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4月13日(土)に美濃市で花みこしが行われました。ピンクに染めた和紙で飾り付けられた花みこしが、江戸時代の商家が残る「うだつの上がる町並み」を勇壮に練り歩きました。今年は、5年ぶりに「総練り」が行われました。広岡町の交差点内で、3基の花みこしが、回ったり、上下させたりして、勇壮な「練り」を見せてくれます。なかなか迫力があります。インスタの方には動画もアップしましたので、ぜひご覧ください。2024.4.13.撮影
こんにちは、和田昌巳です。三代目経営者の皆様、負債を資産に変換する挑戦は、現実的な可能性です。具体的な事例を参考にしながら、自社の資産を再評価し、新しい価値を創造しましょう。伝統の枠を超えた新たなビジネスの地へ、皆さんと共に歩むために、私のメール講座でさらに多くの支援を提供します。
「目に青葉山ホトトギス初鰹」の季節になったよな。江戸時代に出版された「初物評判福寿草」には「初鰹」を食べると750日寿命か延びると書かれています。当時、「まな板に小判一枚初鰹」と云われて(1両=現在の貨幣価値で約12万円)江戸っ子は「女房を質に置いても初鰹を喰う」と言われるほど愛すべきものでした。さぁ、今日は藁焼きの鰹のタタキと土佐の酒で一杯やるぞ!
【日々好日】明治維新とアヘン戦争過去にイギリスと中国の間に起きた「アヘン戦争」。最近、その頃の歴史が気になり出した。中国の隣国である日本では「明治維新」が起きた頃。1840年→1868年「明治維新」は江戸幕府が日本の統治を辞めた年とすると1868年。「アヘン戦争」はそれに先立つ28年前の1840~42年だった。その間の1853年には、アメリカからペリー提督率いる蒸気船が、東京湾沖に表れ、開港を要求してきた。麻薬で金儲けの英国「アヘン戦争」とは、清(当時の中国)とイギ
『江戸狂歌125選』(長生馬齢/愛育社)より選句狂歌朱楽菅江(あけらかんこう)Akera-Kankou執着の心や娑婆に残るらん吉野の桜更科の月作者の辞世の句私は、もうすぐ死にますが、この世に執着する心が残ります。吉野の桜や更科の月が見れなくなるのは残念です。author'sfarewellpoemIwilldiesoon,butmyattachmenttothisworldwillremain.It'sashamethatIwa
今朝会社に向かう途中、大久保通りでツツジ🌺がキレイに咲いていた。大久保は江戸時代からツツジが咲く事で有名らしい。早く上がれたからのりちゃん誘ってウォーキングに行ってみた。谷端川緑地をテクテク。小手毬かなー雪みたい。ピンクと白の混合ツツジやアヤメも咲いてた変わった色のアヤメも咲いてたし地ビール屋も見つけた!ここでビール🍺作ってます、だって。下戸の2人通過わー赤い壁みたいになってるー触ったら気持ち良いフワフワ感。よーし今日は10キロ超えたぞ!職場でもいーっぱいフロア
久々に腹よじれた動画これはもう狩野英孝さんのライブ配信で過去最高の神回です!!爆笑これは見る価値ありますよ!!!ショート動画もあるのでぜひ見てください!笑思い出すだけで笑える笑こんなに笑顔になれる日が毎日あれば最高ですね!!!笑うことは細胞の活性化にも繋がると思います!!何より元気出ますよね江戸時代はみんなが活き活きと幸せオーラ全開の平和な世の中だと歴史に刻まれているので皆様も笑顔になれる動画などありましたら時間が空いたときにでもサッと見て元気をいただきましょう!!!!!笑
