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積川神社へ。駐車場から歩いていく。すべり台仲良くすべったのか三角ポール達、寝そべってました。新たな道を発見行ってみました。初めてトイレがあること知りました。ここに出た。八坂社の方へ本殿前にある灯籠は楠木正儀の寄進といわれているそうです。楠木家が関係ある神社と知って嬉しくなる。楠木正儀は楠木正成の三男です。左近の桜その影がうつる拝殿の壁。美しいなと思った。光が影を生みだす。光はお母さんなのか?そんなことを思いながらのお参りでした。ありがとうございました。
皆様、ご機嫌YOです!2023年も残り一週間足らず。大晦日の挨拶を除けば、これが今年実質最後の更新になります。さてこれまで楠木家末裔の茶道家様が及び腰な中で、当ブログでは幾度も楠木正儀について紹介してきました。そして意外な事に彼ほどの人物をyoutubeやらニコ動で主役として取り扱った動画はこれまで無かった…そう思っていました。しかし、今回youtubeにてついに正儀を主役としてその生涯を追った動画があるのを発見しました。楠木家末裔であり正儀の顕彰を率先して行う立場にある茶道
楠木正成に関する本は、数多く、あるのでしょうが、その息子、楠木正行、楠木正儀に焦点を当てた一般書は、この本くらいなのではないでしょうか。楠木正行・正儀:この楠は正成が子なり、正行が弟なり(ミネルヴァ日本評伝選220)Amazon(アマゾン)2,961〜8,855円楠木正行と、楠木正儀について、簡単に、説明をします。楠木正行は、楠木正成の長男。父、正成が「湊川の戦い」で戦死をした後、楠木一族の棟梁になったものと思われますが、後醍醐天皇は、足利尊氏との戦いに劣勢となり、京都
楠木正儀は正成の三男で、兄の正行が四条畷で戦死した後は南朝勢力の中核となり、たびたび京都に攻め上ったが、後に北朝方に投降したせいなのか、後世の評価は高くない。墓は千早城から金剛山への登山道脇にある。
昨日の金剛山の話しです。基本の千早本道でのピストンです。節分も終わった立春の日2月4日からヤマスタの新しい金剛山・岩湧山トリビアスタンプラリーが始まりました。今まで無かったウルトラマンと、バルタン星人の前の五合目休憩所、そして、葛木神社でもスタンプが取れる様になり、今までのスタンプも一部新しいデザインに変わったそうです。なので、この日はスタンプを取ってデザインを確認するのが目的でやって来ました。😄一つ目の千早城址はこの階段を登った上ですが、城址は立ち入り禁止区域なので
今日の一日一読は前回の続きで、「主従の論理」の最後までです。ここでは現代人にとって義の代表とも言える武士道では考えられない主君を裏切る行為が江戸時代以前にはけっこう起こっていたことが取り上げられていました。具体例としては、楠木正儀(まさのり)や毛利季光(すえみつ)が挙げられていました。楠木正儀とは-コトバンク朝日日本歴史人物事典-楠木正儀の用語解説-生年:生没年不詳南北朝期の武将,楠木正成の3男。貞和4/正平3(1348)年兄正行,正時が河内国(大阪)四条畷の戦で敗れ,自害したあと
明治40年(1907年)、日本の小学生が尊敬する人物ランキングの1位は誰だと思いますか?乃木希典大将、東郷平八郎元帥、坂本龍馬、家康、秀吉、信長、信玄、謙信‥どれも違います。幕末の志士や天皇から小学生までもが慕う、紛れもない日本のヒーローでした。その英雄の名は‥武将「楠木正成」(くすのきまさしげ)‥通称楠公(なんこう)、自称は、橘氏後裔。楠木正成公は戦前の人なら、誰でも答えることができましたが、現在ではほとんどの人が名前すら知りません。では、現代の人は何故、そんな国民的な英雄
