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えー、今日は妖怪談義と怖い日本史が混じったような話です。まともに書くと1冊本ができてしまいそうな内容なんですが、そうもいかないので、できるだけすっ飛ばしていきます。興味を持たれた方はWiki等で検索してみてください。さて、下に妖怪画を2枚掲げましたが、左は竹原春泉画、『絵本百物語』より「飛縁魔(ひのえんま)」で、右が竜閑斎画『狂歌百物語』より「小袖手(こそでのて)」です。ではここでクイズ、ちょっとこじつけを含みますが、この2作から連想されるものは何でしょう?・・・答えは「火事」
こんにちは!下村です!先月参加しました「本妙寺仁王門健脚行」⛩️30歳未満の部で(5人中)2位の好成績を叩き出したので副賞としてフルーツ詰め合わせをいただきました🥰個人的には熊本城マラソンよりキツい大会です😅来年もあれば出ますかね…🙄
こんばんわ!☆シリウス☆です。3月29日金曜日はいつもの茶屋へ今日のジャージはぼのぼの(笑)しまっちゃうおじさんバージョンっす。ヘロヘロと茶屋について鳥のさえずりを聴き下ろ~と50メートルぐらいの場所でニャンコ発見!耳はカットされてる桜猫ちゃん!地域猫として誰かがお世話してくれてるみたい。可愛い顔してる優しい子らだ。そう言えば清正公公園のぶーちゃんたちに会いに行こう!激坂のぼり着いたー\(^o^)/やだ、逆光やん!いつものおじちゃんたちがいた!も
2024年4月17日(日)撮影かなり久しぶりに熊本市の夜景を撮りました。一時期よく来てた場所だけどもう10年以上来てなかったと思う。藤崎台球場のライトが眩しい。球場にライトがついてるのは初めて見たな。上下を切ってパノラマ風に。現在修復中の宇土櫓の覆いが見えます。隣に天守閣もあるんだけど小さくてわかりづらいかな。たまには自分の住んでいる街を上から眺めてみるのも悪くないな。
2024年3月27日(水)やっと晴れた☀️桜は、、まだかなぁとりあえずゆっくりジョギングしつつ散策地図見てたら、桜がキレイそうだったので柿原公園へここ桜並木なんだろうなぁやっぱりまだかぁでも、桃かなぁ?なんかキレイに咲いてたピンクいっぱいそれからGoogleナビをたよりにのんびり🏃こんな道もいいわ~😆そして、、本妙寺公園に到着結構近い加藤清正公にご挨拶熊本市内が一望できる咲いてる種類の桜もあった今週末、本妙寺では桜灯籠あるみたい昨年行った今年は桜どーだろうな
絶賛クラウドファンディング中ですが、琵琶の演奏会にちょこっとお邪魔させてもらいます。「本妙寺桜灯籠琵琶桜乃座」日時:3月30日17時~21時まで場所:熊本市西区本妙寺浄池廟駐車場は交通規制の為ありません。公共交通機関をお使いください。ブレイルフレンドの出番は18時~19時ごろ。点字楽譜の絵本「ブレイルフレンドコンサート~虫愛ずる姫の話~」を演奏します。是非竹あかりと桜のお祭りにおいでください!●クラウドファンディング●「熊本豪雨で被災したくま川鉄道の点字ブロックを復活させたい
3月30日(土)に開催いたします「本妙寺仁王門健脚行」では今回からカテゴリーEEを追加しました。カテゴリーEEは他のカテゴリーとは違って年齢を問わない「ウォーキング」のカテゴリーで参加料は1,000円(寄付金・スポーツ保険)となります。気軽に参加できるよう当日受付もできるようにしておりますので、桜咲く時期に本妙寺参道を歩いてみませんか?【本妙寺仁王門健脚行公式サイト】お知らせ/カテゴリEE(ウオーキング)は当日受付可能です