江戸時代の日本人の歩き方を研究して、伝えていた動画を発見❣️見てたら、確かに着物を着ていたら、こんな感じかもって感じた。こちらでの歩き方の解説を試してみたら、すごいカラダが動くし、歩けば歩くほど心地よく胸の辺りがポカポカして、なぜかカラダがどんどん軽くなる感じでした❗️この健康体操4つをやってみたのですが、面白いのにすごいカラダがポカポカして、氣もちよかったので、よかったら試してみてください【BreakingDown挑戦者・お祭り男秀に伝授!】肩甲骨・腕使いの達人にな
こんにちは。本日も創作落語で楽しんでいただければ幸いです。連続創作落語「つなよし」その14あらすじ元禄時代江戸の町。犬医者大山庵の助手三吉はつなよしという名前の風変わりな犬を飼っております。ぼた餅好きで主人思いの忠犬。この犬が縁で三吉は藍を女房にむかえます。さて貧乏長屋暮らしの夫婦の隣に中山安兵衛なる浪人が引っ越してまいりました。*え~まいど馬鹿馬鹿しいお笑いに一席おつきあい願います。人の性格というもの
宿があるこの辺りは御手洗街並み保存地区と言われていて、以下引用。江戸時代、風待ち、潮待ちの港町として栄えた御手洗は、平成6年重要伝統的建造物群保存地区として国から選定されました。土地が狭いため数度にわたって埋め立てられた御手洗は、大小の商家、茶屋、船宿、住宅、神社、寺院などが混在し、集落中心路、集落連絡路、集落生活路の小路等が網の目のように巡っています。また大波止、石橋、高燈籠、石垣護岸、雁木等、港町の生活上必要な土木的建造物が当時のまま現存しているものもあります。御手洗地区は17世紀の中頃形
堅牢な建築、という言い方があるように、牢というのは「がっちり」という意味です。監獄のことを牢屋というのは、囚人が逃げないように、がっちり作られているからです。もちろん、牢屋に入っているやつが牢人ではありません。主君を持たない武士を、戦国時代には牢人、江戸時代には浪人といいました。どっちも「ろうにん」ですけど、ニュアンス的にはだいぶ違います。牢人、というのは「頑固者」くらいのニュアンスだと思えばいいです。戦国時代には、主家が滅んだとか、主人が気に入らないとかで、職を離れる(失う)としても
江戸の珍商売...其の二御利生(ごりしょう)天狗が自分の鼻をつかって御利生(『天狗のごり生』歌川国芳画)お手製の鳥居を描いた箱を持ち歩き、鳥居から飛び出した狐の首を伸び縮みさせるパフォーマンスで銭を乞う商売です。その口上は「葛西金町半田の稲荷、御利生御利生大きな御利生、すてきな御利生」。“ステキ”ってところがいいですね。ただ、実は、この「御利生(ごりしょう)」とは男根を意味する隠語です。う~ん…そうか。あまりわけが分かっていない子供たちは、鳥居をくぐり伸び縮みする
ナレーション「その頃、江戸時代に取り残された未来のチビは」チビ「おやびんおやびん」ナレーション「未来のおやびんに助けを求めた」未来のノッポ「元気?」
乗馬許可記念日(4月19日記念日)1871年(明治4年)のこの日、それまで武士にのみ認められていた乗馬が庶民にも許可された。馬術は武芸の一つであり、刀剣や鉄砲と同じように兵器として扱われていたので、江戸時代は武士以外の者(商人や農民)の乗馬は禁じられていた。江戸幕府から明治政府に代わり、庶民にも許可されることとなった。明治以降は日本伝統の馬術ではなく、西洋馬術を主として発達した。江戸時代、日本での馬術は「武芸十八般」に数えられていた。これは合戦で戦うための技芸のことで、修得すべきとされた
江戸時代の大衆風呂は熱を逃がさないように入り口が極端に小さくて狭かったらしいのですが江戸っ子はそれを「柘榴口(ざくろぐち)」と呼んだらいしです▼柘榴の汁は鏡を、磨くために使われたそうでつまり「柘榴汁は鏡に必要」↓小さな風呂の入り口は身を小さくして、かがんで入る↓「鏡にいる(柘榴の汁)=かがんで入る」↓「かがみ入る(柘榴)→柘榴口」江戸っ子は洒落てます