クリスマス。ふと思い立って羽曳野市の富田林寺内町、古市付近や千早赤阪村へ。あてもなくブラブラ。楠木正成公の生誕の地。そして太平記のハイライトエピソードの1つ、千早赤阪の攻防の舞台となった千早赤阪村。金剛山に構えた上赤坂、赤坂、下赤坂の3つの山城を拠点に鎌倉幕府の大軍を相手に少数精鋭で巧妙な戦略を用いて立ち向かった楠木一党。そしてその後の湊川の戦いにて戦死した一族はのちの世に忠臣として江戸城に立像を建てられるほどの名を轟かせた。黒い冬空が彼らの眺めた終わりの景色を再現しているようだ、、、勝
さて、前回に引き続き楠公戦記のあとがきです。前回の最後でも書いた通り、ここでは主に僕がこの楠公戦記を書き上げてからこうすべきだったなと気づいた点を書いていきます。あ、最初に言うと長州のすり潰し方が手温かったと言う事ではありません。これについてはいずれアップ予定の番外編でいくらでもカバーができますからねえ(邪悪な笑み)。まず一点目は、正成と正儀の妻を物語に登場させておけばよかったかなと言う事です。正成の妻と言われている南江久子、そして正儀の妻と言われている伊賀局。最近の学説では彼女ら
さてさて、今回は以前に書いた歴史ゲームリプレイにかこつけた読み物、「楠公戦記」のあとがきを書いてみようかと思います。実は本日でエピローグを含めた楠公戦記が完結してちょうど一年なのです。そこで、改めて楠公戦記を思い出してもらう意味も含めて今回あとがきをアップした次第でございます。ちなみに本編を読んでいない人は今からでも遅くは無いのでこちらからお読みくださいませ。さて、それではなぜこの楠公戦記を書こうかと思ったか、まずはそこから説明いたします。このブログをご覧の人
皆様、ご機嫌YOです!室町幕府は三代目の義満の代で最盛期を迎えるのですが、彼の覇業を支えたのが腹心、細川頼之です。足利家の一家臣から、幕府設立や朝廷(南朝)との戦いを経て頭角を現した細川家。そして頼之もまた細川家の一員、そして当主としてその才を示し、義満から信頼されるに至ります。義満の覇業は彼の補佐無くしては成り立たなかったでしょう。と言う事で、今回は彼の一生を描いた動画でその輝かしい業績をご覧頂きたいと思います。彼の一生を見てきましたが、いかがでしたか。一度の没落を
皆様、ご機嫌YOです!今回はみんな大好きであろう(願望)楠木正儀のお話です。さてさて、最近は歴史関連のyoutube動画紹介が多いですが、今回は久しぶりに動画なしです。…白状しますが今回もyoutubeやニコニコ動画から正儀を紹介する動画をあさってみたんですが…これがまた全然見当たらないんですわ。そもそも楠木一族の末裔の方からして、正儀を積極的に顕彰する気がまるでないとしか思えない現状を見れば仕方ないかな。話が反れた。それでは本題に入ろう。今回のお話は室町時代の説話文学「吉野
今週より、ブログの平常運転を再開します。基本的には5月末からと同じペースでお話していきたいと考えています。テーマ自体の変更はせずに、そのまま続行いたします。今後も、末永くよろしくお願いいたします。さて、月曜日、日本の歴史の再開です。室町幕府の将軍といえば、代表的な名前が出るのは足利義満です。足利義満は3代将軍ですが、これがとんでもない怪物です。よく世間で言われる。三代目が優秀という風潮はこの足利義満が端を発したのではないかと考えます。それ以前の歴史上の人物ではあまり見かけたことがありま
宝塚歌劇団月組で、2016年からトップスターを務めた珠城りょうさんと、2019年からコンビを組んだ美園さくらさんの退団公演。『桜嵐記』『DreamChaser』VELI配信を見ました。月組公演『桜嵐記(おうらんき)』『DreamChaser』|宝塚歌劇公式ホームページ月組公演『桜嵐記(おうらんき)』『DreamChaser』の情報をご紹介します。kageki.hankyu.co.jp作品が発表された時は、南北朝時代、しかも主役が楠木正行というので、最初に頭に浮かんだのは