先日(1/31)、豊島区巣鴨にある本妙寺に行きました。本妙寺は明暦の大火、謂わゆる振袖火事の火元とされています。境内には遠山金四郎景元(遠山の金さん)、幕末の剣豪・千葉周作、囲碁の本因坊等のお墓があります。遠山景元の墓本因坊歴代の墓棋聖・天野宗歩の墓明暦の大火供養塔日本最初の通辞・森山多吉郎の墓剣豪・千葉周作の墓(=^x^=)
大牟田市でマンホールカードをいただいた後は、熊本市内で1泊しました。『大牟田市のマンホールにカード[福岡県]&ウイングインターナショナル熊本宿泊(23.12.24)』筑後市でマンホールカードをいただきました。『筑後市のマンホールとカード[福岡県](23.12.24)~鉄道話つぶやき』雪が残る角牟礼城に行き、続日本100名…ameblo.jp旅の3日目の朝は前夜買っておいたパンを朝食に食べ、ホテルに荷物を預かってもらい、観光に出発。熊本市電に乗り本妙寺入口駅で降りました。この日最初
おはようございますいつも私の拙ブログにお越しくださりありがとうございます○┓ペコ今後とも宜しくお願い致します🙇♂️乾燥してるので火の取扱いに気をつけましょう。本日も宜しくお願い致します🙇♂️振袖火事の日1657年(明暦3年)に江戸城天守閣と市街のほとんどを焼失した「振袖火事」が起きた日。現在の文京区本郷・本妙寺より出火した。この火事を受けて、幕府が消防組織を発足させる。
広澄山円明寺の次は大社町にある日蓮宗の寿栄山本妙寺へ。参道。山門。御本堂。梵鐘は外されていました。御首題。
1657年(明暦3年)のこの日(旧暦)、「明暦の大火」と呼ばれる江戸時代最大の火事が発生した。死者は10万人を超え、江戸城天守閣が焼け落ちたほか、多数の大名屋敷、市街地の大半が焼失するなど、江戸中を焼き尽くすほどの大火事であった。明暦の大火(1657年)・明和の大火(1772年)・文化の大火(1806年)は江戸三大大火と呼ばれる。明暦の大火を描いた田代幸春画『江戸火事図巻』(1814年/文化11年)言い伝えによると事の起こりは3年前。商家の娘おきくが偶然見初めた若衆に恋いこがれるが、恋
【世にも奇妙なお江戸の都市伝説🔥😱】今日1月18日は有名な江戸の都市伝説……数々の陰謀説すらある……『明暦の大火(振袖火事)』の発生日🔥『明暦の大火』はあまりにも謎が多い江戸で起きた大災害のひとつ☝今日は『明暦の大火』のあれこれを……今から367年前……1657(明暦3)年1月18日の出来事……江戸・本郷丸山町の本妙寺から出火し……またたく間に江戸の町の大半を焼き尽くした『明暦の大火』……原因については……いくつかの都市伝説的なそして……また陰謀
つづき⇒国道266号線を東進中。。交通量も少ない海沿いの快走路。気持ちよく走り抜けて、ちょいと立ち寄り、姫戸湾に浮かぶ小さな島「小島」。島といっても、、堤防で陸地と繋がれており歩いて行き来できる。この先には、、海水浴場やキャンプ場があるみたい。島にも上陸したい気もしたが、、もう暑くってね、、ここまでにしておこう(笑)。で、「小島」からすぐ、、こちら『永目神社』にも寄り道。ここにあるのが、アコウの巨木(県指定天然記念物)。昨日の「天草のラピュタ」の巨木も素晴らしかったの
熊本電鉄菊池線上熊本駅(KD01)→韓々坂駅(KD02)2023年12月22日(金)と23日(土)に訪問した、熊本電鉄菊池線上熊本駅の画像をUPします。片面ホーム1面1線の地上駅で、無人駅です。鹿児島本線(★)と、熊本市交通局Bライン(上熊本停留場|B1)の乗換駅です。熊本県総合体育館と、熊本城と、熊本博物館と、熊本製粉と、本妙寺と、熊本大学教育大学附属小学校・中学校の最寄り駅です。駅の出入口です。上熊本駅の駅名標です。駅ナンバーは、「KD01」です。以上です。熊本電鉄菊池線
