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命懸けでやれば何も怖いものはない、という。いまの世でいえば、命懸けといっても、戦争は別として多くの場合は、生死が五分五分のところで、そういう言葉を吐いてはいまい。しかし、いにしえ、命懸けとはほんとうに生死を賭けていた。なぜそんなに自分の命を軽く扱うのか、というほどに命をかけている。大河ドラマ『光る君へ』第10回「月夜の陰謀」では、花山天皇が藤原兼家の罠によって出家されられ、皇位をおわれる〈寛和の変〉が描かれていた。兼家の陰謀では、次男の道兼が、花山天皇を連れ出して寺にゆき出家させる〝実
4月5日(金)相鉄線「ゆめが丘駅」へ。相互直通運転の東急が「和光市駅」に向けて出発今年7月オープン予定の駅前大型商業施設「ゆめが丘ソラトス」下飯田の【左馬神社】は約8年ぶりの参拝です。石仏たち石仏とともに並ぶ宝筺印塔の笠と五輪塔の空輪・風輪祭神:左馬頭源義朝/創建:不詳神奈川県神社庁HPでは名称を「鯖神社」としています。他にも横浜市泉区内には「左馬神社(中之宮)」(祭神:源満仲ほか)や「鯖神社」(祭神:源満
源氏好きにはたまらない三ツ矢サイダーは今年で140年らしいいつもご覧くださる皆様、本当にありがとうございます。心から感謝致します。皆様にとって良い事がたくさんありますように!昨年も書きましたが、今日は三ツ矢の日、由来は、源満仲にさかのぼるまさに清和源氏ワラント(御用達)ブランドの飲み物である、三ツ矢サイダーが今年で140年になります。地球の歴史を考えれば140年はあっというまでしょうが、その間に戦争や災害に見舞われた
大河ドラマ「光る君へ」の時代は平安時代中期。この時期、武士はどこにいるのか?そもそも武士って呼ばれてたのか?この時代より前に平将門や藤原純友が乱を起こしています。平将門藤原純友の乱「光る君へ」の中で、盗賊と戦う者達がいました。それがいわゆる武士。この時代の武士には源満仲がいます。源満仲満仲は清和源氏の流れで父は承平天慶の乱で朝廷軍だった源経基。経基さんが武士の源氏の祖だなこの満仲の子が源頼信、曾孫が源義家にあたります。この後、藤原道長に仕えた4人の武士、平維衛、平致頼
西宮北口駅のカリヨン広場の鐘。ホームで適当に撮った風景、乗った電車はこのうちのどれでもありませんが。メモリアル8000ともみじヘッドマークと洗車中というレアな並びだったので。神戸線の特急で一駅、十三で降りて、神戸線大阪方面行きの5号線と宝塚線宝塚方面行きの4号線は同じホームなので、そのまま正面に着いた宝塚線急行に乗り換えて、以前スタンプラリーの時にも来た川西能勢口で下車。ここからペデストリアンデッキを歩いていくと、JRの駅が見えてきます。今回この
皆さん、多田行綱(源行綱)を知ってますか?たぶん、アメブロやっている人の千人に1人が知っているか、どうかと思われる歴史上の人物です。鎌倉幕府を開いた源頼朝と同時代の人です。私が学んだ高校日本史教科書では、多田行綱が1回だけ登場しました。残念ながら、裏切り者の評判が悪い男です。教科書では密告者として登場してました。1177年6月の「鹿ヶ谷の陰謀」の密告者です。後白河院の近臣が京都市左京区東山鹿ヶ谷の静賢法印(平治の乱で殺された信西の子)の別荘に集まって、平清盛を総帥とする平氏打倒
23.06/01thu.09:23-12:20能勢電鉄平野駅から国道を北へ平野交差点を過ぎて右に塩川、三ツ矢橋を渡り北三ツ矢サイダー発祥の地から道なり東へ能勢電鉄踏切を渡って登山口始まりの急な登りを過ぎ尾根道「ナタガ尾」をなだらかに上るやがて、登り口から南東眺望の良い岩場に立ち寄って水分補給、展望を楽しむ概ね東に、緩やかに上り少し左にピーク、三等三角点舎羅林山木の間に展望ピークを過ぎて右折分岐に注意しながら、概ね南に楽しみにしていた、石仏地蔵菩薩に出会えず