こんにちは昨日の朝のこと。ベランダで洗濯物を干していると、「ポコッ!・・・ポコッ!・・」っという音が、近くの学校から聞こえてきます。「懐かしい音やなぁ~」軟式庭球部の子供たちが朝練している音です。あっ、今は軟式庭球って言わないのかソフトテニスっていうようです(笑))ソフトテニスに高校生活を捧げた三年間。クラブ活動の休みはお正月休みくらいで、毎日毎日、白球を追いかけてましたその学校は母の出身校でもあったし、家からもそう遠
上田先生の愛を感じる桜嵐記。今作で退団する珠城りょうさんの正行が、さりげない優しさがあって、人間的にも立派で完璧にかっこいい。なんやかんやネタバレです。お衣装も素敵で、お別れに来た時の白地に青い翼の描かれたお着物が素敵すぎます。あの後の出陣式では赤い着物なので、神事で着たのかな。しかし!末弟の正儀がめちゃくちゃ良い奴なんですよ!4回目は正儀に注目して観ました。可愛い弟キャラっぷりが、えりたん(壮一帆)にしか見えない。。さくらちゃんの弁内侍への気遣いも、河内弁で一言多いせいもあっ
2021/05/15(土)宝塚大劇場にて、月組『桜嵐記/DreamChaser』初日感想です。ネタバレが含まれますので、まだ知りたくない人はご注意下さい。それでは、サクサク進めてまいります。★美園さくら(99期・研9)弁内侍(べんのないし)役。南朝の公家・日野俊基の息女。亡き父の仇を討たんと、高師直の兵にわざと捕まり、敵の懐に潜り込もうと画策。だが、楠木正行(珠城りょう)に助けられ、あえなく頓挫。無鉄砲だけれど、行動力があるファイター。『IAM
足利義詮の治世の時、フィクサーとして活躍したのが佐々木道誉です。足利義詮よりも圧倒的に力を持ちながら、足利義詮を討とうとはせず、補佐役、トラブルシュータ―役に甘んじています。これが日本の歴史の不思議なところです。実力主義なのに、ある程度、上に行くと、権威主義になります。この辺のさじ加減を理解していないと、理解しにくいところがあります。そういうところが日本の歴史の面白いところだとも思うのです。無能で力のない足利義詮にとって代われる人物はいたのに、そういう野心を全くもっていないというのが世界史上で
ワタクシの桜嵐記予習。楠木三兄弟を旅する…も、4月24日の四條畷神社湊川神社5月1日の如意輪寺に続き、4箇所目になりました。本日は桜井駅跡です。JR島本駅のすぐ前に、桜井駅跡の公園として整備されております。阪急水無瀬駅と島本駅を結ぶ道路は楠公道路と名付けられており、テンションが上がります。この像、あちこちで見ましたが、いわばこちらが本家本元…ですよね。小楠公の頭上に鳩が雨やどり。足利尊氏(風間柚乃)が叛旗を翻し、建武の新政はたった2年で崩壊。一旦九州へ落ちたが、勢力を
ありがたや楠木三兄弟に会える!お稽古着の色味が揃ってしまい、密かに喜ぶ正儀や、月組の底力をとくとご覧あれっ!!と力強い正行さまに会える。華やかな花一揆の面々にも。そうなると、アウグストゥスで大劇場に別れを告げる皆さまが無観客なのが辛い。やっぱ、配信だけでも、花組さんと繋がらなくては。リアルタイムで拍手しなきゃ!ですな。
こんばんは。次回の月組の宝塚大劇場公演ロマン・トラジック『桜嵐記(おうらんき)』作・演出/上田久美子この作品を宝塚歌劇団の月組が公演すると発表されて以来、気になって仕方がなくて・・・この作品に関係のありそうな、南北朝時代や、楠木正成とその息子達楠木正行、正時、正儀、そして後醍醐天皇と後村上天皇、南朝がおかれていた吉野、「太平記」・・・いろいろ検索したり、調べたり、行ってみたり、お参りしたり、読んだり・・・しております。そんな中で、こんなお酒を見つけました。長男楠木正行に因