廣嶋屋のすぐ上が本妙寺です浄地廟ってありますね、加藤清正のお墓だ山門から参道が下っています本妙寺由緒、熊本城と同じ高さ造られてますね裏手に清正公の銅像があります石段を登ったところですね立派な銅像ですねいよいよ年越しですね
金峰山近くの本妙寺の参道沿いの廣嶋屋が蕎麦処開店です10軒ほどあった宿も今は1軒だけ参拝の宿泊客も減ってしまったので蕎麦処開店です琵琶は女将さんがやるそうです蕎麦は息子さんがやってますねもりそばです、ひとくちで「美味い❣」薬味おろしそば、梅干しが強いですね蕎麦を楽しむならもりがいいかもおまけに親子丼でした熊本トップクラス★★★★ですね
前回からの続き(10月14日のこと)です寂光寺を後にして、仁王門通りを東へ進んで行くと、東大路通りへ出ますそこから北上して妙傳寺へ行ったのですが、昼は対応されてなかったので、一旦戻って前に境内に入っただけで済ませたこちらへ伺いました本妙寺住所・京都市左京区仁王門通東大路東入ル北門前町490通称・赤穂義士の寺御本尊・題目釈迦多宝仏駐車場・なし歴史など正和4(1315)年、日像により岩倉にて創建天正2(1574)年、日典が京極新烏丸丸太町付近に創建したとも宝永元(1704)年、
法住寺さんの次は、本妙寺さんへお参りして、お上人に挨拶して、「毎年ありがとう。ご苦労さん。」と。討ち入りそば2杯目頂きました。☺️
さてさて………………我々は、約4時間30分でスケジュールした『京都一周トレイル』東山コースの一部を踏破した…………【京都一周トレイル標識】で言うと、「東山7」から「東山29」までを踏破したことになるわけだ。他のコースもいつか歩きたいなあそして、京都検定の問題に、この中から一問でも出題されたらココロはそれだけで嬉しいな【古川町商店街】無事に歩き終えた我々は、ようやくのランチタイムをとることとした。到着したのは、【古川町商店街】……………寒い中、たくさんたくさん歩いたおじさん四人たち
総代家よりいただいたポインセチアを積んで出発です。本堂前に着きました。【250年前のお堂】11月24日。群馬の本妙寺さんに行きました。毎年今頃伺っていたのですが、コロナ禍だった為、4年ぶりにお上人にお会いできて、ごあいさつできました。丁度鬼子母神堂の改修工事中だった為、工事現場を案内して下さいました。250年前に江戸時代に建てられたお堂です。なかなか見られない貴重な物を見せていただきました。本堂内に移されていた御尊像の厨子。お上
大聖勝軍寺本妙寺
2023年11月16日。染井霊園に行ったついでに、その隣にある本妙寺にも立ち寄った。本妙寺大罪寺に名奉行本妙寺。江戸時代最大の大火といわれる明暦の大火の火元とされている。明暦の大火は、江戸の全域と、江戸城の天守閣も焼いてしまった、すさまじい大災害である。当時、本妙寺は、本郷にあった。わたしの家は、その本妙寺の跡の上に建っている。その本妙寺。大火のあと、本郷からここ染井に移転している。それが、本妙寺が火元というのは誤り、と指摘される根拠だ。江戸中を焼き尽くした
11/9(木)所用のためお休み取得。お昼ごはんは本妙寺参道にある廣嶋屋。初めての訪問です。予約したのでテーブル席へご案内。座敷席もありますが母にはやっぱりテーブル席。で、メニューは蕎麦御膳や冷たい蕎麦のもりそば、くるみそば、薬味おろしそば温かい蕎麦のかけそば、花まきそば、肉そば。蕎麦は石臼挽き十割の手打ち蕎麦だそうです。一品料理いろいろとご飯もの。甘味、お飲み物にお酒も。ハートランドビールがあるのはポイント高いです。しばらくするとどんどんお客さん来店。座席も少なく
