手入れが行き届いたお寺満開🌸のソメイヨシノ桜🌸からの三重塔2024年桜のお散歩🌸真正極楽寺🌸編でしたこの後、哲学の道へ行って来まーす🤗いつもお付き合いありが
…牧野省三に横田永之助から「映画を撮らんか」と声が掛かり、横田が提供する資金とカメラマンで浄瑠璃『絵本太功記』のうちの「本能寺合戦」を製作、本能寺での戦闘シーンが真如堂で撮影された。俳優は中村福之助、嵐璃徳ほか、明治41年9月に封切り上映された。省三は本能寺で撮影したかったはずだが、この時期、本能寺の建物は存在せず、【33】真如堂を借りて本能寺と見立てた。
赤門のそばで、ちらほらと。赤門の中も、ちらほらと。
近くの法然院と、真如堂へ。法然院は、茅葺の山門で、風情がある。ここは、法然上人の浄土宗のお寺だそう。静かなところに、地蔵菩薩様が、お守りされていた。なんと、心地いいところ。。。そして、真如堂は、多少歩くようだ。その前に、日吉神社というとこあり、名前の気に入りお参りを。魔除の神様神猿(まさる)が沢山いた。真如堂へ。真如堂へ行くには、坂を結構登る。ここかなというとこで、立ち止まり、考えていると、ジョギング中のおじさんが、「なんか、探してますか?」と聞いてく
もう寒くなる事は無いだろう。先ほどのニュースで名神京都南出口付近で15キロの渋滞。多くは桜目的、ところが正直見頃を迎えているの一ヶ所くらい。それに今日は中国からの黄砂が飛来しているので、少し霞んでいる。いずれにしてもこの気温上昇で近々一斉に見頃を迎える模様。私の住んでいる千本丸太町はコロナ前に大挙押し寄せていた中国人の姿は無いが、それ以上に世界各国の観光客が入り乱れ、ニューヨークさながらに人種のるつぼ。今年の桜の季節はとんでもなく恐ろしい光景が展開しそう(´艸`)。まだ桜情報を
寒い日が続きますね~。桜の開花もどんどん遅くなってきていて、今週は、本当にピクニックシートを敷いて都内でお花見の予定があるのだけれど、満開はもちろん、開花も望めないかも。さて、京都旅行二日目ですが、この日、夫が目的の仕事があったので、その間、私は一人で社会見学に出ることにしました。京都駅から市バス5番系統の銀閣寺行きに乗り、「真如堂前」で降りる。しか~し、坂がすごい。山の上に寺が建っていることにここで初めて気が付きました。はぁはぁはぁ…予想し
皆さま、こんにちは京都の寺社巡りをしました知恩院の三門ロームシアター京都へ壁の「箔画」が見事です同じ建物の「モダンテラス」でランチして苺のデザートが美味しい~(*^-^*)🍓練乳入りよ平安神宮桜、花菖蒲、睡蓮の咲く頃がおススメです(*^-^*)そして印象に残ったのは偶然、前を通った真如堂手を合わせていると本堂
~アロマセラピーと風水を融合させた世界初の開運メソッド「アロマ風水」~人気ブログランキングへブログランキングに参加しています。みなさまの応援が更新の励みになりますアロマ風水®創始者及び、運命学神道研究家の横井靖弘です。全国各地の神社の中には、龍神を祀っている龍神系神社が存在します。天に昇る龍神は運氣を上げる神社として縁起が良く、龍神系と聞くだけで特別な気がしませんか😊実際に龍神系の神社は、商売繁盛・縁結び良縁と言った
あなたの知らない京都旅という番組がBSでやっていた。安倍晴明ついてやっていた。その中で、私がよく行っていた京都の真如堂が深いかかわりがあることを今回初めて知った。安倍晴明との関係はもちろん、現在大河ドラマの「光る君へ」とも深い関係があるみたい。984年真如堂は比叡山延暦寺を本山とする天台宗のお寺であり、真正極楽寺ともいう。戒算上人が比叡山延暦寺から阿弥陀如来立像を東三条院の離宮に移したのが始まりらしい。衆生済度、特に女性をお救いくださる「うなずきの弥陀」として有名。
真正極楽寺(しんしょうごくらくじ)は、左京区浄土寺真如町にある天台宗の寺院です。山号は鈴聲山(れいしょうざん)、本尊は阿弥陀如来、通称は真如堂(しんにょどう)です。984年、比叡山延暦寺の僧である戒算が夢のお告によって、延暦寺常行堂の本尊である阿弥陀如来を神楽岡東の東三条院詮子(一条天皇生母)の離宮に安置したのが始まりです(『真如堂縁起』)。992年一条天皇の勅許を得て本堂が創建されたといわれています。不断念仏の道場として念仏行者や庶民、特に女性の信仰を得てきました。しかし1467年に始まった
おやじの百寺巡礼≪NO56≫真如堂(しんにょどう)真正極楽寺(しんしょうごくらくじ)《京都市》令和6年3月5日(火)法然院を出て哲学の道を横切り坂道を降りました。市バスの錦林車庫が見えたので通りすがりの地元の方に「真如堂にはどう行くのですか?」と尋ねると「錦林車庫沿いに坂道を登るとありますよ。」と教えてくれました。小さな道標を頼りにかなり急な坂道を登り真如堂の本堂の屋根が見えてきました。。
真如堂神楽岡東陵(陽成天皇)宗忠神社
真如堂
皆さんこんにちは😃今日は何かいろいろ学んだ少しずつ忘れない様にブログに残します。帰って来たら。。。阿闍梨餅をいただきましたこれ美味しいんです。あじゃりもちと読みます。。。創業安政3年。江戸末期です。比叡山の阿闍梨様(阿闍梨尊師)阿闍梨修行の険しい道苦にせず日々山を下りて京都の大社を平和を祈願して巡拝する。(真如堂や八坂神社)平和を祈願して巡拝するその道中に市民の人々が道に出て阿闍梨様の念珠を頭に戴くことで阿闍梨様との縁を結び阿闍梨様と一体となり仏の道
阿弥陀如来を本尊とする真如堂の正称は、「鈴聲山真正極楽寺(レイショウザンシンショウゴクラクジ)」と云々、天台宗の古刹である。永観2年戒算(カイサン)が神楽岡の東にあった藤原詮子(アキコ・東三条院)の寝殿の中に、比叡山から阿弥陀如来像を移したのが最初と云う。その後、比叡山や洛中など移転を繰り返し、元禄年間に現在地に落ち着いた。本堂・三重塔はその後の再建である。重文に本尊・阿弥陀如来立像や「真如堂縁起絵巻」などがある。