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12月20日、いよいよ五稜郭へ入城。完全にフラットな土地に造られています。箱館戦争(戊辰戦争のうち、特に箱館での戦いのことを箱館戦争とも言います)の立役者、新政府軍の黒田了介と、旧幕府軍の榎本武揚。図の右下が五稜郭タワーそのそばの現在地から半月堡の前を通って城内へ。一の橋を渡る。半月堡周囲の堀結氷してます。半月堡の周囲は石塁で囲まれている。半月堡と石塁の間には空堀がある。半月堡によじ登れないよう、はね返しと呼ばれるせり出しがあります。(
前の記事の最後の軍人さんのお墓があった墓地には「○○家先祖代々之墓」というものの他に、こんな墓石が多くありました。奥域、奥津城、奥城。どうやら神道のお墓のようです。北海道限定というわけではないのでしょうが今まで気づいたことがなかったので珍しいなと感じました。というわけで慰霊や神社の写真を。豊川稲荷神社厳島神社錨でしょうか?港祭記念とありました。昭和10年7月1日寄進西部扶助會料理屋一同青函連絡船海難者殉難碑函館消防碑函館戦争の幕府軍側兵士慰霊碑碧血
今回、久々に立ち寄りました。立待岬の帰り道の途中に有るんですよね。すげー良い天気でした。数年間、入口横の工事をしていて、車が停められなくなっていたので行けてませんでしたが、今回は停められました。碧血碑とは?という事で御座居ます。山道を結構歩いて到着です。ちゃんと手を合わせてお参りして来ました。おぅ、待っておったか愛車!
(「僕は良い鼻を持っているんですよ」とビーグル犬まろさんオス8歳)今日、3月13日は新撰組局長近藤勇や副長土方歳三に縁のある日野市の観光協会が、本当は旧暦の1863年の3月13日に新選組が発足したので少し日にちがずれるのだけれども、新暦の3月13日を「新選組の日」として制定したそうです。ところで、新選組って昔とイメージが変わったような気がするのは私だけでしょうか。何十年か昔は、新選組と言うと今よりも「殺人集団」的なイメージが強かったような気がします。ことあるごとに、薩摩や長州
函館八幡宮品陀和気命(ほんだわけのみこと)(応神天皇、八幡神)を主祭神とし、相殿に住吉大神と金刀比羅大神を配祀する。この雪景色がとても厳かに見える手水舎、凍ってますねかち割る本殿でお参り~隣にある鶴若稲荷神社もお参り二か所の御朱印をいただきました勾玉の落雁と(夜のおつまみとしていただきました)、お清めしたマスクまでもらっちゃったさてさて、函館に来たらここは必須霹血碑箱館戦争での旧幕府軍の戦没者(約800名)を供養するた
最期の言葉に想う「新選組」の真価25日は天神さまの縁日ですいくつになっても学問成就の祈願はいいですね明治元年(1968年)4月25日近藤勇、処刑新選組局長江戸時代末期、京都で攘夷派を恐れさせます1868年1月27日鳥羽・伏見の戦い薩摩藩と長州藩からなる「新政府軍」に対して徳川慶喜の「旧幕府軍」の中に新選組はいました「最後の一人になっても戦いぬく」と言う慶喜ですが愛人の女性とともに江戸へ逃げてしまいました旧幕府軍の敗北
新紙幣の顔の渋沢栄一さん今大河ドラマでも放送されていますね実はももっち母さんの父方の先祖が渋沢栄一さんのお世話になっていますももっち母さんの父母のお墓は関西にあるのですが先祖代々のお墓は東京の文京区にあります江戸時代からのお墓らしいです私も一度しかお参りに行ったことないですが・・・江戸時代明治期は先祖は東京に住んでいたようですそこでさかのぼること幕末ももっち母さんの曽祖父よくわかららんのですが聞くところによるとたぶん4代前の先祖は槍の指南番をしていた下
そうだ!第3の道で行こう。現在の皇室制度は、女性皇族の婚姻が続き崩壊寸前です。いつか共和制なら第3の道で行きましょう!ここでは現在の皇室方を取り上げるのではなく、かつて「旧皇族」であった方を頂きにしたらどうでしょうと云う第3の道を示すブログです。(第2の道は、女系天皇誕生か?二重権威(上皇陛下と今上陛下)誕生)時は遡ること…慶応4年(1868)5月6日、明治維新寸前の戊辰戦争の最中に、東北25藩が奥羽列藩同盟を結成。そこに越後6藩も加盟して「奥羽越列藩同盟」を樹立しました。先の鳥羽・伏見
