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今週の問題1912年、日本の南極探検隊が南緯80度5分の地点に達しましたが、この探検隊を率いた陸軍中尉は誰でしょう。選択肢・白瀬中尉・中瀬中尉・赤瀬中尉・黒瀬中尉・百瀬中尉正解…白瀬中尉解説ここでは白瀬中尉こと、白瀬矗(しらせのぶ)について述べます。「秋田ふるさと村」(秋田県横手市)のマスコットキャラクターである秋田犬の「ノブ君」の由来になったという白瀬矗は1861年、現在の秋田県にかほ市で、浄蓮寺の住職である白瀬知道とマキエの長男として出生しました。幼年
一年中半袖で過すと決めている・・・先日、「ウワ~!半袖ですかぁ~?」「寒くなかですかぁ~?」と、患者さんに驚かれた・・・ま、暖房の効いた治療室だし・・・いつも、「冬でもバイクに乗らんばけんですね~!」と答えている。それと、今年も南極観測船「しらせ」が、南極基地に到達したが・・・このしらせとは白瀬中尉の事である・・・白瀬は、文久元年(1861年)に、11歳の頃に寺子屋で北極の話を聞いたことをき
いつの日からか半袖で年中過ごす事に・・・なので真冬のこの時期はちと厳しい・・・が、決めたらやり通す!7月生まれなので夏には強いが冬にはめっぽう弱い・・・(>_<)ある日バイクのエンジンの為にも冬にも乗ると決めた・・・たとえ0℃でも道さえ凍らなければ・・・そのためには寒さに負けない体を手に入れなくてはと・・・ひとつのヒントはあの南極観測船しらせの白瀬中尉の事を知ったからだ。白瀬中尉は北極や
☆皇紀二千六百八十三年(平成三十五年、昭和九十八年、大正百十二年、明治百五十六年)令和五年一月十六日(月)おはようございます。我が国日本の伝統文化の護持と民族の覚醒に尊い命を捧げられた先人に感謝の念を捧げ、誇りをもって充実した一日をお過ごしください。本日も宜しくお願い致します【御祭神ゆかりの主な出来事】明治四十五年(皇紀二千五百七十二)の今日。白瀬中尉が南極大陸に到着した日。今日は何の日より■誕生花と花言葉名称デンドロビウム(写真上)花言葉わがままな美人名称バコ
図書館から借りてきました。古い本で、ローカル出版社から出ているせいなのかブクログには登録されてなかった。新たに登録もできるようだけどめんどくさそうなのでやめた何度か書いている朗読劇の稽古の話。情報解禁します!と書きつつ実は詳細がよくわからないところがあり書けないでいる。朗読劇の主人公は、実はこの「白瀬中尉」。ここのとなり町(現在は同じ市内であるが)「金浦町(このうらまち)」出身の偉人。日本人で初めて南極に挑んだ人。その時の記録などを参考にまとめた本がこれ。今日、夕方まで
『監獄博物館兼海洋博物館』展示されているのは監獄にまつわるものだけではない。まず海洋博物館の部分から。マゼランの乗っていた船「トリニダード号」。船底には重い石を積んでバランスを取る。ダーウィンの乗っていた「ビーグル号」。1520年のトリニダード号と300年後の1825年との船の違いを見ると面白い。フエゴ島の半裸の原住民。彼らを「人間の下層レベル、人間と類人猿の間の何ものかのようだ」とダーウィンは書いたとある。南極探検をした日本の白瀬中尉を紹
コンビーフのおすすめレシピ▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようだーかーらぁ~~~レシピ聞かれるのって1番こまるんだってば!!第一、コンビーフ自体が子供の頃に食べたかなぁ?程度なのに・・・マジで、使った事もないから(買う気もない)レシピと言われても…何も考えつきませーーーん!!!それよりも今日は、北極点到達の日なんだってよ!これを聞いて大いに嘆いた男が目標を南極点に変えたんですよしかも日本人で
おはようございます。昨日の地震びっくりしました。ちょうど寝ようかなと、うとうとしていた時でしたが、おや?と気がついて飛び起きました。神奈川県東部は震度4でしたがかなり長い時間揺れました。現在の自宅は7階で引っ越して6年ほど経ちますが、今までの中で一番大きな揺れでした。特に宮城県・福島県の方々大丈夫でしょうか。被害はなかったでしょうか。今後も余震あるかもしれませんので、充分注意していきたいと思います。あと、地震に関するニュースを見ていて思ったのが宮城・福島の地方局
今日は「タロ、ジロの日」と言うことで恒例の切手シリーズ昔収集していた切手の中からタロ、ジロを含め南極関係の切手を紹介します、3種(右)タロ、(左)ジロ解説には昭和34年(1959年)昭和基地に到着した第三次南極観測隊は約1年前にやむを得ず無人の基地に残してきたカラフト犬タロとジロの兄弟犬が越冬し生存していることを確認した現地での越冬隊とタロ、ジロとの奇跡的な再会は大きな話題となったとあります白瀬隊南極探検解説には白瀬中尉を隊長とする27名の南極探
ジムに行って駐輪場のバイクの少なさにビックリ!夏場あれほどバイクが満車だったのに・・・なんということでしょう!ガラーんとした駐輪場。この冬どんな冬将軍がやって来るのか分からないが、いつものように、バイクのエンジンの為にも路面が凍らない限りは毎日乗るつもりだ。その為にも寒さに負けない体作り・・・なるべく暖をとらない?あの白瀬中尉のように・・・まだなんとか治療室でも半袖で頑張っている・・・