本日は大楠公小楠公ということで、それぞれゆかりの湊川神社と四條畷神社に行ってきました。宝塚歌劇団月組宝塚大劇場公演桜嵐記のお勉強です。てか、現在公演中の公演が千秋楽まで続けられるように…とたまさくの退団公演が予定通り公演できますように…とお願いをしに。ところが、四條畷神社を出た頃に、休演のお知らせを受けとりました。ロミオとジュリエットは千秋楽を迎えられそうですが、花組さんは宝塚大劇場での千秋楽はどのようになるのでしょう。また、花組さんと月組さんがこんなことに。皆さま
月組「桜嵐記」のポスターと同時に、主な配役も発表されました。個人的に、れいこさん(月城かなと)の役は、高師直かな?と予想していました。四条畷の戦いのラスボスだし、弁内侍拉致未遂事件(←楠木正行が助けに入った)の首謀者だし、歌舞伎の影響でヒールイメージ強めな高師直をニヒルな悪役にして「本当は優秀なヤツなんだよ」(実際、戦上手な楠木家の若い子たちに勝利しているし)って感じで正行と対立させるのか?と思いきや、れいこさんの役は正行の弟・正儀(まさのり)役でした。まぁ、拉致未遂事件がアレす
れーこさん、楠木正儀なんだ!珠城さんの弟役!楠木家を託される役ですね。南北朝をひとつにまとめるあたり、なんか…象徴的。任せるよあいよっ…的な?というと、ちなつさんは次男?それとも…やはり憎まれ役なのか?月組の皆さまの、凛々しい武者姿が次々と脳裏に浮かぶ。しあわせ。てか、なんせ上田先生だし、色々心配。轟氏の婆娑羅の玄孫も気になるし、歴史のお勉強が忙しい。にしても、ポスターのこの美しさを見て?嗚呼…もう、儚くて切ない。
「南朝公卿補任」は、南朝に仕えた公卿の職員録です。延元2年(1337)~元中9年(1392)まで収録されており、記載されている公卿は106名に上り、この史料の存在を知った時は非常に興奮しました⤴️しかし、これは江戸時代の有職故実家、藤貞幹という方の偽作説が有力だそうです。どんな意図があってこれを作ったのか...今となっては知るよしもありません💧内容としては、本物の公卿補任と同じような体裁をしています。関白~非参議まで記載されており、一時南朝に降っていた足利尊氏や義詮、歴史と伝説の狭間にいる尹
新しい年が明けましたね。ナチュラルガーデンさんの三段重のおせち新型コロナで子供達も帰って来ないので、お正月にバタバタしないで済む様にと、小さなおせちを予約しておりました。こちらは、お正月のために置いて有ったお酒です。神も仏もあまり信じてはいない私ですが、かといって、特に否定もしてはおりません。子供の頃から生活の一部として、当たり前に初詣に行っておりましたので、今年も行きます。ただ、密を避けて、以前、娘が住んでいた地元密着型の神社さんへ、ウォーキングを兼ねてのお参
天正18年(1590年)、秋。正成の隠居から十年後、河内・長野館に二人の男が訪れた。「おう、兄貴。久々に顔出してみたで。元気そうで何よりやな。」「うむ、お前も激務で疲れてるかと心配していたが思ったより元気そうだな。」訪問者の一人は正儀であった。幕閣の筆頭としての天下の仕置きに加え、領国である防長六十万石の統治に大忙しの彼であるが、折を見てこの河内に顔を出していた。「上様も…わざわざお越しいただきありがとうございます。」「いやいや、私はもうただの素浪人だ。過分な持てなしは不要に願うぞ。
足利義輝による天下平定より五年、天下はようやく平静を取り戻していた。戦乱で荒れ果てた民心を安定するために全国的に減税を実施し、荒れた水路や街道の整備を実施した。その作業には仕事を無くした浮浪者を雇う事で彼らの職の確保に努めている。なおこれらは全国規模である為、当然それらの作業は長期的に続けられることになり雇用対策としては極めて有効であった。まあ今でいう公共事業、と言うやつである。それと同時に義輝が取り掛かったのは様々な政治制度の改革であった。それは史実での江戸幕府が作った制度に近い