戊辰戦争は「近代的な新政府軍vs古臭い旧幕府軍」ではなかった!【検証「徳川近代」】「歴史は勝者がつくるもの」とは世の理。敗者の歴史は後世顧みられることもなく、闇に埋もれてしまうこともある。原田伊織氏が新刊書籍『消された徳川近代明治日本の欺瞞』で提唱する「徳川近代」も然り。元『歴史読本』編集者で歴史書籍編集プロダクション・三猿舎を経営する安田清人氏による直撃第四弾は、軍事的な側面から戊辰戦争の実像に迫ります。『消された徳川近代明治日本の欺瞞』著者の原田伊織氏。旧幕府軍戦死者を慰霊す
己巳役海軍戦死碑(きしのえきかいぐんせんしひ)観光ガイドブックなどにはまず出ていない場所。グーグル・マップでも検索しないとなかなか表示されない場所。※以下引用弥生坂上の林の中に建つ大きな石碑は1869(明治2)年、箱館戦争で被弾沈没した新政府軍の軍艦「朝陽」の戦死者を祀っている。(中略)碑には、旧幕府軍の軍艦「蟠龍」の砲弾を受けて1869(明治2)年5月11日に沈没した、新政府軍の軍艦「朝陽」の戦死者名が刻まれています。(中略)碑の石には、江戸時代後期に高田屋嘉
「人食い」である天皇家の仮面ははがされてしまった!!この男が、日本を食い尽くそうとしています!!「人食い達」の指示により、1867年12月9日に「明治新政府」が樹立された!!大政奉還によって倒幕は失敗したかにみえたが、巻き返しを謀る倒幕派は起死回生の策略を編み出し、その機会を窺っていた。そして倒幕派の工作によって、将軍・徳川慶喜が排斥される。倒幕派のクーデター「王政復古の大号令」によって明治新政府が樹立される事となる。クーデター「王政復古の大号令」大政奉還によって政治的に追い詰
宇都宮城跡以前に訪れました。富士見櫓本丸広大な城だったようです。戊辰戦争、新政府軍と旧幕府軍の争いの場でもあります。城内に建つ宇都宮藩藩主であった戸田忠恕の碑。贈従三位戸田忠恕之碑
「小松宮彰仁親王」騎馬像の奥にあるのが「グラント将軍植樹碑」グラント将軍(ユリシーズ・シンプソン・グラント)は1869年から1877年にかけて、第18代アメリカ大統領だった人物になります。(ちなみに16代がリンカーン大統領)南北戦争時代は北軍の将軍を務め、南北両軍を通じ、優秀な将軍といわれています。将軍は大統領引退後に家族と共に、1877年から2年かけて世界を周遊しました。この間に、日本を訪れました。1879年8月25日、上野公園にて歓迎会が行われ、記念に夫
北海道松前城の敷地内には松前藩の屋敷跡があります。だいぶ広い場所でそこには勝手の町並みの様子が復元されています。入ってみると江戸時代の時代劇に出てくるような町並みですね。奉行所跡や商店の屋敷跡等が並んでいます。松前藩は戊辰戦争の時、旧幕府軍に占領されましたがその後政府軍が奪回しています。土方などが活躍したようです記事の詳細内容なおアルバムや映像等は「大崎バックグランド」内の【戊辰戦争松前藩屋敷跡北海道松前町】を参照願います。
幕末遊撃隊(新潮文庫)Amazon(アマゾン)115〜4,025円伊庭八郎は本当にカッコいい!そして泣ける。。。岡田屋鉄蔵のコミック「無尽」岡田屋鉄蔵「無尽」1~8巻まで感想無尽MUJIN1-8巻新品セットAmazon(アマゾン)5,533円秋山香乃の小説「伊庭八郎凍土に奔る」秋山香乃「伊庭八郎凍土に奔る」感想伊庭八郎凍土に奔る(徳間文庫)Amazon(アマゾン)847円この二作品に続き、伊庭八郎ものはこれが三作目。「幕末遊撃隊」
コンタクトレンズしてる?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう皆さんこんにちは:-)+:-(さあ今日はなんの日でしょう、、、、「ひとみの日」だそうだ。解説:「ひ1とみ3」の語呂合わせにちなんで眼鏡・コンタクトレンズ業界がこの日を記念日制定。近年ではカラーコンタクトなどが手軽に購入出来ることから若い世代を中心に利用者が増える一方で、間違った使い方をしている人や品質の悪いカラーコンタクトレンズが出回っている事等から、目に関するトラブルも増えている。そこでコンタクト
現場100回プロジェクト100.世田谷八幡宮東急世田谷線の宮の坂駅からすぐにある神社です。祭礼として江戸郊外三大相撲の一つであった相撲が奉納され、その勝敗により来年の方策・凶作を占われていたため、境内には土俵と力石があると書かれ現在でも行われているとあります。召喚すると、コブラが正面を向いて威嚇する様子が見えました。宗教波動が強くしばらく咳がでました。夕方くらいから体感が軽くなり、夜になりまた、延髄にきたので呪詛と封印解除を推し進めるようアートに意識しました。夕飯後片づけをしていた