”しろがねの葉”千早茜著新潮社筆者の作品は久々だが良かった。戦国末期から江戸時代の石見銀山で暮らす人々のお話。銀山で暮らすウメの生きる力強さはとても魅了的。喜兵衛、隼人、龍など、まわりの人々が強く惹かれるのがわかる。当時はマスクが無く、銀を採掘する男たちは、銀毒によって長生きは出来ない。従って、女たちは2人から3人の夫に嫁するのが普通だったようだ。大久保長安が奉行になって、銀山は更に厳しさを増していった。
NHK大河ドラマ『麒麟がくる』が見たい!海外に住んでから日本ドラマは全くですが、時々これ見たいーがあります。フランシスコザビエルが広げたカソリック区域出身、そしてカトリックの学校で育った事もあり今頃になって、江戸時代にカソリックとなった人々の生き方、特に『細川ガラシャ夫人』に興味を持っています。日本は個人の信仰でさえお国に振り回され続けて来た国。自分を守る方法を身につけるのも大切!ガラシャ夫人は「ロザリオ📿」を使ってお祈りをする機会があったのでしょうか?ロザリ
勝央町黒土〈くろつち〉と美作市上相〈かみや〉の境を東西に走る道路は、江戸時代、津山藩によって整備された出雲街道にあたります。現在、その脇で発掘調査を行なっている上相遺跡では、この道路に沿うように延びる2本の切り通しが見つかりました。この切り通しの底にはいずれも細かな砂利が敷かれており、出雲街道に先立って使われた道の跡と思われます。特に、上幅9m、深さ3.5mもある南側の切り通しは、断面がV字形をした山城の堀とよく似ていて、あるいはその技術を応用してつくられたのかも知れません。山城が築かれは
4月19日の歴史忠臣蔵シリーズ元禄14年(1701年)4月19日赤穂城が幕府に明け渡しの日🏯元禄14年3月14日(701年)播磨赤穂藩主の浅野内匠頭が江戸城殿中松の廊下にて吉良上野介を刃傷浅野内匠頭は殿中抜刀の罪で即日切腹となり赤穂藩は改易元禄14年(1701年)4月19日赤穂城が幕府に明け渡し大石良雄は赤穂城を無血開城した元禄赤穂事件として有名な出来事へつながる江戸城松の廊下事件の記事http://ameblo.jp/matsuriouji/en
1871年(明治4年)のこの日、それまで武士にのみ認められていた乗馬が庶民にも許可された。馬術は武芸の一つであり、刀剣や鉄砲と同じように兵器として扱われていたので、江戸時代は武士以外の者(商人や農民)の乗馬は禁じられていた。江戸幕府から明治政府に代わり、庶民にも許可されることとなった。明治以降は日本伝統の馬術ではなく、西洋馬術を主として発達した。江戸時代、日本での馬術は「武芸十八般」に数えられていた。これは合戦で戦うための技芸のことで、修得すべきとされた18種類の武技の総称である。18の
どうも、みけねこです。「さーて。ローニンやるかぁ」「…ん?」「何だ?この【不純物】は」「ま、まさか………」「………」「WHATTHEASS??」「あ、あぁ…!」「ホタルちゃん、かなりの弱体化受けてる…っ!!」「もう終わりだぁ…」「アプデを適用して、インして使ってみたけど」「まぁ~…かなりキツイお仕置き食らってる」「敵気力上限は全然削れねぇ、炙っても炙っても炎上しねぇ、炎で体力は削れねぇで…」「これ主体の戦法は【死んだ】も同然って感じだな?」「試してはないが…」
4次元の入口⑨■江戸時代の高僧と時間と空間の話■パクリ発見38■サロンblog情報■江戸時代の高僧と時間と空間の話高級神霊とマルチョンの坊さん(1分57秒)江戸時代の高僧と時間と空間の話(8分08秒)■パクリ発見38■オンラインサロン案内超人AVALONのアセンションクラブ我々は「意識進化・歴史究明・世界征服」の理念を果たすべく樹立された、超人AVALONを中心とする秘密結社(オンラインサロン)である!!▼一般公開できない情報