さて、昨日の日曜日は地元で、清和源氏祭りというのが開催されました。当時の衣装に扮して、駅前からキセラ公園まてパレードがありました。清和源氏祭り第59回清和源氏まつり川西市www.city.kawanishi.hyogo.jp清和源氏とは、清和天皇を起源とする氏族です。その歴史は今から1000年以上前にさかのぼります。清和天皇のひ孫にあたる源満仲公は、川西の多田盆地に移り住み「多田院」を創建しました。この「多田院」は現在の「多田神社」のことで、のちの時代に全国で活躍した源氏の武将たちは
文武両道神社仏閣・パワースポット10…多田神社@東京都多田神社【権現様】-東京都神社庁(tokyo-jinjacho.or.jp)多田神社|多田満仲公をお祀りしている神社(tadajinja.tokyo)【多田神社(東京都中野区)】アクセス・営業時間・料金情報-じゃらんnet(jalan.net)
今日は三ツ矢サイダーの日ー清和源氏ワラントの話いつもご覧くださる皆様、本当にありがとうございます。心から感謝致します。皆様にとって良い事がたくさんありますように!先日、桔梗信玄餅で有名な桔梗屋さんの記事を書きました。桔梗屋さんは昔、経営に小尾家が関わっていました。小尾家は清和源氏の家系(江戸時代の家系図では佐竹氏と武田氏にルーツをもつとされています。両氏は清和源氏の家系です。ただ、『武田氏家臣人名辞典』では藤原氏説が
先日の旅行を長々と書いています3/14に行った京都ドライブです八条通りはおもったより狭くて北側の高架を新幹線がゴーと音を立てて通りすぎました早咲きの桜の咲くここは六孫王神社(ろくそんのうじんじゃ)清和天皇の六男の貞純親王の長子である源経基(六孫王)を祀ります源経基は承平・天慶の乱を追捕使として平定後に鎮守府将軍となるなど軍事に優れた人でした神龍池を渡ってお参りします満仲が経基の屋敷跡に霊廟を建てて六の宮と称し後に源実朝夫人がここに寺を建てその
さてさて……………【山の原ゴルフクラブ】を出発したココロが、到着したのは……………【多田神社(ただじんじゃ)】兵庫県川西市多田院多田所町1−1美しい青空【六孫王神社(京都府京都市南区)】、【壺井八幡宮(大阪府羽曳野市)】とともに、「源氏三神社」のひとつだという『京勉会東寺エリア編③〜六孫王神社〜』さてさて…………【観智院】を出発したココロは、てくてく歩き次の目的地を目指した…………おお〜〜〜〜っ来た〜〜〜〜っ到着したのは……………【六孫王神社(ろくそん…ameblo.jpココロの【
こんにちは今日は源満仲公像をご紹介します川西市にお住まいの方にとっては、源満仲さんは有名人でしょうか私は川西市民ではなかったので、川西包括で働き始めてから初めてお名前を知りましたが…笑みつなかホールの“みつなか”ってなんなんだろう…とずっと不思議だったのですが、源満仲が由来だと知った時の衝撃そんなすごい人なのか…とこちらが、源満仲公像この銅像は、昭和63年にJR川西池田駅が阪急川西能勢口駅とともに川西市の玄関口になり、川西市が「清和源氏発祥の地」であ
前置きを少々...前回のブログ(歴史を変えた女達・篤姫篇その壱)でも記載した通り御衣黄は、先生の講義にほぼ付いていけなかった(泣)そんな状態で3月某日、【日生劇場・太平洋序曲】を拝見するのは明らかに、悪い...ので放置していた、チノポスの日本史講座(Youtubeで無料)の続きを再開致しました。幕末まで、努めます!・・・。因みに題の日付は学んだ日です。現在は、お陰様で順調に拝聴しています。それでは本題へ...御衣黄の覚書
イの国探検隊ファンの皆様、アマに内包され渡海したカミの皆様もこんにちは⑥の宮崎県からのつづきで土佐足摺岬。「神」阿多~伊勢のラインをたどります。完全にイメージ画像(本文とはまったく無関係かも)瀬戸内海あくまで、探検の記録なので、単調で、混沌としているかも知れません。砂浜の漂着物を拾って、価値あるものを探す宝探しのようなものだと思っていただきたい。ルートが、笠沙の宮跡→伊勢神宮、その先へのラインがあるのではないかと妄想↓これ、このライン四国足