ひと月以上前に実施した市原(五井戦争)史跡巡り、やっとレポのラストですこれまで、「史跡巡り」というより「お墓巡り」唯一「史跡」っぽい感じの場所。養老川少し日暮れてきて、もの悲しい景色。この川を挟んで、「新政府軍」と「徳川義軍」が戦いました。この戦いで、旧幕軍兵は60名が戦死したそうです。そして彼らの慰霊碑がある、出津共同墓地へ。徳川義軍陣歿者慰霊碑養老川改修工事に伴って、周辺にあったお墓を地元の方々が改葬して慰霊碑を建てて下さったとのこと。
いつもの事ながら、レポが長くてすみません。ひと月以上前に実施した市原(五井戦争)史跡巡りの続きです永津霊園近澤岩五郎慶応4年閏4月7日没「幕末維新全殉難者名鑑」に名前はありませんが、徳川義軍に参加して亡くなった方だそうです。海上家之墓こちらのお家のお墓にも合葬されていて、墓誌には「徳川臣近澤岩五郎」と彫られていました。あ、全然関係ないのですが、近澤さんの古いお墓のお隣に…珍しいというか初めて見ました、こういう墓石。続いては、川岸墓地へ。
一昨日の続きイケメン(と思われる)力士のお墓をお参りしたあとは、こちらのお寺に。延命寺(山門)慶応4年8月、旧幕臣と協力した村民による義兵が立てこもって、上総諸藩の兵と戦闘を行った場所です。大きなお寺で、山門とこの本堂の間に地元の工事関係の方たちがいらっしゃいました。目的のお墓を探しに、墓域の方へ登っていきます。山登りしているみたいな感じ…この辺りの風習なのか、石仏などにお札が貼ってありました。かなり歩いたのですが、目的のお墓が見つからない資料によれ
母成峠古戦場、福島県耶麻郡猪苗代町蚕養参考①【猪苗代】戊辰戦争の歴史を後世に会津藩陣跡に案内板、猪苗代・母成峠福島民友(2017年07月13日、参考)戊辰戦争の激戦地となった母成峠の会津藩陣跡で案内板を除幕した江花会長(右)と岡部会長来年の戊辰戦争150年を前に、猪苗代地方史研究会(猪苗代町、江花俊和会長)と熱海史談会(郡山市、岡部軍美会長)は12日までに、激戦地となった猪苗代町の母成峠に会津藩陣跡の案内板を設置した。母成峠は現在の郡山市と猪苗代町の境に当たる。戊辰戦争の舞台とな
昨日のブログで、明治維新時に東北諸藩が結成した「奥羽越列藩(おううえつれっぱん)同盟」藩のお城を紹介するシリーズに関連するお城ということで「白石城」を追加で紹介させていただきました。白石城復元「大櫓」(「奥羽越列藩同盟」を締結した場所として使用されたお城)これで、一応すべてを出し尽くしたと思いますので、「奥羽越列藩同盟」や「戊辰戦争」に登場する「お城」に興味のある方が、すぐにその「お城情報」ブログを見れるように「URL」を並べてみました。(ブログの文字制限がありますので、「米沢城」
昨日のブログで、明治維新時に東北諸藩が結成した「奥羽越列藩(おううえつれっぱん)同盟」藩のお城を紹介するシリーズに関連するお城ということで「白石城」を追加で紹介させていただきました。白石城復元「大櫓」(「奥羽越列藩同盟」を締結した場所として使用されたお城)これで、一応すべてを出し尽くしたと思いますので、「奥羽越列藩同盟」や「戊辰戦争」に登場する「お城」に興味のある方が、すぐにその「お城情報」ブログを見れるように「URL」を並べてみました。(ブログの文字制限がありますので、「八戸城」
こんばんは今日の最高気温は26.0℃9時12分観測相変わらずの曇天の日になりました日照時間は3時間55分6時から10時の間まあね寒くないからいい事にしましょっ笹流ダム行こうと思い立ちましたどうせなら四稜郭経由四稜郭ですでクリ小さくてねゴルフボールより小さかったいきなりクリの実…このブログの写真撮った順番が原則です…おおよそね入り口の看板です四稜郭と箱館戦争の歴史がしたためられています陵塁桜の木だったべかここから出ましたほん
暑さ体感中~会津と言えば~鶴ヶ城と白虎隊かなぁ白虎隊とは~戊辰戦争までさかのぼる旧幕府軍VS新政府軍旧幕府側将軍命の会津藩松平くん新政府軍と戦う事になっちったそれを知った仙台藩の伊達くんマジで?マジで戦うの?うそ~それは止めた方がいいって近隣みんなで(奥羽越列藩同盟)嘆願書出して許してもらおえぇぇ将軍命だよ~だけどしょうがないやねじゃ署名するねすんまそ~んこれで許してちょは?何を今更~嫌だね誰がこんなもん受けとるかボケえぇぇ~受け取