※こちらの記事は、平成19年3月2日に書かれたものです。『覚悟のススメ』、『蛮勇引力』などの名作を描いた山口貴由氏がまたすごい漫画を描いてくれました。南條範夫原作の時代小説『駿河城御前試合(するがじょうごぜんじあい)』の第一話「無明逆流れ」をもとにした、残酷無惨時代劇『シグルイ』。『覚悟のススメ』について知りたい方は、下記リンクをクリックしてください:覚悟のススメ完全保存版第1巻『蛮勇引力』について:蛮勇引力関連記事:『シグルイ』10巻関連記事:『シグルイ』9巻関連記事:
本日は猫糞です!ねこばばは「猫糞」と書き、「悪いことを隠して素知らぬ顔をすること。また、拾得物などをこっそり自分のものとすること」をいいます猫が糞(ふん)をしたあとを、砂をかけて隠す様子が、悪いことを隠して素知らぬ顔をする様子のようであることから猫糞といわれるようになりました糞という漢字をばばと読むなんてびっくりですよね。糞をばばと言うのは江戸時代の幼児語だったようです。現在でも関西では使われることがあるのだそうこのばばから「ばばっちい」、「ばっちい」という言
小呂島で、昔から親しまれてきた遊び金輪回し。江戸時代から続く子供の遊びで、島の運動会で一番盛り上がるそうです。初めて知りました。勉強になります。↓押してくれたら嬉しいです↓にほんブログ村
確か、江戸時代も多かった❓最近、大きな地震か多くて……。何か悪いことが起きそうで……。変な宗教というか、教えというか、そういうのも流行りそうで……。(不安をあおって、宗教系のやつに勧誘とか……)江戸時代を舞台にした本が好きで、図書館で借りる本の中に必ず入っている江戸時代系。本を読んでいてわかっていたことは、江戸時代も地震が多かったということ。特に、1855年からの5年ぐらいかな❓日本のあっちこっちで、大きな地震が起きています。そういう年回りなのよということで、最近地震が多いね。何
昨日、訪れた福岡城跡の多聞櫓を動画にしてみた。多聞櫓は、福岡城跡で唯一、江戸時代の建築物という。多聞櫓|【公式】福岡城・鴻臚館fukuokajyo.com最初の画面が早送り過ぎるので、ここに静止画を貼っておく。さあ、中の様子を覗いてみよう。ここより、敵軍に「石落」を仕掛けたり、「鉄砲狭間」と云って、鉄砲で一網打尽にしたりを狙っていた。幸いなことに一度もそういう戦いもなく、明治を迎えたのである。「残る花多聞櫓に戦なく」ハイジャン男
毎日のスキンケアアイテムを教えて!美容液、化粧水、スクワランオイルこの3点セットで長年ケアしてきましたところが最近、スクワランオイルよりもっと私に合うオイルを見つけたんです😊軽い使用感でベタつかず、お肌の調子も良いですね▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう世の中は三日見ぬ間の桜かな桜の花が三日見ないうちに散ってしまうように、世の中の移り変わりの激しいことをいう。江戸時代の俳人大島蓼太の句。
江戸時代の死因は?え~、今回はみなさん大好きな自然あふれる時代のお話です。黄門さまや遠山の金さんの時代、現代と違って医療技術が発展していませんでした。そのため平均寿命はだいぶ短かったようです。江戸時代の人々の死因は、感染症によるものが多かったようですね。現代において最も多い死因はがん、心疾患、脳卒中、肺炎などですが、江戸時代にはどのような病気が主な死因になっていたのでしょうか?江戸時代の平均寿命は30代から40代といわれますが、その低さは
記事にしたのはつい最近だけど、このことに気づいてから私の中で納得の答えが出ないまま10ヶ月近くも持っていた2つの三つ巴紋…お神輿が1番古いはずだからお神輿についている方が【正】ということで、一件落着ということになった左三つ巴紋。…とは聞いたものの。私個人的には「“はず”じゃなくて、もっとグゥの根も出ないレベルの確固たるものが見たい‼︎」って思ってモヤっていて…(…それにしても、毎度のことながら言い方。。笑)この日の翌日。ムクロジの実が欲しくて鳴尾八幡神社へブ