ようこそ、いらっしゃいました!こちらの続きです。『のせでんトワイライトハイキング4』ようこそ、いらっしゃいました!こちらの続きです。『のせでんトワイライトハイキング3』ようこそ、いらっしゃいました!こちらの続きです。『のせでんトワイライ…ameblo.jpのせでんトワイライトハイキング提灯🏮の灯りが映えて来たので…もう一度境内にお邪魔したいと思います。源氏発祥の地=武家発祥の地でもあるのでこの紋所が目に入らぬか〜ッで有名な葵の御紋が至るところにあります。提灯🏮が大判み
ようこそ、いらっしゃいました!こちらの続きです。『のせでんトワイライトハイキング3』ようこそ、いらっしゃいました!こちらの続きです。『のせでんトワイライトハイキング2』ようこそ、いらっしゃいました!こちらの続きです。『のせでんトワイライ…ameblo.jpのせでんトワイライトハイキングゴールの多田神社に到着しましたが…まだ明るいので、提灯が目立ちませんね。今回のハイキングは345人の参加があったみたいです。御当地飲料の三ツ矢サイダーで喉を潤し😋本殿へ向かいます。水戸黄
ようこそ、いらっしゃいました!8月26日(金)昼から年休を貰ってちょっと遠征しました。のせでんトワイライト🌄ハイキングへのせでんこと能勢電鉄でレッツ・ゴー!かぶり付いている子供ちゃんを📸自分もこの子位の歳頃には、運転席後方でかぶり付いていましたね。運転士さんが発進GO!とサービス精神旺盛な掛け声をしてくれていたのを思い出しますね。😊1755(いいな!ゴーゴー)編成畦野(うねの)駅で下車大和団地が造成され、大阪梅田までの直通特急も停車する駅ですが緑も多く残っています。今回の
書いた記事が消えてしまい再度書くのに時間を要してしまいましたお待たせしました、毎月拝みの報告です!6月分もすぐに書きます!5月は源氏ゆかりの地多田神社から毎月拝みをいたしました!多田神社公式サイト多田神社公式サイトwww.tadajinjya.or.jp公式ページより以下抜粋御祭神は、第五十六代清和天皇の曾孫贈正一位鎮守府将軍源満仲公をはじめ、頼光、頼信、頼義、義家の五公をお祀りしています。源氏発祥の地である多田は、源満仲公が摂津国一の宮住吉大神の御神託を受けてこの地に館を構
ドラマ化された「アシガール」の最終巻アシガール16(マーガレットコミックスDIGITAL)Amazon(アマゾン)523円をレンタルコミックで借りて読みました。その巻で、若君が不在中に敵襲に遭いまして、敵に降伏して唯と天丸が人質になるくだりがあるのですが、家臣の娘と天丸と同じぐらいの月齢の赤ん坊が身代わりになることを買って出る、というくだりがありました。もちろん、唯は後の歴史を知っているので、その申し出を断って人質になるのですが、戦国時代だとか江戸時代までは家臣が主君の身代わ
大将陣山は天慶4年(941)源満仲が藤原純友の反乱討伐の勅命を受け、当山に陣を置き天道の加護により亡ぼそうと西麓に日天子を勧請し祈ったので、大将陣山と称したと伝えられています。他にも園内には複合遊具施設を新設し、天文台スタードーム、大将神社など見どころも多い。次は『勝盛公園』に向います。(*´ω`*)飯塚市中心部にある一番古い公園で、桜の名所として市民に広く親しまれています。古くから市民に親しまれてきた憩いの場で、幼児向けの遊具やSLの展示もある。飯塚市街地の中心、国道200号線沿いに