子供の頃白瀬中尉の絵本を読んだことがある。南極に行きたいと決心し、幼い頃から寒さ対策を日々の生活の中で実行していたと知り、大いに感動したものである。実際は11歳の時に寺子屋で「北極」の話を聞き、探検家を志したそうだ。その際、探検家を目指すなら酒たばこ禁止、湯も飲まず、寒中でも暖をとるなと指導され、生涯それを実行した人だった。1909年(明42)アメリカ人が北極点踏破した事で当初の夢であった北極を諦め、それではと
なんとか準備も終わりついにストックホルムへ向けて金栗四三と三島弥彦のたった2人だけのオリンピック選手が出発。1912年(明45)5月16日の事である。当時まだ東京駅は無かったので一行は新橋駅へ向かう。その日はおりしも南極探検を行った白瀬中尉が帰国の出迎えと重なり新橋駅は大変な賑わいぶりだったという。ふと8000Km先のストックホルムまでどうやって行くのだろうと疑問に思った。
前回の続き目標の10万円には届かなかったが、明治43年11月に開南丸で東京芝浦を南極に向かって出港したのであった。この開南丸は南極を目指すほどの船だから、それなりの船だと思うが、何と漁船を改造した船で砕氷能力もなく船のトン数が204tで船長が30,4mで馬力が18馬力なのである。18馬力の数字がどれほどかと言うと現在の125ccクラスのバイクくらいの馬力しかないのである。現在ではこのクラスの船では200~2000馬力のエンジンを装備しているそうだ。因みに南極観測で活躍した船を比較すると
平成31年1月14日(月)晴れ今朝も天気が良くこれで4日間連続でジョギングができた。そして、今日はタロ、ジロの日だそうで、タイミングよく今日から南極観測の事を色々書きますが、また覗いてみてください。前回の続き4時ころには起きだし、する事もないので今日の目的地の白瀬南極探検隊記念館に向かった。10分近くしかかからなかったので、当然開館までには時間があり、ここでもジョギングをと思ったのだが、なまはげの館と同じような山の中にあり、やはり熊などが出てはと思い走るのをやめ建物の写真など撮った。この
雪中行進に参加。
沖縄で自衛隊が駐屯するとレイプが増える!!なんて言った宮古島の市議が選挙で落とされました。にも関わらずというか、懲りずにというか反対活動に頑張ってるそうで...いや自衛隊の隊員の方が宮古島なんて田舎町に行くなんて。任務とはいえ若いのに...なんか海以外に楽しみあるの?なんていうか日本人は防人に冷たすぎ。ここで衝撃を受けたエピソードを紹介。占守島越冬隊の悲劇隊員6名が越冬したのですが。壊血病やらノイローゼやらで爪や歯から血をダラダラ流し、髪を振り乱し、幽鬼のようになってバタバタ死ん
『名探偵コナン純黒の悪夢(ナイトメア)』予告編名探偵コナンの劇場版「純黒の悪夢」の予告編が出てきましたが、今朝の主人の夢に関連してきます。その前に前記事で読者からいただきましたコメントをお読みください。(らっきい88さん)『しらせ』と、云われますと、世代がわかるかもしれませんが、私など、『南極物語』なんですね。映画にも、なりましたし。犬たちの、出身は、北海道。が、観測船の、名前の由来になった、白瀬中尉の命日が、たしか、9月4日ではなかったか?と。(参考)白瀬矗(Wiki
昨夜のgrowinglead、面白かったですね。やっぱ、大英自然史博物館展、見に行かんと…。国外不出の標本の数々や、大好きな宝石たちが待ってるわ(笑)。ラジオのお話聞いてて、今回来ている始祖鳥の標本がいわゆる「タイプ標本」であることにはぶっ飛びました。タイプ標本というのは、その種が認定されるとき基準となると定められた標本で、未来永劫、人類がある限り、何か新種が発見されたか確認する場合などに、必ず必要とされる標本です。始祖鳥においては、新しく始祖鳥らしい化石が発見されたとき、その標本と照
南極と北極の違い、わかる?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようお~~!!\(*^▽^)/私の大好きな南極の話が出来る日が来ましたね学生時代に習ったアムンゼンが南極点に到達した日なんだそうですけどねでも、今BSプレミアムでもやってるし(映画)今日という日は『赤穂浪士討ち入りの日』のが有名じゃない?(笑)(本来は旧暦だからホントはもうちょっと先だけど)忠臣蔵も南極もどっちも好きですけどねー南極と北極
瀬門神社の一画に、白瀬氷河と南極観測船「しらせ」にその名を遺す探検家、白瀬矗(しらせのぶ)の墓碑があります。詳しい地図で見る墓碑周辺の全景。白瀬氏は幼いころから極地探検を志し、政府の支援が少ない中でもそれをやり遂げたという立志伝中の人で、まぁ詳しくはWikipediaでも見て下さい。南極の地図と「大和雪原開拓者之墓」。南極観測船「しらせ」(初代)のスクリュー。海自からの貸与品。墓碑建立の由来。ペンギン付き。前掲のWikipedia、またはこの由来書きを読んだら
さて、漢字の正しい読みを知るのが大事だということは、一国の大臣・首相ならずとも皆分かっていることだろう。私なんか自慢じゃないが、「この漢字って、そう読むんだったのか!」と驚くことが年に何度もある。で、『主の機嫌』じゃなくって、『種の起源』事件から随分経ったある日、NHKの「ラジオ深夜便」が終わった後の定時ニュースを聴いていたときのことである。「XXXX年の今日、~が…しました」という「今日は何の日」的コーナーがあって、女性アナウンサーが、頼りなげな声で「……白瀬中尉はその地を“大和雪