先日福井小浜の秋桜を記事にしました福井小浜の秋桜|相場残日録(元相場師天の日記)(ameblo.jp)少し抜粋秋桜で想い出す風景といえば単身赴任の福井時代、仕事で行った小浜道の駅若狭おばまのすぐ近くに秋桜が咲き誇る野原があります抜粋終わり秋桜といえばもうひとつ想い出すことそれは、熊本・本妙寺の秋桜です。高校生の時だったと思います。かみさんと一緒に見た秋桜おそらく44年も前???ただ、鮮明に覚えています。秋桜が咲き誇っていた光景を熊本といえば加藤清
葛野藤四郎の墓遊戯の戒名墓石の側面巣鴨の本妙寺にある本因坊家の墓所に、戒名に「遊戯」の文字が使われている墓石がある。十二世本因坊丈和の四男、葛野藤四郎の墓で、戒名は「常得院遊戯信士」である。藤四郎の詳しい経歴は分からないが「遊戯」の文字が使われていることから判断すると兄達と同じで囲碁棋士であったと考えられる。藤四郎が亡くなったのは安政5年9月5日(1858年10月11日)とある。位号に「信士」が使われていることから亡くなった時の年齢は15歳以上であり、三男の中
勢子と葛野松次郎の墓(巣鴨本妙寺)二世葛野忠左衛門(葛野松次郎)の戒名巣鴨の本妙寺の本因坊家の墓所にある十二世本因坊丈和の妻、勢子の墓には、丈和の次男、葛野松次郎の戒名も刻まれている。先妻の子である丈和の長男・戸谷梅太郎は、13歳の時に戸谷道和と名を改め、同い年の土屋秀和と本因坊家跡目の座を競い合っていたが、眼病に侵され数年間治療に専念したため、その間に秀和が跡目となってしまう。父の計らいで還俗した道和は、葛野忠左衛門と名乗り諸国行脚。その後、本因坊家外家である水谷琢順の養
“朝鮮出兵において、殊更に清正が取り沙汰されるのは何故だろうと長年不思議に思っていた。でも、敢えて触れずにいた。触れると何かと言いたくなるだろうし、言ってしまうと火種になってしまうとなんとなくわかっていたから―――”と、まぁ、ハイ。なんとなくセンチメンタルな導入にしてみました。ええ、調べていくうちにね、なんとなくその理由もわかってきましたよ実はわれらが熊本南の大将・小西行長も同じような役割の重さで朝鮮を攻めていたりもするのですが、どちらも秀吉のお気に、秀吉は二人に対してそれぞれ、
本日0900頃に自宅を出発し茶屋練へ行く。本妙寺よりの峠の茶屋へ。寒そうだったのでジレを着て、前は閉めず、ジレをひらひらさせながら登りを漕ぐ。【峠の茶屋】取り敢えずいつもの1枚峠の茶屋より一旦腹痛のため、峠の茶屋公園のトイレへ、じ後、オレンジロードを野出峠へ登る。【野出峠】若干雲っているが雲仙普賢岳が見える。野出峠より更に芳野へ登る。その後、太郎迫へ下り、藤崎宮、子飼、熊大、北バイパスにて帰宅した。10月に入り大分気温も下がって来たようで、最高気温は25℃であった。明日(10
本因坊察元・秀悦の墓(巣鴨本妙寺)十四世本因坊秀和の跡目・本因坊秀策が亡くなり、再跡目となり家督を継承したのは秀和の長男である本因坊秀悦であった。秀和は当初、塾頭で門下第一の実力者であった村瀬彌吉(本因坊秀甫)を跡目にと考えていたが、村瀬を嫌う本因坊丈和未亡人の意向により、文久3年(1863)に当時三段の秀悦が跡目となっている。しかし、この時期には幕末の混乱により御城碁は行われなくなっていた。明治2年(1869)、秀悦が六段の頃、本因坊家は幕府崩壊による経済的な理由から本所相生