清和源氏源氏には祖とする天皇別に21の流派・源氏二十一流があり、清和源氏は清和天皇から分かれた氏族。清和天皇の皇子のうち4人、孫の王のうち12人が源氏を称し、中でも第六皇子貞純親王の子・経基王(源経基)の子孫が繁栄しました。経基王の子・源満仲公(多田満仲)は、藤原北家の摂関政治に協力、確固たる地位を築き、ここ、多田に武士団を形成し、満仲公の子供達・頼光(摂津源氏)、頼親(大和源氏)、頼信(河内源氏。源頼朝はここから)も藤原摂関家に仕えて父と同様に藤原摂関家に仕え、勢力を拡大していきましたと
前半は能勢電鉄の開業100周年の2013年に撮影した画像です。50型復刻塗装車の1500系です。(2013年4月撮影)1型復刻塗装車の1500系です。(2013年4月撮影)ときわ台駅付近で撮影した1型復刻塗装車の1500系です。(2013年7月撮影)「のせでんレールウェイフェスティバル2013秋」のときの画像です。(2013年10月撮影)山下駅で撮影した50型復刻塗装車の1500系です。(2013年7月撮影)「のせでんレールウェイフェスティバル2013秋」のときの
川西市の観光地を巡りました😄オススメ毎に名称にリンクを貼り付けていますので、ご参考にどうぞ😊1、兵庫県立西猪名公園JR北伊丹のすぐそばにある総合公園⛲️夏には、ウォーターランドが開園します🏊♂️テニスコート、球技場や伊丹空港が近いので、飛行機の見える展望台があります✈️西猪名公園ホームページ兵庫県伊丹市川西市。西猪名公園のウォーターランドやイベント情報、施設予約、花と緑の情報を写真でわかりやすくご紹介します。www.hyogo-park.or.jp2、川西市文化財資料館国史跡に
3月26日土曜日開催の「新大宮川学連続講座2021~川でつなぐ、ひと・まち・こころ~第7弾木の岡古墳群を学ぼう!~元れきはく副館長と探訪~」には、あいにくの雨が降る中、18名の方に、ご受講いただきました。ありがとうございました。この講座ですが、新大宮川を美しくする会としては、初めての「歴史講座」です。今までは、自然観察や美化、環境、防災などをテーマにしたものでしたが、新大宮川周辺の地域の歴史や文化を学び、知ることも大事だと思い、企画を温めてきました。昨年秋に開催の予定でしたが、新型コ
今日は3月28日・・・ってことで、その語呂合わせから三ツ矢サイダーの日なのだそうな。これを口にしたことがない人は殆どいないであろうロングラン人気飲料ですが、当初は天皇陛下や外国要人が口にする〝御料品〟として開発されたのだそうな。明治時代に入り、政府は外国要人に提供する良質な水を探すため日本全国で水質調査を行いました。そして1881(明治14)年、イギリス人理学者ウィリアム・ガランが兵庫県川西市平野に炭酸ガスを多く含む理想的な鉱泉を発見し、同地に御料工場が建設されました。(↓)
649年謀叛の疑いをかけられた右大臣蘇我石川麻呂が、中大兄皇子に攻められ山田寺で自害。(新暦5月15日)969年安和の変。源満仲の密告により源高明が皇太子守平親王廃立陰謀のかどで太宰権帥に左遷。これにより藤原氏政権が確立。(新暦4月14日)2005年2005年日本国際博覧会(愛・地球博)が開幕。
3月25日の●●969年のこの日、源満仲の密告により起きた変で藤原氏政政権が確立しました。安政の変969年3月25日、藤原氏により、源高明が皇太子守平親王廃の陰謀で大宰権帥に左遷されたことにより、藤原氏政政権が確立した事件です。平安時代は、何かと権力争いが耐えない時代でもありましたが、ここまで陰謀が渦巻く事件は珍しいです。
多田神社兵庫県川西市多田院多田所町清和源氏は、清和天皇の第六皇子・貞純親王の子である六孫王が源姓を与えられ、源経基になって始まります。経基の長男が源満仲です。満仲は、摂津国北部(川西市及び周辺)を開発し、多田荘(荘園)を立荘します。出家して、邸宅に多田院(寺)を建立しました。阪急宝塚線川西能勢口駅で、能勢電鉄に乗り換え、多田駅で下車し、徒歩20分くらいでした。猪名川の河岸段丘にあり、荘園を支配するに適した場所だと思いました。多田院が神仏分離令で、寺院から多田神社になり、現在に至